予定通りに事は進まない
狼の素材がそれなりに貯まったので、一旦街まで帰ってきた。
狩りを続けた結果、【悪食】のレベルは3に上がっている。つまりは、そういう事だ。時計を確認すれば、時刻は午前10時過ぎ。所要時間からしてみれば、まずまずの成果と言って良いだろう。あまりそんな気になれないが。
フレンドリストを確認すれば、いつの間にか従姉一家がログインしている。ジョージとマルガレーテは生産志望だから、狼素材も欲しがるかも知れないと思いメールしてみれば、案の定買い取りたい旨の返信が来た。
とりあえず、NPCショップで素材買い取りの値段だけ調べてから待ち合わせ場所へ向かう。流石に、今の状況でお布施同様の値段で素材を流してやれるほど、オズもお人好しではいられない。
「ちわー」
「あら、早かったわね」
待ち合わせの場所は、革細工を扱う生産ギルドの作業場だった。恐らくはプレイヤーなのだろう、種族も性別もバラバラの面々が、一心不乱に皮革をチクチクやっている様は、なかなかにシュールだ。
そんな工房の一角で、マルガレーテに出迎えられる。辺りを見ても見知った顔は見えないから、別行動をしているのだろう。
「とりあえず、事前に連絡したとおり狼の皮と牙を売りたい」
「狼だけ? 実を言うと、狼より蛇の方が欲しいんだけど」
「残念ながら、蛇には遭遇しなかった。単に運が悪かったのか、他の原因があったのかは分からんけど」
「そ。まあ、無い物ねだりしても仕方ないわね。とりあえず、あるだけ見せてちょうだい」
和やかに談笑するような雰囲気でもないので、早速トレードに入る。あるだけと言われたので手持ちの素材を全て出した所、NPCショップの倍の値段で買い取りたいと言われた。
思わぬ高値に、少々驚く。慈善事業をするつもりは無かったが、マルガレーテの方も懐に余裕は無いだろうから、いくつかの素材がNPCと同程度の値段で売れれば良いだろうと思っていたのだ。流石に心配になったので、問いただしてみる。
「高値を付けてくれるのはありがたいけど、そっちは大丈夫なん?」
「大丈夫よ。と言うか、現状だと生産してるプレイヤーが全く足りてないらしくて、作った物が片っ端から高値で売れていくのよ。おかげで素材も足りなくて、ちょっとしたインフレになりかけてるの」
開始直後に生産職が不足するのは、MMOでは珍しい事では無い。大抵のゲームの場合、生産を始めるには加工元の素材と先立つものが必要となるので、生産志望のプレイヤーもまずは一旦狩場へと流れる。
リソース限定型のMMOでは、NPCショップの商品が売り切れる事は珍しくない。特にサービス開始直後は、新たにゲームを始めたプレイヤー達はそれこそ砂糖にたかる蟻の如く店の商品を買っていき、武器防具から回復アイテムから、根こそぎ掠っていく。
結果として、生産を始めたばかりの低レベルプレイヤーの作品だろうとお構いなしに売れていくため、それに釣られる形で素材の価値も跳ね上がっていき、最終的にはインフレが起きる。とは言え、あくまでゲームなので素材自体はほぼ無限に湧くため、時間が経って供給が安定し始めれば潮が引くように値段も落ち着くのだが。
インフレと言うとイメージが悪いが、一時的な特需の恩恵で生産者達は活動の元手となる程度の資金を得る事が出来、同時に戦闘職も生産職の存在意義を認識すると共に縁故を結ぶ事でその後の付き合いがスムーズに行きやすくなる。今起きているのは、大体そんな通過儀礼である。
マルガレーテの事だから、慣れればそれなりに上手くやるだろうとは思っていたが、まさか開始2日目にして状況に適応しているというのは流石に予想外だった。
「なんか、思ったより上手く行ってるようで良かったよ」
「まあ、物が売れてお金が手に入って、ついでにアビリティのレベルも上がるんだから文句を言えば罰が当たるんでしょうけどね。
朝からずーっと裁縫して、しかもアビリティのお陰で手が勝手に動くもんだから、自分がミシンになったような錯覚に陥るわ」
「それは、最初の内は諦めてもらうしかないなぁ。本当に上手くなりたいのであれば、いつかはモーションサポートも卒業しないといけないんだけど」
どんなVRゲームでもそうだが、慣れない事をする内はモーションサポートに十全任せてしまった方が上手く行く場合が多い。特にMMORPGの場合、ステータスの器用さやレベルの補正などによって当人の腕前とは全く関係なしに高品質な作品が作れたりするため、全部をサポート任せにしている人間も一定数存在する。
無論、モーションサポートはあくまで登録された動きを繰り返すのみなので、経験を積んだ人間が自分の意志で手を動かした方が良い物を作れる場合が多いのだが、ゲームでそんなマジになって生産活動をしたい人間というのは、実はあまり多くない。最近は職業体験系のVRソフトも増えてきているので、真面目に物作りをやりたい人間はMMOを選ばないというのもある。
