「竜騎兵、誕生!」なんて壮大なイベントではない
来夢眠兎の案内通り、沼地へは1時間半ほどで到着した。この時点で、従姉一家のモチベーションはほぼ底をつきかけている。
最初の内はデカイ乗り物に興奮していたゾフィーも30分もすれば飽きていたし、自分の足で歩いているマルガレーテやラインハルトはあからさまに辟易した表情を見せていた。ジョージだけは、時折周囲を見回しては興味深そうにしていたが。
一方のオズと来夢眠兎は、平然とした物である。VRゲームの移動に慣れているのもあるが、漫然と歩いていた従姉一家と違いリポップするモンスターや周囲のプレイヤーに警戒しながら歩いていたので、適度な緊張感を持ってここまで来ているというのが大きい。
サービス開始直後とは言え、この時期からPKに走る人間も皆無ではない。また、狩りをしている人間とモンスターの間を通ってしまうと諍いの原因になったりもするので、なるべく周囲のプレイヤーの位置に気を配りつつ、それでいて遠回りにならないようなコース取りをしていたのだった。
沼地は、そこかしこに点在する大小様々の沼と、その間を縫うように続いている地面からなるフィールドである。
従来のゲームであれば沼の部分は通行不可の場合もあるが、このゲームでは普通に踏み入る事が出来る。とは言え、泥に足を取られれば動きは鈍るし、転倒の恐れもある。身長より深い部分にハマってしまえば最悪溺死する訳で、踏み入れるからと言って実際通行出来るかどうかはまた別問題なのだが。
来夢眠兎の予想通り、沼地にもそこそこ人影は見えるが、それでも平原に比べたら過疎と言って差し支えない程度にはまばらである。低レベルでも何とかなるというのも嘘ではないようで、初期装備のままで来ているプレイヤーも散見される。
他のプレイヤーと被らないような位置取りを考えて移動していると、不意にゾフィーが声を上げた。
「あ、なんかスキル覚えた。えーと、うま…… コマ乗り?」
「ん? ああ、スキルではなくアビリティですね。【騎乗】という、馬などに乗るための一般アビリティが取得可能になった様ですけど…… オズさんに乗っているのも、騎乗判定なんですね」
よく分かっていないゾフィーを、来夢眠兎がフォローする。パーティを組む時に、他メンバーのインフォメーションも見えるように設定したのが早速役に立った形である。
ミリオンクランズ・ノーマンズにおいて、アビリティとは武器を扱ったり魔法を唱えたりと言った様々な事を行う為の総合的な能力で、基本的には使えばレベルが上がる。ただし、アビリティのレベルは種族レベルでキャップがかかるため、アビリティだけ使っていても早々に頭打ちとなってしまうが。
スキルはアビリティから派生する個々の技術で、こちらはレベルの概念が無い。言葉だけだと分かりにくいが、例えば、オズの覚えている【爪技】は爪攻撃全般にボーナスが乗るアビリティで、《スマッシュクロウ》は爪技レベル1で覚えるスキルだ。
アビリティには種族アビリティと一般アビリティがあるが、種族アビリティは条件さえ満たせばすぐに覚えるのに対し、一般アビリティは取得条件を満たした後にアビリティポイント(AP)を払って取得する必要がある。
種族アビリティは先天的能力を、一般アビリティは後天的能力を表してるとされるが、まあぶっちゃけ、種族アビリティは各種族の特色付けの為に用意されてると思えば間違いない。
で、話は戻ってゾフィーのアビリティである。
インフォメーションを見れば、「ゾフィーM87が 一般アビリティ:【騎乗】を取得可能になりました」というメッセージが確かに表示されている。まだ最初の戦闘すら終わらせていないのに早過ぎないかと思ったが、来夢眠兎曰くそんなに珍しい事でも無いらしい。
「【騎乗】は馬に乗っているとき、ステータスや攻撃にボーナスが乗るアビリティですね。β時代だと、騎乗しての戦闘が実質不可能だったので未検証ですが。
それと、レベルが上がれば落馬しにくくなるという副次的効果もあります」
「じゃあ、ゾフィーは取っといた方が良いわね」
「そうだね。ゲームとは言え、3mの高さから落ちるのは危ないし」
