四月一日~どうせなら、優しい嘘を~
エイプリル・フールの午前中は、たわいのない嘘をついても許されるんだぜ? と言って古賀ちゃんは微笑った。腕には黒いポメラニアンが抱かれている。時刻はもうすぐ正午、「魔法が解ける時間だな」と、古賀ちゃんはとても楽しそうに言った。
「橘ぁ、トマトちゃん見つかった? 抱えてた女の子さぁ、中学生だったかもよ。え、まだ見つからない? 頑張れよ~」
熱の入らぬ口調でスマートフォンに向かって話しかけている古賀ちゃん。相手は古賀ちゃんのクラスメートであり、幼馴染みであり、いつも喧嘩を吹っ掛けてくる橘で間違いないだろう。橘は同じくクラスメートであり幼馴染みの高尾の子分だ。古賀ちゃんは高尾をゴリラ、その子分の橘をサルと呼んで、日夜バトルを挑まれては、こてんぱんにのしている。
仲がいいんだか悪いんだか、殴りかかってくるのは向こうでも、先に悪口で怒らせてるのは古賀ちゃんだ。高尾の子分の中でも特に橘は態度があからさまで、オレのことも「犬!」と言って嫌っている。そんな橘が犬を飼っていたなんて、知らなかった。
古賀ちゃんの膝の上では黒ポメがちぎれんばかりに尻尾を振っている。首輪につけられた金のプレートには「トマト」と彫られている。
「古賀ちゃん、橘の犬さ、どうしたの?」
「ん? 用水路にハマっててさ、女の子が助けて連れてったぜ」
「……黙って見てたの?」
「助ける義務なんてないだろ」
ニコニコしながらトマトちゃんの毛に指を埋める古賀ちゃん。いくらなんでも、これは悪質な嘘じゃないかな。電話の向こうの声は泣きべそかいてたよね?
「古賀ちゃん……」
「よせよ、もう、舐めすぎ! おやつ持ってくるから待ってろ」
トマトちゃんのもふもふした小さな体を床に下ろし、古賀ちゃんは台所に向かった。その足元を毛玉が跳ねてついていく。くそ……古賀ちゃんのほっぺをペロペロして、トマトちゃんめ、オレだって舐めたいのに!!
羨ましい気持ちをぐっと押さえ込んで、オレは毛玉についていった。正直、犬より猫が好きだけど、このもふもふしたお尻を見ていると、犬も悪くないかもって思えてくる。まぁ、オレの家はペット禁止だからどうしょうもないんだけどさ。
トマトちゃんはオレが頼まれて買ってきていた、成犬用のヘルシーおやつを貰って美味しそうに食べていた。そうか、トマトちゃんは小さいけど立派な大人なんだね。古賀ちゃんに訊ねると、去年出産してお母さんになったんだって。子持ちとはね! しかも結婚はしていないと。なんかすごいね!
「冴島はいつも目のつけどころが違うよな!」
「ありがとう~」
やったね、古賀ちゃんに誉められた! ところで、橘はトマトちゃんを探して今頃どこまで行っちゃったんだろうか。無実の中学生女子に迷惑がかかる前に事実を教えてあげた方がいいんじゃないかな。
「まぁな。トマトちゃんか高尾か、どっちか選べっつったら自殺しそうだもんな、アイツ」
「選べずに自殺!?」
「墨染という彼女がいながらな」
「彼女の立場は!?」
「ないな」
「ないの!?」
ひどい話もあったもんだなぁ。でも、トマトちゃんなら仕方ないかな。
古めかしい純和風の台所で、そこだけ今風のダイニングテーブル。隣の椅子を引いて座り、古賀ちゃんの膝に抱っこされたトマトちゃんを撫でる。そっと古賀ちゃんの太ももに手を伸ばすと、急に噛みつかれた。
「あいてっ!?」
「あっ、大丈夫か、冴島!」
「うう……。大丈夫、血は出てない……」
「ごめんな。こら、トマト!」
なんてひどいんだ! 可愛くてもやっぱり橘の手先ってことなんだな!