少し話が逸れたが、とにかく慣れない内から自分でやろうとするとかえって遠回りになる事が多い。まずは、モーションサポートが自分の手指をどう動かしているのかを覚えるのが、上達のコツである。
「ところでアンタ、午後は暇?」
「『ゲームで忙しい』って言い訳は通用しないんだろうな、この場合」
「だったら丁度良かった。午後から素材集めと気分転換で外に出たいから、護衛をお願いしたいのよ。
昨日の様子を見る限りだと、ハルはともかくゾフィーはまだ一人で外に出すのは不安だわ。報酬も、少しなら出せると思う」
「まあ、それ位なら引き受けても良いけど」
「生産職もある程度戦闘が出来ないといけない」と言ったのは他ならぬオズ自身であるので、外に出る事に異議を唱えるつもりは無い。思った以上に適応しているとは言え、従姉一家はVRMMOを始めて間もないのだから、案内が居た方が安心できるだろう。
素材の買い取りに色を付けて貰ったお陰で、懐に多少の余裕もある。断る理由も無いだろうと、引き受ける事にした。
マルガレーテは工房の一角をレンタルで借り受けて作業していたそうで、昼までは工房に篭もるとの事だったので、昼食後に落ち合う約束をして別れた。
中途半端に空いた時間を、どう潰すか思案する。狩りに行こうにも、森は先程まで居たからまた行くのに抵抗があるし、かといって沼は行って帰ってくるには少々遠い。結局、街を見て回る事にした。
懐が少し温かいとは言え豪遊できるほどではなく、今後の事を考えれば無駄遣いはしたくない。オズは装備が殆ど必要無い上、今は口に物を入れたい気分でもないので、金を使う用事も無いが。しばし思案した後、昨日は前を通り過ぎるだけだった市役所へと足を運ぶ。
このゲームの市役所は、他のゲームで言う『冒険者ギルド』的な役割を担っている。市民からの要望をクエストという形で異邦人に発行したり、異邦人が街で活動する際の窓口や折衝担当など、まあお役所の仕事と言われればそんな感じもしなくもない。
とりあえず、この手のゲームではお馴染みの討伐系クエストなんぞがあれば、受けておけば稼ぎの足しになるんじゃないかと思ったのだ。森に行く前にそれを思いつければ良かったのだが、まあ過ぎた事を悔やんでも仕方あるまい。
市役所はそこそこ混んでいた。明らかに初心者装備の人間がチラホラ見えるから、恐らくはオズと同じような考えのプレイヤーがやって来ているのだろう。
「今日初めて役所に来られた方は、こちらの説明に目を通して下さーい。討伐クエストの受注はあちらの端末、露店の営業許可は7番窓口になりまーす」
入り口脇で、小犬のお嬢さんが声を張り上げている。恐らくは、急に大挙してやって来た異邦人対策なのだろう、「市役所 利用心得」と書かれた大きなボードが横に立っていた。
特に急ぎの用事もないので、説明ボードに目を通す。細かい文字がびっしり書いてあって、一瞬読むのを止めようかと思ったが、「ポン」という音と共に清書された画面が浮かび上がったので、そのまま読み始める。ボードに書かれていたのは、本当に「利用心得」といった感じのものが大半だ。
市役所は基本的に10:00~17:00営業だが、一部の冒険者窓口は24時間営業である事。生産や商売の申請等の処理に時間がかかる案件は、結果が出るのに数日要する可能性がある事。採取系のクエストは市民から要望があった場合のみ発生する事。討伐系クエストは市民に害をなすモンスターを対象とし、なんでもかんでも狩れば良いという物では無い事等……
つらつらと読み進めていく内に、説明ボードの中に見過ごせない一文を見つけたので、ボード脇に立っているお嬢さんに声を掛けた。
「すみません、ちょっと質問いいですか?」
「あ、はい。私でお答えできる事でしたら」
「この、『保護対象モンスターに危害を加えた場合、犯罪になる可能性があります』と言うのは、実際にはどんなモンスターが保護対象で、どんな罪になるんですか?」
気になった事をそのまま聞いただけなのだが、小犬のお嬢さんには顔をしかめられた。どうにも、この世界では当たり前の事を聞いてしまったようだ。
だが、オズとて一応ゲーム開始前のチュートリアルは受けており、そこにはこのような説明はなかったはずだから、これに関しては運営の怠慢だと主張したい。お嬢さんにそれを言っても仕方が無いので、黙っていたが。
「ええとですね、当たり前の話ですが、モンスターというのは人間に危害を加えるだけでなく、恩恵をもたらす者も居ます。樹精の森に居る、ハニーキャリアなんかはその最たる例ですね。
