新ダンジョンは一筋縄ではいかない
ボスエリアを抜けると、先程まで居たエリアよりも更に濃い森が広がっていた。
特に木々が密集しているとか、枝葉が空を塞いでいるとか、そういった事はないのだが、とにかく森の気配というものが辺りに色濃く漂っている気がする。
それが樹精によるものなのか、それとも別の要因なのかは分からないが、ここが樹精の森の奥地なのだと言う事を、インフォメーションも無しにプレイヤーに体感させるというのは、なかなか凄い事だと思う。
「なんかこう、『森』って感じ」
「ああ、そうだな」
ゾフィーのあやふやな表現にも、頷かざるを得ない。もし同行者がいなければ、そのまま数分立ち止まっていたいくらいには得難い体験だった。
ただまあ、オズ達も目的があってここまで来ている訳で、感動に浸ってばかりも居られない。パーティメンバーが全員ボスエリアから出てくるのを確認した後、奥を目指して歩き始めた。
隊列はここに来るまでと同じ、ゾフィーとラインハルトを騎乗させたオズが先頭を行き、来夢眠兎とキリカマーを騎乗させたスーホがそれに続き、最後尾をクマゴローが行く。このエリアに関しては情報が全く無いに等しいので、ゾフィーと来夢眠兎、クマゴローの感知能力が生命線となる。
そのまましばらく歩いていると、不意にゾフィーが素っ頓狂な声を上げた。
「あれ、今なんか変じゃなかった?」
「変ってのは?」
「いや、なんかこう、グルっと言うか、グニャっと言うか」
【気配感知】に何かが引っかかったのかと思い問うてみたが、返ってくるのはどうにも要領を得ない言葉ばかり。ゾフィー自身もそれが何なのかを把握できていないらしく、どうにも自信がなさげだ。
一同を見回してみるが、これだけの情報で何かを判断するのも無理な話で、結局は警戒を怠らずに進もうという事になった。
「あっ、またグルってなった!」
何回目かの、ゾフィーの報告が入る。最初の内は何が起きているのか分からなかったが、その正体も何となく掴みかけている。
ゾフィーの報告の後で道を戻ると、すぐにボスエリア脇のワープポータルが見えるので、まだ分かりやすい部類ではある。
「無限ループ、もしくは正しい順路以外を通ると入り口に戻される仕掛けか……」
「樹精が敵を退けるって、こういう事だったんだね……」
スーホが考えられる仕掛けを挙げていけば、ラインハルトもコリーから聞いた樹精の結界を思い出した。成る程、そもそも辿り着けないのなら、危害を加えるのも当然無理な訳である。
電子ゲームでは古来からある仕掛けだが、一人称視点のVRでは一際厄介な類だ。夜の森でマッピングをするというのは現実的ではないので、何処をどう通れば順路なのかを判断するのも容易ではない。
「こういう時は、木に傷を付けて行くのがお約束だけど……」
「止めて置いた方が良いでしょうね。そもそも、植物を傷つける者を退けるための結界ですから。良い結果になるとも思えません」
キリカマーの提案を、来夢眠兎がやんわりと止める。キリカマーの方も本気ではなかったようで、すんなりと引き下がった。
樹精が保護対象モンスターである事を差し引いても、「樹精の森」と呼ばれる場所で樹精に喧嘩を売るのは賢いとも思えない。別の方法を考えるべきだろう。
といっても、手持ちのアイテムで取れる手段は、そう多くはない。
「古典的ではあるが、ヘンゼルとグレーテル式で行くか」
「パン撒くの?」
「んな、勿体ない事するかよ。石コロで良いだろ」
幸か不幸か、稼働初日からゴブリンを倒しまくっているオズ一行である。石コロのストックには事欠かない。
一応、ゾフィーのスリングショットの弾として結構な数を打ち出しているのだが、【解体】を手に入れてからは消費よりも供給の方が多くなり始めている。
「よく、捨てずに取ってありましたね……」
「まあ、【運搬】鍛えるのに丁度良いしな」
来夢眠兎が半分呆れたように言ってくる。当然と言えば当然だが、【運搬】は持っている荷物が軽すぎると発動しない。鍛えるにはウェイトがあった方が良いのだ。もっとも、その状態でゾフィーとラインハルトが騎乗していると、やや重量オーバー気味なのだが。
戦闘職志望なのに、一番レベルが高いアビリティが【騎乗】と【運搬】、それに【調息】だという事実は、石コロを詰めてオズの心の底に沈められている。
「ひとまず、他に良い案もない。オズの案で行ってみるか」
