162日目
162日目
濃紺の空が空を赤く縁取っている。
眼下では、織子山の街にぽつぽつと光点が浮かび始めていた。
「蝉、鳴かなくなったね」
「うん」
花紀の声に津衣菜は相槌を打つ。
蝉達の合唱は月初めの頃より賑かさを増し、これからいよいよ本番という様子だった。
この廃墟のショッピングセンターでも、朝から夕方まで休みなく蝉の声が溢れている。
廃墟の屋上で佇む津衣菜の目の前に、高層ビルが一棟だけ大きくそびえ立っている。
織子山駅前にある複合ビルで、県内一の高さを持つ建築物だ。
向伏市で一番高いというマンションと比べても、およそ倍近い高さに見えた。
ビルの高層階が巨大なガラスケースになっていて、その中に入っている銀色の球体はプラネタリウムホールらしい。
「世界で一番高い所にあるプラネタリウムで、ギネスにも載ってるんだって。知ってた?」
花紀がそんな事を聞いて来るので、聞き返す。
「それって、何か意味があるのかな?」
「んー、分かんない」
へへへと笑って答える花紀。
スマホの画面に目を落として、次に花紀の横顔に視線を移す。
まだ彼女は銀の球を見上げていた。
「宇宙科学館……行ってみたいの?」
津衣菜の問いに花紀は無言でもじもじする。
彼女にしては珍しく消極的なリアクションに、津衣菜はしばらく考えてから声をかけた。
「日没が今よりもっと早くなったら、行けるかもしれないね。エレベーターさえクリアすれば後は結構暗そうだし」
少し驚いた様な目で津衣菜を見返す花紀に、津衣菜は優しい声で尋ねる。
「一緒に行こうか?」
勢い良く何度も頷く花紀は、とても嬉しそうだった。
聞き覚えのあるエンジン音で、津衣菜は柵へ凭れて真下を見下ろす。
廃墟を囲んだフェンスの横に、黒のエルグランドが誰も降りないまま停車していた。
『――これで更に緊急審議が追加された変異関連法案ですが、本日、現行の……種数指定の感染症および変異および症候群に関する基本法……が、宇柄津市ほか北陸地方の複数の少年グループに適用されました』
車内のモニターから流れるニュース。
「……増えたね」
「何が?」
運転席の真後ろに座っていた津衣菜が呟く様に言うと、高地が聞き返す。
「フロートのニュース」
「はっ」
高地は画面を一瞥して、短く鼻で笑っただけだった。
フロートに関係するニュースが、明らかにその割合を増やしている。
フロートが絡んだ様々な事件――そもそも『人間が心臓止まったままで起きる』事自体が、何度起きようが大事件の筈だ。
そして、国会での『第二種変異体フロート関連法案』の審議。
―――まるで
「まるで、つい最近フロートが現れたって感じの報道だな」
少しにやついた口元で高地が言う。
自分も同じ事を考えていた津衣菜は、目線だけを彼の後頭部へ跳ね上げる。
「テレビしか見てねえ奴なら、マジでそう見えてるだろうぜ」
『暴走族を母体とするこれらのグループは変異発症者を拉致し、山陰地方復旧事業への違法な労働斡旋を企図していた疑いがあり、この法の事件適用は事実上初となります』
その中でも特に多いのは、やはり宇柄津市の倉庫乱闘事件と、その後に表に出て来た北陸の第二種変異体フロートグループについてのものだろう。
凶蘭会によって、冷凍庫で氷漬けにされ売り飛ばされそうになり、向伏のフロートと反凶蘭会の暴走族によって助け出された地元のフロート達。
彼らはあの倉庫裏の更地で、市が用意したテントに住み、公然と存在をアピールしていた。
メディアの取材に応じ、凶蘭会から受けた被害を訴え、行政と警察による保護を要求している。
中には、一度は離れた家族と連絡を取り合っている者さえもいるという。
『元の身体に戻りたいという思いもあります、だけど、まずは今の私達がモルモットでもホラー映画のモンスターでもない事を認めてもらい、安全の保障された生活を――』
津衣菜も見覚えのある顔の30代男性のフロートが、真っ白の顔を全国放送に晒して喋っていた。
あの夜の後、ミサキ達ラビリンスの中心メンバーも、そしてハマダも、それぞれ警察へ出頭していた。
顔も名前も、車両番号も割れている彼女達は、あの場を逃げ切ってもそれで終わりにはならない。
