125日目(3)
125日目(3)
拳銃の音は二度、三度と、複数響いた。
津衣菜の前方、廊下いっぱいに満ちている『気配』に変化は見られない。
津衣菜がそこから踵を返し、東西中央の階段へと向かった時、また一度銃声が聞こえた。
途中の東棟2階で、津衣菜はFチーム、稲荷神社組の子供達と遭遇した。
「ゲームセット10分前だ。そして、この騒ぎで生者の学生は西棟の玄関に戻り始めている――あんたらも、ゲームエリアの規制は聞いたな?」
「おう。ひがしだけで3かいより下だろ? ここはセーフじゃねえか」
「そうだ。残り十分、ここだけでカードを捜すんだ……この後上や西に行くつもりだったら残念だが、元からこういうルールだ」
「おれらはかまわねえけどよ、ほくぶのおっちゃんたちがさいなんだ」
「ひがしの5かいでみたカードそろえて、ふるはうすにするつもりだったのが、だいなしだってよ」
西棟2階で、慌ただしい足音を聞き、津衣菜は素早く柱の陰に隠れる。
学生達が4人組の小集団になって、半ば早足になりながらも、足元を慎重に見て進んでいた。
さっきよりも小さくだけど、また銃声が聞こえた。
「また聞こえるよ、あの音……」
「本当に、銃声じゃないの? 何かそんな感じに聞こえるんだけど……」
「いやいや、いくらこんな廃墟でも、銃はあり得ないって。霊の立てる音で、こんな感じの時があるんだって」
この時間、この場所では、現実の拳銃なんかより幽霊の方が、音の発生源として余程リアリティのある存在らしい。
津衣菜も、滑稽さを感じて声を立てて苦笑したくなる。
「あの人達だよね……どうなったんだろう」
グループの一人の女子が、かなり心配げな声で口にする。
「まず、あいつらより俺達だよ……ここだってかなり変な感じがする」
「止めて下さいよ!」
「あいつら、俺達以上のベテランなのは確かだ。心霊スポットに慣れてて、実際に霊視や除霊のスキルも高いんだろうけど……それでも最低だ。こういう所で一番大切な意識がすっぽり欠けている」
一人の男子が苦々しげに吐いた。
後輩らしい男が、少し呑み込めなさげに聞き返す。
「一番大切な意識……ですか?」
「死者に対する敬意と、互いを尊重する為の距離感だよ。俺達だって、面白半分で来ているさ。それは認める。だけど――だからこそ、死者に最低限の敬意を持っていなくちゃならないだろ、俺達」
「死者の場所と生者の場所の境目だから、幽霊と共存するって事ですか?」
「んん……いいや」
後輩の問いに、男は喉の奥で唸りながら少し考え込み、首を横に振った。
「そういうんじゃない。生者と死者は共存なんて出来ない。だから敬意と距離が必要だってことなんだ」
津衣菜は声を出さない様に気を付けつつ、遠ざかる彼らの背中を思わず凝視していた。
十数分後、ゲームセットの通知で東1階の宴会場に集まった各チームが、手持ちの役を出し合った。
もみじとぽぷら達のAチームは、ダイヤ3、ハート4、スペード5、ダイヤ6、クローバー7のストレート。
Bチームの子供達は、クローバーとダイヤとハートの5でスリーカード。
千尋と雪子達のEチームは、ハートとスペードのJでワンペア。
Fチームの稲荷神社組はクローバーの2、4、8、9、Qでフラッシュ。
フルハウスを狙うも挫折したIチーム、北部地区の大人二人と子供達はスペードとダイヤの2、クローバーとスペードのKでツーペア。
1位がFチーム、2位がAチーム、3位がBチーム、4位がIチーム、5位がEチームという順位が発表された。
優勝が決まった稲荷神社の子供達は、全員はしゃぎもせず、嬉しそうな顔もせず、『当たり前だ』と言いたげな様子で胸を反らしている。
その態度が気に障ったのか、もみじとぽぷらは勿論のこと、他のA、B、E、I各チームの子供達からもブーイングが飛び交って、そっちの方が喧しかった。
『参加チームの所へお祝いに行っていいですか?』
ホテル住人のギャラリーからと思しきそんな質問が、コメントフォームから運営サイドへ飛んで来る。
