7日目(2)
7日目(2)
他の班員を探して回る花紀と津衣菜の二人。
さっきあんなやり取りがあったにもかかわらず、さほど気まずさを引きずってはいなかった。
花紀はけもの道を歩きつつ、この前ここでフェレットを目撃したんだよとか、言いそびれたけどこの奥に小さな謎の菜園があってきゅうりが植えてあるのとか、そんな話を津衣菜に教えている。
「菜園って……そんな楽しげにする話なの? そこ67に人が出入りしてるって事じゃない。ヤバくないの?」
「えへへ。大丈夫だよー。おじいさんが一人、朝の決まった時間に来るだけ。目が遠いからねえ、会ったらおはようございますって挨拶すれば、ああおはようさんって返してくれるんだよ」
引きずっていないというより、引きずっていない振りをして津衣菜の機嫌を取ろうとしている。
相槌を打ちながらも、津衣菜には花紀の態度がそう見えていた。
「まあでも、フェレットいるんなら見てみたいね。普通の人間と気配が違うから出て来るのかな」
一人目は五分も経たずに見つかった。
山林の斜面にある深い窪みの中で丸まっていた。
雨風を凌げないどころか、人目に隠れてさえいない。
菜園のじいさんとやらがこんなのを見てしまったら、心臓止まってこちらの仲間入りしてしまうんじゃないか。
津衣菜は少し心配になった。
「なしのん、なしのん、朝だー、起きろ―」
これっぽちも朝ではないが。
日もかなり傾いているが。
花紀は丸まっている少女に呼びかけると、スマホを取り出し、音声ファイルの一つ――分かり易くも「なしのん起床用」と名前が付いている――を再生した。
季節外れにも程があるアブラゼミの鳴き声が、窪み周辺限定で響き渡った。
耳元に直に向けられれば、さぞうるさいだろう。
少女は凄く苦しそうに顔をしかめ、何度かうーうー唸った後に薄く瞼を開いた。
なしのん――本当は梨乃という名前らしい――と呼ばれたこの少女は、アブラゼミの鳴き声以外では何があっても起きないという事を、津衣菜も知っていた。
「……早い」
丸まった姿勢のまま水平に身体を起こし、梨乃は言った。
何かを『早い』と言っているのではない。これが彼女の起きた時の挨拶だった。
「おはよっ、なしのん」
「……今の夜の当番が……私と私の人達ね。他の人の皆の……今は起きているか違うの」
「まだだよ。花紀おねーさんとついにゃーが一番乗りで、なしのんが2番手です」
「あるかするか何かの事……待つか場所のいつの時も……足と手の取られる事?」
「大丈夫。いっしょに回ろ?」
花紀が笑顔で言うと、梨乃はこくっと頷いて立ち上がった。
ゆっくりと服に着いた土や落ち葉を払い落す。
彼女は砂っぽい色のつなぎを着ていた。
ボブくらいの長さの髪があちこちで跳ね、長い前髪の下の瞳は、いつもぼんやりした半目。
津衣菜から見ても表情と口数が乏しく、口を開いた時に出てくる言葉は色々と変だった。
生きていた頃からこうなのか、フロート化した時に言語機能に何かあったのか、3か月前に現れた時から彼女はこうだったという。
顔合わせで彼女自身が『なしの』と名乗ったらしい。
所持品にあった学生証で、本名は先岸梨乃と、後から分かったのだという。
「先の曜日のもある事。あの子の人達の身に……恐れがなくなるのがない」
「うんうん、やっぱり心配ですよ」
「彼の人達の賑やかの増し、心に寂しいの減るがあるのでも……本当は良いがない……思うは何があるべきを迷う」
「うん……喜ぶ事じゃないよね……でも、花紀おねーさんはあの子たちの今を見ようと思うんだよ」
花紀と梨乃の会話は続いていた。花紀には彼女の言葉が分かるらしい。
津衣菜にはさっぱり分からなかった。
二人目と三人目は、見つけるのに多少手間取った。
木々の少しまばらになった場所に、古い水路の跡が曲がりくねって伸びていた。