彼女達も、そんな事は最初から分かっていた。
まだ彼女達は警察署内で取り調べの最中だ。
公の場に出た地元フロート達が、警察にも世間にも「彼女達は私達の事を知って、助けに来てくれたのだ」と説明してくれた事によって、ミサキ達の処罰はかなり軽いものになりそうだった。
その一方で、ハマダ、そして検挙されていた何人かの凶蘭会メンバーはそうは行かなかった。
ミサキ達を庇ったフロート達も、凶蘭会に対しては一切の容赦がなかった。
私達を人間扱いせず、奴隷として売買しようとした凶蘭会を絶対に許さない。
厳しい対応をしてほしい。
彼らはテレビのインタビューに、はっきりそうコメントしている。
ハマダは他のメンバーについて一切黙秘しているという。
最初、凶蘭会の全ての罪状を自分で背負おうとしていたハマダだが、彼女についてもその殆どを『先岸梨乃に強要された』ものとして処理されつつある。
そう供述するよう、梨乃が言葉少なに、だが粘り強く彼女に説得したからだ。
「――都合の悪い事は、出来るだけ死んだ奴に・・・・・押しつけちまえばいい」
ふいに、梨乃は梨乃の・・・言葉で言った。
台詞を読み上げるみたいな口調だった。
「私はおしえたあなたにそのことを、それはそうか?」
「はい……」
いつもの声で尋ねた梨乃に、そう答えた時のハマダの何とも形容し難い顔は、津衣菜の脳裏に焼き付いていた。
彼女ははっきりと知っている。
梨乃はイレギュラーに戻って来た、死者の国の住人だと。
それでも、彼女に関しては、特別少年院行きは免れない様だった。
そして、梨乃がフロート……起き上がった死体、第二種変異体である事。
ハマダ以外の凶蘭会メンバーからも、地元のフロート達からも、その事は証言されていた。
だが警察は、それらの証言を未確定情報として処理し、梨乃の扱いは『行方不明』『全国指名手配』のままで継続された。
「まあ……これ以上は分からんね。彼らとも、もう連絡は取れなくなっちゃったし」
津衣菜の隣で、助手席のシートに両肘を置きながら画面を見ていた遥は言った。
北陸のフロートは凶蘭会を、そして先岸梨乃を絶対に許さない。
そして、梨乃を再び仲間として受け入れた向伏のフロートコミュニティも、『助けてくれた恩義は感じつつも』許す事は出来ない。
遥へ短くそう告げると、彼らは向伏との交流拒否を宣言したのだ。
「それは仕方ないさ、向こうもうちらも、色々とね」
そう遥は苦笑する。
高速を使わなかったので一時間以上かかり、車は向伏市に到着した。
『向伏のフロート』と一口に言っても、今の彼らは向伏・織子山・佐久川の三都市態勢がほぼ確定していた。
今回の件で動いたフロート達は、引き続き織子山に待機し、向伏に残ったフロート、佐久川への移動が済んだフロートも、そのままそこが拠点となりそうだった。
梨乃を襲って潰されたフロート狩り。
津衣菜を襲ってAAAに撃退された連中。
どちらも、向伏で女性フロートを解体した犯人とは別だという事が判明した。
つまり、最近なりを潜めているが、危険な連中はまだ県内を徘徊し続けている訳だ。
三都市態勢は、特に戦い慣れていない者の安全のためであり――それと同時に、より深い所でアーマゲドンクラブを迎え撃つ準備でもあった。
ラビリンスが警察に再度の解散届を提出し、凶蘭会の自然解散が確認されてから、およそ一週間経っている。
昨夜、何事もなかったかの様に、アーマゲドンクラブ会長は専用チャンネルで『征夷大聖戦』を唱え、『東日本の不逞屍人平定が下半期目標』だとブチ上げたという。
『あの世から不正に帰って来た魂は、地の底の死穢を多分に含み、より反社会的な人格を有するという事が北陸の一件で分かったのです』
そんな事をしれっと語る会長の前で、彼ら自身が北陸で凶蘭会から逃げた事は、語る事さえ許されない禁句となっているらしかった。
むしろ正当化の為にそれに触れようとした書き込みすら、即座にバンされているという。
『奴ら屍者はゴキブリと同じで、こちらが厳しく締めてくれば、よりあちこちに散らばって見えにくくしようとする。だが、こちらはその全てに手を伸ばし、逃げ場などなくしてやるべきなのです』
