179日目
179日目
「うわ……本当に涼しいんだ、ここ」
手元の温度計を見て、津衣菜も驚きの声を上げる。
彼女の反応に、美也は得意げに頷いた。
「夏も冬も、一年中ずっと14~15℃みたいですよ」
「よくみつけたね、こんな鍾乳洞なんて」
「ほら、向こうの方に有名なのあるじゃないですか。この辺りにも石灰岩や地下水が多いって聞いたから、もしかしたらって思って」
「それで探してみたら、本当にあったと」
「はい」
「こっちは観光名所にするの、難しそうだけどね……小さくて狭くて危ないし」
「だからいいんじゃないですか。小さくて狭過ぎて危ないですけど」
津衣菜も美也も入口から奥へ伸ばした命綱を辿り、ライト付きのヘルメットと防水服で完全装備だった。
「だから、子供達もまだ連れて来られなくて、そこどうしようかと……」
「まだ、誰もここには住んでないんでしょ」
「そうですね。地形もですけど、枝分かれしてて道に迷いそうだから、そこも調査中で」
「で……そいつはとりあえず、こっちに置いたんだ」
「ええ」
二人は狭い穴から少し開けた場所に出る。
高さ二メートル程度だが、積み重ねた座布団の様なリムストーンと何本もの石柱がライトに照らされ、別世界の光景を作っていた。
その石柱の一本の根元に、男が一人鎖で繋ぎ止められている。
その顔色と眼球から、生きた人間ではなくフロートである事は明らかだったが、彼女達が近付くと敵意の視線を向けて来た。
「いい加減にしやがれ。ここは、水がぽたぽたうるさくて気が狂いそうだ。そういう拷問のつもりか? 俺はお前らと取引したんだぞ? きちんと待遇を保証しろよ」
「私達の条件は、『あなたを対策部から匿い、ここにいる事を認める』という二点のみです。待遇など保証した覚えはありません。ご不満ならいつでもご退去下さい。きちんと解放します」
すらすらと、冷たく答える美也。
その見た事のない様な彼女の態度に、津衣菜は少しだけ驚きを感じる。
「こいつが、話の」
「はい。元アーマゲドンクラブ甲信越支部所属、フナコシイサオ、長野県大月市******在住、職業、会社員、㈱******産業勤務、33歳男性……フロート狩りだったフロートです」
美也は読み上げる様に男のプロフィールを言い、男の前に立つ。
「では、今日もそちら側の義務を果たして貰いましょうか。アーマゲドンクラブ本部、会長の意向について、対策部施設について、あなたの知っている全てを話しなさい」
「あのさ、美也……少し変わった? 向伏から佐久川に来て」
鍾乳洞へ出た時、津衣菜は美也へ尋ねた。
きょとんとした顔の彼女に、手元の温度計の上昇して行く数字を見ながら言葉を続ける。
「あまり、そういうことはっきり言うキャラクターじゃ、なかったと思ってたから」
「あの人ね、梨乃さんに復讐する為に、ここへ来たんですよ」
美也はすっかり暗くなった山林の中、木々の間に見える星空を見上げて答える。
「まあ、そうだろうね……って、え、佐久川に?」
「自分がフロートに何をして来たか、フロート狩りの陰で普通の人にもどんな迷惑をかけて来たか、全く自覚がないんですよ。フロートが出て来たから、『自分はおかしなことや手荒な事もしなくちゃならなくなったんだ』と言い張って、そして、梨乃さんに襲われたせいで自分がフロートになったと、固く思い込んでるんです」
「『感染した』とか何度も言ってたね。尋問中」
本部から向伏への遠征を持ちかけられた時、梨乃や子供達を襲撃した時、対策部で行なわれた検査。
男から聞き出そうとしていたのは、そう言ったものの詳細だった。
それらについて答える途中、男は何度も恨みがましく繰り返していた。
「俺はゾンビ女に襲われたせいで、こんな身体になってしまった」
「どうして俺がこれだけ怒っているのか、お前らも政府の連中も理解出来ないんだ」
そんな怨嗟の言葉を織り混ぜずには、何も喋れない様子だった。
「どうして、こういう事になっているのか。何が始まりでどんな経緯を辿ったのか。そういう事を考えられないんですよ」
美也が低く呟いた。
彼女らしくない――少なくとも津衣菜にはそう思えた――心底蔑む様な声。
