140日目
140日目
「むかしむかし……その場所に住んでいたのはさんの爺とさんの婆で……その場所とはどこかのある所」
車内は半ば恒例の「なしのん昔話」で盛り上がっていた。
梨乃に本を音読させると、普通の文章でも彼女の文法に変換されてしまうのを発見してからの、子供達の人気イベントの一つとなっていた。
読まされる本は、有名な昔話や童話ばかりで、種類も多くなく同じ本を繰り返し読む事が殆どだった。
「なしのん、次はこれ読んで」
そう言って一人の男の子が自分の本を見せる。
「ちょっと、またいやらしいのや下品なのじゃないでしょうね」
女の子の咎める声に、男の子は口を尖らせて言い返す。
「違うよ、塚の鬼婆だよ。ちょうどいま近く通ってるし、ぴったりだろ」
「そう言えば、その鬼婆って、発現者だったのかな……何となくそんな感じするじゃん」
「はあ? そんな時代にフロートいるかよ、数年以上前にはいなかったんだぞ」
「大昔にいたかもしれないだろ、今みたいに突然出て来て……いなくなった」
「――そう言えば、そんな説もあったなあ。フロートの出現は、色んな時代で繰り返しているって」
運転席の男性フロートが、子供達の話に乗ってそんな一言を向けた。
「ほら見ろ、大人だってそんな話してんじゃんか」
「おっ、読むぞ読むぞ、大人しく聞けよ」
「むかしむかし……その場所の安達ヶ原と呼ばれるに住んでいたのは、鬼婆が言われている事はその襲ったのを旅人で取るのを生き肝。鬼婆のその髪は白く、逆立つのはぼうぼうと、その目はさせるは光るがぎらぎらと、そしてその砥ぐは包丁を夜中に」
梨乃の昔話の語り口は、普段の話し言葉ほどに変質していない様にも聞こえた。
古い、民話や言い伝えの言葉は、少し梨乃の言葉に近いのかもしれない。
もっと近いのは、外国語の古い翻訳だと言われてもいたが。
計画避難も今日で三往復目、のべ二十人近い子供達を移動した事になる。
市内で子供のフロートを集め、車まで移動する誘導も今まで安全に進んでいる。
当然、この動きはフロート狩りや対策部の目にも入っている筈だが、周辺に敷いた警戒網のせいか何事も起きていない。
市内でこちらを狙っていた動きは何度もあったが、全て潰されたと連絡は届いている。
避難先の新しい拠点で子供達をサポートする、大人のフロートの配置も、今の所順調だ。
あと一週間、後半にはもみじとぽぷらや稲荷神社組など、活発で大人顔負けな子供グループが移動する。
彼らが避難した所で、全ての子供達が向こうの住人となり、計画は一段落となる。
車内の空気は、計画が平和に進み続けている事から、緊張もかなり解けて来ていた。
だけど、彼らは――彼らのみならず、津衣菜など警備していたフロート達も、全ての指揮をとっていた遥もだが、一つ大きな間違いを犯していた。
彼らが襲撃やトラブルを警戒していたのは、ずっと『車に乗り込む前』と『車から降りた後』の二点だけ。
『車の移動中に襲われる』という事は、全く想定していなかった。
「あれ? こんな所で工事中かい……こんな夜中に?」
角を曲がろうとしていた運転手が、少し不安げな声で呟く。
細い道の先で工事用の2トントラックが止まっていて、道の入口には『通行止め』看板や三角コーンまで置いてある。
作業員の姿はないが、トラックの運転席にはヘルメットを被った男の姿が見えた。
「まあ、夜中しか出来ない工事もあるだろうけどね……迂回看板はもう少し前で出しといてくんないかな」
運転手はそう呟きながら、車を少し先へ進めて停車する。
直進方向も行き止まりだったので、ミニバスはゆっくりと来た方向を、十字路があった付近までバックさせようとした。
「……え?」
バックミラーに、十字路からこちらへ入って来る白のハイエースが見えた。
間が悪く――ではない様な気が、運転手と梨乃はしていた。
バスとハイエースの中間付近にあった道沿いの車庫から、数人の男女がわらわらと出て来る。
