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レベルは上がれど悩みは尽きず

 ブランチポータルを使って、自宅へと戻る。

 昨夜の内に設置したブランチポータルは、自宅とポータルを一瞬で行き来出来る。片道10分程度とは言え、狩りに使える時間が丸々増える訳で、中々に便利な設備だ。

 庭を歩いてそのまま自宅へ入ろうとしたら、上の方からゾフィーの声が聞こえてきた。


「オッさーん、ヤッホー!」

「何しとんだ、そんな所で?」


 見れば、屋根の上に登ったゾフィーがこちらを見下ろしている。約束の時間にはまだ早いはずだが、待ちきれなくてログインしてきたのだろう。


「ここ、スッゲー景色良いよ! オッさんも登って来なよ!」

「あーもー、ちょっと待ってろ」


 3階建てとは言え、1階と2階はそれぞれ10m以上の高さがあるので、屋根に登れば30mくらいの高さにはなる。ゲームとは言え、アグレッシブな行動に出たものだ。

 オズも【登攀】は持っているが、デシレのクエストの際に壁を登るために取ったものなので、レベルは上がっていない。幸い、自宅の壁はオズが張り付いても崩れるようなことはなかったので、爪を引っ掛けながらえっちらおっちらと昇って行った。

 屋根の上まで辿り着いてみれば、成る程確かに景色は良い。周りに建物が無いので、街の方まで一望出来る。しばし、自宅からの眺めを堪能した。

 ひとしきり周囲を眺めた後で、ゾフィーに声を掛ける。


「さて、そろそろ降りよう。いつまでもこうしてると、遊ぶ時間が減っちまうぞ」

「ねー、オッさん。アタシ、やっぱココに住んじゃダメ?」


 どうやら、秘密基地に住みたい欲が再燃したらしい。

 面倒ではあるが、説得のためにゾフィーに向き直る。


「あのな。ジョージさん達だって、お前達と遊ぶために不慣れなゲームで頑張ってるんだから。

お前も、一緒の家に住むくらいは受け入れておやりよ」

「じゃあ、お父さん達と一緒なら、ココ住んでも良いって事?」

「そりゃまあ、構わんが」

「ヨシッ!」


 ゾフィーが、言質を取ったとばかりにガッツポーズを決める。

 昨日確認した限りでは、3階は作業員達の生活スペースとして設計されていたらしく、寝泊まりするための部屋の他に食堂なども備え付けてある。住もうと思えば、4人くらいは受け入れられるだろう。オズ自身は3階を使う予定は無いので、ジョージ一家を受け入れる程度は構わない。

 ただ、流石に不特定多数の人間に家への出入りを許可するつもりはないし、商売をするなら別途店を構えて貰う必要がある。ブランチポータルがあるとは言え、イチイチ通勤するのは面倒ではあろうし、ジョージ一家にとってはあまり魅力的な提案ではないだろう。

 言ってしまえばゾフィーの説得対象をオズからジョージとマルガレーテに変えただけなのだが、そこには気付いていないようだった。


「じゃ、オッさん先に降りてるからな。お前も、サッサと来いよ」

「えっ、あっ!」


 言って、屋根の上から飛び降りる。一応は羽を広げてみたのだが、やはりアビリティ無しでは意味を成さないらしく、そのまま垂直に近い角度で落下した。受け身は取ったが、HPの6割近くが削られる。

 当たり前と言えば当たり前だが、習得可能なアビリティに【飛行】は増えていなかった。単純な投身自殺では駄目だとのことだが、生きていても駄目らしい。あるいは、試行回数を増やせばまた違うのかも知れないが。しばらくは要検証ということで頭の隅に置いておき、ひとまずはHPを回復する。


「オッさん、痛くないの?」

「ゾフィー、よくお聞き。オッさんは、ゲームの中でならどこまでも強い子になれるのだよ」


 痛覚設定は最大にしてあるので、痛いは痛いのだが、安全装置があるのでプレイヤーが耐えられないようなダメージはカットされるはずだ。ゲームと割切ってしまえば、痛みは結構耐えられるというプレイヤーは多い。自身のダメージを知るのに必要な感覚なので、真剣にやるなら削る訳にもいかないのだ。

