森イベント攻略戦(前編)
身体から零れる朝露の感覚で、ログインした事を知覚する。
ホームとして登録されている一軒家から出れば、ゲーム中では久しぶりに浴びる日光の感触に、思わず目を細めた。夜行性の種族だからなのかはたまた別の理由か、このアバターだとリアルよりも太陽光を眩しく感じる気がする。
先週はそんな事を考えもしなかったのだが、感覚のフィードバックを全開にしてから、リアルとの違いに戸惑う事もある。まあ、それだけこのゲームが良く出来ているという証左であり、悪い事でもないのだろうが。
現在は土曜日の午前6時。今日は樹精の森を本格的に攻略すると言う事で、朝も早い時間から集まる事になっている。といっても、子供達の生活リズムをゲーム一辺倒にしたくないという親世代の要望により、極端に早い時間は避けて6時半集合となったのだが。
集合場所となっているのは、すぐ隣のマルガレーテ達の家である。あの後、「ご近所に変なのが来ても困るから」という理由で、オズも一軒家を借りさせられた。一人暮らしだと宿屋暮らしよりも高く付くが、一月分を一括払いなので、一度払ってしまえば死亡による金銭の減りをそこまで気にしなくて良いのがありがたい。
また、家には様々な機能があり、冒険では使用しないアイテムや金銭を保管しておく事も出来るため、宿屋暮らしよりも遥かに利便性が高い。未だにスータット以外の街が見つかったという話は聞かないので、今の所拠点を移す予定も無く、デメリットは発生していなかった。
フレンドリストから他の面子がログインしている事を確認し、マルガレーテ家の扉を開ける。
「あーっ、オッさん、遅刻!」
「おはようさん。遅刻って、集合時間よりは大分前だぞ」
家に入った途端、ゾフィーの非難が飛んでくる。見れば、オズ以外の面子は全員集まっていた。
聞けば、装備の調整のために30分前に待ち合わせるようにしていたらしい。オズは特に装備を必要としないので、聞かされていなかったのだ。一応、オヤブンウルフの毛皮で腰布を試作して貰ったのだが、防御力がイマイチな割に脚の動きを阻害するので、結局外してしまった。
家の内部がゲーム的融通を利かせてくれるとは言え、流石にこの人数が入ると狭苦しい。「準備の終わった人から出てって頂戴」というマルガレーテの一言で、オズとゾフィーは早々に家を追い出された。
「じゃーん! どうよ?」
「おう、西部劇みたいで格好良いぞ」
ゾフィーは新しい装備が余程嬉しいのか、しきりに見せびらかして来る。活発な彼女に、カウボーイスタイルの衣装はよく似合っていた。
とは言え、材料が足りないのか「なんちゃって」感が強いが、まあそこはご愛敬だろう。このゲームには現時点で銃がないため、ガンベルトに刺さっているのもスリングショットだ。靴を履けない鼠人の特徴からブーツは無く、踵に拍車も付いて居ないのがオズにとっては幸いだった。
しばらくゾフィーの一人ファッションショーで盛り上がっていると、装備の調整を終えた面子がゾロゾロと家から出てきた。皆、狼や蟻の素材で作った防具を着けている。昨日までオズとクマゴローが森で狩りをしてきた成果だ。
スーホなどは馬体にまでハードレザーの防具を着けており、見た目が大分変わっている。
「おはよう。馬具、着ける事にしたんだな」
「おお、オズか。おはよう。検証の結果、鞍の上からならハラスメントガードに関係なく騎乗できる事が分かったんでな。利便性を取った形だ。
それにまあ、馬だと鞍だの鐙だのがあった方が『らしい』だろ。流石に、ハミと手綱は勘弁して貰ったが」
スーホの馬体には、防具と一体化する形で鞍と鐙が取り付けられていた。二人乗りを想定しているらしく、座面が二つ付いている。スーホの言葉通り、馬体にはとても似合っていた。
ちなみに、オズにも馬具を装備させようという案はあったが、当のオズが乗り気で無かった事と、竜裔の場合は前傾姿勢と直立姿勢で騎手の姿勢が大きく変わるため、鞍を着けてもかえって騎手が不安定になると言う事で免除されている。オズとしては一安心だ。
クマゴローは革製の腹巻と脛当てで動きやすさを重視した装備となっているし、キリカマーも装甲の隙間を隠すような革製のジャケットを羽織っている。ラインハルトと来夢眠兎はあまり重い装備を着けられないので、厚い布地の服の要所を皮や蟻の甲殻で補強していた。何も着けていないのはオズだけで、少々疎外感を感じないでもない。
まあ、それを分かっていて今の種族を選んだのだから、文句を言う筋でもないのだが。
全員が出揃った所で、アイテム確認をした後そのまま出立する。一日がかりの攻略になる事が予想されたため、食糧は多めに持たされているし、トイレ休憩用に一定時間安全地帯を作れる簡易テントも複数用意した。お陰で、マルガレーテの裁縫レベルは大分前にキャップが掛かっている。
街のポータルから森へ向かう前に、教会へ立ち寄った。市役所のコリーの伝手で、聖水を20ばかり分けて貰う事になっている。呪いの状態異常がまだ周知されていないためか、聖水は前もって言っておけば数を用意して貰うのはそこまで難しい事ではないらしい。