彼らは無言で薄笑いを浮かべながら、ハイエースと共にミニバスへ近付いて来る。
車内のフロート達は、後ろに気を取られていて、横に気付くのが遅れた。
急発進したトラックが、看板もコーンも吹き飛ばしながら、角まで戻って来ていたミニバスの側面に正面から衝突する。
「昨日ないし今日に、こちらへ来られると思いましたので、お待ちしておりました……むしろ、結構遅かったのでは」
「色々と諸事滞っておりまして……」
通路の先にはグレースーツ姿の女性が薄く笑みを浮かべて立っている。
そして、彼女の後ろには機動服姿の対策部局員が複数。
3人ほどのフロートを連れた遥は苦笑しながら、ここで彼女達を待ち伏せていた森椎菜の挨拶に返答する。
全体的にカビ臭いこの建物は、一年近く前に閉鎖された県の旧資料館だった。
「ここは部局にとって、色々と使い勝手が良く、一部お借りして資料や備品収納も行なっていた様ですが……アンプルの開発データや『F酵素』生成の資料まで置いていたなんて、私も最近知ったんですよ」
椎菜はにこやかな表情を崩さず、遥に尋ねる。
「ですが、こんな夜中に忍び込んで、資料だけを手に入れてどうしようと? まさか自力で生成調合されるおつもりですか? 確かに殆どがコンピューターと専門の機器で行なっていますから、それらさえ手に入れば……と思われたのでしょうが、お考えになっている以上に手作業が必要なんですよ? 重さもビーカー内の液体の粘度も感じられないお身体では、ちょっと難しいのではないかと」
「なるほど、では手作業の出来る方にも来て頂くとしましょう」
遥は表情も変えず、軽くそう答えた。
「身柄を拉致して強制的に協力させるのですか? 何らかの脅迫によってですか? 騙すのですか?」
「シビアな状況なので、森先生でもそこは企業秘密と……それで、何のご用だったのでしょう?」
「津衣菜を渡しなさい、契里遥」
笑顔のまま椎菜は遥へ通告した。
「娘さんをお返しするに、やぶさかではないのですが……本人が戻りたくないと言っている以上、同胞である彼女の意を最優先に汲むのが、私どもの役目でありますので」
「ふざけるな、親が子供を返せと言っているんだ。死人どもの理屈など通じるか」
遥の返答に、一瞬で椎菜の表情が変わる。
言葉には怒りが満ちているが、真っ青な無表情、まるでフロートになりたての頃の津衣菜みたいだと遥は少し思った。
「それが先生の本音でしたか。想定内ではありますが、少しだけ残念です」
遥の言葉に椎菜は、少し苛立ったように顔をしかめる。
それでも表情は変えず、さっきよりも抑揚のない事務的な声で遥に語りかける。
「誤解しないでほしい。私はこの県最後のリベラルとして与党に抵抗し、あなた達の私達と同じ尊厳と権利についても、最後まで戦っていきたいと思っています」
ここで言葉を切り、少し語気を強めた。
「ですが、私個人の母親としての権利も主張します……そして、あなた方が、個々の尊重すべき権利や尊厳について十分な配慮をしているとは思えません」
「貴女の娘さんに――津衣菜に対しても、と言いたいのですか」
「ご理解いただけたようですね」
「恐らくはそうでしょうね……こちらも、基本的人権もへったくれもない世界ですから……では、あなたなら彼女にそれらを与えられると?」
「当然でしょう。私はあの子の母親なんですから」
「お言葉ですが、十分な回答に聞こえませんね……親の元で、この生者の社会の元で、それらを与えられなかった子供達が、この市だけで何人いるとお思いで?」
椎菜の顔が微妙に引きつる。
動揺をそれ程露わにしない精神力には内心感服しながらも、遥は煽りの言葉を続ける。
「それ程、この地方で権利と尊厳の為に権力と戦うお方が、どうして西高問題には沈黙していたのです?」
「西高問題……」
