事態は大体知らない所で動いている
「あら、お客様。丁度良いところに」
「おや、店長さんかい」
日課となっているレベルドレインに顔を出すと、丁度店の奥から出てきた店長と出くわした。先日のように待ち構えられていた訳ではないが、それでもドキリとする。
オズの緊張を察してか、店長は殊更やんわりと用件を切り出す。
「そう緊張なさらないで下さいな。デシレのクラスチェンジが予定より大幅に早まりそうなので、一つお客様にお願いしたい事がありまして」
「デシレの……?」
意外な用件だったので、少し驚く。
デシレは現時点でレベル28であり、恐らく今日には29かもしくは30に届くだろうと思われる。クラスチェンジが近いというのはその通りだろうが、それがオズにどう関係してくるのか分からない。
「クラスチェンジの試練として、灰人の道を一人で歩くというのがあるのですが、その付き添いをお客様にお願いしたく」
「そら、タイミングさえ合えば付き添うのは構わんけど、それって俺が付き添って良いものなのか?」
オズの知る限り、クラスチェンジの試練を受けるのは被験者一人であり、付き添いが認められると言うのは聞いた事がない。
高レベルモンスターが徘徊する場所を一人で歩くというのが何を評価するための試験なのか知らないが、オズが付き添えばまず間違いなくオズが戦ってデシレが見ていると言う形になるだろう。下手をすれば、そのまま不合格になりそうなパターンに思える。
「お客様からすると面白くないかも知れませんが、眷属というのは自らの因子を埋め込んで隷属させた者ですから。扱いとしては、使い魔やテイムモンスターと同じですわ」
「まあ、それなら構わんけども」
ペット扱いはあまり面白くはないが、ゲームでイチイチその辺に引っかかってると何も出来ないのも事実だ。眷属化の儀式はオズが望んで受けた事でもあるし、人間としてのプライドは心の棚にしまっておく事にする。
試練の始まりから終わりまで付き添うと徹夜になるという事だったので、日程を金曜日にして貰う。オズも一応は社会人なので、ゲームで徹夜して翌日の仕事に響くような事はしたくない。
クエスト扱いという事で、報酬も提示されたのだが……
「桁を2つ間違えてないかい?」
「いいえ。ウチの娘達は、店の財産ですもの。護衛にお金を掛けるのは当然ですわ。
それと、無事にデシレがクラスチェンジする際には、特別メニューもご用意してございます」
「……なるほど」
クエスト要項には、このゲームでは見た事もないような報酬額が提示されていた。高級娼館なのであまりケチ臭い事も言えないのだろうが、それにしても剛毅な金額設定に思える。恐らく、特別メニューとやらで大半を回収されるのだろうが、仮に9割方持って行かれたとしても結構な額が手元に残るだろう。この時期に受けるクエストとしては、破格の条件だった。
段取りを確認して契約書にサインし、受付を済ませる。
「つーわけで、明日からしばらく来ないから」
「いや、今まで日参してた方がおかしいんですよ?」
事が終わってデシレがレベル30になったのを確認し、金曜日まで店に来ない事を告げた。やはりクラスチェンジ前にレベル31になるのはデメリットがあるらしく、それを避ける為の措置だそうなので、仕方が無い。
クラスチェンジで体格が変わった直後にレベルドレインが利用出来ないのは痛いが、しばらくはアビリティの封印で対応するしかないだろう。
当然と言えば当然だが、デシレもクラスチェンジの試練にオズが付き添う事になるという事は承知していたので、話はスムーズに進んだ。
「そういや、こういう場合って何かご祝儀とか用意した方が良いのか」
「いえ、考え過ぎですよ。そもそも、普段からお金と経験値を貰っていて、今回は護衛までして貰うのにその上ご祝儀を要求するとか、そこまで強欲にはなれません」
クラスチェンジがこの世界の成人式に当たる儀式というなら、そういうのも必要かと思って聞いてみる。いかんせん、リアルではとことん小市民のオズはこういう場所の作法に詳しくないし、教えてくれる相手も居ないので、直に聞くしかないのだ。
