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フローティア  作者: ゆらぎからす
7.「過剰さ」の相互補完
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109日目(3)‐115日目

 109日目(3)‐115日目



「生きたいのか死にたいのかはっきりしないから、そうやって死者に囲まれるのよ」


 パジャマ姿のまま飛び出して来た紗枝子。

 涙と鼻水と涎でグチャグチャの顔は、虚ろに笑っている。

 膝をついてうつむいたままの彼女を見下ろして、津衣菜はそう告げた。

「し………しゃ?」

「そう。身体が死んでいる(フロートという)死者(わたしたち)と、心が死んでいる(シンクという)死者(かれら)に――仲間になりたいのかしら。そんな疲れてるのにそんなものキメて、あなたが自分で死者を呼んだのでしょう?」

「よん……だ……ぁ?」

 紗枝子は顔を上げる。

 その前に立っていたのは、十字に裂けた口が顔いっぱいに広がる血塗れの少女。

「ひぃっ……!」

 薄く笑って、津衣菜は雪子の隣に腰を下ろすと、紗枝子に目線を合わせて囁いた。

「求めるなら、今度こそ連れてってあげる。私があなたの死になってあげる。今まで、つらかったのでしょう……?」

 津衣菜は紗枝子へ左手を伸ばす。

 虚ろな目と虚ろな唇に貼り付いた、中身のない笑い。

 横に立つ、口の裂けた少女も、同じ笑いを浮かべて見えた。

「も……もり……森…さん…………やっぱり……幽霊だったんですね」

「そう。今日からは、あなたもだよ。ようこそ……死者の国(フローティア)へ」

 紗枝子は自分の左手を津衣菜へ伸ばし、そして、全力で叩き払っていた。

「わたしはあ……あなたのようには、ならないっ!」

 うつむいたまま、絞り出す様な声で叫ぶ紗枝子。

 払われた左手を自分の前へ戻し、津衣菜は彼女を無言で見ていた。

「幽霊なんか怖くない! 自殺なんて、羨みもしない! わたしは知ってるよ、あなたはただの卑怯者で臆病者で愚か者だったって!」

 叫んだ後、ぶるぶる震え出す。

 半ば弛緩した筋肉を奮い起こして、立ち上がろうとしているのだと、津衣菜にもすぐに分かった。

「二ヶ月前に仲間と出会って、西高を、あの人達を訴えると決めた時に、もう答えは出ているんだ! 私はあなたと同じ答えは選びません!」

 揺れながらもどうにか立った紗枝子は、バランスを崩して転びかける。

 その肩を津衣菜の右腕のギブスが支えた。

「?」

「なら、そういう気晴らしは程々にしときなさい」

 紗枝子は顔を上げて、自分が津衣菜に助けられた事に気付く。

 驚いた表情を浮かべる紗枝子に、津衣菜はさっきと変わらない、淡々とした口調で言った。

「せいぜい、しっかり生きる事ね。生きてる人間で支え合って、切り抜けてみてよ。私らが言うのも何だけど、死者に出来る事は何もないわ」

「森さん……あなたは、やはり生きては……」

「私も、あなたのようにはならない」

 わざと紗枝子の言葉を反復する様に、津衣菜は彼女へ返した。

「私がもし二ヶ月余計に生きて、あなた達に誘われていたとしても、私は行かないでやっぱり飛び降りていた」

「え? どうして……?」

「あなた達のやってる事が、何かを変え、私とあの子(・・・・・・)を救えるとは、思えないままだから」

「それなら、どうして……私の前に現れて、助けてくれたんですか?」

「それを確かめたかったからよ」

 言葉と共に、津衣菜と雪子は紗枝子の目の前から消えた。

 紗枝子が辺りを見回すと、彼女の数メートル先、向かいのマンションの廂の上に二人はいた。

 雪子は津衣菜の右肩に腰下ろし、ギブスの腕に足を乗せている。

「私たちのことは忘れなさい」

「それは無理そうです……だって、森さんの方から関わって来たんじゃないですか」

 呆然と二人を見上げながらも、紗枝子は津衣菜へそう反論した。

 紗枝子の言葉に雪子は無言で頷く。どうやら彼女に同意らしい。

 横目で雪子を見て、津衣菜は少し困った表情をする。