『それもいいけど……その前にお願いしたい事があります』
ナツキは文字ではなくマイクの音声で、画面の向こうのフロート達へ呼びかけた。
ゲーム実況を一人をこなしていたせいか、いつの間にか、かなり流暢な喋り方になっている。
『第4ゲーム参加予定のフロートが数名、間違って西棟5階の床の危ない辺りへ入り込み、戻って来ません。恐らく戻れなくなっているのではと思われます。このままでは第4ゲームも始められません。生者との遭遇は避けつつ、皆さんはこの周りに集まってもらえませんか?』
東棟と西棟の境目にある中央階段に津衣菜が着いた頃、銃声は聞こえなくなっていた。
内心、津衣菜は安堵を覚える。
生前に本物の銃声なんて聞いた事は一度もなかった。
彼女の聞いた銃声は、全てフロートになってからのものだ。
銃声なんてものにリアリティを感じないという事では、さっきの学生達と大差ない。
だから、あの音への恐怖や嫌悪が染み付いていたりもしない。
積っていた不安の元は、銃声そのものではない。
花紀が銃を撃っているという事だった。
「もしもし――そっちは、どうなの」
今しがた思い出したように、電話で花紀へ尋ねてみる。
「さあひれふしたまえ――あ、もしもし、どしたの?」
今聞こえた言葉が何なのか物凄く気になる。
「だから、あんたがどうしたのって。銃は効果あったの?」
「うーん、どうだろ。やっぱり凄く反応はあったんだよ。それで囲んでたのも解けて、ちゃんと逃げられる様になってるんだけど――」
「けど?」
「やっぱり今度は、花紀おねーさんに怒ってるみたい……ついにゃーは、やっぱり謝った方がいいと思う?」
「いや……分からないけど……常識的には、謝った方がいい様な気もする……」
何の常識か分からないけど、そう答える津衣菜。
「それとね」
「まだあるの」
「あっちの人達が、花紀おねーさんやしのっちに気付いたみたいで、それで自分が狙われてると勘違いしちゃったみたいなの……確かに銃そっちに向いてたんだけど」
「多分、常識的に考えて、それは勘違いとは言わないね」
これは多分、銃を持つ人間の常識でも、銃を持つ人間に遭遇した人間の常識でも、そうだったと思う。
「でも花紀おねーさんは狙ってないよ。助けに来たんだよ」
「銃口向いてた時点で、狙ってると見なされて当然なの」
「そうなのか……それでね、銃向けたまま追いかけてたんだけど」
「何で」
「上の階に逃げようとしてたから……上は危ないんだよね」
「逆に上から何か落としてやれば、足が止まるかなって、しのっちが先回りしたら5階のホールでいいものを見つけたの」
「ああ、待って……今、中継がそっちのカメラ映しているから、何だか分かった……その汚いバラバラのマネキンの山と……手がいっぱいある仏像だね」
5階の広いスペースにマネキンや数体の仏像が転がっていた。
何でそんな物があったのか不明だが、経営者の趣味や何かの陳列用だったらしい。
吹き抜けのバルコニーから、信梁班と花紀は、階段をのぼりかけていた生者達の眼前へそれらを次々投げ落としたのだ。
カメラの位置から、花紀は仏像の頭上にしがみついて生者達を見下ろしている様だった。
そして、突然バラバラのマネキンと千手観音に行く手を阻まれた、自称『除霊の達人』集団は、ひれ伏したりはしてなくて、引き攣った顔のままじりじりと後退しつつあった。
「あー待っ……わわわ」
彼らが一斉にダッシュで、階段を戻り下の階へ消えた時、追いかけようとした花紀は仏像の上でバランスを崩し、そのまま千手観音ごと彼らの背後へダイブしていた。
「わあああああああああっ!?」
「え……ぎゃああああああああああああっ!!!!!」
どがべぎょがしゃっ――ざ―――っ………
凄まじい音がして画面がブラックアウトする。
中継が東棟1階の宴会場に移り、呆然とした表情のナツキが現れた。
「あの……花紀さん、大丈夫なんでしょうか……?」
