王宮での仕事
ユイリの休日は二日ある。
一日は楽器の練習に当て、もう一日は祖父母の手伝いをしている。
「休日なのだからゆっくりしてていいのよ」
と言われても、周りが働いているのに自分だけのんびりも出来ない。
しかも、楽師になる夢を捨てていないユイリを、祖父母は一応は認めてはいてもあまり良い顔はしていない。
やはり機嫌は取っておきたかった。
「心配するな。 お前はエルフという長命種族だ。 慌てなくていい」
父親のギードの言葉は「我慢しろ」ということである。
ユイリとしては祖父母とギクシャクなどしたくはないが、止めることは出来ない。
今は不本意ながら、趣味として続けることは許可されていた。
その日、祖父母の家で早めの夕食を取り、ユイリは王宮に戻って来た。
ユイリたち従者見習いは朝が早い。 前日の夜から準備が必要なのだ。
王城の使用人用城門を通り、宿舎へ向かう。
「あ、ユイ。 お帰りなさい」
「フウレンも帰ってたんだ。 お帰り」
幼馴染の一つ年下のフウレンも一緒に学んでいる。
王国の有名魔術師ハクレイの一人息子である彼は、父親の溺愛から逃れたい年頃なのだ。
見習い用の宿舎は使用人棟の一角にあるが、一応貴族の子弟が多いため、町中の庶民の家よりは立派である。
二人で一部屋なので、ユイリとフウレンは同室になった。
王宮の従者見習いは、貴族や上流階級で子供を持つ親には行儀見習いとして人気がある。
友人を得たり、婚約者を探したりという目的もあるようだ。
子供たちは新年の春の一月から秋の三月までの半年間、王宮の中に泊まり込む。
成人前の上流階級の子弟が多いため、それくらいしか子供たちが我慢出来ないらしい。
それに支払われる給金は庶民にとっては正当な額でも、彼らにとっては小遣い程度。
普通の使用人たちとは違い、はっきりとした休日があるにもかかわらず脱走者まで出ることもあるそうだ。
当然、身分差のある者たちからは腫物のような扱いになる。
そんな中でどう振る舞うかで親の考えや、本人の気質が分かる。
しかも、勉強する内容は従者の仕事である。
主である王族または上流貴族を想定し、彼らをどう支えるかを実践的に学ぶのだ。
早朝、主より先に起きて準備をする。
宿舎の部屋から出ると、廊下には仲間の見習いたちが同じように部屋から出て来る。
「なんで私がこんなことしなくちゃいけないの」
怒り交じりに早足で歩くどこかの令嬢。
「俺はこんなこと一生やらなくてもいい身分のはずなんだが」
うんざりとした顔をするどこかの令息。
ユイリとフウレンは顔を見合わせ、苦笑いを浮かべるだけだった。
ユイリの両親は忙しく、彼を甘やかすことはなかったので自分のことは自分で出来る。
商家の出なので、客に対する扱いも見て学んでいるし、祖父母の家での居候で自分の感情を押し殺すことも覚えていた。
しかしエルフであるユイリは、その容姿の美しさから、何をやっても様になる。
なるべく気配は消しているが、他者からの嫉妬や羨望というものに辟易している。
その上、困りごとがもう一つある。
「ユイリー、戻ったのかー」
「はい。 セシュリ姫様、おはようございます」
ユイリの担当は国王の孫娘であるセシュリだ。
八歳になる彼女はとにかくユイリを気に入っているので側に置きたがる。
父親は人族で王太子、母親はエルフ族の前妖精王の子で、セシュリはエルフ族だ。
エルフ族であるということでユイリが従者として選ばれたと思うのだが、いつも背後にいる先輩従者はユイリを睨みつけている。
セシュリが「ユイリ、ユイリ」とうるさく付きまとい、離れないからだ。
「姫様。 この者は仕事中でありますので」
と指導している従者が窘めると、姫の機嫌を損なってしまう。
もしそんなことが続けば、いくらおとなしい姫とはいえ、口うるさい従者を嫌いになるかも知れない。
姫は、日ごとに美しく成長され、国王陛下も王太子殿下も溺愛している。