「専門外なのは承知しておりますが、彼女を自殺に追い込んだ程の問題なのに、『この県最後のリベラル』がその程度の関心なんですか」
「津衣菜が生きている可能性はまだ……」
「彼女はもう死者ですよ。それに、今そんな話をしているのではありませんが」
遥は一歩踏み出しながら言う。
「もう一度言いますけど、我々はやぶさかではないんですよ……でも、先生がそんなだから、こちらとしても素直な返答が出来かねているのです」
「行かせると……思っているのですか」
絞り出す様な声で椎菜が言うと、その後ろの局員達も遥達を見据えて身構える。
「あなた達の状況に変わりはないんですよ……自分達だけで切り抜けられると思ってるのですか」
「無理かも知れませんね……では一緒に滅びるとしますか」
遥はそう言いながら、掌を顔の横でひらひらと振る。
「臭いに、気付きませんか? 私達には嗅覚はありませんが」
鼻をひくつかせた椎菜より先に、局員達がざわめきだした。
「これは!」
「プロパンガスだ! 先生、まずいです。退避を!」
「一体どこから……」
「ここにない筈のガスボンベがある以上、どこで火が点くかも分かりませんね」
「この臭い……こんな濃度で点火したら、あなた達だって――」
「お察しの通り、余裕がないんですよ。立ち止まる位なら、ここで終わってしまってもいいと思える位に」
椎菜の驚いた様な声に、遥は微笑んで答えた。
「私はあの日、山陰の波間で死んでいるのですから」
「あなたは――」
「先生にお話するのは初めてでしたね、そう言えば」
局員達に半ば無理やり追い立てられる様にして退避する椎菜を見送り、遥たちは踵を返して通路の反対側へとゆっくり消えて行った。
通報によって駆けつけたガス会社の点検で、都市ガスのボンベは建物のどこにも見当たらず、どうもガスの臭いの成分だけを通路付近に撒いただけらしいと判明したのは、椎菜達が一旦旧資料館を出て二時間以上後の事だった。
遥たちの姿はどこにもなく、いつの間にかアンプルや酵素に関する資料も持ち去られていた。
津衣菜達が現地に到着し、潰れたミニバスが警察の検証を受けているのを発見したのは朝方、日もかなり高くなってからだった。
遥が何かトラブルに巻き込まれたとかで、梨乃と子供達が襲われた事について、情報の伝達がかなり遅れてしまったのだ。
運転手の男性はかなり負傷し、皮膚も数か所焼け、肋骨も何本か折れ、右肩も折れたという。
不幸中の幸いは、襲って来たフロート狩りは、燃える運転席の中で突っ伏していた彼をそのまま放置して行ったという事だ。
工事用のトラックは近くの現場から盗まれたものだった。
フロート狩りは全員でハイエースに乗り込み、梨乃と子供達を執拗に追って行ったという。
山と山の間にある様な町だった。子供達とそれを追うフロート狩りは、くねった県道を伝って山の中へと進んで行ったらしい。
かなり広い杉林と、その奥に幅70メートル程の沼があるというのが分かった。
子供達の一人と、SNSでのコンタクトに成功した。杉林の中が圏外で、逃げ切ってようやく連絡が取れる所まで来たのだという。
子供からのメッセージを見ながら更に1時間山中を探索し、杉林入口付近の遊歩道の小屋に二人の子供がいるのを発見した。
更に4人の子供が、200メートル奥の木の根元の窪みに隠れていた。
梨乃の姿だけがなかった。
子供の一人が、泣き過ぎて衰弱しきった声で報告する。
「なしのんが……なしのお姉ちゃんが……おれらを逃がしてかわりに……たすけなきゃ早く……助けなきゃ!」
「落ち着いて……何があったの?」
子供達の話では、梨乃は彼らを連れて町から山へ、そして杉林の中へとひたすら走って来た。
追手を撒けるほどの建物がなかったので、ずっと敵の視界の中だった。
車で追えない畑へ入ったので、連中もハイエースから降りなければならなかった。
車はどこかへ行ったが、数人のフロート狩りは走って梨乃達を追って来た。
