1章ー2:マヒコとマイト、姉弟の桃色魔法生活
命彦に身を預けていた命絃が、ふと思い出したかのように身を起こし、周囲を警戒する。
訝しげに自分を見詰める命彦の視線に気付き、命絃が口を開いた。
「……今頃気付いたけど、ミサヤはまだ工房にいるの?」
薄らと見える対抗意識を、笑顔に包み隠して問う命絃。
その問いかけで、警戒を露にする命絃の行動の意味を察した命彦は、寝台から起き上がると、自室の窓から見える、家の別館へと視線を移した。
「ああ。ミサヤはまだ俺の工房で寝てるよ。夜通しの整理作業が余程しんどかったみたい。まったく、ミサヤの過保護にも困ったもんだよ。2人で一緒に整理した方が断然早いのに、『雑事は私がします、マヒコは早く寝てください』とか言って、主の俺を工房から追い出すんだもん。1人でするのは無茶だって言ってんのにさ……」
子供っぽく言う命彦の横で、窓を通して別館を見ていた命絃は、悔しげに唇を噛む。
「しまったわね……まさか工房の整理で、ミサヤがここまでずっと部屋を空けていたとは。すぐに戻って来ると思っていたから、我慢してたのに。くっ! 私としたことが、命彦と2人っきりで思いっきり睦み合える絶好の機会を、みすみす逃していたわ!」
「……。あのー姉さん?」
命彦の問いかけにも気付かず、命絃は拳を握り締めて言った。
「いえ、諦めるのはまだ早いわね! ミサヤが疲れ果てて、暢気に寝てることは事実よ。今この時は、2人っきりで甘々の時間を確実に満喫できるっ! うふふふふ……」
一転して、満面の笑みで勝ち誇るように言う姉を見て、命彦がおどけた様子で口を開く。
「甘々の時間って、どれくらいあるんだよ……すぐにお昼ご飯だろ?」
「折角2人っきりで過ごせる機会を、姉さんが逃すと思ってるの? 母さんもまだ料理を作ってたし、いつも母さんは早めに呼ぶから、10分くらいは時間がある筈。全ての料理ができ上がるまでに、居間へ着いていればいいのよ。というわけでぇー……えいっ!」
「うわっ! ね、姉さんっ! むぐむぐ……」
言い終わると同時に、命絃は両手で命彦の頭を抱え込み、自分の胸へと押し付けた。
命彦が幼少期の頃から、ずっと続いている命絃の愛情表現である。
自分の匂いを付けるように密着し、命彦を抱いたまま、寝台へと倒れ込む命絃。
その命絃の色香によって、命彦の本能は激しく刺激された。
(す、素晴らしい感触っ! ああぁぁ……顔に天国が。ぐふふふ)
命絃の深い胸の谷間に頭ごと抱え込まれ、命彦の言葉と思考はすぐに封じられた。
命彦が部屋着や寝間着として、甚平を普段から着ているのは、同じく部屋着や寝間着として、浴衣や単衣を愛用する命絃に、自宅では和服を着るよう、幼少期から躾けられたためである。
姉が言うには、日本人は昔から和服を着ていたから、普段着こそ和服にすべきだ、とのこと。確かに、着崩れを気にせず、室内でだらけて過ごす分については、ゆったりとした衣服の方が楽ではあった。
人目を気にせずに部屋着として着てみると、薄手の甚平や浴衣はとても快適である。
加えて、姉の浴衣に関しては、その快適性以上に命彦が気に入っている点があった。
それこそ、薄い生地から伝わる命絃の温もりや、身体の感触である。
耳に囁く命絃の甘い吐息と、はだけた浴衣と一緒に顔を包む、マフマフとした心地良い量感がある胸の感触。そして、優しい匂いと心を満たす温かさ。
命彦は、全身に浸透する姉の愛情と艶っぽい刺激によって、欲望の高まりを感じていた。
「さあ、一杯甘えていいのよ? 姉さんは命彦のもの。命彦は姉さんのものでしょう?」
「むふぅぅーっっ! (この感触と重み、ホント堪りませんよっ、姉上様ぁっ!)」
十全に感じられる、命絃の柔らかくも弾力のある胸に、顔を埋める命彦。
浴衣の隙間から普通に見えている下着も、命彦の気持ちを酷く昂らせた。
ぐへへと緩んだその顔で、胸を揉み、尻を揉みと、命彦は欲望のまま好き放題している。
一方の命絃は、いつものことと言わんばかりにされるがままであり、命彦の行動をじっと観察し、薄らと頬を染めつつも艶然と笑っていた。
命彦が、命絃の両腕にすっぽりと包み込まれている、その体勢のせいだろうか。
