成竜の儀
ビョウ、という音と共に風が吹き抜けていく。
メニューからクラスチェンジを選んで転送された先は、吹きさらしの石で出来た回廊だった。目の前には、やはり石造りの宮殿にも神殿にも見える巨大な建物が見える。回廊の端から先には地面が見えないので、もしかしたら空に浮いているのかも知れない。
すぐそこに入り口と思しき扉が見えるので、恐らくはあそこへ行けと言う事だろう。マップを埋めたい欲が頭をもたげてきたが、なんとか抑え込む。来夢月と別れてからレベルアップにそこそこ時間を使ったので、もう結構遅い時刻だ。無駄に時間を食うと、明日の仕事に影響が出る可能性がある。
扉を開けて中に入ると、周囲が一瞬暗転する。下りエレベーターの様な浮遊感を感じたと思ったら、次の瞬間にはだだっ広い部屋の中に居た。わざわざ、扉から更に転送されたらしい。それなら最初からここへ転送すれば良いのではないかと思ったが、言う相手も居ないので黙っておく。
「なにを呆けておる」
声のした方を見ると、いつの間にか少女が立っていた。
リザードマンの見た目に詳しくないオズが一目で少女と分かったのは、相手が人型だったからだ。ゾフィーとそう変わらない背格好の、青髪金目の少女が興味なさげにこちらを見ていた。頭にある東洋龍の様な角と、縮尺を間違えたのかと思うような長大な尻尾が無ければ、転送先を間違えたのかと疑っただろう。
恐らくは半竜半人、ドラゴニュートやソレ系の種族(?)なのだろう。ここに居ると言う事はクラスチェンジの試練の試験官か何かだろうと当たりを付け、当たり障りの無い答えを返す。
「すみませんね。田舎の出なんで、どうもこういう場所は物珍しくて」
「さよか。飽きるまで見てそのまま帰らせるのが一番楽だが、こちらも役目故そうも行かぬ。
さっさと始めて、さっさと終わらせるぞ」
少女は、いかにも色気の無い無地の下着姿だった。たしか、人型アバターが装備を全て外した際にあんな格好をさせられる筈だ。つまりは真っ裸でここに来ているという訳で、何と言うかやる気の無さが伝わってくる。
世界観がよく分かっていないが、こんな場所に住んでいるか勤めているかしているのだから、恐らくはエリート階級なのだろう。クラスチェンジをするような新人の相手というのは、損な役回りなのかも知れない。
手早く済ませる事に異存は無いので、オズも無駄口を叩かずに拝聴の姿勢を取った。
「ここで行うのは『成竜の儀』、異邦人には『クラスチェンジ』の方が分かりやすいそうだな。
まあ、やる事は簡単だ。自らが竜である事を示して見せよ」
そう言って少女はそのまま黙る。いっそ清々しい程にノーヒントだった。
ゲームである以上、こういう場合にノーヒントであるパターンは主に3つ。最初から正解させる気が無いか、逆にここに来る時点で正解出来て当然なのでヒントが無いか、もしくは正解不正解ではなく「どう答えるか」を見るための物であるか。
クラスチェンジの試練である事を考えれば、1番目はまずあるまい。ここに来るために必要な条件がレベルのみである事から、2番目もゲームデザイン的に可能性は低い。恐らくは3番目だろう。
つまり――
「つまり、ド突き合えば良いって事ですな!」
「ふむ、そう来るか。仕方あるまい、遊んでやる故、来るが良い」
降って湧いた高レベルNPCとの対戦チャンスを、逃す手は無い。全力で駆け寄り、やる気なさげな顔面目掛けて爪を繰り出す。
ゆっくりと迫る爪の横を素通りし、そのまま懐へと入り込む。
爪先を払うだけのつもりだった足払いは、しかし勢い余ってそのままトカゲの脚を蹴り砕いた。バランスを崩して転ぶだろうと思われたトカゲは、しかし咄嗟に尾で身体を支えて転倒を防ぐ。
地面に着いた尾を伝ってトカゲの背に取り付けば、相手はこちらを振り払おうと身じろぎする。が、無駄だ。そのまま駆け上り、トカゲの頸椎を踏み砕く。
エフェクトを残してトカゲの身体は消失し、試験官は地面に降りる。数m先に、トカゲがリスポンした。
