何事も予定通りに行くなら苦労しない
身体の中をたゆたうぬるま湯の感触で、ゲームにログインしたことを知覚する。
時計を見れば、従姉と別れてからまだ1時間も経っていなかった。まあ、2時間後に落ち合おうとは言ったが、それまでログインしないとは言っていない。
オズが早くにログインして来たのにはいくつか理由があり、その一つはこれから一家を案内する狩場の下見の為である。
事前に情報を調べておいたとは言え、あくまでβテスター達がまとめた物から信頼度が高いと思われるのをピックアップしただけだ。正式稼働に伴う仕様変更や、ピックアップするオズの目が曇っている可能性は十分にある。
VRゲームは色々な部分がリアルに知覚できる分、慣れていないプレイヤーは小さな失敗につまづきやすい。ゲーム内での死亡はその最たるものの一つで、慣れてしまえばどうと言うことは無いのだが、初心者は「殺される」という事に恐怖を覚え、最悪の場合はゲームを止めてしまう事もある。
フルダイブ型のVRポッドは年々価格が下がってきているとは言え、それでも4人分揃えるとなれば安い買い物ではない。従姉一家には、出来れば末永く楽しくゲームをして欲しいと思うオズであるので、初っ端から死の危険のある場所に連れ出したくないし、事前の下見は必須だった。
「行き帰りの時間も含めれば、1時間も無いか。野良パーティも組めんだろうなぁ」
最初にログインしたときより大分少ないとは言え、噴水前広場でパーティメンバーを募集しているプレイヤーはチラホラ目に付く。初心者用の狩場の下見とは言え、安全を考えればパーティを組んだ方が良いのだが、流石にちょっと行って帰ってくるだけの予定に誘うのは、相手に失礼だろう。
早めにログインした理由のもう一つとして、オズとしては自分の戦闘能力に不安があったため、実際今から行く狩場で戦えるのかを確かめておく必要があった。
オズはフルダイブ型のVRゲームにそこそこ慣れており、自分では中級者だと思っている。フルダイブ型VRゲームにおける中級者とは、つまり「モーションサポートの機能をオフにしても、サポートオンと同じ動きが出来る」者を指す。
モーションサポート自体は、悪い機能では決して無い。特に、最近のゲームではその道の達人のモーションをそのまま取り入れた物も多いため、そこら辺の喧嘩番長が自分で動くより、初心者がサポート有りで適当にペチペチやってる方が強かったりする。
ただし、やはり決められた動きをなぞるだけなので、慣れてしまえば動きを読まれやすく、また一度始めたモーションは途中でキャンセルするのが難しいという問題もある。なので、サポート無しで動けるかどうかというのは、プレイヤースキルに直接関係してくるのだ。
実際、格ゲーやアクションなどの分野では中級者がマグレで上級者に勝つ事はあっても、初心者が中級者に勝つ事はまず無い。レベルやスキル等でステータスが上下するMMOでは、そこまでの差は無いことが多いが。
で、そんなオズが何故自分の戦闘能力に不安を抱いたかと言えば、これまたモーションサポートが関係してくる。オズがこれまでやって来たVRゲームのアバターは、全て自分の身体データを基に作成した人間型のアバターで、体高3mのトカゲではなかったのである。
その事を忘れて、ついいつも通りのモーションサポートオフ、感覚のフィードバック係数を最大にしたチュートリアル戦闘では、攻撃はおろか2本の足で立つことすら出来なかったのである。下半身の構造がそもそも人間と違うので、普段通りに立とうとしても全くバランスが取れなかったのだ。
腕は辛うじて動いた物の、立つことすら出来ずにゲーム中最弱のエネミーである芋虫になぶり殺されかけたのは、危機感を抱かせるには十分すぎるイベントだった。
ひとまずモーションサポートを最大に、感覚のフィードバックは必要最低限に抑えることで芋虫には勝利できたものの、この状態でゲームをやるのは実に数年ぶりであり、初ログインのゲームであることもあって自分が何処まで出来るのか全くの未知数だ。
オズとて人の子であり、子供達の前でいい格好をしたいとまでは言わないが、出来れば恥をかきたくない程度の見栄はある。
そんな訳で、狩場の下見をしつつ出来れば少しだけレベルを上げておくため、街の外へと急ぐのだった。
「ということで、狩場にやって来ましたよ、っと」
木がまばらに生える森の中で、誰に言うでもなく呟く。一人暮らしが長くなると、どうしても独り言が多くなるのだ。
