少年の秘密
その年の冬、ユイリは十三歳になった。
秋に従者見習い期間が終わり、冬になって今は文官見習いとなっている。
十五歳で成人すると文官となり、王宮内に住むことになるが、今はまだ祖父母の商会に居候だ。
ある休日、中央広場の劇場では恒例の楽団の入団試験が行われていた。
ターラー師匠には残念がられたが、ユイリは今年は入団試験は見送ることにしていた。
(リュートがいまいちしっくりこないんだよね)
ユイリは幼い頃に、旅の途中でフォーンという妖精の笛の音を聞いて興味を惹かれた。
その後、パーンという古の獣人から特製の笛をもらい、楽しさを知った。
今でもパーンは笛の師匠であり、その笛は家宝というほど大切にしている。
しかし、ユイリが吹くパーンの笛は妖精族特有の魔力がこもってしまい、色々と面倒を引き起こす。
そのため、滅多に吹くことが出来ないでいるのだ。
今、使っているリュートはイヴォンというダークエルフからもらった中古の品だ。
始まりの町の領主館にいる妹に王宮に出仕する話をしに行った時、戦闘術の師匠であるイヴォンから
「古い物だが初心者の練習用にはちょうどいいだろう」
と渡された。
確かに古いが、見る人が見れば分かる、かなり高価な物だった。
もらってしまったからには練習しなければと、ずっと大切に使っている。
それでも他に何か自分に合う楽器はないかと探し続けているのだ。
ユイリは今日は劇場の片隅で、こっそりと入団試験の様子を見ていた。
他の楽団員や、劇団関係者もぼつぼつと見学に来ている。
応募者は一人一人舞台の上で持参した楽器を弾く。 曲も特に決まっていないが、今まで上演された劇中の曲が多い。
観客席に座った審査員が数名いて、演奏が終わり次第、その場で合否を告げている。
ある程度の技量は必要なので、それ以下は切り捨てという感じだ。
(結構厳しいんだな)
軽く考えていたが、劇場は国の事業の一つなので、最低基準は高いようだ。
審査員が休憩に入り、ユイリも一旦廊下に出た。
音楽好きは結構多いようで、今も待合には順番を待っている者が大勢いた。
劇場の中はそんな応募者だけでなく、付き添いの家族や従者で溢れている。
楽器を持つ、弾けるという者は、庶民でもどちらかというと裕福な家の者が多く、貴族の後継ぎ以外の次男、三男や、良家の女性が多い。
その中にひとり、かなりみすぼらしい服装の少女がいた。
(あれ?。 あの子、どっかで見たような)
受験資格があるというなら成人だろうと思われたが、その身体は細く弱々しい。
ただ瞳はしっかりと前を向いていて、背筋はぴんと張っている。
今日は晴れてはいるが、冬の町は寒い。
その少女はリュートを抱え、真っ赤な手を必死に温めている。
おそらく他の応募者から邪魔扱いされたのだろう。
少女は人目につかない場所で、壁を背にして床に座った。 椅子のある場所はとうに占領されていたからだ。
「すみません。 ここに座ってもいいですか?」
ユイリはいつも認識阻害の魔道具を身に付けているので、こうして話しかけなければ認識はされない。
彼を見上げた少女は、エルフの姿に驚きながらもすぐに頷いた。
「あ、はい。 どうぞ」
今日のユイリは普段着だ。 そうはいっても服飾商会の宣伝担当でもあるので、質素だが仕立ての良い服である。
それに構わずにぺたりと少女の隣で床に座る。
(やっぱりどこかで見たなあ。 このボロっちいリュートも見覚えがー)
ユイリは彼女の薄い服が気にかかっていた。
しかし会ったばかりの者に勝手に同情されたくはないだろうと口を噤む。
編み上げた黒の強い灰色の髪のほつれが白い肌にかかっている。
ユイリは影の収納から一枚のひざ掛けを取り出した。
「どうぞ、良かったらお使いください」
驚いた少女が必死に辞退する。
「いえいえ、とんでもありません。 大丈夫です」
「そうですか?」
あまり騒ぐと他の者に注目されるので、ユイリはすぐに引いた。
だが、自分の膝の上に大きく広げたひざ掛けの一部を、彼女の足に掛ける。
「ここは静かですね。 少し疲れたので休ませてください」
ユイリはそう言って、そのまま壁に背を預けてうとうとし始めた。 もちろん寝たふりである。