「言い忘れておったが、儀式の最中は死んでも今のように生き返る。続ける気があるなら、このまま続けて構わん」
「じゃ、続けます。元々異邦人は死に慣れてるんで、この位じゃ途中で帰ったりゃしませんよ」
「余としては、帰ってくれた方が楽なんだがの」
「ハ、ご冗談を!」
それなりに本気だったのだが、トカゲは聞く耳持たずといった風に突っ込んでくる。だが、その動きはあまりに遅い。
ステータスが違いすぎるのだ。彼我の差は、それこそトカゲと竜の差であり、生物としての位階が異なる。勝負になろう筈も無い。
先程と同様に爪の横を素通りすれば、それを見越したように尾撃が飛んでくる。トカゲ同士なら通じたかも知れないが、試験官が少し歩みを早めるだけで、尾槌は後ろを通り過ぎていった。脚を掴み、適当にぶん投げる。
空中に放り出されたトカゲは、器用に身を捩って何かを飛ばしてきた。頭を少し動かし、ソレを避ける。暗器でも隠し持っていたのかと思ったが、飛んできたのは爪だった。自分の親指の爪を、指弾の様に弾いて飛ばしたらしい。
「言い忘れておったが、アイテムの使用は自由だぞ」
「言い忘れてる事多くないっすか!? ま、アイテムバッグに手ぇ突っ込んだまま死にたくないんで、遠慮します」
「さよか」
まずあり得ないとは思うが、トカゲがこちらに通用するようなアイテムを持っている可能性が皆無ではないので、アイテムを使用しようとした際には有無を言わさず即死させる必要はある。相手もそれは分かっているらしく、バッグに手を出す素振りは見せなかった。
足元を払う様に繰り出された爪撃を、相手の腕に飛び乗って躱す。そのまま腕を伝って頭を蹴ろうとしたところで、肩口から飛び出てくる尻尾に気付いた。サソリのように尾を突き立てる一撃を、自分の身体で隠していたらしい。尾を避けるついでに、トカゲの頭を跳び蹴りで砕く。
「珍しい芸だの」
「『スコーピオン』っつー、異邦人の間じゃ使い古された芸なんですがね。ま、本来は魔法でやるんですが」
「ああ、そう言えば魔法も――」
「こんだけ速さが違うと、魔法唱えてる間に死ぬでしょうに」
こちらの言を、トカゲが遮った。
実力差は理解しているようだが、諦めるつもりは無いらしく目はギラギラと輝いている。無駄口を叩きながらも、間合いをジリジリと詰めてこちらに飛びかかる機を伺っていた。腑抜けの多い近頃のトカゲにしては珍しい。あるいは異邦人だからだろうか。
その後も、しばらくトカゲが突っかけて試験官が返り討ちにする展開が続く。
トカゲはこちらに一矢報いるべく、自分の腕を切り落として囮にしたり、ワザと攻撃を単調にしてこちらがそれに合わせた瞬間に変化を入れたりと、まあ良くもこれだけと思う程度に多彩な芸を繰り出しては来たのだが、やはり圧倒的なステータス差を覆すには至らない。
そうこうしている内に、トカゲの身体に変化が現れた。
ビシリという音と共に、トカゲの胸元に亀裂が入る。亀裂はそのまま全身に広がっていき、トカゲの身体は出来の悪い寄せ木細工の様になった。
「お?」
「問題無い、続けよ。ま、帰っても良いが」
「んじゃ、行きます!」
こちらの言葉を信じたのか、はたまた危機感の足りない馬鹿なのか。トカゲは臆する事も無くこちらに突進して来る。
面倒なので、飛び上がってそのまま頭を蹴り飛ばす。若干加減したとは言え、これまでは相手を粉砕する威力だった一撃は、しかしトカゲを吹っ飛ばすに留まった。
トカゲの身体が地面に叩き付けられると同時に、ヒビの入った古い皮が剥がれ落ち、中から新しい身体が姿を現す。これまでより更に巨大な4mの巨躯に、指先と一体化した爪、鼻先と一体化した角等の戦闘に特化した各部。クラス2、走竜の姿だ。
走竜は自分の身体に何が起きたのか分からないと言った体で、ヨロヨロと立ち上がる。
「さて、これで、晴れて貴様は走竜の位階へと進んだ訳だ」
「ドラゴンっぽい所を、見せた覚えが無いんですがね」
「アレは、位階が神への奉献で決まっていた時代の、古い言い回しだからの。今では、しきたり以上の意味は無い。