「全てが周りの誰かか、自然現象みたいな何か。悪い事が起きれば、それは全て、自分と関係ない何かのせい。私達がこんな人達に脅かされ、存在を否定され、最後の居場所まで奪われかけているのかと思うと」
「今更じゃないの、そういうもんだよ、こいつらに限らずね」
「そうでしょうね……だから、もう、こんな人達にこれ以上歩み寄る必要なんかないと思うんです」
「美也……」
「これもあの人が言っていたんですけど、対策部の中では梨乃さんは『佐久川に潜伏している』事になっているみたいです」
美也は津衣菜の呼び声に応えて、ふいにそんな話を始めた。
対策部の施設で職員がそんな話をしていたのを聞きつけて、男は自分の行き先を佐久川にしたのだという。
「元々、そういう予定でしたよね……梨乃さんが子供達をこっちへ案内するって」
「元々の計画の情報が、向こうに流れているってこと?」
「ええ、そして、向こうから更にあの人達へ」
あの人達――フロート狩りの連中
「だから梨乃と子供達は、あの時待ち伏せされた。そう思うの?」
「証拠のない事あんまり考え過ぎても良くないですけど……移住先が佐久川で担当が梨乃さんだったなんて計画の概要は、向伏のフロートは皆知ってますから。でも」
美也は2、3秒言葉を詰まらせてから、再び悪意の覗く低い声で呟いた。
「その中で対策部との接点となっているフロートと言えば、限られて来るんですよ」
深夜、午前0時すぎの向伏市郊外は、静かな戦場と化していた。
国道沿いに車を並べ、複数の小さな班となって移動する、フロート狩りグループ『くがやんズ』の面々。
自慢の『人誅シャトル』に一人乗り込んだリーダーの東山と連絡を取り合いながら、十人以上ひとかたまりになっている『アルティメットフォース』
定位置に潜み、あるいは少しずつ移動して、トラップやボウガンでフロートを狙う(一般人の巻き添えも少なくない)『光陰部隊』
ブランクがあるのか、数人でバットを持って走る姿が丸見えだったりと、他のグループに比べて要領が悪い『バスターズ』の面々。
アーマゲドンクラブの煽りにより、一斉に活発化した地元のフロート狩りグループ。
彼らを、更に見えない動きで一群ずつ潰して行くのは、向伏市に戻った匠の率いる信梁班。
向伏フロートの連絡用SNSでも、彼らの動きは説明されない。
十数人の――向伏に残った中の半数になるが――フロートが彼らと別に、くがやんズの車や小班長を仲間から分断して囲み、一つずつ潰して行くという戦術をとっている。
こちらの情報はリアルタイムでSNSに表示されていた。
「信梁1、4、左2ブロックに3。信梁5、右へ直進し信梁2と合流後、4-16右回りにボウガン1」
ぶっきらぼうだがはっきりした口調で、鏡子がトランシーバーで指示を飛ばす。
ビルの屋上から微かに、道の各地にいるフロート狩りとフロート達を見る事が出来た。
フロートの視力をフル活用して、花紀と鏡子がこの辺りで起きている戦いの殆どを、視界に収めていた。
「がこさん、『アルティメットフォース』南西、川方面へ逃走」
「マジで逃げてる? 誘い込みじゃなくて?」
「向こうの生放送でやってる。副会長が捻挫して、パソコンと照明が壊れたって」
「くがやんズの増援は」
「今の所ないみたい」
「よし、次は西側をチェックだ」
「はーい」
看板裏で屈んでいた鏡子が立ち上がり、その3メートル先にいた花紀も立って彼女を追う。
「ふふふっ」
「な、何だよ」
「ん、こんな風にがこさんと二人一緒になるのも久しぶりだなあって」
少し照れた様な声で言う花紀に、鏡子も笑い返す。
「やっぱり、この組み合わせが一番だろ」
「ん」
花紀は短い声で返事するが、様子がどことなく落ち着きのないものだった。
ほほえみを浮かべているが、目元にどこか無理がある。
それに気付いた鏡子は、足を止めて花紀を呼び止めた。
「どした?」
「最近、みんなあちこち動いて行ったり来たりしている、居場所も小さく分かれて、色々なものが変わって来てるでしょ。だから、みんなもその分急に変わってしまっちゃうんじゃないかって」
「不安なのか?」
「うん……みんなも、距離だけじゃなくて遠くに行っちゃいそうで」
「まあ、本当言うとあたしも怖いよ。フロート狩りがどうこうだけじゃない」