いつの時代のものかも、何に使われていたのかも不明な溝は、びっしりと落ち葉で埋まっている。
周囲の地面と見分けにくい程だった。
微かに凹み、中央で盛り上がる落ち葉のラインを花紀と津衣菜、梨乃は手分けして辿る。
ある一点でその盛り上がりに違和感を感じ、津衣菜は手の合図で花紀を呼ぶ。
花紀はその箇所を見ると笑みを浮かべ、溝の両端1メートル幅くらいで落ち葉の中に両手を入れる。
よっこらせと一声上げると、地面が落ち葉ごと、奥行き2メートル半の長方形に持ち上がった。
滑り落ちた枯葉の下からは、大きなトタン板が現れる。
板に土と枯葉を盛る事で、前後の埋もれた溝とカムフラージュされていたのだ。
板の下には、ぽっかりと溝本来の空間が開いていて、中で二人の少女が黄色っぽいシートにくるまって一列に横たわっていた。
少女の一人が頭上での異変に目を覚まし、おわあっとか叫んで飛び起きた。
トレーニングタイプのパーカーに細いジーンズ、ベリーショートの髪、華奢だけど運動能力の高そうな身体、中性的な顔立ちの少女だった。
津衣菜も最初は、彼女が男か女か判別出来なかった。
「おはよ、ちーちゃん。今日も寝起きからハイテンションですー」
「花紀姉さんがいきなり天井引っぺがすからじゃないすか。一瞬、空が割れる夢とか見ちまったよ」
「それは縁起がいいなあ」
「――いいんすかっ?」
ちーちゃん――西方千尋というこの少女は、花紀を彼女の自称以外で「姉さん」と呼ぶ数少ない班員の一人だった。
14歳で、花紀の一つ下となる。
千尋の足元で寝ていたもう一人がのそのそと起き上がった。
千尋が素早く動き、彼女を支える。
その千尋と年も身長も同じくらいの少女の名前は、創元雪子と言った。
花紀ほどふわついた巻き毛ではないが、腰まで伸びた明るい色の髪。
アンティークドールの様なぱっちり開いた目。モノトーンのドレスと黒いウールマントが似合っていた。
雪子はいつも千尋と一緒にいて――右手と右足がなかった。
そしてその顔には、口の左端から右頬にかけて、そして左目から縦に喉まで、交差する二つの大きな縫い目があった。
生前のではない、それらの縫い目が塞がる日は来ない。
「ゆっきーもおはよう。今日はお出かけなんだよ、準備はいいかな?」
「ばっちりですよ! 僕がっすけど! こう見えて雪は巡回の日楽しみにしてるんすから」
雪子への質問に答えたのは千尋だった。
この二人にはいつもの事なので、花紀も何も言わない。
当の雪子も千尋の答えに満足している様で、はにかみながらこくこくと頷いている。
千尋が雪子の意に沿わない代弁をしたら、彼女は左手で思いっきり千尋の頬を捻るので第三者にもすぐ分かる。
溝の中から折り畳みの車椅子を出すと、千尋は雪子を車椅子まで連れて行きながら気付いた様に言った。
「それにしても、今日は見つけるの早かったっすよね。いつも見つかって起こされるのギリギリだったから、油断してたっすよ」
「ふふふ、今日はね、ついにゃーが見つけたんだよ。ちーちゃんに強敵登場です」
「え? あ……そーすか……」
津衣菜の名が出た途端、千尋の声のトーンが急に下がった。
千尋は津衣菜を一瞥すると視線をそらし、津衣菜の存在も彼女の話もなかったかの様に車椅子を黙って押す。
自分の発言の不本意な結果に花紀は顔を曇らせたが、千尋の背中を見る津衣菜には何の表情もない。
五人に増えた花紀たちは、更に山林の中を登って行く。
残り三人の居場所も大体見当ついていた。
十数分後、彼女達は小さな神社に来ていた。
傍に古びた鳥居があり、そこから細い砂利道がどこかへ伸びている。
社の扉に掛っていた錠前は壊されていた。
花紀が扉を開けると、奥に祭壇が置かれ、壁に木の札が並べて掛けられているだけの板張りのスペースだった。
本来あったものは何も荒らされていなかったが、床の隅に何枚かのシートと毛布が畳まれて重なっている。
