4章ー19:【逢魔が時】の影響と、魔法の伝授
都市側の昇降機と同じく、迷宮側の昇降機も1分ほどで地上に到着した。
昇降機から地面に降り立った舞子は、周囲の景色を見て身震いし、胸を押える。
荒れ果てた道路と、崩れた建築物。折れた信号機や壊れた自動車がまず目に入った。
つい2日前、この関西迷宮【魔竜の樹海】に足を踏み入れ、魔獣に殺されかけたことを思い出したのである。
すぐ傍にいた勇子が、荒い呼吸の舞子のカチコチの表情に気付き、また肩をポンっと叩いた。
「ほら、力抜きいや。ウチらがついとるから平気やで?」
「は、はい! ありがとうございます……」
舞子の全身から僅かに力が抜けたのを見て、勇子がにこりと笑う。
その2人を視界から外して、昇降機を降りた命彦は、その場の周囲をぐるりと見回した。
昇降機で降りて来る時には、眼下の迷宮域に数人の魔法士達の姿が見えていたが、今周囲に人影は皆無であり、不気味に静まり返っている。
肩に乗るミサヤへ、命彦は眉をひそめつつ話しかけた。
「この時間帯にしてはやけに静かだ。いつもはもっと、夜の迷宮に繰り出したり、昼の迷宮から帰って来る魔法士達で溢れて、人通りがあったと思うんだが……。昇降機の周りで休んでる魔法士達の姿もねえし」
『そうですね……あまり考えたくありませんが、あの【逢魔が時】の報道があったせいかと思われます』
ミサヤの《思念の声》を聞き、メイアがやや心配そうに口を開く。
「早くも私達の不安が当たった感じかしらね? 今迷宮にいる魔法士の姿も、昇降機から見る限りはまばらだったし、日頃よりも明らかに迷宮へ潜ってる魔法士の数が減少してるわ。多分皆、都市に戻ってるんでしょうけど」
空太も、命彦達の話題の内容に思い至ったのか、周囲を見回してから問う。
「メイアの言う不安って、あの【逢魔が時】の報道のことかい?」
「ええ。関東と九州の迷宮で同時に【逢魔が時】が発生したから、稼ぎ時を逃すまいと、企業や研究所が魔法士達を呼び集めてるのよ。今頃は、今後の対応を話し合ってるか、気の早い魔法士達は荷物をまとめて、もう関東や九州へ行ってるでしょうね? あんまり魔法士の移動が多いと、ミツバが止めてくれるでしょうけど、すでに影響は現れてると思うわ。これを見る限りね」
メイアの説明を聞き、舞子もやや固い表情で話に参加した。
「それでいつもより迷宮に潜ってる魔法士の数が減っているわけですか……確かに、一昨日はこの時間帯に迷宮から都市へ戻りましたが、その時はもっと人通りがありましたし、10人くらいの魔法士がここで休んでいました」
「それが普段のここの姿だよ。昇降機周りは魔法士の人通りが特に多くて、魔獣との遭遇率も極めて低い。それに、すぐ都市から応援が来られるから、よく休憩所代わりに利用されてるんだ。もっとも、今は寂しいくらいにもぬけの殻だけどね? ……でもその分、普段との違いがより際立つ。僕個人としては、この静か過ぎる雰囲気は嫌いだよ」
命彦達が難しい顔で話をしている姿を見て、端で話を聞いていた勇子が問うた。
「あの【逢魔が時】の報道を、皆気にしてんの? あれってそこまで慌てる必要あるんか? 2つの迷宮でいっぺんに【逢魔が時】が起こっただけやん? いつも通り、よその迷宮防衛都市に戦力送って終わりとちゃうの?」
勇子のこの言葉に、舞子以外の全員がため息をついた。空太が堪りかねた様子で言う。
「2つ同時に起こったんだから、いつもの倍は戦力が必要って分かるだろう? それだけ多くの戦力が必要とされ、各地の迷宮防衛都市から【逢魔が時】が発生した関東地方や九州地方の迷宮防衛都市へ、戦力が移動するんだ。自衛軍や警察、一般の魔法士を問わずね? つまり、いつも以上に僕らの街の防衛戦力が低下する。その意味わかってる?」
「それくらいわかっとるわ。だからどうしてんって話やろ? 別に関西迷宮じゃあ、まだ【逢魔が時】は起こってへんやん。【逢魔が時】が起こってから心配するんやったら分かるけどさ?」
命彦達は、勇子の言葉にまた深いため息をついた。
1人事情を察せずにいる勇子へ、オロオロと舞子が小声で助言する。
「あのう勇子さん、統計的に見るとですね、関東迷宮と関西迷宮、九州迷宮はそれぞれの【逢魔が時】の発生が、まるで連動しているように、前後して発生しているんです。命彦さん達は、近いうちに関西迷宮でも【逢魔が時】が発生し、その時に都市の防衛戦力がいつもより遥かに低下している可能性があることを、心配しているのでは?」
「あ……」
勇子がようやく気付いたのか、恥ずかしそうに顔を紅くする。
それを見て、空太はいつも通り、一言余計に言った。
「新人の方が現状を理解してるとか、はずかしいねえ、先輩として。でゅふんっっ!!」
「う、うっさいわ! ほんのちょこっと気付かんかっただけや! ふんだ!」
空太の右頬に炸裂した勇子の拳。空太は近場にあった廃墟の窓を突き破って、壁に激突していた。その2人の様子を見て、命彦は3度目の深いため息をつく。
その命彦へまだ顔の紅い勇子が問うた。