時計を見れば、街を出て既に20分程経っていた。帰りの時間を考えると、意外と余裕が無い。
実のところ、街を出てすぐの平原フィールドに、初心者用の狩場はある。だが、そこは今日ログインしたばかりのプレイヤーで溢れかえっており、夏場の芋洗いプールを血に染めたような殺伐感が漂っていた。正直、家族で和気藹々とゲームを楽しむような空間ではない。
その事自体は事前に予想できていたので、代わりにオズが目を付けたのは、この街からちょっと離れた森フィールドである。森フィールドは少し奥に行くだけで強敵が出現するのと、もう少し効率の良い狩場が別にあるため、β時代からあまり人気が無いらしい。それを実証するかのように、周囲にプレイヤーらしき人影は見えなかった。
ここに来たお目当ては、ファンタジーではおなじみの小さくて不潔でカサカサ動くG――ゴブリンだ。βテスター達の報告によれば、ゴブリンは平原に出現する芋虫やウサギより少しだけ強いが、それでも1対1で負けることはまず無いそうだ。ただし、ドロップアイテムはゴミの一言で片付けられる程度に酷いらしいが。
初心者は人型のモンスターと戦う際に思ったよりも心理的抵抗を受けることが多いため、早めに慣れておく意味でも、ゴブリンは妥当な選択だと思っている。
ギャイギャイと耳障りな鳴き声のする方に足を向けると、果たしてそこにゴブリンは居た。オズが大きいので縮尺が分かりにくいが、恐らくは130cm程の身長で、あまり綺麗とは言い難い緑の皮膚に小ぶりな角。まあ、よくあるデザインである。
流石に3mの巨体で気付かれずに近付くのは無理だったようで、こちらを発見したゴブリンはすぐさま襲いかかってきた。数は3、武器は無し。出来れば最初は1対1が良かったのだが、贅沢は言っていられまい。
「《スマッシュクロウ》」
最初の1匹が間合いに入った所で、爪での攻撃スキルを繰り出す。事前に素振りをしていたので打ち下ろしの軌道は把握しているつもりだったが、思ったよりも打点が高いのでヒヤッとした。何とかゴブリンの頭部には当たり、そのまま吹き飛ばせたので良しとする。
1匹目が吹き飛ばされたのを理解していないのか、それとも攻撃を出した後の隙を突けると見たのか。後続のゴブリン達は、怯んだ様子も無く突っ込んでくる。オズとしては、都合がいい。
「《テイルスイング》」
続けざまに、今度は尻尾での攻撃スキルを放つ。こちらは地面をなぎ払うような軌道を描くため、特に問題無く2匹のゴブリンをまとめて吹き飛ばした。
竜裔はステータスは軒並み高く巨体の割に素早いため、能力値だけを見るならミリオンクランズ・ノーマンズでも圧倒的に強い種族である。ただし、武器は装備不可、防具は腰布とアクセサリーのみ装備可能という、なかなか困った欠点も持ち合わせているが。
ゲーム的なメタ読みをするなら、装備の充実する中盤以降で失速する可能性はある物の、最初期であればまず他種族に遅れは取らないだろう性能をしている。戦闘能力に不安がありながらもゴブリン狩りをオズが選択したのは、このレベル帯の敵ならアバター性能のみでゴリ押せるだろうという目算があったからだ。
その目論見は当たり、最初のゴブリンは攻撃がクリーンヒットしていないにもかかわらず既にドロップアイテムに姿を変えており、後の2匹も死んでこそいないものの、すぐには動けないようで倒れたままギィギィ鳴いている。そのまま爪でトドメを刺してやれば、初戦闘はアッサリと終了した。
ドロップアイテムは石コロと雑草だった。事前情報で知っていたとは言え、それでも「何故それをアイテムにした」と言いたくなるようなラインナップである。捨てるのもなんなので一応アイテムバッグに入れておき、次の獲物を探すべく歩き始める。
あれから計8匹のゴブリンを退治し、いつの間にか種族レベルは2になっていた。設定を色々弄っている時に、レベルアップの通知もオフにしていたらしい。まあ、困らないのでそのままにしておく。レベルの確認などは、街に着いた後でゆっくりやれば良いのだ。
時計を見れば、森に入ってから15分程度経ってる。流石に、この短時間で経験値効率の良し悪しは判断できないが、少なくともオズ一人で危うげなく狩りが出来るのであれば、従姉一家を連れてきても大丈夫だろうとは思う。アイテムドロップはゴミだが。
下見としてはこんなものだろうと判断し、少し早いが街に戻ることにする。どうせ、ゾフィーあたりは待ちきれなくて早めにログインしてくるだろうから、待ちぼうけになる事はあるまい。