母と兄から言外に「お前落ちるだろ」と言われゾフィーはむくれたが、「いいじゃないか。竜騎兵みたいで格好良いぞ」というオズのフォローによって機嫌を持ち直し、【騎乗】を取得した。
ちなみに、竜騎兵というのは鉄砲を装備した騎兵を指す言葉で、間違ってもトカゲに肩車されているネズミの事ではないのだが、そこは無視する。
一家の初戦闘は、おおむね順調にいった。
ジョージは元々狩猟経験があり、日本での狩猟免許も持っているガチのハンターである。人型のゴブリンを相手にするのには若干の抵抗があったようだが、それでも危うげなく勝利を収めた。
マルガレーテは元々戦闘に乗り気でなかったのもあり、ゴブリンを見たときも腰が引けていたが、「生産アビリティのレベルを上げるにも種族レベルを上げる必要があり、それには戦闘が効率的」という来夢眠兎の説得と、「モンスター退治はいわゆる害獣退治の一種だ」というオズの説明で割り切る事を決めたようで、少々手間取りながらもゴブリンを倒す事に成功した。ドロップアイテムには心底ガッカリした様だったが。
ラインハルトは、そもそもフルダイブ型でないゲームをそこそこやっていたので、戦闘にもそれなりに慣れている。フルダイブ型特有のリアリティと、鳥人族のステータスの低さから少々手間取ったが、それでもヒットアンドアウェイを繰り返す事で勝利した。
唯一問題だったのが、ゾフィーである。
「うおあぁぁ!?」
「ほら、落ち着いて左に回り込めって。あぁ違う、そっちじゃなくて、武器を持ってる手の側に回るんだよ!」
鼠人族の高いAGIでちょこまかと立ち回る物の、腰が引けている所為で攻撃が殆どあたっていない。相手の武器ばかりに集中しているため足場の確認が疎かになり、沼地に足を取られてバランスを崩した所で、来夢眠兎の魔法がゴブリンを消し飛ばした。
ゲーム歴ならラインハルトの次に長いゾフィーは、ゴブリン相手に大苦戦している。
ゴブリンの身長は約130cmで、ゾフィーとあまり変わらない。森ゴブリンよりもちょっとだけ強い沼ゴブリンは、フィジカルのステータスだけ見れば鼠人族のゾフィーをわずかに上回っている上、武器を持っている相手に対する恐怖でゾフィーが上手く動けていないのが苦戦の原因だ。
レンジャー系である鼠人族は、最初から弓矢と短剣のアビリティを持っているのだが、ゾフィーに経験が無いため弓矢は上手く扱えず、短剣だとゴブリンよりリーチが短い。それでも、キチンと動けば勝てない相手ではなかろうが、初心者のゾフィーにそこまで望むのは酷だろう。
とりあえず、危なくなったらオズなり来夢眠兎なりが助けに入っているし、パーティを組んでいるので他メンバーが倒したゴブリンの経験値で種族レベルも上がっているのだが、やはり恐怖心が勝るらしい。
「ううう……」
「そんなに落ち込むな。自分と変わらないガタイで、武器持った奴が怖いってのはある意味当たり前だし、しゃーない」
オズのフォローも、彼女の気分を浮き上がらせる役には立たない。
実のところ、オズの予想ではゲームに慣れた子供達はVRMMOでの戦闘にもすぐ馴染むだろうと思っていたので、ゾフィーが躓いたのは予想外と言えば予想外だ。ただ、考えてみれば彼女の今の状況は大人が初戦闘でオークと戦っているに等しい物であるので、そこに思い至らなかったオズの落ち度である。
沼に出る他のモンスターはゴブリンより更に強いし、今から狩場を変えたりすればその事が失敗経験となってゾフィーが余計に畏縮する恐れもある。どうした物かと考えていたら、それまで沈黙を保っていたジョージが唐突に口を開いた。
「いっその事、本当に竜騎兵をやってみるというのはどうだろうか?」
「どういうことです?」
ジョージの案は、聞いてみればそう突飛な物でもなかった。
今の状態のゾフィーに万全の立ち回りを期待するのは酷であるので、まずはモンスターに対する勝利経験を積ませて、苦手意識を克服させる事から始めようという事である。幸い、先程取得した【騎乗】アビリティがあるのだから、オズがゾフィーを騎乗させたまま上手く立ち回り、ゾフィーは攻撃だけしていれば、勝つのはそう難しくはないだろうというのがジョージの見立てで、なるほど理に適っている。
