第四話
僕とお揃いのあの子が欲しいな。
高級ホテルの最上階、贅を凝らした一室で、青年は春の野の色をした瞳を煌かせていた。長年磨き上げられているのだろう、暗闇の中で僅かな光を受けて輝くソファに腰かけ、秘密を打ち明けるように声を潜めた。消しきれぬ毒を孕ませて尚弾む声に、シーツの上で男は期待に息を弾ませる。
青年の向かい側には、脂肪で弛んだ体を晒す全裸の男。虚ろな目の奥に陶酔の光を宿したまま青年を熱心に見つめている。男の自由を奪うのは、頭上で両手を戒める銀の鎖。身じろぐ度にガチャガチャと耳障りな音が室内に響くが、興奮した男にはそれすらも官能的に響く。
青年の白さが暗がりに仄かに浮かび上がる。涎を垂らしながら言葉にならない何かを喚く男に、青年は聞くに堪えないと嗤う。美しい少女を思い描き、叶いもしない希望を少しだけ夢想して、青年は笑みを深める。弓張り月の眼の奥に煌めく残忍な光。それに不釣り合いな愉悦が滲む声に、男は歓喜する。
青年の底知れぬ渇望は深く暗い。欲しいものを奪われることは許されない。許せない。
身体の揺れに合わせてゆらゆら揺れる金髪に冴えた月光がとろりと溶ける。喉の奥で嗤いながら、青年は細い鞭を手にする。蜂蜜のような甘さで青年は男に微笑んだ。
「あの子と一緒に遊びたいんだ。ねえ、あの子は僕の隣がお似合いなんだよ。きっとあの子だってすぐに分かるんだ。まあ、今はまだあちら側にいて、隣にあんな獣を置いているみたいだけどね。ふふ、すごくつまんない。お前もそう思うでしょう?」
「ああ、マスター・・・。確かにその通りです、マスター、貴方の言う通りです、ですから、お願いです。私を、その鞭で・・・」
突如青年は立ち上がり、静かに燃える瞳を釣り上げ、鞭を振るう。男は打たれながら、愉悦に酩酊する。鞭を一身に受ける男は、国に使えるやんごとなき身分であったが、青年の前では只の豚に成り下がる。男が身体を跳ね上げるごとに清潔なシーツは脂を含んだ汗を吸収しながら波打つ。青年は男を鞭で嬲りながら、美しい少女を思う。その間にも、男は狂ったように悦びの悲鳴を上げる。無数に走る蚯蚓腫れに、男は体液を滲ませた。
鞭が撓る音の中、思い描くのは唯一人。気高く高慢でうつくしいあの子。
あの子の首には神の盲愛を示す数字が刻まれているに違いない。繊細な細胞で形成されているだろうあの子を剥製にして硝子のケースに閉じ込めてしまいたい。想像するだけで青年の身体は歓喜に震える。僕とあの子だけの世界。二人きりの二人。僕があの子の特別で、あの子の特別も僕だけ。邪魔はさせない。青年は眩暈を感じながら、こみ上げる衝動のままに笑う。
「おねだりをするなんて、なんていけない子だろう。ほうら、まだだよ。まだダメだったら。もっといいことをしてあげるからね」
青年の甘く掠れた声に、男は涙と涎に塗れた顔で身じろぐ。手錠が鳴るのもお構いなしに、男は期待に身体を戦慄かせる。その様を眼下に見下ろし、青年はほんの数時間前に愛撫した少女を思い出していた。男も女も知らない無垢な柔肌に一本ずつ清潔な針を指すたびに、艶やかな悲鳴が木霊した。あの子の悲鳴は、きっともっと美しく響く。青年はそう確信しながら、少女の肌に蝋を垂らした。
「ああ、でも、おねだりをするはしたない子には、お仕置きをしなくてはいけないね」
青年の言葉に男は見境なく懇願する。国の重鎮と称される男は、恥も外聞も捨て去り、青年の奴隷となっていた。
優雅な足取りで青年は男が横たわるベッドまで歩を進める。熱を帯びて尚冷たく冴える、二つのエメラルド。白い肌に映える紅い唇がうつくしいあの子の名を紡ぐ。
その響きに、先まで愉悦を浮かべていた男の顔に、正気がじわりと広がる。
「ねえ、僕はあの子と遊びたいんだ」
「マスター、それは・・・」
できませんと口にする前に、青年は男の肌に指を這わせた。生々しい蚯蚓腫れを辿る指先の白さに、男は眩暈を覚える。「マスター、彼女には誰であろうと・・・」男が言い終わらぬうちに、青年は爪を立てる。突き刺す痛みに男の身体は悦びに跳ねる。浅く呼吸を繰り返す男の目に浮かぶのは、浅ましい期待。それを上目遣いに見ながら、青年は唇を舐める。歯と歯の間からちらちらと赤く濡れた舌が、男には別の生き物のように見える。昂ぶる欲求に喉は鳴る。青年が爪を立てている傷口が熱を持って、男の正気を焼き焦がす。
「僕は無私の者であり、奉仕の者。残酷な神の慈悲なる息子。ミスター、あなたはとてもいけない子だけど、僕はチャンスを与えてあげる。イエス、とそれだけを言いなさい。そしたら、いいことをしてあげる」
慈愛に満ちた穏やかな青年の微笑みに、男は抗う術を放棄した。青年に全てを晒してしまった男に退路はない。夜を吸い込んだエメラルドの瞳に微かな灯が映り込んでいる。青年は確信に頬を丸くした。
清らかな夜明けは遠く、舌打ちのような秒針の音が無口な夜に響く。その隅で男は戦慄く。瞬きすら許さない青年の眼差しは強く、男の眼球は渇きを訴える。それでも、逸らすことは許されない。
「マスターの言うこと、聞けるよね・・・?」
悲鳴より長い夜の臨終に黙祷は捧げられず、産まれた落ちた空が薔薇色に輝くことはない。今晩和と言わんばかりに愛想よく虎視眈眈と狙われる、男の心臓。
「僕の、ミスター」