人に見つかるリスクは格段に高そうだったが、『その時は突き飛ばして逃げて、また他を探せばいいだけ』というのが、ここを寝床に選んだ者の考え方だった。
しかし、今は見た通り誰もいない。
既に起きてどこかに行った様だった。
「しかし、神社の中にいるのがこいつって、祟りだけは凄くありそうだね」
「ついにゃー、ダメだよ……」
社を後ろから覗き込んだ津衣菜の軽口を、困った様子で花紀は咎めた。
「お前には御利益じゃないの?」
五人の背後から突然聞こえた声に、千尋と梨乃が周囲を見回した。
続いて、花紀と津衣菜が社から顔を離して振り返る。
いつの間にか鳥居の先に三人の少女が並んで立っていた。
彼女達は、花紀の所へ歩いて来る。
「おはようございます。花紀ちゃん、梨乃さん、千尋ちゃん、雪子ちゃん……津衣菜さん」
右側にいた結び髪の少女、式部美也が一人一人へ礼儀正しく挨拶した。
彼女は、津衣菜を見ても目をそらさず、笑顔のままだった。
「班長ごめんなさい。二人とも早起き過ぎちゃって、下のあまり知らない道とか見て回ろうって話になったんです……」
真ん中にいたセミロングの少女、松根日香里が花紀に謝りながら説明した。
5日前の顔合わせで遥に、自殺者と知って津衣菜を連れて来たのか質問したのと同じ声。
彼女は足が折れてはいない様だったが上手く動かせず、杖をついて引きずる様に歩いていた。
少し前までの津衣菜と似た感じだが、彼女はフロートになってかなり経つという。
日香里も、津衣菜をさりげなく無視しながら輪の中に入った。
そんな日香里に、花紀だけでなく美也も一瞬不安げな視線を向ける。
その視線は最後の一人に移った。
左端にいた少女は、最初からずっと津衣菜を見据えていた。
長く癖のない黒髪は津衣菜と同じだったが、ポニーテールでかなり上げている津衣菜と違い、背中までストレートに下ろし、斜めに流した前髪から額を見せている。
その下の眉と目は鋭く、大人びた端正な顔立ちに尖った気配を湛えていた。
「何だよ、今日もまだ死んでないのかよ。早く死ねよ」
黒髪の少女はさっき背後から聞こえたのと同じ声で、嘲笑を津衣菜へ投げた。
グレーのチェスターコート姿の彼女の首には、津衣菜と同じく、大きく巻き付けたマフラーの下からコルセットが覗いていた。
現れた時と同様、暗がりの中の気配は一人、また一人と消えて行く。
倉庫のランプウェイは、本来の深夜の状態を取り戻しつつあった。
「私らも行くよ。フロートの集合は、神出鬼没が基本さ」
遥はそう言うと踵を返し、早足でスロープを降りて行く。
慌てて津衣菜は闇の中、彼女を追う。
気付けば、もみじとぽぷらの姿はない。
子供達のグループに合流して一緒に帰ったのだと、後で聞かされた。
代わりに今度は花紀がついて来ている。
「津衣菜、一つだけ聞いとくよ。家には帰らないんだね?」
「帰れないし帰らない……聞く事は、それだけか?」
「うん。仲間になるとかならないとか、その先の事はその先に考えればいい」
三人のランプを降りる速度は次第に増して行き、普通の人間の全力疾走なみになっていた。
動きはあくまで早足のまま、遥と津衣菜は短くそんな言葉を交わす。
「私はもうちょっとやる事残っている。花紀、あとはよろしく」
二階にさしかかった時、突然遥はそう言い残すと側壁の上に飛び乗り、次の瞬間姿を消していた。
「ついにゃー、こっち」
花紀は津衣菜の一歩前に出て、彼女を先導し始めた。
だが花紀の足はランプ出口ではなく、遥とは反対側の側壁に向っていた。
「こっちだよう」
言葉と同時に花紀は側壁に飛び乗って、その上を走り出した。
いかにもトロそうな声と、行動の俊敏さが一致しない。
「えい」
トンっとステップを踏んで、側壁から跳んだ彼女は2メートル先のキャットウォークへ着地。