「がこさんも?」
花紀が驚いた声で聞き返すと、鏡子は小さく頷いた。
「アンプルの入手だって、生者との関わり方だって、グラグラしている感じだよ。緊張感が半端ない――こういうのって、自分を見失いそうで」
「よしよし」
小さい身体を精一杯広げて、花紀は嬉しそうに鏡子をハグする。
「がこさんや、花紀おねーさんがついてるでよ、うんうん」
抱き付かれるままになっていた鏡子は、目で花紀の頭を見下ろしながら何か考えている。
花紀が身体を離した時、鏡子は一歩前へ出る。
膝を曲げて、目線を花紀に合わせる。
そして、彼女の方から両手を伸ばして花紀をすっぽりと抱きしめた。
「ふ、ふええ……っ!?」
「あんたさ、こういう時って、本当は自分が抱きしめてほしいんだろ? 分かってるんだ、一応」
分かってはいたけど、鏡子も本当にそうしたのは初めてだった。
「ええ……ええええ」
花紀も、自分が抱きしめられるのは初めてだったらしい。
目をぐるぐるさせて狼狽している。
だが、声は次第に笑いに変わり、表情もにへらと緩んで来る。
「え……えへへへっ……えへへ、うれ……しいなあ」
笑いながら花紀はもう一度両手を伸ばし、鏡子の背中に回す。
完全に二人に抱き合う感じになり、今度は鏡子が少し焦る。
だけど、幸せそうにしている花紀からしばらく身体を離さずにいた。
「やっぱり抱きしめ合うと、幸せ感が違うんだね……もっとみんなともこうやって抱き合えば良かったかなあ……ちーちゃんやひーちゃん、なしのんやゆっきー、はるかさん……ついにゃーとも」
花紀の言葉に思わず噴き出す鏡子。
鏡子は花紀から離れると、苦笑しながら言う。
「まあ、そういうだろうなって思ってたけどね、あんたは」
「ん? ああっ、がこさん、今やきもちやいたねっ?」
「焼いてねえよ!」
「ふっふっふ、どーかなー?」
にまにましながら鏡子を見上げている花紀の電話が鳴った。
出ると、雰囲気にそぐわない野太い声。
「おら、いちゃついてねえで、きちんと見てろ」
「はーい。高地さんもー、花紀おねーさんと抱き合ってみたいですか?」
「ああ? アホか」
すぐに切れた電話。
「いつにも増して脳に変な花咲いてんな、あいつ」
呟きながらスマホを下ろした高地は振り返る。
花紀達のいるビルから二百メートル程離れた、別のビルの屋上。
彼の視線の先に三人の男が立っていた。
一人は対策局向伏支局の高槻。
残り二人は、高地の知らない顔だった。
「初めまして。私、主権自由党の国会議員で川下と申します。平賀派に属しております」
50代半ばか、議員としては若い方の男がそう自己紹介すると、高地とあまり変わらなさそうな30前後の若い男が頭を下げた。
「防衛省より32部局に出向しました史塚と申します。以後よろしくお願いします」
高地は二人に返事せず、高槻を睨む。
高槻も肩をすくめるだけで何も言わなかったが、すぐに視線を動かし右手を上げる。
その視線の先で、更にもう一人男が近付いて来る。
高地の知っている顔だったが、高槻が口を開いた。
「主権自由党の海老名議員です。説明は要りますか?」
「結構です。で、この面子で何の話っすか?」
「ただいま。アーマゲ本部って、今日は何も動きないよね」
「おかえり。強いて言うなら、また会長の趣味の生放送があった位。タイムシフト視聴出来るけど、見る?」
「やです。何か重要な情報あったら教えて」
「また公園事件について長々と語っている。東征の話はしなかった」
津衣菜は遥の答えを聞きながらソファーに座り、市販の冷却スプレーを自分に振りかける。
「あと、もう一つ確認」
「おや、今日、他に聞く様な事あったっけか――」
「何の条件で、森椎菜へ私の情報を売った?」
津衣菜の一言で、その場に緊張が走る。
日香里や女性のフロート何名か――遥以外。
遥は、動じないまま津衣菜へ尋ねる。
「誰がそんな事を?」
「本人」
津衣菜は即答したが、かまをかけただけだった。
津衣菜は一度も母と会話はしていない。
「ふーん……くくくくっ」
気のない返事の後、遥は笑い出す。
津衣菜の嘘は、見破られている様だった。
それでも遥は苦笑しつつ、背もたれから上半身を起こして答える。