それとも、命絃が優しく艶っぽい笑顔の端で時折見せる、妖しい目付きのせいだろうか。
どうしても、姉の掌の上で良いように転がされている弟の図、のように見える。姉が弟を誘惑し、甘えさせ、自分に溺れさせて、ずっと傍にいるように弟を躾けている。そう見えるのである。
当人達が幸せそうであるため、まあいいかとも思ってしまうが、時折見せる命絃の気配や雰囲気は、淑やかさの内に、ドロリとした病んだ重みを感じさせた。
「うふふ、命彦ったら甘えんぼねえ? ……あら?」
愛おしそうに命彦を見ていた命絃が、視界の端に映るそれに気付き、突然声を上げた。
命彦が姉の声に反応し、どうにか意識を現実に戻して、心地良い胸から頭を引き剥がすと、机の上にある魔力物質製の日本刀を、命絃がじっと見ている。
そして、命彦もようやく事態に気付き、失敗したとばかりに渋い表情を浮かべた。
「しまった……姉さんの色香に、自分の欲望に負けちまった。まあ俺も男だし、姉さんのおっぱいとお尻が間近にあったら、そればかり考えて精神状態も乱れるさ。ああ、乱れるとも……」
負け惜しみのように言う命彦の視線の先には、さっきまでとは明らかに違う形状をした意志儀式魔法《魔力の刃》が、魔力物質製の日本刀があった。
美術品のように美しい輝きを宿し、優美極まる造形を誇っていた日本刀は、いつの間にかすっかりその色艶を失い、淡い明滅を繰り返していたのである。
刀身は、命絃の色香に溺れていた命彦を表すようにクニャリと折れ曲がり、粘土のように柔らかであった。武器としての輝きは、もはや完全に失われている。
(この心理状態じゃ、もう1度魔力物質を再構築しても無駄か。さっきと同等の完成度はとても見込めねえや……)
命彦は反射的に再度魔力を送り込み、魔力物質を再構築しようと思ったが、魔力の無駄遣いを嫌って、結局は《魔力の刃》の消滅を選択した。
命彦の精神が乱れて、劣情・色欲に思考が影響されている今は、幾ら意志魔法を再構築しても、さっきと同等の完成度を持つ魔力物質を作ることが、難しかったからである。
敵を全て絶ち斬り、突き滅ぼす武具を望んで、魔力物質を作ったが、その魔法を展開している時に、意志魔法を具現化した精神状態とは無関係の意識、命絃に対する色情を命彦は心に抱いた。
精神的には確かに高揚していたが、具現化した意志魔法とは全く無関係の心身の高揚であり、それはどちらかと言うと、《魔力の刃》の具現化を阻害する、魔法の想像図を乱す精神的高揚と言えた。
その結果、意志魔法の効力が弱体化し、魔力物質から武器としての効力が失われたのである。
もし仮に、この時命彦が作り出した魔力物質が、自己の色情に関係するモノであれば、その意志魔法は今の精神的高揚と上手く相関関係を築き、著しく効力を増したであろう。
しかし、今具現化していた意志儀式魔法《魔力の刃》には、その色情自体が邪魔だった。
敵を絶ち斬り、突き滅ぼす武具を作り出す意志魔法と、色香に惑う精神的高揚。
命彦の心の内で、この両者を良い意味で関連付けることが、難しかったからである。
意志魔法が欠陥のある魔法系統と言われるのは、このように使用者の精神状態と魔法の効力とがあまりにも密接に関係しており、まともに使うためには、魔法使用者の精神状態を、常に意志魔法の使用に適した状態で維持する必要があるためであった。
周囲の空間に溶けるように消え去る魔力物質、自分の最高傑作だったモノを見て、残念そうに肩を落とす命彦。
そのしょげた命彦を見て、命絃が励ますように、そして試すように問うた。
「姉さん嬉しいわ。命彦ったら、魔法に影響が出るほど、姉さんのことを想ってくれていたのね? 姉さんのことを考えて、ムラムラしてたんでしょう?」
「い、いや、それは……」
さっきまで欲望のままに行動していた自分の姿を思い出し、しどろもどろに目を泳がせる命彦であったが、全てを見抜いている命絃の透徹した笑顔を見て、自分の心情を隠すことが無意味だと気付いた。
(まあ、隠しても無駄か。そりゃあんだけ露骨に胸や尻を揉んでれば、色々と筒抜けだろうし。いつも同じことしてるわけだから、今更はずかしがって取り繕っても、男が廃るだけだ……どうせバレてるんだったら、いっそのこと潔く全てを晒しちまえっ!)