 冷静に考えると若干情けない自慢をしながら、ブランチポータルで街へと飛んだ。



「おう、おはようさん」

「あ、先生。おはようさんです」


 ジョージ達の家の前には、既にゾフィーのパーティメンバーが勢揃いしていた。最初にオズに気付いたカブータスを皮切りに、各々が挨拶を交わしてくる。

 一方のゾフィーは、挨拶もそこそこに家の中へ駆け込んでいった。恐らくは、早速両親の説得を試みているのだろう。


「ゾフィーちゃん、どないしたんです?」

「秘密基地に住みたい欲が、どうにも収まらないらしい。多分、姐さん達を説得してるんだろ」

「ははぁ。まあ、気持ちは分からんでもないですけどね」


 大型種族のカブータスは、住居の広さに苦労する側のプレイヤーである。

 宿屋は、一応はアバターに合わせて部屋を拡張してくれるが、お世辞にも広々としているとは言い難いらしい。流石に天井を擦る心配は無いものの、それでも快適とは程遠いようだ。寝て起きるだけの空間と割切れば、そこまで苦痛ではないそうだが。

 そこから、話はクラスチェンジ後のアバターの使用感に話が移っていく。


「この身体にも慣れてきた筈なんやけど、どーもイマイチ感覚が掴み切れんと言うか、違和感が拭い切れんのですわ」

「そりゃ、関節構造が脊椎動物と大きく異なるからな。流石に俺も、昆虫人間のアバターは使ったこと無いから、実際どんなもんかは教えられんが」

「見た感じだと、ワルトよりはブータの方が人間に近そうだけど、そんなに違うの?」


 カブータスとオズの話に、ラインハルトが割り込んでくる。

 まあ、確かに見た目だけなら、腕の長さや脚の構造が異なるオズより、甲冑を着て腕が四本になったカブータスの方が人間には近いだろう。ただ、実際にはオズは内骨格でカブータスは外骨格な訳で、見た目以上の違いがあるのだが。


「そうだな…… ハル、腕を上げて、肘を90度曲げた状態で手の甲をこっちに向けてくれるか?」

「こう?」


 オズの指示通り、ラインハルトが手の甲をこちらに向けてくる。その状態で、オズが彼の手首より少し下を掴んだ。


「この状態で、掌をこっちに向けることが出来るか?」

「えっ、ちょっ…… 無理だね」


 オズがガッチリ掴んでいるため、STR差もあってラインハルトの腕はビクとも動かない。当然、腕を捻ることも出来ず、手の甲がこちらを向いたままだ。


「で、同じ事をカブータスもやってみると、どうだ?」

「ええと…… 問題無く出来ますな」

「えぇっ!?」


 カブータスの前腕は掴まれたままにもかかわらず、彼の手首はクルクルと回っていた。


「人間の前腕部には、尺骨(しゃっこつ)橈骨(とうこつ)って2本の骨が並んでてな。これをずらすことで、腕を捻って手首を回してるわけだ。なんで、この2本を動かせなくなると当然、腕も捻れなくなる。

一方のカブータスは、そもそも外骨格だからな。手首を回すにも前腕部の外骨格は元々捻れる様に出来てないし、掴まれても影響ないわけだ」

「へぇ、改めて見ると、なんかキモイな」

「くらえハル、ビートルコークスクリュー!」

「うわっ、予想以上にキモッ!」


 手首だけを器用に回して殴りかかるカブータスを見て、ラインハルトが大袈裟に後ずさる。まあ、じゃれ合っているだけだろう。


「でも、よくそんなの気付いたね」

「実を言うと、VRゲームだと昆虫人間はエネミーとしては珍しくも無いからな。観察してればある程度は分かるよ。使い方は教えられんが」


 VRゲームは何と言ってもリアルさが売りな訳だが、それが徒となる部分も多々ある。

 その一つが殺人に対する忌避感や倫理観であり、それを回避するために非人間のエネミーを配置しているゲームは多い。昆虫人間は作りやすいのかエネミーとしてはメジャーな部類で、色々なゲームで見掛ける。