大抵のトカゲは、財宝や首級と共にやってきて、酒盛りして帰って行くんだがの。躊躇なく余に殴りかかってくる輩は久しぶりだ」
大分気安くなったとは言えクラスチェンジは神事であり、それを執り行う試験官は竜裔の中でもかなり地位のある人間だ。常識のある人間なら、手ぶらでやって来て殴りかかる様な真似は、まずしない。
ガキの集めた戦利品を延々と自慢されるのと、どちらがマシかは人によるだろうが。
走竜はどうしてもこの結果が気に入らないらしく、再試を要求してきた。
「納得いかないんで、今回は不合格って事にしてまた後日になりませんかね?」
「嫌だ、面倒くさい。第一、貴様はクラスチェンジをしに来たのであって、余と殴り合いをしに来た訳ではなかろう」
「いやいや、こんな楽しい事があるって分かったなら、クラスチェンジはちょっとくらい延びても」
「既に竜の因子は覚醒しておるのだ。今更元には戻らんわ。それに、そろそろ――」
言い終わる前に、唐突に走竜の身体が崩壊した。自重に耐えられないかのように脚がへし折れ、倒れ込んだ衝撃で腕も割れ砕ける。
全身に亀裂が入るが、皮一枚で済んでいた先程とは異なり、今度はそれこそ身体の内側までヒビが入っているはずだ。
近付いて砕けた腕を拾い上げれば、まるで氷原に永らく捨て置かれて居たかのように凍り付いていた。
「やはり、こうなったか」
「一体、どうなってるんですかね?」
「『成竜の儀』は、奉竜殿に満ちる竜の気を取り込む事で体内の竜の因子を覚醒させ、位階を上げる儀式なのだがな。偶に、貴様の様に欲張って竜の気を取り込みすぎる輩が出てくる。
すると、許容量を超えた竜の気に身体が耐えきれず、今のように崩れ落ちる訳だ」
「んじゃ、儀式失敗っすか」
「いや、外に出れば、竜の気は自然と抜け落ちる。身体の崩壊も、それで止まるはずだ」
「そこは、失敗してまた明日って事になりませんかね? 次はもう少し準備してくるんで」
「ええい、くどいわ」
しつこく再試験を要求する走竜を、にべもなく突っ返す。好戦的な竜裔は珍しくないが、ここまで突き抜けた戦闘狂は流石に初めてだ。
手に持った走竜の腕は、今も氷の冷たさを保ったままだ。まったく、一体どれだけ欲張った結果なのか。
ふと思い立ってスキルを使えば、腕は武器へと姿を変えた。長柄の先に砲身の付いたソレは、見る者が見れば『火竜槍』と呼んだかも知れない。
「色々と、珍しい芸を見せて貰ったからの。余も一つ披露してやろう」
「……演目をお聞きしても?」
「何、竜の間では使い古された――竜の吐息と言う奴だ」
閃光と共に、走竜の身体が跡形も無く吹き飛ぶ。劣悪な触媒で作られた火砲は威力に耐えきれずに砕け、後に残ったのは壁の穴だけだった。
「ま、こんなものか」
「『こんなものか』ではありません」
いつの間にか、傍らに侍女が控えていた。
肩に上着を掛けてこようとするのを、やんわりと押し返す。しばらく押し合った結果、今回は根気勝ちした。
「あれほど、周囲の氏族を刺激するのは避けるよう申し上げましたのに――」
「あんなショボイ威力のブレスでオタオタする輩なら、チョイと雷が鳴っただけでも絶滅するだろ。考え過ぎだ」
「威力の大小ではなく、御身が威を振るわれた事自体が問題となるのです!」
尚も言い募ろうとする侍女の小言を、手を振って遮る。
「ええい、余はやりたくもないトカゲの脱皮をやったんだぞ。ちょっとしたストレス発散くらい、見逃せ!」
「ちょっとしたストレス発散で、ブレスを吐かないで下さいと申し上げているのです!
で、そのトカゲは如何でしたか?」
「てんで駄目だの。やる気はあった様だが、実力が伴っておらん。やたら小細工に長けておったし、ありゃ常日頃からそう言う手管に頼っておるのだろ。竜として大成するとはとてもとても――」
「――三歩歩んで尚、そこまで覚えておいでとは。余程お気に召したご様子」
「余は鶏かなにかか!?」
いつもの事だが、口ではこの侍女にとても敵いそうにない。
結局は壁の修繕を自力で行う事を約束させられ、スゴスゴと部屋へ逃げ帰る羽目になったのだった。