ある程度こちらの分散を見越しているらしいアーマゲドンクラブは、また頭数を増やして三都市全てに手を伸ばすつもりだった。
「その全てで、思い知らせてやればいいのさ」
遥は軽く、いかにも簡単そうに言った。
「出来るかな」
「出来るさ……むしろ、私らにとって、ここが勝負どころなんだ」
津衣菜の問いにも軽さをなくさず、今度は少し強い語気で答える。
「また挫けさせられたら、彼らは北陸でそうした様に、東北からもそっぽを向く――ある意味、今度は、私らにとっての最終決戦になるよ」
事件収束後も、アーマゲドンクラブは北陸に戻る事は出来なかった。
公の場に確固たる居場所を持った北陸フロート達。
凶蘭会から逃げたフロート狩りは、今の彼らに対しても手は出せない。
「アーマゲだけじゃないさ。対策部だって、もう迂闊な真似は出来なくなった」
「上手くやったもんだ。警察は単独でフロートが人間かどうか、人権があるかどうかなんて議論をしねえ。ああ出られれば、犯罪被害者の一般市民として扱う。そしてテレビで全てが全国に晒されている」
「向こうの地方行政は、完全に彼らの味方だ――少なくとも、今の所はね」
「それも、お前が動いて、うまく凶蘭会を悪者にしてやったからってのもあるんだろ? その辺もっと感謝してもいいんじゃねえかと思うんだけどよ」
呟く高地の声は、少し不満げでもあった。
「私らについて余計な事言ったりしないだけでも、結構有難いさ」
「でも――」
遥が呑気な声で高地に返した時、ふいに津衣菜の声が響いた。
車内の視線が彼女へ集まると。
「いいことばかりじゃないんでしょ?」
「そうだねえ……」
津衣菜の投げた問いへ、肯定も否定もしない様な曖昧な声で遥は返す。
「日本中の生者のフロートへの視線も、まず彼らが受け止める事になる。基本レベルのプライバシーも自由も、彼らにはもうない。そして――それらと引き換えに得た安全にも、絶対はない」
「何かあれば真っ先に始末される……か」
「ヤな言い方すれば、自ら進んで檻の中へ入った訳だよ。それが彼らの選択さ」
車は市街地を迂回し、国道も県道も避ける。
郊外の畑に挟まれた狭い道を伝いながら戸塚山へ入った。
山沿いの畦道をしばらく進み、切り返し出来そうな小屋の前で津衣菜と花紀を下ろす。
「あれー、ここ、どこだろう……?」
「見覚えのない道ね。こんな所で降ろす位なら、さっきの橋の辺りでも良かったんじゃ……」
花紀が辺りを見回して、少し心細げな声を上げ、津衣菜は車内の二人を少し睨みながら尋ねた。
「今はこの位用心しておきたいんだ……あそこじゃ安心出来ない、そういう状況なんだよ」
苦笑しながら遥はそう答える。
「ナビ頼りに行ってみて。迷わないと思うけど、迷ったら電話して良いから」
遥がそう言い残して、エルグランドは元来た道を戻って行った。
車からしばらく、津衣菜も知らない畦道が続いたが、途中から何となく見覚えのある景色に変わり、やがて通り慣れた山道へと入っていた。
何だか、やけに久しぶりにここへ戻って来た感じがする。
今までだって――苗海町へ行ってた時なんかも――同じ位ここを空けていた筈だったが、こんな懐かしさを覚えたりはしなかった。
山中の細い砂利道の茂みで、一つ影が現れた。
「おかえりなさい、津衣菜さん、花紀さん」
「やーん、みーちゃーんっ!」
現れるやいなや、花紀が勢い良く美也に飛びついていた。
「とっても久しぶりだった気がするー」
「わ、私もですけど……」
「やっぱりー!?」
嬉しそうにしがみつきながら、困惑する美也に頬を擦り寄せている花紀。
それを、お約束の様に後頭部チョップしながら引き剥がす津衣菜。
以前もここで出迎えてもらった事があった気がする。
その時は、そこの茂みから二人出て来たが。
「それで、今はどう?」
花紀を剥がした後、津衣菜は美也へ短く尋ねる。
「はい、特に問題ありません」
「今日も、変わらない?」
「はい……多分、眠ったままです」
津衣菜と花紀と美也、三人連れ立って山の奥へ、寝床にしていた作業場の横を通り神社へ向かう。
「最近、人が来ないから毎日使っているんです」
作業場を見て、美也が二人へ言う。
「鏡子も戻って来てるんでしょ。日香里と三人じゃ狭くない?」