「あら、皆さん。おはようございます。聖水は用意できていますよ。
ただ、ガラス瓶が足りないので、申し訳ありませんが水筒に詰めさせていただきましたけれど」
教会に辿り着けば、事前に顔合わせをしていた羊顔のシスターが出迎えてくれた。言葉通り、聖水入りであろう水筒が並べられている。雰囲気は大分損ねるが、まあアイテムとして効果があるなら入れ物に拘る気は無い。
ただ、問題はその数だ。並べられている水筒は五つしか無い。
「その、申し訳ありません。確か、聖水は20程を用意して頂く手筈だったと思うのですが」
「ええ、そちらも申し訳ありませんが、1つの水筒に4本分ずつまとめさせて頂きました。なにぶん、我が教会には水筒も余っている訳ではないので。
まあ、万が一足りなくなったなら、申し訳ありませんが《リムーブ・カース》でどうにかして下さいな」
「……分かりました。ご協力、感謝致します。それと、こちらは少ないですが、お納め下さい」
「あら、ありがとうございます。貴方方に、主と精霊のご加護のあらん事を」
スーホがその点に関して問えば、随分とノンビリした答えが返ってくる。ただ、稼働後一週間の現在でも、スータットの物不足は続いているので、これに関しては原因となっている異邦人達が強く言える事でもない。
まあ聖水の分量は足りていると言う事で、そのまま代金に幾ばくかの上乗せをして教会を後にした。そのままポータルを通り、樹精の森へと入る。
「ギシャ!」
「げぇ、蟻!?」
ポータルを抜けると同時に、蟻と鉢合わせした。本来はもう少し奥を縄張りにしている筈なのだが、随分と出張してきたらしい。
なし崩しで、そのまま戦闘に突入する。用心のため、騎乗体制でポータルに入ったのが功を奏した形で、隊列の乱れはそこまで気にしなくて良かったのが幸いと言えば幸いか。
「ハル、ゾフィー! 遠慮は要らん、容赦なくぶちかませ!」
「分かった!」
「Ja!」
森の中は十分に明るく、照明などを気にする必要も無い。MP等も【調息】と《騎手回復》で回復できるので、最初から飛ばしても何とでもなるだろう。下手に出し惜しみをして持久戦になる方がかえって危ないというのが、ここ数日の戦闘から学んだ事だった。
手近な蟻に狙いを定め、ジャブを数発入れてやる。これも最近分かった事だが、竜裔の攻撃力だと、大勢を相手にする場合は小技を重ねた方が安定する。こちらのジャブ数発でも蟻の体勢は崩せるので、その間に別の蟻に対処したほうが事故が少ないのだ。
それに、小技を重ねる利点はもう一つある。
「くらえ、《ライトニング》」
「《レイ》」
ゾフィーとラインハルトの魔法による集中砲火で、蟻が倒れた。オズ一人では倒しきらなくとも、三人で集中放火すれば十分に倒せるだけの火力はある。オズが大技を封印する事で体勢が安定し、騎手達のスキル行使は大分スムーズになっていた。
リキャストタイム等を考慮する必要はあるが、それでも殲滅速度は大分速い。要は、相手が増える速度よりもこちらが相手を倒す速度の方が早ければ問題無い訳で、パーティで戦闘をする以上は、オズ一人の攻撃力に拘る必要は無いのだった。
見れば、他の面子も戦闘に危うげは無い。スーホ達は新装備の効果もあってか火力が増しており、ちょっとした機動要塞みたいになっている。クマゴローは、いつも通りの大暴れだ。ここ数日の戦闘で蟻の関節構造にも慣れたもので、足下にバラされた蟻が転がっている。昆虫のしぶとさ故か、その状態でもピクピク動いているのがちょいとホラーだ。
先日とは異なり、樹精達の支援無しでも蟻の数は徐々に減っていく。そのまま、質の暴力で押し切って戦闘に勝利した。
「オッさん、回復いる?」
「いや、自分の《ライトヒール》使うわ」
ステップなどの大きな回避は行えないのと、戦闘中は攻撃を優先してMPを使っていた都合上、オズのHPはそこそこ減っていた。時間さえあれば【調息】でも回復できる程度のダメージではあったが、安全策と【光魔法】のレベル上げの為にスキルで回復しておく。
《キュア》欲しさに【光魔法】を取ったは良いが、レベル上げは間が合わなかったので《ライトヒール》までしか覚えていない。まあ、手数を増やす都合上、魔法はあって困る事も無い。
「それにしても、こんな所で蟻と鉢合わせするとはね。昼は、行動パターンも変わるのかな?」
「いや、多分、直前まで他のプレイヤーが居たんだろう。ポータルで逃げようとしたのを追って、ここまで来たんじゃないか」
クマゴローの疑問に、スーホが森の一点を指差しながら答えた。見れば、木々のあちこちが焦げた跡がある。蟻も樹精も、火属性の攻撃は見た覚えが無いから、恐らくはプレイヤーによるものだろう。
行き違いになったのかそれともポータルに辿り着く前に全滅したのか分からないが、いずれにせよオズ達は少々間が悪かったようだ。そのまま道を進んでいけば、他にも戦闘の痕跡と思しきものが散見された。
「流石に、いつまでも独占と言う訳には行かんか。ま、蟻に対処できずに逃げたなら、先を越されずに済んだってだけでもありがたいかね」
「それなのですが…… この森、少々敵が強すぎませんか?