更にもう1ステップで、地上に並んだエアコン室外機の上に飛び移ると、その上を軽やかに進んで行く。
津衣菜の全身が硬直しかけた。
あれに続いて跳べというのか。
今、確かに常軌を逸した速度で「歩いている」自分だが、あんなステップまで出来るとは到底思えなかった。
足を止めそうになった時、下から声が響いた。
「立ち止まっちゃダメ! 何も考えないで、普通に出来ると思ってするのーっ。大丈夫、私達にとっては『当たり前』のことだから」
津衣菜は、自分の首を固定しているプレートの事を思い出した。
プレートが欲しいと思った時、彼女は何も考えずに、プレートを当たり前の様に標識から剥がした。
その時の様に、何も考えず、当たり前に。
津衣菜は地面を蹴った。
彼女の足は軽やかに、側壁の上を踏んだ。
一歩、二歩、もう一度蹴って、目の前のキャットウォークへ。
着地には成功したが、バランスを大きく崩して転びそうになる。
左手だけをついて、身体を支えようとする。
直感で、固定され動かない右手も突き出した。
自然と左腕も伸びたままでついていた。
両手で体重を支え、足を再び踏み出す。
勢いを殆ど殺さずに走り直し、もう一度跳んで、少し長く津衣菜の身体は宙を舞った。
「よく出来ましたー、ついにゃーもこれでフロート入門クリア―です」
室外機の上に着地すると、先に進んでいた筈の花紀が戻って来ていた。
右手を差し出して津衣菜に笑顔を向ける。
その手を取って津衣菜は立ち上がる。
敷地の裏のゲートを素早く出て、人もいないのに街灯に煌々と照らされている道路を走る頃、津衣菜と花紀に併走する者がぽつぽつと現れた。
見た所、いずれも二人と同年代の少女達だった。
高圧線の鉄塔下で小休止した時、人数は7人となっていた。
津衣菜はその場にいる顔ぶれを見渡す。
彼女達はめいめいの方向を見て佇んでいた。
花紀を見て、その発言を待っている者。
ぼんやりと鉄塔や山を眺めている者。
津衣菜を観察している者。
そのいずれも夜目に分かる位肌は青白く、瞳孔は開き薄赤い色彩を放っていた。
そして、漠然と津衣菜への拒絶を漂わせていた。
「えっとね、私達はいつも全員集合している訳でも、いつもお仕事している訳でもないの」
花紀はまず津衣菜へ説明を始めた。
「地域や男女や年齢別で小さなグループを作って、色々な場所を寝床にしてひっそり暮らしているの。そして当番で色々なフロートの為の仕事をするの。私たちは戸塚山をベースにしてて、週2か3で市内の子供達やお年寄りのグループを見て回るお仕事なんだよ」
「この班は、これで全部か?」
「ううん。本当はもう一人いて、全部で7人……ついにゃー入れたら8人。ちょっと動けなくて車椅子に乗ってる子だから。女の子は数が少ないから、向伏市とその周り全部でこの班だよ」
「それにしても……多いな……死に過ぎじゃないか?」
津衣菜は勢揃いした花紀の班を見て、第一に思った事がそれだった。
フロート化した十代の少女が8人もいるという事は、ここ1・2年で十代の少女が少なくとも8人、人知れず死んでいるという事だ。
どう考えたって、この街で死んだ少女が一人残らずフロート化してこの人数ではない。
もっと沢山、フロート化せず普通に死んだ少女がいると考えるのが自然だ。
更に、ここと別に男子の……少年達のグループも同じ位の人数であると、さっき遥から聞いている。
「ここは、中学生や高校生がそんなに頻繁に死んだり失踪したりする街だったか?」
「ううん、わからない……でも、ついにゃーの言う通りだよねえ……」
花紀は顔を曇らせて首を横に振った。
「まあ、あんたが気にする事じゃないけど。そんなのニュースにだって出ないんだから」
ちょっと、津衣菜の記憶を何かが横切る。
最近、いつだったか、全国で行方不明者が増えてるとかってニュースやってなかったかな?