そういうモンスターの一部は領主様によって『保護対象モンスター』と決められていまして、危害を加えれば犯罪になります。
どんな罪になるかは、状況によって異なりますけど、最悪は死罪…… ああ、異邦人の方でしたらアビリティ封印の上で追放刑ですね」
「え、てことは、ハニーキャリアって倒したらアウトですか? いや、あくまで例えばの話ですけど」
「いえ、ハニーキャリアなら罪には問われませんね。あくまで『罪に問われない』だけで、住民の皆さんにいい顔はされないですけど。罪に問われるのはクイーンやロイヤルガードですが、こちらは駆け出しの冒険者がどうこう出来る相手ではないですね。
異邦人さん達に注意していただきたいのは、樹精の森に居る樹精達や、モンスターではないですが精霊樹を傷つけないようにして下さい。結構重い罪になりますので。
詳しい事は、討伐系クエストの端末に『保護対象モンスター一覧』があるので、そちらを見て下さい。あ、端末に載っているのはあくまで『この街の保護対象モンスター』なので、そこは注意して下さいね」
「ハイ、キヲツケマス」
危なかった。ハニーキャリアは森の広い範囲に分布しているらしく、結構見掛けた。身体が上手く動かせないから交戦を避けていただけで、そうでなければ今頃、無駄に住人のヘイトを稼いでいたかも知れない。
オズは別に「これはゲームじゃない、もう一つの現実だ」なんて事を言うつもりはさらさら無い。だが同時に、第三世代の陽電子頭脳が人間の感情に近いものをトレースできるのを否定する気も無い。であれば、住人に感情らしき物があるというのも、当然認める事になる。
言ってしまえば「そういうルールのゲーム」であり、将棋で「なんで歩はもっと早く動けないんだ!」と文句を言う奴が馬鹿にされるのと同じで、VRMMOで「NPCの癖に生意気だ!」等と言っていたら白い目で見られるのだ。
それはともかく、森でプレイヤーを見掛けなかったのも納得である。視界の開けていない森の中で、蜂を避けて狩りを行うのは結構面倒くさい。魔法や飛び道具での誤射を考慮に入れれば、危険度は更に跳ね上がる。平原より多少効率が良い程度の狩場であれば、むしろデメリットの方が大きいと判断されるだろう。
「逆に、ワンプ湿原のゴブリンなんかは小さい子供にとっては脅威になったりするので、絶滅させる勢いで討伐して下さい。
少し前まではこの辺りにゴブリンなんか居なかったんですけど、最近になって出没しはじめたので、住民の皆さんが不安がっているんですよ」
お嬢さんが、困ったような顔でサラリと物騒な事を言い放つ。流石はゴブリン。安心と信頼の嫌われ者である。
ただ、台詞に少々引っかかるものを覚える。ワンプ湿原、というのは恐らく沼地の事だろう。ゴブリンが脅威というのであれば、より街から近い森の方が問題視されるべきだと思うのだが。もしかして、「森ゴブリンは良いゴブリン」とかいう罠があったりするのだろうか。
「つかぬ事をお伺いしますが、森に居るゴブリンって保護対象だったりしないですよね?」
「保護対象のゴブリンなんて、居る訳ないじゃないですか。それに、樹精の森には精霊達の結界がありますから、ゴブリンなんて出ませんよ」
「えっ」
思わず間抜けな声を出してしまった。何せ、朝から森に居て出会ったモンスターの大半はゴブリンである。体感で言えば、森に居るモンスターの8割はゴブリンで、アレが非実在モンスターだったと言われれば、流石に「嘘だろ」と言いたくなる。
こちらの雰囲気から、冗談を言っているのではないと察したらしい。お嬢さんの方も、一気に難しい顔になる。
「もしかして、森の方でゴブリンを見掛けたりされました?」
「見掛けたと言うか、森で見たモンスターの大半はゴブリンでしたね。あ、蜂には手を出してないです」
「それは良かった…… いえ、良くないですね。何か、ゴブリンの存在を証明できる物ってお持ちですか?」
「存在証明と言っても、あいつら落とすのは石コロか雑草ばっかで…… あ、そういや写真ならあります」
ウルフライダーの写真を撮っていた事を思い出し、それを見せる。
背景には木々が映っているし、狼も沼地には居ないモンスターの筈だ。題材が「狼に騎乗したゴブリン」というそこそこ荒唐無稽なものなので、コラを疑われたら仕方が無いが、そもそもそこまで森ゴブリンの実在を証明したい訳でもない。
「し、少々お待ち下さい!」
だが、小犬のお嬢さんは事態を相当重く受け止めたらしく、写真を持ってそのまま窓口の向こう側へと走って行ってしまった。どうやら、「森にゴブリンが居る」というのはオズが思っている以上に緊急事態であるらしい。
「面倒くさいイベントのフラグ立てちゃったかな」と、その時は考えていた。