『腹を括ったのね。津衣菜』

 まだ桜が舞い続ける、真っ暗な道を移動する途中。

 津衣菜に支えられたままの雪子が、彼女のスマホにそう入れた。

「腹……?」

 いまいち、雪子の言葉が何を指しているのか分からない。

 ぼんやり画面を眺める津衣菜から、雪子はスマホを取り、続きを書く。

『今のあなたは、きちんとした死者に見える。自分の生前と死を持った、死者(フロート)に』

「今までは、そう見えなかったっていうのか?」

『下らない質問』

「そりゃ、見えてたら、こんな話が出て来ないだろうけど」

『分かってるなら黙れ』

 入力を出来るだけ簡略化したいというのもあるのだろうけど、それにしても時々口が超悪い。

 殺伐としたテキストに呆れるだけでなく、津衣菜はその『変化』が、自分にとって本当に良い事なのかどうかを量りかねていた。

 遥の忠告も覚えている。

 自分が多くのクラスメートの前に姿を見せた事。

 それが、自分の立ち位置に大きな変化をもたらす。

 恐らく情報は彼らの元に、彼女の生きていた世界に伝わる。

 彼女は『恐らく』死んでいる事。

 そして、『恐らく』死者のままでこの世を徘徊している事。

『死者に輪郭と名前が出来れば、厄介事も倍増する。だけど、それのない死者には、醜さも弱さもなく――だから美しさも強さもない』

 津衣菜の思っている事を察したのか、雪子は続けて文章を打って見せる。

『私は見た事のない美しさを見つけた。そして、あの子は見た事のない強さを見つけた。私たちはあの日から、惹かれ合っているの』



「あれ……千尋と……花紀?」

 気配を感じて津衣菜が顔を上げた時、前方の木の陰から二人が姿を見せて、こちらへ手を振って来た。

「どうしたの……まさか、私ら迎えに」

「まあ、そんなところすかね。せっかくの勝負直後なのに、先輩も雪もいきなり出て行っちゃったから」

「確かに、急ぎだったけど……何か用でもあったの?」

「やーん、やっぱりついにゃーは忘れてるよ」

「……?」

『約束だったわね』

 津衣菜の代わりに雪子が答えた。

「あ……ちょっと、雪子?」

 雪子は、津衣菜から離れるとそのまま地面に伏せる。

 左手と左足だけで千尋の前まで這い進む。

 千尋の前で雪子は身を起こす。

 膝を立てた左足でバランスを取り、千尋を見上げる。

 左手で唇の端の裂け目を指で押さえ、彼女は小さく声を出した。

「まちがてた……ごめんなさい」

「ゆっきー……」

 花紀が不安げに雪子の名を呼ぶが、千尋は無言で雪子を見下ろしていた。

 しかし、千尋は突然屈むと雪子に手を伸ばし、半ば強引にその左手を取って立たせる。

「先輩も姉さんも、雪が立ちやすい高さって考えてないっしょ」

「え……?」

「僕も考えてた訳じゃないけど、僕の身長で支えるのが一番みたいなんすよね」

 そう言われてみれば確かに、立ち上がってから歩くまでの流れが、自分が支えた時より滑らかだったように見える。

 津衣菜はそう思いながら、千尋と雪子の二人三脚を見守る。

「雪、分かってくれたのは嬉しいけど、今度は僕負けちゃったよ」

 雪子は左手を千尋の前で振る。

 これは独自のジェスチャーではなく、きちんと決まっている手話だったみたいだ。

 千尋は頷いて見せ、言葉で返す。

「そりゃ悔しいよ。だからさ、今度は勝とうって……うん、雪も一緒に」

 二人を後ろから見ていた津衣菜は、隣の花紀へ話しかける。

「千尋に筆談いらないのは、手話が分かるとかだけじゃないんだろうな……手話だろうがジェスチャーだろうが、ちょっとした唸り声でも、雪子の事は殆どわかっちゃうんだ」

「そうなんだよ。ついにゃーも分かって来たようだね……って、筆談って何?」

 雪子と筆談で会話した事を教えると、花紀も驚愕して叫び声を上げる。

「ふえええええええ!? ついにゃーずるい、花紀お姉さんにも内緒でゆっきーとそんな新コミュニケーションをおおお?」

「あんたも今まで気付かなかったのか……そりゃ雪子も呆れるわ」

「ゆっきー、ゆっきー、花紀お姉さんの携帯にも、是非ゆっきーコメントを!」