 当然、倒し方も研究されているわけで、関節構造の解析もその一環だった。あくまで敵対した場合の知識なので、操作の参考にはならないのだが。


「ま、そんなわけで腕の動かし方とかも内骨格とは異なってくるから、人間の武術を落とし込むには一工夫必要かも知れん」

「キリさん、知ってました?」

「フ、そこは私が30秒も前に到達した境地」


 いつの間にやらキリカマーと来夢眠兎まで寄ってきて、コントを繰り広げている。キリカマーも昆虫人間のアバターを使っているので、その辺は興味があったのだろう。

 そのまま駄弁っていると、ドアを開けてゾフィーが出てきた。肩を落として意気消沈している所を見るに、説得は上手く行かなかったようだ。さもありなん。

 マルガレーテに呼ばれたので、冒険に出るゾフィー達を見送ってから家に入った。促されるまま地面に座り、話を聞く。


「ゾフィーが、思った以上にワル君の家を気に入ってるみたいなのよね」

「まあ、そうっぽいね。しばらくすれば、飽きると思うけど」


 今は物珍しさが勝っているようだが、それも時間が解決してくれるだろう。それまでゾフィーの相手をするジョージ夫妻には気の毒だが、オズに協力出来ることはない。


「参考までに聞きたいのだけど、あの家っていくら位したの?」

「ざっとこんぐらい」


 オズが家の値段を提示すると、ジョージ夫妻はかなり驚いた顔をした。

 まあ、個人で支払う金額としては、現時点では結構な大金なのは事実だ。


「アナタ、よくそんなお金あったわね」

「隠しても仕方ないから言っちゃうけど、デシレのクエストの報酬だよ。高級店だけあって、店員を大事にしてるんだと」

「そうなると、それっぽい物件を買ってお茶を濁すのも難しいかしら」

「見たから知ってると思うけど、そもそもあの辺りに立ってるのはあの家だけだから。新規に建てるとなると、値段は高くなるだろうね。

と言うか、あの辺に家を買う時点で交通の便の悪さは避けられないから、スッパリ切り捨てるかゾフィーが飽きるまでウチ来るかした方がマシだと思うけど」


 少なくとも、現時点では水路が整備されているのは街の外れの部分である。その辺に家を買うなら、どうしても交通の便の悪さは避けられない。

 市役所で見た限りでは、家は小さくてもそれなりのお値段がする。ゾフィーの我が儘を叶える為だけに家を買うのは、経済的な観点から見てもかなり厳しいだろう。


「流石に、そこまでワル君のお世話になるのもねぇ……」

「正直、俺としちゃ3階部分は現時点だと無用の長物なんで、そこまで気にせんけどね。

誰でもウェルカムとまでは行かないんで、商売するなら店は別にして欲しいけど」


 ゲーム内の金など所詮は遊んでればそれなりに手に入るリソースだし、家もログイン/ログアウトに使うのが主な用途なので、彼等を受け入れるのはオズにとってそこまで負担でも無いのだが。

 それはそれとしてジョージ夫妻にも矜持や価値観はあろうし、こちらの考えを押し付ける気も無い。ゾフィーの機嫌のみが懸念事項だが、そちらは家庭内で解決して貰うしかないだろう。

 マルガレーテが、頭痛を堪えるように額を揉む。


「実際問題、ワル君の提案が魅力的に思える程度には、資金繰りが厳しいのよね……」

「やっぱ、受注生産のみだと厳しいの?」

「それについては、そこまででも無いわ。材料持ち込みの部分が多いから、利益率自体は高いのよ。

ただ、持ち込まれる素材が段々高レベルになってきて、今の設備だと厳しいのよね」

「ワルト君が持ち込んでくれた亀も、加工するには今の設備だと無理だろうな」


 マルガレーテの言葉を、ジョージが継いだ。

 亀なんて甲羅の使う部分だけ切り出して後は取っ手なり何なりを付けるだけに思えるが、ゲーム的にはそう言う訳にも行かないのだろう。今までは家にある簡易設備でやりくりしていたが、レベル30を境に要求される設備のランクも上がっているのだそうだ。

 今の借家は生産施設として設計された建物ではないので、専門的な生産設備を置くなら別途そういった建物へ引っ越す必要がある。NPCの工房へ就職すればそちらの設備を使わせて貰えるそうだが、掛け持ちは出来ないので子供達の装備を二人で賄いたいジョージ夫妻には都合が悪い。


「生産職のクランもあるそうなのだけど、そっちはそっちでノルマがね……」

「ま、その辺は仕方ないよ。ガチでやってるプレイヤーにとっては譲れない部分ではあるし」


 プレイヤークランにはランキング制度があり、所属員が一定期間内に挙げた成果に応じて順位が決まる。

 順位に応じた報酬もあるが、それよりもガチ勢にとっては『上位入賞』というそれ自体に価値がある。必然、上位に行くためには他よりも多くの成果を上げる必要があり、メンバーに課すノルマも厳しい物となる。それはそれで、ジョージ夫妻には都合が悪い。

 あんまり緩いクランに入っても、今度は所属するメリットが薄いので相対的にデメリットが大きくなるし、その辺は難しい所だ。

 結局の所、ジョージ夫妻にとって一番都合が良いのは、自分達で店舗兼工房となるような家を買って、そこに一通りの生産設備を整える事なのだが、それにはとてつもない金が掛かる。


「ま、愚痴ばっかり言っても仕方ないわ。ちょっと色々考えることが多いけど、もしかしたら、ワル君の家に居候させて貰うこともお願いするかも」

「さっきも言ったけど俺は構わないから、そっちの都合が良いように決めてよ。別に、資金が貯まるまで居候して、資金が貯まったら出てくんでも良いし」


 オズとしては、結論を急ぐ物でもない。また何かあれば呼んでくれとだけ言って、夫妻の家を後にした。

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