残る問題は、弓矢の使えないゾフィーにどうやって馬上から攻撃させるかと言う事だが、これはアッサリと解決した。鼠人族は元から【無属性魔法】と【樹魔法】を覚えており、更に言えばゾフィーはキャラメイクの際に【雷魔法】を取得している。何故それを今まで使わなかったかと言えば、単純に当人がその存在を忘れていたからだ。
それを最初から使っていればゴブリン相手ならなんとかなったのではないかと思うものの、今となっては苦手意識の克服が最優先課題で、にわか仕込みの騎馬魔法兵としての立ち回りを、オズと来夢眠兎の二人でゾフィーに伝えていく。
果たして、ゾフィー竜騎兵作戦は上手く行った。
「《マジックニードル》」
「ゲギャ!?」
幾度目かの無属性魔法攻撃がゴブリンに突き刺さり、ドロップアイテムへと姿を変える。「撃つときに、手で鉄砲の形を作って狙いを付けると良いですよ」という来夢眠兎のアドバイスと、オズが敵との距離を一定に保つよう立ち回った甲斐もあり、命中率は意外と高い。
取得できるのは相変わらずの石コロと雑草だが、そんな事はお構いなしにゾフィーは大はしゃぎだ。
「よっし、楽勝!」
「全然楽勝じゃないだろ」
ツッコむオズの言葉に力はない。
足場を気にしつつ相手との距離を一定に保つというのは、ゲームに慣れたオズでもそこそこ気を遣う。その上、騎乗しているゾフィーの事を考えれば、頭を大きく動かす様な動きは一切使えない。ゴブリンも投石での遠距離攻撃はしてくるので、それらをひたすら手で打ち落としたりブロックしたりするのは、想像以上に神経を使う作業だった。
強敵相手ならまだしも、攻撃に回れば数発で沈められるゴブリン相手にそれを繰り返すのは、ぶっちゃけ言えばダルい。まあそれでも、肩の上で初勝利に喜ぶゾフィーの声を聞けば、全く無駄ではなかったとも思えるが。
自分達が案内した狩場の所為でお通夜のような雰囲気にならずに済んで、オズと来夢眠兎は胸をなで下ろした。
「あ、レベル上がった。ついでに、オッさんも騎乗スキル覚えたってさ」
「なんだ、オッさんの素敵な宇宙船地球号にも乗り物判定が付いちまったか?」
ゾフィーの報告に、オズも軽口を返しながらインフォメーションに目を通した。普段、安全が確保できない場所での情報確認はなるべく控えるようにしているが、名指しで言及されれば気にもなる。
流石にこの状況でオズが【騎乗】を取得可能になる事は考えにくいので、恐らくは見間違いだろう。一体何と勘違いしたのかと不思議に思ったが、メッセージを見て「あ、これは見間違えても仕方が無いな」と思ってしまった。
インフォメーションには、こう書いてあったのである。
オズ悪人が 種族アビリティ:【乗騎】を取得しました
「騎乗」と「乗騎」では性質が全く異なる。と言うか、正反対と言って良い。スタッフは、もう少し分かりやすいアビリティ名を心がけるべきではなかっただろうか。
オズの知る限り、プレイヤーが乗騎を持てるVRMMOというのは数多くあるが、プレイヤーが乗騎になれるVRMMOというのは聞いた事が無い。まあ、成りたがる人間がそう多いとも思えないが。
「あら、良かったじゃない、ゾフィー。これで正真正銘の竜騎兵よ。ね、ドラゴンの末裔さん?」
「? イェーイ?」
同じくインフォメーションを見たのだろう、マルガレーテがゾフィーに語りかければ、ゾフィーの方も意味が分からないまま何となく喜んでいる。言葉だけ聞けば、娘を思いやる母親の台詞に聞こえなくも無いが、顔は鼠をいたぶる猫の表情だ。実際にいたぶられているのは、鼠じゃなくトカゲだが。
システム公認で騎馬扱いされた事には異議を申し立てたいが、この場に居る人間にそれを言っても仕方が無いし、喜んでいるゾフィーに「降りろ」とも言いにくい。オズに出来る事といえば、精一杯トカゲ面をしかめて見せる事くらいだった。
当人達は全く知らない事だが、ミリオンクランズ・ノーマンズの世界に最初の「竜騎兵」が誕生した瞬間である。