畑から杉林の中へ、斜面も凹凸もある中を1キロ近く走ったが、生者の筈のフロート狩りも殆どペースを落とさず追って来た。
今までのフロート狩りにはなかったほどの執拗さと体力だった。
子供達はそう言うが、津衣菜は天津山でその位のフロート狩りを何人か見ている。
沼の手前まで来た時、子供の一人が連中の投げた槍の様なものに刺さって倒れた。
「痛みは感じなかったのにすごい衝撃があって……怖かった。怖くて、力も出なくて立てないでいたんだ。そしてあいつらが追いついて来て……僕を引きずってこうとしたんだ……そしたら……なしのんが」
子供を捕まえたフロート狩りは、『溺れたゾンビがどうなるか見た事ないだろう』などと話していたという。
沼へ子供を放り込もうとしていたのだと、誰の目にも明らかだった。
先頭を走っていた梨乃は、すぐさま引き返して飛びかかっていた。
フロート狩りと掴み合いになりながら子供を取り上げ、ギリギリ近くまで駆け寄って来ていた子供に託すと、子供を追おうとしたフロート狩りの前で再びディフェンスを取った。
「女だぜ……ゾンビのくせにいい身体もしてやがる……こいつでいいぜ、なあ、お前らも良いだろう?」
男の一人が声高に、そんな下卑た声を上げて笑うのが聞こえた。
「溺れたら動けなくなるかな」
「しぶとく動いてたらまた解剖すりゃいいだろ」
「活動停止する前によ、また……いいかな?」
「やめろよ、今日は女子もいるんだ」
「構わねえだろ」
引きずられて行く梨乃に駆け寄ろうとする子供もいたが、子供同士でそれを止めて何とか杉林の中を逃げ切って来たのだ。
それが数時間前の事。
梨乃がまだここへ戻って来ていないという事は、彼女の無事は絶望的だと思う他ない。
一緒に来ていた他のフロート達も、顔を伏せている。
「……そして、バスには対策部らしいのももう来ている」
「うん」
「だけど……警察が帰らないんだ。そして、カメラ持って腕章した連中が、何人か普通に入って撮ってる」
「そっか……それは、今日のニュースに出るかもね」
電話の向こうで津衣菜の報告を受けた遥は答える。
「それで、沼の方へは今から行ってみる」
「多分もういないと思うけど……奴らが残ってたら危険だから、十分気を付けて」
「うん」
遥も津衣菜も、梨乃の安否については触れなかった。
ごぼごぼごぼ
水が鳴っている
耳も鳴っている
苦しい
苦しくて
耳が鳴って
うるさい
うるせえうるせえうるせえうるせえ
何だ何だ何だ何だ何だ
光が遠く揺れている、沈んで行く沈んで行く、黒く黒く黒い
苦しい苦しい苦しくない
感じない感じない重くて黒い
これが死 わたしの 死
耳が鳴っている まだ鳴っている
鳴鳴鳴鳴鳴鳴鳴鳴
鳴鳴鳴鳴鳴鳴鳴鳴
うるさいうるさいうるさいうるさい
ごぼごぼごぼ
水が鳴って水が鳴って泡立って
耳が鳴って耳が鳴って
うるさくって仕方がない
光が近付いて来る
私の死んだ目に 止まった心臓に 水の詰まった肺に
死者の耳が鳴り続けている
ああこれは 蝉の声だ
アブラゼミがずっと鳴いていた
私が死んだ日から
「よお、浮いて来ねえな」
「そりゃ、死体だからじゃないか……まあいっちょ上がりって事で」
子供をかばって一人でフロート狩り数人に組みかかった梨乃だったが、すぐに袋叩きにされた。
金属バットで滅茶苦茶に殴られた後、目の前の沼に放り込まれ、さらに長い棒で数人がかりで沈められる。
呼吸もしないフロートの身体は、生者よりも容易く水に沈んだかと思えば、泡も出さずに水面から掻き消えてしまった。
「いやいや、ふざけんなよ。だから言ったじゃねえか。紐付けとけってよお!」
「そうだね、これで終わりってつまんない」
「動かなくなったら、溺死したゾンビってどんなのか、調べなきゃなんなかったんだぞ」
「誰かに頼まれてたのか」
「俺が見たかったんだよ! 女の水死体なんてそれだけで価値あんのに、ゾンビなんて尚更レアじゃねえか」
