125日目(5)
125日目(5)
午前4時過ぎ。
3時半ごろに第4ゲームが予定よりおよそ50分遅れで始まり、モニターに各チームの出走の様子が映し出された。
それから一時間近く、正面のエントランスロビーに運び込んだ大型の液晶画面で、廃墟探索の学生達は津衣菜達と並んでそれを見ていた。
十数名の生者達は、度重なる廃墟内のアクシデントで服が埃っぽく汚れ、顔も一様に疲れや緊張で強張っていた。
しかし、和気藹々とした出だしで始まったゲームの光景に、今は多少平和の戻った顔で談笑している。
最初に救出した学生同様、彼ら全員に、フロート達は自分達を『地元のアウトドアゲームサークル』と説明していた。
「いやー、面白い事考えましたね。ただ回るんじゃなくて、カードを探すんですか……」
「勿論、怖がっていては出来ないけど、直接霊とかにちょっかい掛ける事もない。今更ながら、凄い発想です」
そんな風に、ゲームの内容に関心する学生へ、津衣菜は普通な感じの、接客口調で、簡単に答える。
「まあ、ある程度決まった所へですけどね。置き場所を本当に『何でもあり』にしちゃうと、探しようもなくなりますから」
「でも……それならカードが大きい方よくない? 今聞いた話じゃ、何か、普通のトランプ使ってるみたいだったけど」
津衣菜よりも一回り年上っぽい、女子学生の一人が思い付いた様に津衣菜へ尋ねると、彼女の下から反論が返って来た。
「わかってねーな。このくらいじゃないと、さがしがいないんだよ」
「ホテル中走り回って、小さいカードを拾うってのも、このゲームの醍醐味みたいなものですからね。用意しようと思えばB5のパウチみたいなカードでも用意出来ましたけど」
「え……そうかな……っていうか、ええ? その……」
「どうしました?」
女子学生は、答えの内容よりも、最初の返事が聞こえて来た方角に顔をしかめて注視する。
そこにどう見ても10歳前後の子供が立って、小馬鹿にした顔で彼女を見上げていた。
あんな子供がこんな場所にいる筈がない。
そして、今、その暗がりには誰もいなかった。
まるで、一瞬で現れて、一瞬で消えたみたいだった。
「――いえ」
答えだって、よく考えればおかしかった。
こんな暗い廃墟の中で、あんな小さなトランプカードを探すのが、『探し甲斐』や『醍醐味』なんて言葉に収まるレベルの難易度だろうか。
さっき一人落ちて大怪我しかけた5階の廊下ほどではないにしても、他の所だって僅かな光で走ったりすれば結構危なく見える。
「え――ええええっ!? ちょ、おい、何やってんだあいつら!」
別の学生が、間抜けな程張り上げた声に、女子学生も、他の学生もモニター画面に集まる。
「え、何―――うそ……馬鹿じゃないの?」
崩れかけた吹き抜けの広間。
バルコニーの一つに立ったが、ロープに結わえた雪子を、力いっぱい天井に向けて投げている所だった。
これは今の第4ゲームじゃなく、確か第1ゲームの時の場面だ。
過去のゲームをダイジェストで流したのだろう。
馬鹿と言えば確かに馬鹿だとは、津衣菜も思った。
放物線を描いて飛んだ雪子は、板の朽ち落ちた天井の梁の一つにロープを引っ掛け、つるべの様に下の階へ降下する。
千尋のロープさばきで、床に激突する事はなく、宙を切りながら瓦礫の一つに乗せられていたカードを拾う。
そのまま、千尋の反対側、下半分がなくなっている階段の途中に待っていた子供達へカードを渡す。
振り子の様に空中で往復してから、次に子供達にキャッチされて階段へ着地する。
「な、何だよ今の……」
雪子が階段に着いたのを見届けると、平気な顔で壁沿いに手すりや梁を伝って飛びながら、彼女達と合流した千尋。
それを目にして学生達の口数は更に減った。
「曲芸、必須なの……このゲームイベントって」
「そう言えばさ、関係あるのかどうか分かんないけど……何か怪我してる奴、多くねえ?」
学生の一人がそう言うと、画面を凝視しながら、他の男女も呟く。
画面の中には、ゲームの成績よりパフォーマンス重視に変更したのか、無駄に扉や残存する家具、瓦礫を蹴散らし、派手なチームワークでカードを仲間同士パスしている信梁班のGチームが映っていた。