どこまで建前なのかは知らないが、要らないと言うなら無理に押し付ける事もないだろう。また何かの折りに差し入れでも入れれば良いだろうと思い、その件は終いとする。
「そういや、当日までに防具は用意しとけよ。金がないなら、こないだ服を買った店で俺の名前出せば買える様にしとくから」
「流石にそれはちょっと……」
「言って置くが、最悪のパターンはお前が死んでクエスト失敗になる事だからな。安全マージンは取れるだけ取っときたいし、その為の投資は言ってしまえば必要経費だから、変にケチられる方が困る」
以前に聞いた限りでは、デシレは店の方針で戦闘用のアビリティを覚えていないはずなので、戦闘力に一切期待が出来ない。オズに騎乗していれば地面を歩くよりはマシだろうが、それでも死亡のリスクは付きまとう。事前に出来る備えはしておきたい。
プレイヤーと違ってNPCは生き返らないので、こういう場合の優先度としてはデシレの方が上だ。そもそも、武器防具の装備出来ないオズはレベルドレインくらいしか金の使い途が無いので、それをデシレに回す分には普段と変わりないというのもあるが。
「こんな事聞いて良いのか分からんが、他の奴等ってどうやって試練を越えてるんだ?」
「普通にレベル上げをしていれば、戦闘アビリティや種族アビリティがあるので逃げ回る程度は出来るそうですよ。元々、村からそこまで離れる訳でもないですし。
ボクらは、村を出ているのでスタート地点が店になるのと、戦闘アビリティを覚えていないので条件が厳しくなってますけど」
「それだけで、難易度が2段階は跳ね上がってるな」
「店の先輩達は、『たまたま』通りかかったお客様に助けていただいたり、『たまたま』道中のモンスターが間引きされていて何とかなったりしたそうです」
「なるほどなぁ」
恐らく、試練のための安全マージンは、元々は悪魔族の村が担保していたのだろう。レベルドレインの店員達は村を出たので、その庇護が受けられなくなった訳だ。少々陰湿な印象を受けるが、余所者のオズが口を出せる事でもないので、黙っておく。
オズに提示された報酬も、元は『たまたま』協力する事になった客へのお礼金の様な物なのだろう。だとすれば、あの金額も納得がいく。オズに求められる物が思ったよりも大きかった訳だが、今更それを言っても仕方が無い。とりあえず、金曜日までに出来る限りの準備はしておかねばなるまい。
「最低でも、灰人の道を一人で踏破出来るようになるのは必須か」
「この間も少し言いましたけど、悪魔族と竜裔は仲が悪いですから、行っても村には入れないと思いますよ」
「……それって、俺が儀式に付き添うの無理じゃね?」
そう言えば、そんな設定もあったか。デシレや店長は割と普通に接してくるので、忘れていた。
クエストの内容はクラスチェンジの儀式までしっかり付き添う事が条件なので、村に入れないとなればそもそも条件を達成する事が不可能となる。まあ、デシレさえ送り届ければクラスチェンジ自体は問題無いだろうが。条件を精査しなかったオズが悪いのだが、クエストが達成出来ないと最初から分かっているのはあまり面白くはない。
さりとて、村に強引に押し入る訳にも行くまい。村の門番だって、レベル30を越えたばかりのオズが突破出来るほどには弱くないだろう。
この際、クラスチェンジに協力する事でデシレの好感度上げと考え、クエスト報酬は諦める方向で行こうかと考え始めた時、デシレがおずおずと口を開いた。
「ええと、詳しくは言えないですけど、多分その辺は何とかなると思います。店長も、それについては考えてる筈なので」
「? まあ、それならそれで良いが」
何を根拠にしての言葉なのか分からないので信用して良いモノか判断しかねるが、まあ騙されていたとしてもクエスト報酬が貰えないだけだ。総合的に見てそこまで損は無いので、今はその言葉を信じる事にする。
他にもいくつか必要な情報を交換し、店を後にした。