そんな姫に嫌われることは失業の危機なのだ。
ユイリを指導している先輩従者はぎりっと唇を噛むしかない。
ユイリは、毎日何とかセシュリ姫の機嫌を取りつつ、先輩従者の顔色も窺っていた。
見かけは大人と変わらないユイリだが、中身はまだまだ十二歳の子供だ。
「うっとおしい。 もう全部投げ出して帰ろうかな」
ユイリは、宮廷楽師を紹介してもらえるからとこの従者見習いを引き受けた。
たった半年、父親にもそう言われて丸め込まれた。
だがまだひと月。 騒動を起こして解雇されるには早過ぎる。
特に始まりの町の領主館で戦闘術と魔術の修行をしている双子の妹が知ったら、きっと「逃げ帰って来た」と馬鹿にされるだろう。
(それだけは御免だ)
双子は一番仲の良い家族であると共に、一番自分に厳しい相手でもある。
ユイリは日増しに欲求不満をため込んでいく。
ぼろん。
休憩時間、ユイリはひとりでリュートを弾いていた。
耳の良いエルフは正確な音を聞くのに向いている。 正確な音を聴いて覚え、それを自分の音と比べるのだ。
ターラー師匠からも音楽は良く聴くことが大切だと教えられているのだ。
小食なユイリは昼の休憩時間は食堂へは行かず、楽器を片手に人気のない庭の隅で過ごす。
この時間だけは何もかも忘れられる。
ユイリは無心にリュートを弾き鳴らす。
そろそろ時間だと立ちがると、人の気配がした。
「あ、ごめんなさい。 美しい音色だったものだから」
高齢の婦人だった。 ユイリの記憶では宮廷魔術師の一人だ。
「いえ」
頭を軽く下げて礼を取り、その場を離れようとした。
「おばあさま、どこですかー」
フウレンの声だ、と思ったらすぐ現れた。
「フウレン。 どうした?」
「ユイリか。 僕の担当の宮廷魔術師長のおばあちゃんを探してるんだよ」
切りそろえたさらさらとした銀色の髪が肩のあたりで揺れている。
走って来たようで息が上がっているのだ。
ユイリの手がすっと動いて、消えようとしていた老婆の服を掴んだ。
この辺りは木々や草が多く人目に付かない隠れ易い場所が多い。
「おばあさま、お探しておりました」
フウレンに突き出だされた宮廷魔術師はユイリをちょっと睨んだ。
「気の利かない子だねえ」
ユイリは上官に当たる老婆に対し無表情を返し、仕事中であるフウレンには黙礼してその場を後にした。
「あのエルフの子。 とーってもリュートが上手だったのよ」
フウレンと共に部屋へ戻る宮廷魔術師長は上機嫌にユイリのことを話した。
「ええ、知ってます。 彼とは幼馴染なんです」
「まあ、そうなの?」
老婆はうらやましそうにフウレンを見る。
「ねえ、また聴きたいわ。 どうしたら聴かせてもらえるかしら」
今回のことできっと警戒されただろう。 もうあそこでは会えないと思われた。
「それなら、彼の今の悩みを解決してあげれば、また聴かせてもらえると思いますよ」
フウレンはにっこりと微笑んだ。
朝の早い従者見習いは、夕方は割と早い時間に解放される。
その夜、部屋に居たユイリはフウレンに連れ出された。
「な、なに?。 いったいどこへ行くんだよ」
「まあ、ついて来てよ」
幼い頃から仲良しのフウレンにそう言われては断ることも出来ず、ブツブツ言いながらも付いて行った。
「失礼します」
重そうな扉を開けると、昼間会ったおばあちゃん、宮廷魔術師長がいた。
ユイリは訝し気に首を傾げながらもきちんと礼を取る。
その向かいの席には温厚そうな髭の紳士が座っていた。
ユイリはその応接用の席を勧められて、紳士の隣に座る。
「こ、こんばんは」
ユイリはその男性に見覚えがあった。
「あのー、劇場の支配人ですよね。 どうしてここに」
王都の中央広場にある劇場は祖父母の商会にも近く、ユイリは何度も足を運んでいる。
「おお、見所がありそうな青年とはユイリ様のことでしたか」
支配人はうれしそうにユイリを見ている。
訳がわからないユイリはただ身を縮めて、椅子にちょこんと座わっていた。