花紀(と仏像)の転落に巻き込まれただろう、『幽霊退治グループ』の安否は聞かない辺り、彼らへの姿勢は変わらない様だったが。
「うん……分からない……死にはしないんじゃないかな、多分」
「いや、冗談じゃなくて」
ナツキには突っ込まれるが、自分が冗談を言っているのかいないのか、津衣菜にもよく分からなかった。
津衣菜は中央階段を上り、5階のパーティーホールへ来ていた。
床板を剥がされた今となっては、和室だったっぽい宴会場と大して違いが分からなかったが、転がっているテーブルの残骸には、その辺の違いが表れている。
良く見れば、天井に吊るされていたっぽいシャンデリアも、床で埃に埋もれていた。
そのスペースには、ホテル住人のフロートが数名集まっている。
さっきのナツキの呼びかけで東側から移動して来たのだ。
ホール反対側の扉から先、そこがフロートも普段立ち入らない危険エリアになっているらしい。
少女と梨乃が消えてからしばらく経って、その奥でも大きめの物音が響いた――Jチームにいた他のフロートがそう言っていた。
津衣菜は、その扉へ近付く。
ホールの中でさえ、扉近くで、床がぎぎぎと嫌な感じで軋んだ。
扉を開けると、比較的狭い廊下が奥に伸び、その両脇にシングルルームの扉が規則正しく伸びている。
天井は崩れかけ、床は何だかよく分からない物で散らかっている。
そして、フロートの目でも数メートル先の様子を確認出来ない程に暗かった。
この廊下を渡るには、LEDライトを使っても危ないかもしれない。
十分な照明と、ロープや器材が必要に思えた。
奥で聞こえたという物音から、少女か梨乃が床を踏み抜いて床下に落ちたのかもしれない。
そして、あまり大勢で行く事も出来ない。
自分を含めて一人か二人、そう津衣菜は考えた。
ナツキに連絡しようとした時、津衣菜の携帯が鳴った。
着信を確認して、丁度良いタイミングだと思いながら、電話に出る。
「もしもし。爽快なくらいドタバタしとるね。こういうの嫌いじゃないよ」
「一応見てはいたんだな……あんたの希望通りか、これって」
「そうそう、忘れない内に。花紀に、撃った弾は後で全部片付けろって言っておいて」
「まずそれかよ」
「多分今日の一番大事な事だよ? ああいうのは拾われるかもだからね」
電話の向こうの遥は、含みを持たせた言い方で津衣菜に答える。
「で、滅茶苦茶になるって分かってて、こんな生者と死者のチキンレースにOK出した理由は、そろそろ説明してくれるの?」
「フロート狩りでも、一般市民でもない、わざわざ夜の廃墟や心霊スポットに遊びに来る連中ってのが、私らの遊び相手として手頃じゃないかな」
「それは、あいつらを選んだ理由だろ。私が聞いてるのは、その前の話だ」
「人生に大事な事は砂場で学ぶっていうよね」
遥は、また関係あるのかどうかわからない話を、胡散臭い感じで切り出した。
「死後大事なことだって、やっぱり砂場で学べるんじゃないかと思ってみたのさ」
「それで、このチキンレースなのか……これで、私らは、あんたの意図した通りの教訓を学んだと思ってるのか?」
「心外だな。わたしゃ津衣菜にそんな風に思われているのかい」
さほど悲しんでもいなそうな様子で言った後、少し間を置いてゆっくりと遥は続けた。
「私の意図なんて関係ないよ。現実はいつだってあるがままさ、そうだろ?」
「そうとは限らない。多くの人間の手で、あるいはそういうのが得意な奴の手で、現実なんて簡単にねじ曲がる」
「ふふっ」
肯定するでも否定するでも、遥は津衣菜の答えに短く笑った。
「ところで、その手の話はそろそろ後回しにした方がいいんじゃないかい? 私だって今の梨乃の状態は結構心配だよ」
「え、そ、そうか」
津衣菜は少し焦りながら返事をする。
遥の方から、現状の話を求められるとはあまり予想していなかった。
さっき廊下を見て思った事を遥に伝える。