匠をはじめとして、ガスマスクやフェイスマスクを被った少年達の手足は、半分近くが義手、義足だった。
「さっきの子も顔に大きな傷が……あと、この人達も……あとさ」
「あと……年齢?」
「そうだよ! あの……ちょっと若い人が多過ぎませんか? 高校生や中学生……小学生までいる様な」
「確かに、大人の人もいるみたいですけど……未成年がこんな所にたくさんって、ちょっとマズくない?」
ダイジェストに稲荷神社組のFチームが現れると、学生達はさらに慌てた声を上げた。
「こんな子供まで――」
「大人もいないし、いや……いてもこれはない」
「いくら何でも危ないだろ」
その常識外の移動速度については、あまり彼らの目に止まらなかった様だ。
「おまえらとおまえらのつれてきたアホより、ぜんぜんあぶなくねえよ」
再び彼らの足回りで声が響いた。
何度も見回して、ようやく腕を組んで立っている累と数人の子供たちの姿を彼らは見つける。
「ぐ……」
確かに、余計なトラブルを起こしていたのは、彼ら側の跳ね返りだったし、今しがた転落事故になったのも彼ら自身だった。
そう言われると返す言葉もなかったが、それでも目の前の子供が、夜の廃墟の中を走り回らせておいていい大きさには見えなかった。
気まずさを押し隠して、学生は子供達へ尋ねる。
「保護者はどこにいるんですか……ちゃんと来てるの? なあ、お父さんとお母さんは一緒じゃないの――」
「はあ、ばかじゃねえの。しらねえよそんなやつら。おれのかぞくはこいつらだ」
「知らないって……ちょっと、何言ってんの。ダメだよ、保護者がいないって……」
「さっきからうるせえな。なんだほごしゃって」
「だから、おれらをほごするやつなんて、どこにもいねえっていってんだよ」
累が後ろを向くと、シャツの裾をまくって彼らに背中を見せた。
その背中は一面が焼けただれ、背骨や肩の辺り、一部が炭化してさえいた。
「な……何だよ……だから」
「ちょっと待って……今のどう見たって、3度の火傷だった」
累に言い返そうとした学生に、女子の一人が震える声で口を挟んだ。
「こんな子供が、あんな広い範囲で深く焦げて、生きていられるものなの……?」
人体について多少知識があったらしいその女子の言葉で、気付いた様に学生達は顔を見合わせ合う。
「なくたってどうにかやってける――あんたらも、試してみるか?」
天井付近から声が響く。
いつの間にか、正面に戻って来ていた重装備のGチームが、わざと学生たちを囲む様に飛び降りて来た。
マスクを外し、顎のない顔半分を見せる少年。
明らかに人工物と分かる掌を、彼らに向けて見せるリーダーの匠。
「こんなの、わたしらには珍しくもないもん」
どこからか現れた、他の――BやE、Iと言ったチームの子供達が学生達の周りに集まって来ていた。
ある子は無表情でじっと見ながら、ある子は薄く嘲笑みを浮かべながら。
その何人かは袖や服の裾をまくって、自分の傷や欠損を彼らに見せつけた。
「な……何だよ、何だよっ!」
一人が顔をひきつらせながら子供達に怒鳴り返した。
彼の背後から、ふいに声が掛けられる。
「僕のは、さすがに無くなりすぎっすかね」
振り返ると、暗闇の中から新たに二人、十代前半の少女が支え合う様にしながら彼へと歩いて来る。
小柄だけどウェーブヘアの凄く美しい少女――その顔には執拗なまでの縫い目が走っている。
その傍らのショートヘアの少女は、服を捲って自分の脇腹を見せた。
「う……うげえっ!?」
彼ではなく、彼の背後にいた女子が嘔吐しかける。
千尋の胴体がどんな状態なのか、脇腹に見えた人工物から誰の目にも容易に予想できた。
背骨も内臓も、元々の筋肉もない――どう考えたって、それで生きている筈がない。
「おかしい……やっぱりおかしいよこいつら! 本当に地元のゲームサークルなの?」
「いや、幽霊じゃないだろ……だって5階にもちゃんと装備して入って来たし、こんなモニターやネット環境だって用意しているんだから……」