取得経験値から考えると、この森の適正レベルは12程度と思われます。それにしては、ここの蟻は明らかに固すぎるし多すぎるように感じるのですが」
来夢眠兎の疑問に、一同首をかしげる。
このゲームでは各モンスターに適正レベルが設定されており、それ以上の種族レベルで挑むと取得経験値が減るようになっている。ちなみに、オズとクマゴローの種族レベルは12、【乗騎】のレベル上げを優先したスーホは11だから、そこまで適正レベルに問題があるとも思えないのだが。
初戦こそ敗北しかけたし、オズとクマゴローはレベリング中に死戻りもしているのだが、それでも対策を立ててパーティで来ればなんとかなっている。ゴブリンの様な雑魚とまでは言わないが、来夢眠兎の言うような「強すぎる」というのも、少々おかしい気がする。
「つーても、粘ってりゃ樹精の援護を貰える可能性はあるし、数の対処にしても手前の森からヒントは与えられてるしな。それに、そんなに固いか?」
「私達は《騎手回復》があるので、そこそこMPに余裕を持って攻撃できますが。【乗騎】無しで来たなら、今でも苦戦すると思いますよ。
それに、言ってはなんですがこのパーティの大型三人はプレイヤースキルが高いので、あまり参考になりませんし」
「確かに、『プロなら勝てる』はゲームバランスとしては失敗してる」
オズの疑問に来夢眠兎が答えれば、キリカマーもそれに同意する。オズはプロではないのだが、一応はVRゲーム中級者を名乗ってる訳で、「僕はヘタレです」とも言いたくない。
物資不足のスータットでは、MP回復アイテムは超レアだ。戦闘中のMP回復手段がなければ苦戦するバランスがおかしいというのは、確かにその通りかも知れない。
プロゲーマー達の意見はまた異なるようで、クマゴローがアッサリと反論してきた。
「多分、運営側としては『レイド組め』って言いたいんじゃないの。僕らの攻撃力は平均より高いかも知れないけど、火力出すだけなら倍も人数居れば何とでもなるでしょ」
「この時期にレイド推奨ってのも、それはそれで鬼だと思うがな」
今更だが、ミリオンクランズ・ノーマンズのパーティは8人までの人数制限があり、それ以上の人数で纏まる場合は複数パーティを組み合わせたレイドを組む必要がある。それも無制限とは行かず、現時点では最大5パーティ、40名が上限だが。
ただ、このレイドと言うシステムは、とにかく諍いの温床になりやすい。
まず、経験値が頭割りされるので、人数差のあるパーティ同士で組むとどうしても経験値格差が出来上がる。また、回復やタンクなどの役割に負担が集中しやすいので、どちらかのパーティにそのロールを担う人間がいないと、そこでも揉めやすい。
なにより、人数が増えても獲得アイテムは増えない。普通のパーティですら、獲得アイテムの割り振りでは揉める事があるのに、人数が増えればそれだけ意見が纏まる可能性は減る。と言う訳で、クマゴローの言うような「人数倍なら火力も倍だろ」と言うような目論見でレイドを組むと、大抵は空中分解するのだ。
サービス稼働直後というのは、各攻略組が他を出し抜かんとヒートアップしている時期でもある。もう少しすれば、金や時間や運などの要素で、ある程度勢力図が出来上がるのだが、この時期の最前線は「混沌」としか形容できない有様だ。
下手にレイドなど組ませたら、余程聖人君子が集まらない限りは殺し合いに発展しかねない。
「そーいうのは良いからさ、さっさと杭抜いて樹精達を助けてやろうぜ」
「ま、ゾフィーの言う通りだな。面倒くさい事は、蟻共の親玉をどうにかしてから考えりゃ良いだろ」
話に飽きたゾフィーに頭をペチペチと叩かれたので、思考を中断する。
現状で敵に対処できている以上、運営側の都合など考えても仕方が無い。どのみち、オズ達のやる事に変わりはないのだ。
どうやら蟻たちもやられてすぐに兵隊を補充する事は出来ないようで、話している間に一本目の精霊樹はすぐそこだった。