「特にそう思った事はないですね」
「ついにゃーはくっつくの嫌がるけど、集まれば7人でも入れるよ」
「だから、前も言おうと思ったけど、それって万が一に見つかった時の動き取れないでしょ」
そんな事を話しながら神社前まで来ると、新たな影が社から彼女達へ駆けて来る。
「こんばんわーっ!」
一人、白く浮かび上がる10歳位の女児。
服の模様で、もみじではなくぽぷらだと分かる。
「あれー、みんな来てるのー?」
「4人で来てます、なの姉起こさないで、みんなでそばで見てるんです」
ぽぷらは花紀にそう答えると、「こっちこっち」と声を張り上げながら、神社の裏へと駆けて行った。
あの子も初めて会った頃と、何も変わっていない。
そんな事を思いながら、津衣菜も駆け足で彼女を追う。
「やーん!」
「す、すみません、ぽぷらちゃんも津衣菜さんも……ちょっと待って下さい」
慌てた声で花紀と美也が後をついて来る。
神社の裏の斜面を十メートルばかり登った所。
木の根っこが地面を這い、盛り上がった洞を作っている一画。
そこに背中を預け、腰を下ろす様にして梨乃は眠っていた。
全身の右半分以上が、月明かりに照らされている。
その周囲に、向伏に残っていた子供のフロートが三人ばかり、梨乃に距離を置いて座っていた。
その中にはもみじもいて、ぽぷらは彼女の隣へ戻る。
数人の子供達は時々喋りながらも、特に騒ぐ事もなく彼女を見守っていた。
向伏に戻ってしばらくしてから、今までずっと彼女はこんな状態だという。
津衣菜もそれは、あらかじめ受けていた連絡で知っていた。
『勿論、まず、子供達の前で土下座はさせた』と鏡子は言っていた。
「それで片付く話なの」
津衣菜の問いに鏡子は、蔑む視線で答える。
「んな訳ねえだろ馬鹿。だけど、まずやってもらわねえと。あいつもそれで文句はねえ様だったし」
「だけどもし、その子が深く傷ついてたら、なしのんは謝るよりも、あまり顔合わせない方がいいと思うの」
そう言う花紀の方が、ある意味、鏡子よりも梨乃に辛辣だったかもしれない。
「うん、まあ、それもあるかもしんねえけどよ」
その鏡子も、今夜は山を降りている。
日香里も美也も、というか向伏に残っているフロートの多くが、以前よりかなり忙しくなったみたいだった。
それは織子山にいる遥や津衣菜にしても、千尋や花紀にしても同じだったが。
謝罪の後すぐ、梨乃は山に来てここで眠りに就いた。
自分で自分を謹慎させているとも言える。
一人二人と子供達は彼女の元へ遊びに来るようになっていた。
勿論、全員ではない。
怖れて近寄らないままの子もいる。
あの日梨乃に暴行を受けた子供達は、一人を除いてここへ来ていなかった。
その一人は、今梨乃の近くにいて、無言でじっと彼女を見つめている。
許しているのか許していないのかも、その表情からはうかがえない。
梨乃を元通りに受け入れる。
向伏のフロートコミュニティで、それが満場一致で賛成された筈もなかった。
大部分のフロートにとって、都市移動の方がずっと重大なので『そんなものもうどうでもいい』という空気だった。
動いていたフロートは織子山に集中し、向伏でも佐久川でも大勢はそんな感じだったという。
それに乗っかる形で通し、僅かにいた強硬な反対派は黙殺したという。
「彼らの不安も正しいけどね」
反対派の懸念も『罪を許す・許さない』という精神論ではなく、彼女がああなった理由も、そこから戻った理由もいまだ不明なままだという点に掛るものだった。
そもそも、最初に向伏にやって来た時点で、彼女がああだった理由さえも不明なのだ。
「世界と関わり直す為に言葉を捨てた……それだって、あの子が一人でそう後付けしただけなんだ。あの子には悪いけど、多分、そういうものと全く関係のない、物理的な要因だ」
遥はそんな身も蓋もない事を淡々と言っていた。
「何せ、フロートの脳が何で動いているのか、いまだ分かってない位なんだから」
そこまで言いながら、『それでも大丈夫だと思う』というのが遥の結論だった。
「つまり、いつまた同じ事が起きてもおかしくない……だけど、あの子は別に人格が幾つもある訳じゃない。あの子は頭がバグってどこからやり直しても、きっと同じ所へやって来る」
