少年の師匠
短編です。 五話で終わります。 よろしくお願いします。
エルフという種族は、基本的に同族以外にあまり興味が無い。
積極的に他の種族と交流を持っている現在でも、それはあまり変わりなく、特に国名、地名などはからっきしである。
所詮、他種族が付けた名前に興味は無く、町の名前も知らないまま住んでいたりするのだ。
エルフの少年ユイリは、ある国の王都に住んでいた。
「ユイリ様、おはようございます」
「ん」
家族用の食堂に入ると、使用人の女性が朝食の準備を始める。
ユイリは十二歳になった。
彼は父親がエルフ、母親が人族である。
商人である父親の商会では若旦那と呼ばれるという環境で育ったが、現在は実家を離れ、母親方の祖父母の家に居候していた。
今はちょうど三歳年上の従兄であるレリガスが朝食の席についている。
このところ祖父母の商会はかなり忙しく、家人が揃って食事をするのは夕食くらいで、あとは各自でとることになっていた。
レリガスは十八歳。
いずれこの祖父母の商会は彼の父親が跡を継いで、その一人息子である彼がその後を継ぐ予定だ。
しかし現在は修行のため、叔父にあたるユイリの父親の商会で働いている。
「ユイ、食事の時間ぐらい本から目を離しなよ」
「ん」
ユイリは夢中になると周りが見えない。
「あら、賑やかだこと。 レリー、まだいたのですか」
「はい。お祖母様、これから出かけるところです」
急いでパンを口に放り込むレリガスは、従弟であるエルフの少年をちらりと見る。
ユイリはさっと本を膝の上に隠し、優雅にお茶を飲んでいた。
彼もまたレリガス同様、この作法にうるさい祖母が苦手である。
「あなたは大丈夫なの?、ユイ」
「はい、お祖母様。 今日はお休みですので」
ユイリは今、王族の従者見習いとして王宮で働いている。
まだ未成年者ということで五日ごとに休みがあり、仕事の日は王宮で寝泊まりしているが、休日はこの家に戻って来る。
「そう。 ではゆっくりしてらっしゃいね」
「ありがとうございます」
祖母はやさしく目を細める。
エルフは見た目が美しく中性的だ。 ユイリは祖母のお気に入りなのである。
だが、レリガスは同じ孫としてユイリを妬んだりはしない。 彼がかなり努力家だと知っているからだ。
「じゃ、行って来ます」
ユイリの肩をポンっと叩いて、レリガスは勤め先である王城に向かった。
彼の仕事は王宮内の売店の品卸である。
手早く食事を済ませた祖母が席を立つと、しばらくして祖父がやって来た。
「ユイリ。 王宮の仕事はどうだ?」
「お祖父様、おはようございます。 まだまだ勉強の日々です」
「そうか。 まあよい。 しっかり励みなさい」
「はい、お祖父様。 では、失礼します」
「うむ」
ユイリの祖父は商会長ではあるが、元兵士で規律に厳しい。
そそくさと二階にある自室へと戻った。
はっきりと言えば、エルフであるユイリはどうも人族が苦手なのだ。
「ギドちゃんが王都が苦手なのもわかる」
ユイリの父親であるギードは、かなり気配察知に優れ、特に自分に向けられる悪意に敏感だ。
人の多い場所はそれだけ感情の動きが活発で、移ろい易い。
目まぐるしく変わるそれらに自身の判断処理が追い付かず、体調を崩してしまうのであまり王都には来ない。
ユイリは多少耐性はあるものの、やはり疲れてしまうのだ。
「タミちゃんみたいに気にしないって切り捨てられたら楽なんだけど」
母親のタミリアは人族で、脳筋といわれる魔法剣士だ。
戦闘に関しては誰よりも鍛えた腕と勘を持つが、興味の無いことに関してはとことん気にしない人なのだ。
「あ、いけない。 もうこんな時間だ」
ユイリは外出着に着替えると、階下に降りた。
「昼は戻りません。 夕食までには戻ると思います」
食堂で後片付けをしていた使用人の女性に声をかけていると、母親の兄の妻である伯母が顔を見せた。
「いってらっしゃい、ユイリ。 でも、いつも一人でどこへ行ってるの?」
「あー、知り合いのところです。 眷属精霊も付いていますから大丈夫ですよ」