「こいつ、何かマジで嫌……アーマゲからのゲストってこんなんばっかなの?」
「まあ、ゾンビ相手なんだからそこは目を……って、あれ?」
一番近く沼の水際にいたフロート狩りの男。
そのズボンの裾を、水中から伸びた手が掴んでいる。
「あ、ゾン――ぎゃああああああああ!」
言葉途中で、男は悲鳴を上げた。
男の足にもう一本の手が何かを突き立てている。
「うるせえんだよ」
水中から大きな塊の様なものが、波しぶきを立てて飛び出し、男に覆い被さった。
手の離れた男の膝には、黒いバタフライナイフの柄が揃って伸びていた。
「刺すもんが足んねえ、それも貸せよ」
男の持っていた先の尖った鉄棒が無理矢理手からもぎ取られ、腹に深く突き立てられた。
「が――――」
「ぎゃあああああああっ!」
高い声で絶叫したのは、刺された本人じゃなく、近くにいた女の方だった。
「いちいちうるせえな……胃袋なんか刺したって死にはしねえよ……すぐには」
全身ずぶ濡れの梨乃は、今度は叫び続ける女の髪を掴んで、血塗れの男の上へ転がす。
近くに落ちていたバットを掴んで、何度も女の肩や背中へと降り降ろした。
「がっ……ぐげ……ぎゃ」
「や、やめろっ」
「ふふ、静かになった――」
梨乃の背中へ鉄パイプを叩きつける男。
全く反応がない事で、男の表情からは戦意が急速に抜け落ちて行く。
「痛くねえよ――」
梨乃は、男の顔面へもバットを叩きつける。
悲鳴も上げずに、その顔面はぐちゃぐちゃに崩れた。
「ひ……やめ……ごめ……なさ……痛い……いた…い」
「私は痛くないって言ってんだろ――なあ、私さっきから全然痛み感じないし、道具持ってる感触もねえんだけど、どうなってんの、これえ?」
「て……てめえがゾンビだからだろうがあ!」
背後の声に梨乃が振り向くと、最後の一人となった男がアーミーナイフを握っている。
「いいの持ってんじゃねーか……よこせよ、刺すものがもうなくてよ……」
答える代わりに振りまわして切りつけて来る男。
「つうのは嘘だけどお」
梨乃が手を一閃すると、男の手首から肘にかけてぱっくりと裂けていた。
その手にもう一本ブラックバタフライナイフ。
「あはははははは、はははははははは!」
腕から血を噴き出した男の頭を掴んで、近くの岩へ叩きつける。
何度も、何度も、何度も何度も何度も。
「ゾンビって……マジかもな。私、呼吸もしてねえし、心臓も動いてねえ、死んでんのか」
梨乃の問いに男は答えない――もう答えられる状態ではない。
「お前は生きてんのか、こんなにグチャグチャなのによ……くくく、どっちがゾンビだか分かりやしねえ……なあ、どっちがゾンビに見える?」
梨乃は、近くに転がっていた血まみれの男女に答える。
「誰に手出したか分かってんのか? 私が誰だと思ってんの? なあおい」
返って来たのが呻き声だけだったのに不満を感じたのか、一旦彼らを数度力いっぱい踏みつけてから、再び腕を切られた男へ戻る。
「おい、答えろよ。私は死んだのか。ここはどこだよ、さっきの沼じゃねえよなあ? お前ら、ミサキの凶蘭上等の仲間か?」
沼のほとりに立っていた案内板を見て、梨乃は顔をしかめる。
「……南向伏? 隣の県じゃねえか……何で、私がそんな所にいるんだ? 一体、何が起きたんだ?」
転がっている男を蹴り上げると、カエルを踏み潰した様な声を上げて嘔吐した。
「ゲロってんじゃねえよ――答えろつってんだろうがあ!」
「……何だ、これ?」
津衣菜は呟いた。
一緒に来ていた他のフロート達も、子供達も、その問いに答える者はいない。
梨乃が引きずられて行った沼のほとり、辺り数メートル四方が血と汚物に染まっていた。
その片隅、松の木の根元に赤い何かが転がっている。
近付いて見ると、それは丸められた男女数人分の衣服だった。
フロート狩りの姿も、梨乃の姿もそこにはなかった。