気を取り直して、花紀は班長として、今夜の班員達の活躍を労う。
「みんなお疲れ様。今夜のみんなは一際輝いていたのです。花紀おねーさんは感激しています。みんなの頑張りがあったから、今夜は悪い人達もやっつけて、一人新しい仲間を助ける事に成功したんだよ」
楽勝そうに言いつつも、襲撃から仲間を救出する成功率は半分程度だと、倉庫への途中、津衣菜は遥から聞いていた。
仲間にする前に、意識も保てない程ぐちゃぐちゃに潰されたり、燃やされて炭になっている事が残り半分なのだと。
そんな時、フロート達は痕跡を残さずに犠牲者を回収して墓を作ってやる事にしているが、それすら叶わないケースもある。
彼らの他にフロートを回収している連中がいるのだ。
政府のフロート対策部だ。向こうの回収班に先手を打たれる事も何度かあったという。
「それでっ、今夜からの新しい仲間、ついにゃーです」
「……森津衣菜……です」
さっきの集会で、津衣菜は自己紹介する機会も、遥や花紀から紹介される機会も結局ないままだった。
彼女達の前で初めて名乗る事になる。
メンバーが一人一人、自分の名前を名乗って、「よろしく」「よろしくね」とか声をかけて来る。
梨乃も「よろしく」と、その時はまともに挨拶した。
その普通のコミュニケーションに、津衣菜は内心、居心地の悪さを感じてもいた。
自殺者の扱いからも分かるが、彼女達の「死因」は殆どが病気や交通事故だろう。
生前からそのまま続く中身が普通なのは、当たり前だった。
津衣菜とは違って。
そして、彼女たちは誰一人、自分の死因を教えない。
最後の一人、長い黒髪を横分けにした少女が無表情で名前だけ口にした。
「相瀬鏡子」
よろしくとは言わず、名乗った後もじっと津衣菜を凝視している。
彼女の首に巻かれている大きめのマフラーに、津衣菜は気付いた。
膨らみ方から、その下のギブスまで、津衣菜とまるで同じだった。
「その首、吊ったのかい?」
津衣菜よりも先に、鏡子の方から質問があった。
彼女は聞きながら薄く笑みを浮かべる。
鏡子の雰囲気は花紀や他の少女たちとも違う、周囲と自分を隔てる尖った空気があった。
それが、その時の津衣菜にはどこか安心感のあるものだった。
そして、一つの期待から、津衣菜は彼女に返答する。
「いや、飛び降りだった。あんたも――」
鏡子は笑みを浮かべたまま答えた。
「一緒にするなよ、自殺女」
津衣菜の口元が思わず硬直する。
花紀や他の少女たちの方が、分かり易く狼狽していた。
「が、がこさんっ……あのねっ……」
おろおろと間に入ろうとした花紀の声も無視して、鏡子は自分の首のギブスを指で弾きながら、言葉を続けた。
「この首は男に締められ、折られたんだよ。どこへ逃げたのか、表じゃあたしもそいつも一緒に行方不明って事になってるけどな」
へらへら笑みを浮かべながら、開いた瞳孔にぎらついた光を浮かべて、津衣菜から視線を外さない。
悪意と蔑みを隠そうともせず。
「あたしは絶対に許さない。いつか必ずあいつを捕まえて、ハラワタ引きずりだして食いちぎってから、同じ様に首へし折って殺してやる。朽ちる前に絶対あたしの命を償わせる。あたしは自分から死ぬ様なヘタレとは――」
「がこさん――――鏡子っ!」