「もう少し、森先生にこっち側で頑張ってもらいたくてねえ、私らの都合上」
「けんか別れしたんじゃないの?」
「そこを何とかする為に、お土産が必要だったのさ」
「あと、もうあんまり役に立たないみたいな事も」
「それなりに、役立ってもらいたいんだ。あと、もう少しだけはね」
遥はテーブル上に立てたタブレットを操作し、動画保存されたニュース番組を呼び出す。
ここ数日、何度も映し出されたある公園の映像。
『ここで、動く死体、変異体の子供はスコップで頭を殴られ逃げ出し、男性はそれを追い――』
「あの『公園事件』の余波は、かなり大きかったんだよ。あのお父さんを擁護する声は、かなり上がっている」
画面を横目で見ながら、どこか皮肉な笑みを浮かべて遥は言った。
遥の後ろで日香里が、冷めた声で返す。
「『家族がフロートに襲われた時の事』はこれだけ心配するのに、誰も考えないんですね、『家族がフロートになった時の事』は」
「まあまあ、それがアーマゲ会長に何の追い風にもなってないってのは、笑えるけどね」
そう言って動画を一時停止し、全国の対策部支局、関連施設が表示された日本地図が現れる。
遥によれば、対策部の施設と人員は、『半年前の3倍』に増加しているらしい。
確かに、今では県庁所在地や主要都市だけでなく、小さな市町村単位で、対策部の何かの支部や施設が設置されている。
「対策部は別だ。ここでアーマゲの動きにどう噛んで来るか分からないんだよ」
更に画面は変わり、何十人分もある県会議員・市会議員のプロフィールが物凄い勢いで捲られ、森椎菜の所で止まった。
「だから、森先生にはここでどうにかこの流れに棹差して頂き、フロート寄りの動きを、ごく一部でもいいから、盛り上げておいてもらいたい。そういう事さ」
「それで、その代償で私を彼女に……お母さんに差し出すっていうの……?」
「そこまで言わんよ。あくまであんた次第さ。あっちにも、『どうなるかまでは保証しませんが』って断ってある」
遥はじろっと津衣菜を凝視して、念を押す様に尋ねて来た。
「まだ文句はあるかい? そもそも、私にあんたの情報の守秘義務はないよ」
「……は?」
文句どうこう以前に、後半の言葉に津衣菜は絶句した。
遥は、無表情で津衣菜の慌てる顔を見返しながら、続けて言う。
「当たり前だろ。ここは上場企業じゃない。あんたの携帯も、本当の所有者は私だ」
「いや、そうだけど、だから好き放題覗いたり人に渡したりってしていいのかって……」
「そんなに頻繁にやる訳ないさ。やりたくないよ。必要があったって言っただろ」
「だけど」
「それに、あんたが本当に彼女から隔離してくれ、近付けないでくれって依頼していたら、私らだってそれで対応する。あんたはお母さんから逃げたいの? 今まで、私にそんな話は一言もなかったけど」
津衣菜は遥を凝視したまま黙る。
「どうなん?」
「い、いや、それは……」
言い淀む津衣菜に、遥は一言付け加えた。
「あとね、あんたがあの人と向かい合えるチャンスは、あんたが思っている程多くはないよ」
「何? それってどういう――」
津衣菜が尋ねかけた時、遥の携帯が鳴った。
「もしもし、あ、おつ。うん、うん、ああやっぱり。それで他の連中と連携は――」
大部分が頷きや相槌な通話だった。
電話を切った後、遥はその場の全員を見渡した。
「新しい情報が入ったよ。疲れる話だ、覚悟しな」
津衣菜を含む全員が、緊張感のある顔で遥を注目する。
何組もの赤い双眸が、画面を囲んで暗いフロアに浮かんでいた。
「アーマゲドンクラブ南関東支部が、本部とも別行動の形で佐久川を狙っているらしい」
「へ、南関東ですか……今まで、接点が殆どなかった」
遥の話に、情報分析担当だった中年女性のフロートが驚いた顔で聞き返す。
「そうでもない」
遥は『アーマゲドンクラブ南関東支部』公式サイトを開く。
彼らの記念写真らしい、覆面姿の男女数人がハンマーやナイフや手斧を交差させている写真。
その奥の方で斧を持っている痩せた男を遥は指差した。
「この中心メンバーの一人『スラッシャー』って奴。昔、死に立ての雪子を攫って、あの子の顔をああした奴だよ。勿論、佐久川に来る理由も雪子だ」