「その度、けが人や死人出てたらたまんないんだけど」
「そんなもん私らの知ったこっちゃない。ここは死者の国だ」
「問題発言。人を殺さないルールはどうすんの」
「外って決定した。『向伏のフロートとして、生者を攻撃して殺した』案件じゃないから」
全員に許してもらえるまでここにいる。
梨乃はそう言ったという。
それがいつになるのかは、定かではない。
「あれ? ね、ねっ……」
梨乃の傍らまで来ていた花紀が津衣菜と美也、近くにいた子供の一人を手招きで呼ぶ。
三人が集まると、花紀は梨乃の顔の影になっていた所を指差す。
そこに黒くて大きめの何かがひっついていた。
津衣菜は目を凝らして呟く。
「蝉……?」
「何せみかな? 茶色いねえ」
「アブラゼミじゃないですか、目覚ましにも入れてる」
美也の答えに、花紀ははっとした表情を浮かべる。
「あーっ、これがあのアブラゼミ?」
「今まで知らなかったの?」
「えへへ……色と名前が一致してなかったの……」
津衣菜の問いで気まずげに笑う。
そして何気なく梨乃の頬へ手を伸ばす。
「でもずっと鳴いてないですね……梨乃さんが起きていないって事は」
美也に言われるまで、津衣菜もそれは考えていなかった。
さすがにこの時間まで鳴いている蝉は、山の中にもいないみたいだった。
梨乃に止まった蝉も、彼女と一緒に寝ているのかもしれない。
――じじっ
「あっ」
蝉は短く羽音を立て、梨乃は薄く眼を開いた。
音だけで察したのか、彼女が左手の指を頬に伸ばし触れようとすると、再びじいっと羽根を鳴らして蝉は樹上へと飛び去ってしまった。
「あ、あーあ……」
「……」
「えへへ、おめざめだねっ」
間抜けな声を上げて蝉を見送った花紀を、梨乃はぼんやりと見つめている。
その視線に気付いた花紀は、気まずげに笑いながら挨拶する。
「早い」
そう答えて、梨乃は微笑んだまま再び目を閉じる。
「え……なしのん、なしのん?」
「二度寝……か」
「私も、フロートの二度寝なんて初めて見ました」
じじじじじじじじ
驚いて梨乃を揺さぶっている花紀と、少し呆れながら見守っている津衣菜と美也の頭上で、さっきの蝉が一匹だけ、長いストロークでずっと鳴いていた。
ぱきっ
「え?」
神社へ戻ろうとした津衣菜の足元で、何かが鳴った。
その辺りの地面を指で探ると、落葉や泥と違う青いプラスチックが現れた。
「どうしたの?」
「いや、これ……」
それは数センチの薄いケースで、蓋を開くとやはりしみ込んだ泥で汚れた黒い物体が収納されていた。
「USBメモリーじゃないですか?」
津衣菜が拾い上げた泥まみれのそれを、花紀と美也も見る。
何か、嫌な事を思い出しそうになる。
「ここに落ちてたって事は……ここの子のかな? みんな通ってるけど、なしのんの」
津衣菜は完全にその記憶を思い出した。
「え、ついにゃー、何するの?」
津衣菜は無言のまま、ケースを振りかぶって遠くへ投げ捨てようとしていた。
その手首を背後からおもむろに掴まれる。
「――――え?」
「なしのん!?」
花紀の声に津衣菜は狼狽した顔を浮かべ、ゆっくりと身体を捻る。
視線の先に彼女の手を掴んだままの梨乃が立っていた。
「すべきはない捨て投げる山に物のしない分解、これが例えるならばのそれ」
「そ、そうだよねえ……ダメだよついにゃ」
諭す様に言いながら、梨乃は津衣菜の手からケースを取り上げる。
蓋を開けて中のUSBメモリーを摘み上げると、それを一瞬で粉々に潰した。
「―――あっ!」
今度は津衣菜も花紀も、美也も驚きの声を上げた。
梨乃は構わずケースに潰したメモリーを入れると、津衣菜に返して言った。
「しげん」
「う……うん……資源ごみね」
「どこか出せる所探しておきますね」
「山を汚しちゃダメだよね。多分ひーちゃんも怒るよね……」
「うん」
三人の反応に満足そうに頷くと、梨乃はもそもそと猫背のまま、木の根元へ戻って行った。
9月6日
一部記述を修正しました。
日数的に、まだ蝉の鳴き止む時期じゃないというか、これからって頃だったなと。
この先、作者や読み手の時間と物語内の時間とは、どんどんずれて行く事になると思います。