スーホが話をまとめれば、反対案も出なかったので石コロを等間隔に置きながら歩き始めた。
「ちなみに、ウェイトが欲しいなら麻袋買ってその辺の土詰めれば土嚢になるから、そっちを持った方がお勧めだぞ」
「そんな方法があったとは……」
「まあ、今の状態だと麻袋も品薄だから、十分な数が手に入るとも限らんけどな」
「そもそも、狼の死体をそれなりの数持ち歩いているのに、その上でウェイトが必要かどうかを考え直した方が良いと思うのですが」
スーホや来夢眠兎と駄弁りながら、夜の森を進んでいく。何回かの試行の末、どうやら順路以外を辿ると入り口に戻される仕掛けの方だと判明した。
地面の石コロと記憶を頼りに進んでいくと、所々に朽ち果てた木が目立つようになってくる。森なのだから、枯れた木があってもおかしくはないのだが、なんとなく「樹精の森」に相応しくない光景のような気がしてしまう。
気になって枯れた木を眺めていると、肩に乗るゾフィーから鋭い声が飛んだ。
「オッさん、前!」
声に釣られて前を見やると、いつの間にそこに居たのか、10m程先に二足歩行の黒蟻が見える。身長は恐らく2m程度。一瞬暗闇だから見逃したのかとも思ったが、改めて観察しても、どうにも気配が希薄な気がする。そういったアビリティを持っているのかもしれない。
手に槍を持っているので、一瞬プレイヤーかとも思ったのだが、顎をガチガチ鳴らして襲いかかる気満々な様子を見るに、そうでもなさそうだと思い直す。
「一応確認したいんだが、まさかアレが樹精ってこた無いよな?」
「さあな。いずれにせよ、襲ってくる気満々の様だぞ。相手をするしかあるまい」
スーホの言うとおりだった。
顎を鳴らすのは単なる威嚇ではなかったらしく、いつの間にやら前後左右から集まってきた蟻に囲まれている。種族差別はいけない事だと分かっているが、虫ケラに出し抜かれたというのは少々面白くない。
正面の蟻が「ギシャア!」と不快な声で叫ぶのと同時、周囲の蟻が一斉に襲いかかってきて、戦闘は開始された。
「ゾフィー、上に気を配っとけ。ゴブリンみたいに、奇襲してくるかも知れん!
ハル、相手の能力が分からん。とりあえずは背中で待機して、出来ればスーホ達の方を灯りで照らしてやれ!」
「Ja!」
「分かった!」
ひとまず、騎乗している二人に指示を出す。この場合、騎手と乗騎である程度纏まって動けるのは強みだった。少なくとも、乱戦の末に後衛が孤立する心配はない。
突きかかってきた槍を払いのけ、そのまま顔面に爪を突き立ててやる。流石にゴブリンよりは頑丈なようで、一撃で倒せはしなかった。ゾフィーの狙撃も、相手の甲殻に阻まれているようで今一つ効果を発揮できていない。
それでも攻撃を重ねれば倒せない事はないのだが、敵の数が多いのにこちらの手数が必要というのは、あまり良い状況ではない。
「【鑑定】結果が出ました! このモンスターは『イービルアント』で、弱点は光です!」
来夢眠兎の声が響く。この気色の悪いのが樹精でないというのは、朗報だった。街に帰ったらお尋ね者でしたというのは、流石に洒落にならない。
とは言え、状況が好転したとは言い難い。蟻共は次々に仲間を呼んでおり、明らかにこちらが相手を倒すより、相手が増える方が多い。このままだとジリ貧になりかねない。
「ワルト、僕も攻撃魔法を使う!?」
「スーホ達の灯り優先! ただし、自衛の必要があれば躊躇うな!」
ラインハルトの申し出はありがたかったが、この場は退けた。現状で一番危険なのは、夜目が利かない上に《騎手回復》が無いスーホ達だ。タダでさえ敵の数が多いのに、誰か一人が倒れたらその時点で戦線が瓦解する危険がある。
蟻たちの攻撃力はゴブリンより大分上だったが、それでもまともに食らわなければ大したダメージはない。ただ、如何せん数が多いので、細かな傷が蓄積して、オズ達のHPも少しずつ削れていっている。【調息】と《リーフヒール》で回復してはいるが、このままだといずれは力尽きるだろう。
「ちっ、旗色が悪いか! 一旦退却する! クマ、殿を任せられるか!」
「『任せろ』って言えなきゃ、プロじゃないでしょ!」
二十分ほど粘ってまだ敵の勢いが衰えないと分かった所で、これ以上の戦闘続行は危険と判断し、スーホは退却を決断した。