「ナツキさんに聞いてみな。あの辺で作業する為の照明や安全器具は贈ってある。でも、まだ箱を開封してないかもしれないから……少人数でというのは正解だと思うね」
「そうか」
「あと、向こうの状態を確認しないと……もし、梨乃たちで戻れるなら、あんたらは深入りする必要はない、こちらから迎えてやればいい」
「まあそうだろうね。もし戻れなかったら、どこかに嵌っているとか」
「もし、梨乃が自力で戻れない状況なら、あんたらだけでも助け出せないだろうね。その時は、とりあえずゲームは中止で、明日まで待ってもらうしかない」
「梨乃の力を結構高く見てるんだな……そう言えば、あんたは梨乃の死因を知っていたんだっけか」
「何でそう思うんだい」
「梨乃から聞いた……あの子の喋り方がああなった原因を知っているっぽいってね」
「ふうん……別にあの子を知っている訳じゃないさ。あの子の死因は水死。根拠は私自身――これで分かるかい」
「あ……」
津衣菜は、短く声を上げる。
「経験者は語るさ」
「って事は……あんたも」
「以前は、それなりにね――ここまで喋れる前は色々あったよ」
遥は落ち着いた声で、津衣菜の言いかけた言葉に返答した。
「他に、聞きたい事は?」
「いや……別に」
「そうかい」
遥は短く頷くが、すぐに思い出した様に、再び話を振った。
「私らがフロートの生前を詮索しないのはさ、別にプライバシーの尊重とか、個人主義とかだけが理由じゃない」
「ふえ?」
津衣菜は、初めて聞くその話に思わず間抜けな声を立ててしまう。
それ以外の理由があると、考えてみた事もなかった。
「フロートってのはね、誰でも、生前どんな奴だったかは今のそいつに100%出ているからさ。フロートはそれを隠せないし、偽れない。だから、それをきちんと見ればいいだろって事でもあるのさ」
「この人達、ついにゃーに謝りたいって……ついにゃー、さっきお話したんだ?」
再度連絡を取った花紀は、一応無事だった。
両手足も首もきちんとついているらしい。
生者(馬鹿)の集団は一命を取りとめて、そのまま西棟2階の廊下を、玄関方向へと逃げて行った。
仏像は、罰当たりな事に粉々だった――腕の数が3割程度になったらしい。
フロートに仏罰なんて当たるのかどうか、津衣菜は知らないが。
そして、さっきのおバカな顛末も含め、いつもの花紀だったのに津衣菜は安堵した。
トーラスの銃声を聞いて津衣菜が思い出すのは、どうしても、『山での彼女』の笑顔だった。
この子は憎悪や排除の為にそれを使わない。
だから、この子が撃つ銃の音は、苦しい。
津衣菜は時々思う。
どうして花紀が生者の世界にいないのか。
否――どうして生者の世界に花紀がいないのか。
生者の世界にいるのは、やはりこういう奴ら。
生者の世界は、本来花紀にふさわしくても、現実にはあいつらのものでしかない。
ならば。
花紀は、生者の世界でも死者の世界でもなく、このままここにいればいいじゃないか。
私の為に。
「ついにゃー?」
「ん……な、何だい?」
「花紀おねーさんは謝ったのに、ついにゃーは謝らせている。この差は何なのかなあ」
花紀の言う『この人達』とは、勿論、生者(馬鹿)の事ではない。
花紀自身、今しがたまで平身低頭で『彼ら』に謝っていた様だ。
危険を感じたのか、匠も一緒に謝って、ようやく許してもらったばかりだという。
その『彼ら』が、今度は、津衣菜には謝りたいと言っているらしいのだ。
「そう言っても、私は……それと話した覚えなんてないけど」
「さっき上の階に人が行かない様、ついにゃーに頼まれて引き受けた……けど、何人か止められなかったって」
「へ……?」
「なしのんもその時止められなくて事故になってるって、あと生者の学生さんも一人」
「――え?」
どこから反応すればいいのか分からない。
そんな事を『そこにいた誰か』に頼んだ覚えは確かにあったが。
そして、生者の学生が5階にいて巻き込まれている。
そんな話は今初めて聞いたものだった。