花紀が鋭く声を張る。彼女がそんな怒声を出すと想像もしていなかった津衣菜は意表を突かれる。
それは他の少女たちや、鏡子にしても同様だったらしく、少し呆然とした顔で花紀へ視線を集めていた。
「鏡子……遥さんのルールは忘れてないよね? このルールは絶対だよ。私が見ないふりするなんて思わないで」
花紀の珍しく毅然とした声で、鏡子はあっさり引き下がる。
「生きた人間を食うのも殺すのも禁止、自覚してやった奴は発現者と同じく扱う……だろ? でも、こっちが襲われた時は別だよな?」
花紀の顔が険しく歪み、次に悲しげになる。
鏡子の死の経緯も、その男との関係も津衣菜には分からないが、最後の言葉の意味は分かった。
夜一人で歩いている時、家の中にいる時、殺した筈の女が突然目の前に現れたらそいつはどうするだろうか。
鏡子が狙っているのは、それだ。
「そんな顔するなって。あたしが今ここにいる理由ってそれしか思い当たらないんだ。お前がルール違反だと思ったら、その時は遠慮なくあたし撃っていいからさ。ハルさんから預かってる銃で」
津衣菜に向けるのとは全く違う、穏やかな気遣う声で鏡子は花紀を慰めた。
だが、最後の一言に再び津衣菜は固まる。
銃?
花紀が……?
遥……あの女から?
「どうした? ここへ来て5日、死んでから1週間だろ? 早く死ねよ。やる事やれよ自殺女。生者の世界にいられなかったけど、ここで居心地良い場所を見つけたからもうしませんってか? そうは行くか」
ある種の凄絶さも感じられる薄笑いを浮かべながら、へらへらと鏡子は津衣菜へ迫る。
「飛び降りたけど死ねないって、甘ったれてんじゃねえ。自分に火を点けろ。30トンダンプに飛び込め。あそこの高圧線で感電しろ。そこまでやればフロートでも大抵死ぬって分かってるんだ」
津衣菜は表情も変えず、死ねと連呼する鏡子を見つめている。
最初の二日は掴み合いの喧嘩になったが、ほぼ毎朝顔を合わせる度にこの調子だったので、もう怒る気も失せていた。
彼女の朝の挨拶の様なものだった。
「死んだ後まで死に方ランキングか。お前の死に方はつまらん、私の死に方が一番凄い……か。いつも思うけど発想がザコ過ぎるんだよ、あんた」
「何だって? あたし自殺女の囀りなんてよく聞こえないからさ、至近距離でもう一度言ってみなよ」
「ああもう、ついにゃーもがこさんも、もう少し仲良くケンカしてー」
二人が顔を寄せて睨み合ってる中、半泣きで花紀が割り込んで来るまでが、毎朝恒例の流れだった。
花紀のミーティング進行の為、二人は離れる。
津衣菜だけでなく鏡子も、花紀には気を遣っている。それが津衣菜には意外だった。
この後、特に予定もない日には、出歩く時の諸注意や緊急時の対応について話をして終わるのだが、今日は定期巡回の日だった。
向伏市内と市に隣接する町で、点在している年少者や高齢者のフロートのグループを回り、状況を確認して遥たち中心メンバーに報告する仕事だった。
津衣菜には、今夜で二回目の巡回になる。
最初は花紀達の後をついて回って、範囲やルートを覚えるのでいっぱいだった。
今日はもっと話をよく聞いて、詳しい所を覚えておきたいとも思っていた。
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