「ほら、見せてみろよ」
「古賀ちゃん、優しい……」
「俺はいつでも誰にでも優しいよ」
「ダウト! エイプリル・フールだからって嘘つきすぎ!」
「嘘じゃねー!」
古賀ちゃんが笑うと、黒髪が揺れてシトラスの爽やかな香りがふわっと広がる。強くて頭が良くて美人さんだなんて、ずるいや。オレが好きになっちゃうのも仕方ないことだと思うんだよね。細くて長い指。この指が軽やかにピアノをひくのも、同時に高尾の襟首を引っ掴んで引き倒す強さを持つのも知ってる。眼鏡を外して眉間を揉むとき、オレに勉強を教えてくれるとき、いつもこの指に視線を持っていかれる。
「一応冷やしておくか。アイスパック……」
「古賀ちゃん、もうすぐ学校が始まって、持ち上がりで同じクラスだよね」
「うん? 何だ、急に」
「古賀ちゃんさ、梅流に告白すんの?」
「…………」
「オレさ、古賀ちゃんも、梅流も、どっちも好きだ。けど、古賀ちゃんと梅流がくっついたら、オレはどうしたらいい? オレだけ仲間外れは嫌だ」
「冴島……」
優しい梅流。ふわふわしてて、世間知らずで、三つ編みの似合うちょっとドジな女の子。お菓子をよく分けてくれるから、オレは梅流が好きだ。古賀ちゃんと同じくらい梅流が好きだし、可愛いし、柔らかそうだからいっぱい触りたい。そういう意味ではオレと古賀ちゃんはライバルだ。
「告白するか、しないか、答えてよ。エイプリル・フールだから、答えの逆が正解だよね?」
「いや、エイプリル・フールって、そんな『本当のことはしゃべっちゃダメ、嘘しかついちゃいけない大会』みたいなノリのイベントじゃないし。それ言い出したら今朝からの俺の言葉は全部嘘じゃん、犬のおやつ代も払わなくていいわけ?」
「や。それは困る」
「だろ?」
「うん。……って、そんなのどうでもいいんだよ!」
古賀ちゃんはいつもこうだ。言葉で翻弄してオレを誤魔化すんだ! でも、今日は流されてなんかやらない。
「オレ、梅流が好きだ」
「……そっか」
「だからさ、梅流も古賀ちゃんも、どっちもオレと付き合えば良くない?」
「……その発想はなかった」
「でしょ?」
「ばぁか!」
「いって! 何すんだよぉ」
古賀ちゃんのデコピンがオレの額に直撃した。避けられなかった。
「お前の好きは単純だな、駄犬。人間さまはもうちょっと複雑に物事を捉えるんだよ。世の中みんな、お前みたいだったら、よっぽど支配しやすいだろうな。さて、外の冷凍庫にアイスパックないか探してくるから」
「ちぇ。トマトちゃん、オレ、駄犬だってさ。トマトちゃんはどう思う?」
「わんっ」
「トマトちゃんはオレの味方……いだぁっ!?」
くりくりした丸い目が可愛いと思ってたのに、実はあんまり可愛くなかった! ふさふさのたてがみをもふもふしようと思ったのに!!
「この、この、タヌキ! おまえなんか橘の家に送り返してやるっ! ここはオレのウチになるんだからな!」
「何言ってんだ、冴島。お前は自分の家に帰るんだよ。ほれ、アイスパックやるから冷やしながら帰れな」
「ひどいよ、古賀ちゃん? もっとオレに優しくしてよ!」
「おいで、トマト。コイツはもうバイバイだからな~」
「古賀ちゃ~ん!!」
古賀ちゃんは鬼だ。
ちなみに、トマトちゃんは高尾ネットワークにより居場所が突き止められ、古賀ちゃんの嘘はバレた。ちゃんとネタばらしするまでがエイプリル・フールだから、古賀ちゃんは嬉しそうに橘にベラベラしゃべっていたけれど、橘は泣きすぎてて聞いていなかった。それと、トマトちゃんのこどものタマは梅流の家の子になっていたらしい。その縁でトマトちゃん捜索に加わっていた梅流に、オレまでこってりと叱られた。梅流、悪いのは全部、古賀ちゃんです。オレは巻き込まれただけです! そうは言っても、もちろん許してなんてもらえないのだった。うん、知ってたよ、オレ。エイプリル・フールなんて、大嫌いだ!!