笑顔で適当に誤魔化す。 この辺りの口のうまさは父親似だと言われている。
エルフの耳を隠す帽子を深くかぶり、逃げるように外に出た。
ユイリが休日に向かう場所はだいたい決まっている。
移動魔法陣や教会、劇場がある中央広場を抜け、東の正門に向かう。
町中を定期的に走っている駅馬車を使えば早く着くが、別にそこまで急ぎではない。
ユイリは途中で手土産を買いながら、庶民の多い中級地区に入った。
居候している祖父母の商会は、家族用住居も兼ね、隣には従業員用施設も併設していた。
建物自体は古いが、上品で威厳のある老舗の商会だ。
中央広場から西にある王宮に向かう大通り沿いの高級な地区にある。
王都では、駅馬車が通る大通り沿いは大型の商会や公共の施設などが並ぶ。
その裏通りは貴族や商人たちの豪邸が多く、西に向かって高級住宅街が続く。
逆に広場から東の正門へ向かうとだんだんと建物が小さくなり、王都を囲む外門に近い裏通り一帯が下級地区となる。
その辺りに多いのは何軒かの世帯が集まって作られた二階建て、三階建ての建物だ。
中級までは一戸建てが多く、下級となるとそういった寄り合い所帯が中心になって来る。
この王都には明確な区分けがあるわけではない。
ただ収入の少ない者は、どうしても同じような者たちが集まる地区に住むことになるのだ。
「こんにちは。 ターラー師匠、いらっしゃいますか」
中級地区の一角。 ユイリは小さな一軒家の前に立っている、
すぐ横に衛兵の宿舎があり、下級地区に近いが治安は良いほうだ。
「はいはーい。 あ、ユイリ君、いらっしゃい」
美しい金色の髪と青い瞳をした人族の女性が扉を開けた。
ユイリの父親の知り合いで劇場の楽団員の一人である彼女は、ユイリの楽器の師匠である。
彼女の後ろから夫である大柄な人族の男性も出て来た。
「おお、エルフの若旦那。 今日も練習かい」
二人は数年前まで仲間と共に、獣や魔獣を狩る仕事をしていたが、縁あって結婚し、今は引退している。
夫は狩りの実績と腕を見込まれて王都の衛兵隊で働いていた。
師匠は女性なので、ユイリは夫で衛兵である彼が在宅の時しか訪れない。
「お邪魔します」
家の中に入ったユイリは帽子をとった。
ぽろろん、ぽろろん
静かな休日の午後、外の喧騒が遠のく。
ターラーは竪琴を横にしたような楽器リュートを弾き鳴らす。
ユイリはその音をしっかりと聞き、そして自分でも懸命にその音を再現しようとする。
何度も繰り返し練習していると、昼の鐘が鳴った。
「休憩しましょう」
「はい」
「ちょうど良かった。 さあ、お茶をどうぞ」
ターラーの夫であるスーリヤは、ガタイの良さと厳つい顔で他人からは怖がられることもある。
しかし顔に似合わず、こうしてお茶を淹れてくれたりする気配りの人なのだ。
「ありがとうございます」
(あれだけ迷子になるターラーさんを、毎回ちゃんと見つけてくるもんね)
父親を通して音楽の指導をお願いしたところ、最初は彼女のほうからユイリのいる祖父母の家に来てくれることになっていた。
しかし迷子属性のある彼女に何度道を教えても到着しないということが続いた。
その度に夫のスーリヤを衛兵の兵舎に呼びに行くことになってしまう。
「若旦那、申し訳ない」「ごめんなさい」
諦めたユイリは、自分から訪ねることにしたのである。
スーリヤとターラー夫妻は、狩り仲間として長く一緒に行動していた。
面倒見の良いスーリヤは、すぐ迷子になるターラーのお守り役だったそうだ。
「えーっと、あれはこっちよね?」
「いや、あっちだけど。 何か用事があるのかと思ってね」
「ごめんなさい。 間違えちゃった!」
「あはは、そうなんだ」
スーリヤのすごいところは、決して彼女を責めたり、諦めたりしないところだ。
ターラーの方向音痴をいつも笑って許してくれるらしい。
(惚気られたー。うらやましい)
思春期のユイリは自分の両親とはまた違う、このほのぼのとした二人も大好きだった。
知り合いのご夫婦のエピソードを使わせてもらっています。
ご協力、ありがとうございます。