ユイリのひざ掛けには火属性の魔法が掛かっている。
ほんの少し足に掛かっただけでも暖かいはずだ。
ユイリをちらちらと見ながら、少女はそのひざ掛けの隅っこに自分の手を入れた。
はあ、っと大きく息を吐いたのが分かる。
いつの間にか少女の膝はすっぽりと覆われていた。
ユイリに対して敵意も羨望もなく、何のこだわりも見せない。
彼女の瞳は真っ直ぐに音楽しか見ていない。
その隣は、ユイリにとって何故か居心地が良かった。
休憩時間が終わり、ふわっと欠伸をしてユイリは目を覚ます。
慌てて離れようとする彼女の手をひざ掛けの下で掴む。
彼女の手の冷たさに、普通の家庭には無い、あの井戸を思い出した。
ユイリはこの時ほど自分の精霊魔法が風しかないことを残念に思ったことはない。
火なら彼女を温められるし、土なら防御結界で寒さから守り、水なら彼女のひびだらけの指を癒せる。
しかし、風では彼女を助けることが出来なかった。
怖がらせないように笑顔を浮かべる。
「 怪しい者ではありません。 東門の近くの井戸であなたがリュートを弾いているのを知っています」
「えっ」
早朝の散歩で彼女のリュートが聴こえると、ユイリは何故かほっとするのだ。
少女はユイリが普段の彼女を知っていると聞いて、少し警戒を解いた。
「今年成人しましたので、 最初で最後だから思い切って受けてみようかと」
栄養の足りない身体で、それでもそのリュートを手放さなかった少女。
しかしユイリが見る限り、冬の外気で凍り付いたリュートは絃も硬くなっている。
順番が来て、呼ばれた彼女が立ち上がった。
「がんばって」
ユイリがにこりと微笑むと、彼女は真っ赤になって頷いた。
ところが、会場に入ろうとした彼女に、わざとぶつかった者がいた。
「あー、ごめんー。 応募者だとは思わなかったよー」
若い男性だった。 どうも不合格になって出て来たらしい。 明らかに嫌がらせだった。
「あ」
リュートの絃が切れていた。 古く硬くなった絃は切れ易い。
笑いながら相手は劇場を出て行ってしまう。
「次の方、まだですか?。 早くしてください」
彼女は絶望したように立ち尽くしていた。
ユイリはすぐに駆け寄り、彼女の手に自分のリュートを握らせた。
「これを」
訳も分からずおろおろしているだけの彼女の背中を押す。
「さ、早く」
会場に入って行く後ろ姿を見送った。
扉が閉まると、ユイリはまた元の場所に戻って座り、彼女のリュートを直し始める。
エルフの耳は微かな音でも拾う。
しばらくして、あの少女のリュートの音がユイリの耳には気持ちよく響いた。
そして「合格です」の声もちゃんと聞こえた。
「ありがとうございました。 本当にありがとうございました」
ユイリにリュートを返し、何度も頭を下げる彼女を劇場の隅の目立たない場所へ連れて行く。
「おめでとうございます。 あなたなら大丈夫だと思っていましたよ」
ユイリはそう言って直った彼女のリュートを返し、その肩にひざ掛けを巻き付ける
「これはささやかですがお祝いに差し上げます。 気を付けてお帰りください」
ぽろりと零れた涙を、ユイリはそっと拭う。
「劇場であなたの音を聴くのを楽しみにしていますね」
何度も振り返りながら通りを東に向かって歩く彼女を見送った。
(惚れましたか)
「おわっ」
いつの間にか、ユイリの守護精霊である風のリリンがエルフの少女の姿で隣に立っていた。
ユイリは頬を染めながら、ふいっと横を向く。
「お祖母様や皆には内緒だからな」
(承知いたしました)
感情の無い声が聞こえたが、その無表情な瞳はいつまでもリュートの少女が消えた方角を見ていた。
「勝手なことはするなよ?」
念押ししておかなければ、この精霊たちは何をするか分からない。
(もちろんです)
ユイリは祖父母の家に向かって戻り始める。
何とか祖父母に彼女の後援者になってくれるよう頼もうと考えていた。
(同情、だよなあ)
それでも、彼女の音はユイリの耳には優しく響いた。
あの音が好きなのだ。 いつか自分にだけその音を聴かせてもらえないだろうか。
エルフの少年は、そんな甘い夢を見るのだった。
~完~
お付き合いありがとうございました。