「さっきだって、変な動きの奴見たって――」
言いかけた学生の一人は、言葉を途切れさせながら津衣菜を凝視していた。
他の学生――さっきまでは津衣菜と普通にゲーム内容や中継映像について談笑していた――も、彼女を見ると、恐怖に凍りついた顔を浮かべる。
「ああ失礼――たまに固定がずれるんですよ」
本当の所、嘘だった。
自分の首元を、たまにずれる様な甘い固定にした覚えはない。
それでも、故意にコルセットと補強金具を緩めて、津衣菜はあり得ない角度に傾けた首で彼らを見渡し、薄く笑った。
こういう時は陳腐な演出ほど効果的なのだという、以前雪子からも教わった教訓を、津衣菜はここで再確認する。
「ぎゃああああああっ」
「ひ――ひっひひっ」
「何だよ、どうなってんだよおおお」
「いやあっ」
「かかか、勘弁……してくれよ」
「おげええええっ」
固まったまま、悲鳴や嘔吐、届ける先のない苦情を口々に出す学生達。
彼らもただ一つの事だけは、無理にでも理解しなくてはならなくなった様だった。
自分達の周りにいるのが、どんな装備や服や器材を持っていても、生者への憎悪や恨みだけで存在している訳じゃなくても、自分達とは違う死者なのだという事に。
最初の、怪異の半分が何でもなかったと判明しての安堵から来ていた、和気藹々の空気はどこかへ行ってしまった。
「はい、これでゲームセットだね」
そう言いながら花紀が正面ロビーに現れたのは、絶妙過ぎるタイミングだった。
ニコニコ嬉しそうに笑う彼女の背後を見て、学生どころかフロートの一部さえ顔をひきつらせた。
津衣菜も、思わず胸が詰まりそうな不快感を覚える。
4階にの大浴場付近に存在していた『何か』を、恐らく丸ごとこちらに率いて来たらしい花紀は、みんなの視線に頷き返して言う。
「これからは仲良くしたい、よろしくお願いします――って」
低い声で、生者達へ歪んだ首を向けたまま津衣菜は囁いた。
「もう一度言うね。あるんだよ――死者の領域が。踏み込んだらもう戻れない場所が」
ふふふふふふふふふ
くすくすくすくすくすくす
あははははははははは
誰ともなく小声で笑いだし、笑い声の数は次第に増えてロビー内に反響する。
子供達が、稲荷神社の子供達が、千尋と雪子が、もみじもぽぷらも、美也も、匠や信梁の少年達も、ナツキもホテルに住むフロート達も、いまは笑っていた。
はははははははははははは
はははははははははははは
「は……はは……はははは……ひゃああああああああああああああああっ!」
反射的に乾いた声で笑い返した学生の口からは、やがて絶叫が飛び出した。
「わあああああああああっ!」
「待ってくれ――置いてくなよおおっ!」
「早く来いよおおおっ、車まで走れえええええっ!」
ばたばたと雪崩を打って玄関から外へと飛び出していく生者達。
津衣菜が、彼らの出た玄関から外を見ると、日が昇り既に明るくなっていた。
死者達の時間はとっくに終わっていた。
最後の時間に、津衣菜は笑っていなかった。
彼女達の嘲笑に合わせるタイミングを何故か逃してしまった。
笑っていなかったのは津衣菜だけじゃない。
北部地区班やホテル住人でも、大人のフロートは苦笑ぐらいはしていたが、最後の演出には加わっていない。
そして、本心から『新しい仲間』を紹介しに来たつもりの花紀も、この結果には不満だったようだ。
膨れ面で壁の窪みに腰を下ろして、足をぶらぶらさせている。
どこの者か、複数の男女が花紀の周りでなだめている様な気がしたが、見直したら、彼女の周りには『例の気配』以外、誰もいなかった。
津衣菜はあえて気にしない事にした。
その日の昼間、早速、西棟4階付近の天井や床など危険な個所の修理を始めた。
全員でとは言わず、あくまでやる気力の残っている者でだけだが。
修理と言っても、崩れそうな梁や板を外して、貼り直した方が良い場所を確認したり、その他落下の危険のあるものを除いたりという手始めの作業ばかりだった。
そのほか、幾つかの場所を逆に『通行しにくく荒らす』という作業も、行なった。
こちらは修理よりも楽だった。