一瞬の思考の末に、命彦は観念したように寝台から身を起こすと、宣言した。
「未熟者ですいません! 姉さんの胸が、身体が……とても温かくて、柔らかくて、魔法を忘れるほど気持ち良かったんです! 口に出すのもはばかられることを、色々と考えておりましたっ! おっぱい吸いたいとか、お尻揉み倒したいとか、そういうことをです!」
自分の未熟さを恥じつつ頭を下げるも、命彦の表情はどこか誇らしげであった。
しかし、言っていることは極めて最低であり、凛々しい表情が妙に腹立たしい。
さっきまで手にあった感触にまだ未練があるのか、命彦の視線は、命絃のたゆんと揺れる胸と、むっちりしたお尻を、盛んに行き来していた。本当に最低の弟である。
ところが、その弟の言葉を聞いていた姉は、時を忘れたかのように動きを止めて、その後はすっと寝台から身を起こすと、感極まったように目を潤ませた。
「ありがとう、命彦……そこまで私を欲してくれて。私も命彦が欲しいわ。どうしようかしら、今ここで行く所まで行くべき? 知識は腐るほどあるものね……ああでも、色々と計画が。お祖母ちゃんは歓迎してくれてるから、後始末は全部任せてしまう? いいえ、それは駄目よ。母さんが滅茶苦茶怒るわ。でも、ミサヤが寝てるのは絶好の機会だし……」
紅い頬に両手を当てて、弟を手籠めにしようと算段を廻らせる姉が、そこにいた。
どうやら命絃の方も、命彦と同様、頭の螺子が数本まとめて飛んでいるらしい。
いや、恐らくはこの姉が身近にいたせいで、この弟ができてしまったのであろう。
両頬を紅く染め、幸せそうに虚空を見上げて、妖美に笑う命絃。
笑顔自体はとても美しいのに、全身に纏わり付いて来る、やたらと重い雰囲気をその笑みが発するせいで、命彦はゾクッと身を震わせた。
「ね、姉さん? ……いつもより、笑顔がすっごく怖いんですけども?」
自分のはずかしさを吹き飛ばすため、勢いに任せて言ってしまったが、姉の反応を見て戸惑う命彦。
そしてハッとする。
(しまった。勢いに任せて、姉さんの感情を刺激し過ぎちまったかも……)
命彦は思い出した。命彦が死ねば自分も死ぬと公言する、命絃の重たい愛情と、執着心の根深さを。
姉の本性を知っている筈の命彦が、思わず顔を引きつらせるほどの、ドロリとした重い気配を、凄艶に笑う命絃は、その全身から発していた。
夢見心地の状態であろうか。命絃は身をよじって、自問自答を繰り返している。
「まだよ、まだ早いわ。お祖母ちゃんが帰って来るのを待つべきよ。今コトを急いでしまうと、母さん以外にも、ミサヤが敵に回る。そうよ、折角ミサヤと結んだ密約も破棄される可能性がある。それはマズい。アレにはまだ、命彦を周囲の羽虫共から守るという利用価値があるわ。機会はまた来る筈よ。いいえ、作ってみせるわ!」
「あのー姉さん、ミサヤとの密約って?」
命彦の問いかけにもまるで応えず、命絃はその美しい顔に、どんよりとした重い想念を纏わせて、ゆらりと笑みを浮かべた。
「命彦は私のモノ、命彦は私のモノ……そう、私のモノよ。うふふ、うふふふふふ……」
見る者を震え上がらせる冷たい笑みを一瞬で隠し、姉は上品で優しい笑顔に戻った。
「いいわ。今はこれで我慢するとしましょう」
命絃が不意討ちのように命彦の頬へ口付けして、サッと寝台から立ち上がった。
「ね、姉さん!」
さっきまで姉の様子に引いていた命彦が、途端に頬を紅く染め、うろたえる。
「私としてはもっと色々してあげたいけど……それこそ、命彦の身も心も全てを虜にしたいけれど、そろそろ時間よ? これ以上ここに居たら、母さんが呼びに来るわ。さあ、部屋を出ましょう?」
自分の行動と命彦の行動、そして、その行動によってかかる時間。
全てを計算していたのか、薄らと頬を紅く染めつつ、命絃はくすりと笑った。
どんよりとした雰囲気や暗い笑み、呪詛のように聞こえる言葉。
その全てを打ち消すほどの、女神の如き輝きが、命絃の笑顔には宿っていた。
命絃の笑顔に魅入られ、ポーッと惚ける命彦が、当の命絃に手を引かれて立ち上がる。
病気に見えるほど睦まじい姉弟は、自分達が作った桃色の空間で色々と楽しんだからか、互いに足取りも軽く部屋を出て行った。