「ごほん……ま、まあアレや。あんたらが心配しとることについては分かったわ。せやけど、ウチらでも分かるその危険性は、当然ウチらの親の世代も気付いとる筈やろ。そこまで心配はいらんのとちゃうか?」
「さてどうかしらね? 人間って割と簡単に欲に負ける生き物だから、いつか来る危険より、目先の損得を選ぶ人の方が多いと思うわよ? いざ事が起こった時に、どれくらいの人が残っているのか。神のみぞ知るってね?」
メイアの言葉に命彦は、一抹の不安を感じ、思わずミサヤに手で触れた。
口に出したそれが、実際に起こる予感がしたのである。
自分に触れる命彦の手に顔を擦り付け、ミサヤが思念を発する。
『暗い話をするのもよいですが、そろそろ探査魔法を使いませんか、マヒコ?』
「おっと、そうだった。俺達はすでに迷宮にいるし、のんびり話す前にまずは探査魔法を使うべきだった。ありがとミサヤ」
壁に激突した空太の回収をメイアに任せた命彦は先へ進むため、いつも通りに精霊探査魔法《旋風の眼》を展開すべく魔力を放出し、呪文を詠唱しようとした。
昇降機を1歩でも降りたら、そこはもう迷宮の領域である。
迷宮に踏み込んだ以上、周囲の情報をできる限り収集・把握するのは、身の安全を計る上で、最優先の行動であった。
真円状に広がる関西迷宮の、最外円部である第1迷宮域。
その第1迷宮域でも、特に【迷宮外壁】に隣接する100m圏内は、魔法士の人通りが多いために、魔獣達との遭遇率が特に低い場所だったが、それでも迷宮の一部ではある。敵性型魔獣との遭遇を警戒する必要はあった。
命彦が探査魔法を使おうとしていることに気付いた勇子が、思い付いたように言い出す。
「あ、命彦、《旋風の眼》を使うんやろ? ええ機会やし、昔ウチらへしてくれたみたいに、舞子にも少し探査魔法を教えたってや?」
「ええ、いいんですかっ!」
勇子の突然の提案に、舞子が色めき立つ。わくわくした様子で身を乗り出した。
「迷宮では精霊探査魔法が特に重要や。生きるも死ぬも情報があればこそ。今後も迷宮に潜るんやったら、探査魔法は絶対修得しとくべきやろ? ウチやメイアが教えてもええんやけど、今はほら、そのウチらに探査魔法を教えてくれたお師匠でもある、命彦がおるわけやし。命彦に教わった方がええやろ? 存分に甘えや」
「おい、勝手に決めてんじゃねえよ、教えるのは俺だろうが! ……ったく、まあいい。さっさと終わらせるぞ。舞子、両手を貸せ」
「はい!」
人任せにしているくせに随分と偉そうである勇子へ、とりあえず文句を言いつつも、命彦は目を輝かせる舞子が差し出した両手と自分の両手を繋ぎ、魔力を送った。
「ふわわわぁ……あったかいです!」
舞子の満面の笑顔がイラッとしたのか、命彦の背にある頭巾に納まっていたミサヤが、冷たい思念をぶつける。
『浮ついた気持ちでいると、気絶しますよ小娘。探査魔法の情報量は簡単には制御できません。もしマヒコの魔法の具現化を邪魔でもしたら、その頭、即刻噛み砕きますからね?』
「……すみませんでした。真剣にします」
「目を閉じろ舞子。深く息を吸い、俺と呼吸を合わせて魔力を送り返せ。互いの魔力を円を描くように右手から送り、左手で受け取る。そうだ、いいぞ。魔力が循環して同調し始めた」
命彦が瞑目したまま魔力を制御し、呪文を詠唱する。
「其の旋風の天威を視覚と化し、周囲を見よ。映せ《旋風の眼》」
探査魔法が具現化する。舞子が目を瞑ったままビクリと震えた。
精霊探査魔法《旋風の眼》。風の精霊達を魔力に取り込んで使役し、魔法使用者の五感を代替する魔法感覚器官としての風を作り出して、周囲の情報を感知・収集する魔法である。
視覚情報以外にも、聴覚情報や嗅覚情報も収集でき、一気に広域の情報が得られる一方で、収集した情報量が多すぎると、脳の情報処理能力に過負荷がかり、激しい頭痛を発して魔法使用者が気絶することもある、扱いの難しい感知系の精霊探査魔法の1つであった。
情報収集する距離や範囲を広げた分だけ、つまり、魔法の効力射程や効力範囲を広げた分だけ、多くの魔力を消費し、魔力の過剰消費と情報処理の限界で気絶する可能性が急上昇するため、この種の探査魔法に習熟した魔法使用者は、意図的に収集する情報を限定することで、使用者への負担を減らしている。
命彦も当然収集する情報を絞っていたが、それでも初体験の舞子にはきつかったらしい。
「うえ? か、可愛いミサヤさん似の子犬達が突然にっ! う、ひゃあああああーっ!」
命彦と魔力が同調した状態だった舞子は、呪文の詠唱開始とほぼ同時に、命彦と自分の周囲に、風の精霊達が集まっていることを感じ取った。
そして、呪文の文言が進むとともに、魔力と風の精霊達が寄り集まって、ミサヤを縮めた姿の、6頭の子犬が生れる様子を幻視する。
命彦の脳裏で描かれた《旋風の眼》の想像図を、魔力の同調によって舞子も見ていたのである。
呪文の終わりと共に、突然生まれた6頭の子犬達が、一斉に四方八方へ散って行く。
その瞬間、子犬達が見ている周囲の様子が、舞子の脳裏に次々と想起され、物凄い量の情報が、舞子の脳に叩き付けられた。気付いた時、舞子の意識は飛んでいた。