引き続き『何か』が棲み続けるらしい4階大浴場へも、生者の足では辿り着けない位、そこへのルートの要所を破壊した。
そして、フロートの居住エリアへも、フロートだけが把握する専用のルートを確保して、故意に廊下の床を破壊して行った。
また、ホテルを訪れる者が駐車する自販機エリアにも、禍々しい演出を仕込んで見た。
赤やオレンジの塗料をアスファルトにも土にも撒き、奇怪な薄汚いテープや布をその辺の樹木の枝や自販機、ガードレールや電柱にも張り巡らす。
これで逆に面白がられる恐れもあるという懸念はあったが、夜中、自分達の最後の逃げ場がこんな状態でも面白がれる様な奴は、もう何の演出も無駄だろうという結論に落ち着いた。
「それで、西部地区のおじいちゃんチームが第4ゲームの勝者だったと」
「他の全チームが役なしだった中、スリーカードでね」
「そして、最後はみんな仲良く……ね」
電話の向こう、含みのある声で遥は言った。
「ギクシャクしてたらしい元々のホテル住人と隣県組も、かなりコミュニケーションがスムーズになったって言うし、やっぱり、彼らが向伏と馴染んでくれた感じはする」
「そして、あの辺の仲悪いお子様も」
「累達ともみじ達は……それ程嫌い合ってた訳じゃないだろうけど、前までの角突き合う感じとはやっぱり変わって来た……かな?」
「何で私に聞くよ? あんたが私に報告してくれるんじゃないのかい?」
「いや、やっぱり実際どんなものか分かんないからさ」
少し焦った様な津衣菜の答えに、遥はクククと声を立てて笑う。
「そして、梨乃と例の子は」
「こっちも誤解が解けたみたいだね」
「誤解……ねえ」
「だと思うってだけだ、こっちも本当は分からないからな」
「本当に思ってるのかい」
「え?」
遥は、再び意味を込めた声で津衣菜へ尋ねる。
「あんたは、もう少し知っているんじゃないかと思ったんだけど」
「ていうことは、つまり、あんたもそうやってすっとぼけてる以上には知っているって事か」
「前も言った筈だよ……今のあの子を見れば大体分かるってだけさ。どこかで何かを聞いた訳じゃない」
本当だろうか。
津衣菜にとって、普段の梨乃の姿から、津衣菜の手に入れた情報が『見て分かる』などとは到底思えなかった。
梨乃がそのギャップを『自分で』作っているのか、意図しない『変化』なのかも、津衣菜には分からない。
その辺はこれ以上聞いても、遥が今教えてくれるとは思えなかったので保留する事にした。
「まあ、良いことずくめって事だな……対策部絡みのリスクもなかったし。あえて滅茶苦茶やって見た意味はあった……遥の読み通り」
「でも、津衣菜はあまり盛り上がれなかったんだろ。あと、あれだけ途中ハッスルしていた花紀も」
「私はああいうのが元々苦手だからね。それは分かるだろ?」
ふふっと短く笑い、遥は言った。
「あんたも花紀も、中途半端だからね」
「中途半端……私と花紀が?」
津衣菜は遥のその言葉に少し違和感を感じ、聞き返す。
あの生者への態度が馴染めなかった理由が、そういうものだと考えていなかったのもそうだが、自分はともかく花紀も『中途半端』だというのは何だろうか。
「あの時連帯感に浸れるのは、『本当は生きていたかった』そして『戻れないと認識している』死者だけさ。それに当てはまらないあんたと花紀はどうやったって浮いてしまう」
遥には見えないが、津衣菜は頷く。
「そして北部や西部の大人のフロートと……梨乃も笑ってなかったな」
「おじさん達も色々あるからね……そして梨乃も。だけど、それとも違って、あんたと花紀は『浮き方』も中途半端なんだ」
「それ。それが意味分かんないんだけど」
「その答えも、私から教わりたいかい?」
遥から聞いたらそれがどんな答えでも反発しそうな気がする。
津衣菜の沈黙を察したのか、遥は再び吹き出して笑い、言った。
「自分で見つけた方がいいって分かるのが、あんたの良い所さ。宿題にしとくよ」
第8章はこれで終了です。
幕間として、津衣菜の視点では分からない二つの追加エピソードが入る予定です。
そして第9章より、津衣菜視点以外の場面展開が複数出て来る予定です。