しばらく歩いていると、後ろの方から声が聞こえてきた。遠くて何を言っているかまでは分からないものの、切羽詰まった響きを感じて振り返る。
「トレイーーーン!!」
見れば、二足歩行の小柄なウサギが一心不乱に駆けてくる所だった。周囲への警告を発していることと、見覚えのある初期装備(ちなみに、かなりダサい)からプレイヤー――多分、女性――であろう。
モンスタートレインはそれこそVRになる前のMMOからある事象で、モンスターが仲間を呼んだり範囲攻撃に余計な敵まで巻き込んだりして数が増えた結果、対処しきれなくなったプレイヤーが逃げ出し、その後を追うモンスターが列を成す様が電車ごっこのように見えることからそう呼ばれる。
ミリオンクランズ・ノーマンズでも搭載されている機能(?)であり、アクティブになったモンスターが他プレイヤーに攻撃を仕掛ける可能性もあるため、ああやってトレインしていることを知らせながら逃げるのがマナーとされていた。
見て見ぬ振りをするのもなんだし、そこそこ戦えることも分かったので、ゴブリンぐらいなら引き受けてやっても良いかと思い、その場で立ち止まる。
一応の用心として回復アイテムのストックを確認しながら、ウサギの女性が駆け抜けていくのを横目で見ていたのだが、その直後に聞こえてきた音に硬直した。
ブブブブブブ、という低い不協和音は、ゴブリンの鳴き声ではない。これは、いくつもの情報サイトで報告されていた、森フィールドが不人気な狩場である最大の理由となった……
「蜂じゃねーかぁ!」
目の端に黄色と黒の縞々を認識した途端、踵を返して逃げ出した。
ハニーキャリアーは、全長1メートルちょっとのミツバチのモンスターである。その牧歌的なネーミングやデフォルメの効いた見た目とは裏腹に、かなり凶悪なモンスターだと報告されていた。
普段はノンアクティブで飛び回っているだけの大人しいモンスターだが、一度アクティブになったが最後、羽音で同族を呼び寄せ続け、プレイヤーが全滅するまでひたすら攻撃を仕掛けてくるのだ。
昆虫型モンスターに共通する硬い甲殻に意外と高い攻撃力、飛行モンスターの回避力と数の暴力に加えて毒の状態異常まで併せ持つ難敵で、βテスト時代のプレイヤーの死因では堂々のトップを飾っている。ちなみに、βテスターが嫌いなモンスターランキングのトップでもある。
本来はもう少し森の奥側に居るはずの敵だが、正式稼働で生息域が変わったのかそれともウサギ女がここまで引っ張ってきたのか。
いずれにせよ、ちょっとゴブリンを倒してレベルアップした程度のプレイヤーが挑んでいい相手ではない。
全速力で走っていると、前に居たウサギにアッサリと追いついた。というかこの女、ウサギの割には足が遅い。
「おいアンタ、もうちょい速く走れねーのか?!」
「無理ですトレインーーー」
「ウサギだろーがトレイーーーン!」
「ウサギは魔法使い系の種族で、レンジャー系のネズミさんとは違うんですぅーーートレイン!」
ウサギが道の真ん中を走っている所為で、巨体のオズだと追い越すときに突き飛ばしそうで怖い。そもそもの原因が目の前の女にあるとは言え、突き飛ばして逃げるのは流石に寝覚めが悪いし、どうするべきか。
残念ながら、オズの知識では答えは一つしか思い浮かばない。
「あーもう、しゃーねぇ! 『押す』から、タイミング合わせろトレイン!」
「ありがとうございまっすトレイン!」
VRMMO初心者は誤解しがちなのだが、ハラスメントガードはあくまで直接的な接触を防止する施策であって、相手への干渉を防止する訳ではない。「分厚くて固い着ぐるみ」等と表現されることが多いが、ハラスメントガード越しに相手を押せば当然相手は押されるし、突き飛ばされれば転ぶこともある。
逆にそれを利用して、ハラスメントガード越しに相手を押して運ぶ「ブルドーザー運送」等と呼ばれるテクニックは、野良パーティを組むときなどは結構役に立つ。当然、他人を押す分だけ足は遅くなるわけで、下手をすれば追いつかれて全滅の危機もある諸刃の剣ではあるのだが。
オズが体勢を低くして腕を差し入れれば、ウサギもそれに合わせ、乗っかるように体重を預けてくる。「コイツ、運ばれ慣れてやがんな」とちょっとイラッとしたものの、今更放り出す訳にも行かない。
「トレインーーー!」
「トレインーーー!」
「走ってゆくー!!」
「うるせー!」
ギャアギャアと喚きながらも、蜂を振り切るべく加速する。