この状況では、殿は死兵と同義だが、誰かがやらなければならない。騎手を乗せておらず、夜間戦闘にも問題ないクマゴローが適任だというのは、至極妥当な判断だった。
そうと決まれば、モタモタしている暇はない。隊列を組み替え、突破口を開かんとスーホが足に力を込めた所で、ゾフィーから絶望的な報告が届く。
「新手! なんか沢山!!」
思わず頭を抱えたくなるが、そんな事をしている余裕も無い。どのみち、新手が増えようとやる事は変わらないのだ。
手近な蟻を吹っ飛ばして駆けだした所で、異変に気付いた。
「《リーフヒール》……?」
果たして、その言葉を呟いたのは誰だったか。見れば、パーティ全員のHPとSTが徐々に回復している。効果は《リーフヒール》に似ていなくもないが、それとも少し違うように思える。
来夢眠兎が、信じられないといった風に呟く。
「恐らく、これは《リジェネレート》ですね。【樹魔法】のレベル18で覚えるスキルで、対象は単体の筈ですが……」
「ま、『樹精の森』で高レベルの【樹魔法】っつったら、誰の仕業かは明かだわな。で、どうする、リーダー?」
「ええい、状況が変わった! こうなりゃ、トコトンまでやるぞ!」
オズの確認に、スーホも腹を括る。これまで結界で侵入を拒んできた樹精達が、このタイミングで味方をしてきたと言う事は、あの蟻たちは樹精にとっても敵である可能性は高い。であれば、排除に回る方がイベントとして正解だろう。
彼とて相棒を見捨てたい訳ではないし、何よりゲーマーとして負けイベントは嫌いなのだ。ガキっぽいと言われようが、スーホはハッピーエンド至上主義である。
幾らも行かないうちに踵を返し、そのまま戦場へと取って返した。クマゴローにも謎の効果の恩恵は届いていたようで、蟻に囲まれながらもHPは半分ほど残っている。
「おや、お早いお帰りで」
「ハッ、勝ち馬には乗る主義でな!」
軽口をたたき合いながらも、素早く隊列を組み直す。HP事情が改善されたとは言え、敵が多いのには変わりが無い。ただ、これまで回復に回していたMPまで攻撃に回せるとなれば、また話は違ってくる。
「ハル、攻撃魔法解禁! 手当たり次第ぶちかませ!
ゾフィーも、回復は考えずに持ってるMP全部攻撃に回せ! あ、警戒だけは続けて」
「待ってました!」
「まかしとけ!」
オズの指示に、騎乗者二人からも頼もしい返事が返ってくる。
こうなれば、謎の回復魔法の恩恵が切れるのが先か、それとも蟻を殲滅するのが先かの勝負になる。出し惜しみをしている場合ではない。
噛みついてきた蟻を、顎を引っ掴んで首をねじ切る。槍を構えて突撃してきた蟻を引きずり倒して踏み潰し、上から落ちてきた蟻は胴体を噛み千切ってやった。
「ちと揺れるから、落ちそうになったら適当に避難しろよ」
「今更かよ! アタシだって【騎乗】が10もあるんだから、そんなダセェ事にはならないっつーの!」
「ハン、言いおるわ! 転げ落ちてタンコブ作んなよ!」
本当に今更なオズの注意に、肩車されているゾフィーから威勢の良い返答が返ってくる。
多少不安が無いではないが、その言葉を信じる事にした。どのみち、ここで敵を倒しきらなければ死に戻りだ。両腕と尻尾、それに牙を駆使して蟻共を駆逐していく。
流石に、このメンバーが全力で攻撃に回れば蟻たちも分が悪いようで、徐々にその数を減らしていた。知能が無いのか別の理由かは不明だが、蟻たちの行動パターンに「逃げる」という選択肢は無いようで、それでも構わず突撃してくるのは、敵ながら天晴れだったが。
ただ、蟻たちは元々質で劣っている所を数で補っていたのだから、その数が減れば戦線は維持できなくなる。一定数を下回った所から急激に押され始め、程なくして最後の一匹が駆除された。
「よっしゃ、楽勝!」
「んなわけあるか!」
ゾフィーの勝利宣言に、思わずツッコむ。実際、チートっぽい援護を貰ったから何とかなったようなもので、オズ達だけなら今頃は死に戻ったクマゴローと反省会をしていた可能性が高い。
手前の森の攻略が上手く行っていたので調子に乗ったが、どうにもこのイベントは一筋縄ではいかないようだった。
「で、今回の勝利の立役者は、どうしてるんだい?」
「んー。近付いてきてるから、多分もうすぐ見えると思う」
クマゴローの問いに答えるゾフィーの言葉が終わるが早いか。
近くの茂みがガサガサと葉を鳴らし、小さな人影がヒョッコリと顔を出したのだった。