『死ね』

「ええええええええ!? もう死んでるよっていうか、ゆっきいいいいいい!?」

 シンプルかつフロートジョークを極めた様な一言|(というか罵声)を送られ、悲鳴と共にどこかへ魂飛ばしそうな勢いの花紀。

 声を立てて笑いながら、津衣菜は花紀を軽く揺すって立ち直らせると、再び話を振った。

「口も悪いけど、何ていうか、演出とかそういうの上手いんだな雪子って……そこは意外だった」

「ふふん、ゆっきー監督のセンスは花紀お姉さんも知ってたもんね」

「あ、そうなの?」

「フロート狩りや対策部やり込める時も結構活躍してるんだよ、ゆっきーのアイデアって……ちーちゃんいないと分かんないんだけど!」

「これから、スマホ使おうね……ていうか、まさかこの前のチュパカブラも……」

「あれは花紀お姉さん演出なのです!」

「ああ、そう……今まで、雪子って『上から落ちて来て噛み付くもの』ってイメージしかなかったからさ」

「それもひどいよついにゃー……」

 花紀が咎める声を立てたと同時に、津衣菜のスマホが鳴る。

 今しがた受信したらしいメールを見ると、千尋のアドレスで一言。

『後でゆっくり話しようか、腐れ自殺女』

「…………」

 前方では雪子が千尋のスマホに指を這わせながら、じとっと津衣菜を睨んでいた。





「あら、素敵」


 自分を攫って来た、そして右手足と顔を奪った男。

 そいつは、肩の肉を食いちぎられたまま逃げ去り、二度と雪子の前に現れる事はなかった。

 倉庫から這い出た雪子は、誰も通らない廃線沿いの雑草まみれの道をひたすら進んだ。

 自分のではない血に塗れ、次第に泥と埃でドレスも汚しながら。

 突然声を掛けられたのは、数時間近く進んで、日が沈みかけた頃だった。

 目の前に誰かが立っている。

 自分が追っていた男ではない。

 暗くてよく見えないが、シルエットと声で多分女だと思った。

「遥が言ってた子ね、一目で分かった。私の新作が似合いそうじゃない」

 そいつが何をするつもりか分からないが、無言で雪子は進んだ。

 邪魔するなら、あるいは敵対するなら、あるいは無視するなら――とにかく喰らい付いてやるつもりでいた。

 間近で見た女は、紫の唇、黒のドレス、本格的なゴシックファッションで全身を固め、黒く縁取られた目で雪子を見下ろしていた。

 真っ白な顔をしていたが、生者である事は雪子にも分かった。

 雪子の顔に両手を掛けて覗き込むようにして、細い声で語りかける。

「私が飼ってもいいかしら、いいえダメね。この先の鉄橋へ行きなさい。そこへ来る者を待ちなさい、私は『盟約』に則り、貴女にそれを伝えるだけ」

 それだけ言うと、片手を上げて道の先を指したきり動かなくなった。

 どうやら、雪子が動くまでそうやって見守っているつもりらしい。

 現実感など、生前からなくしていた。

 ずっと奇怪な夢の様なものだったので、この場所も、ゴス女も普通に受け入れていた。

 鉄橋へ行けと言うなら行けば良い。

 そこへ誰かが来るらしい。

 鉄橋へついた時には、夜になっていた。

 その枕木の一つにしがみついて、朝まで眼下に誰かが通るのを待った。

 そして、辺りが明るくなった頃、三人の男がおよそ十メートル下の河原に現れた。

 先頭を歩いているフードを浅く被った坊主頭の男。

 そこに狙いをつけて、雪子は落下した。


「――高地さん!」

「……ああ!?」


 純太は、目の前の高地を呆然と見ていた。

 それ以外に何も出来なかった。

 痛覚のない彼は、未だ気付いていない様だ。

 怪訝な顔でこちらを睨み返す高地の頭に、何かが全力で齧り付いてぶら下がっている。

 顔いっぱいに口を開いた女の様な何か。

「何じゃこりゃあ!?」

「フロートっすよ! 遥さんの言ってた女の子って、多分これ……」

「おい、言葉分かるか? 外れろ。自分で外せないのか?」

 梶川と純太の二人がかりでも、その少女は高地から外せなかった。

「一旦やめよう……これ以上は……高地さんの頭皮がヤバい」

「ったく。大口開けやがって、可愛い顔が台無しだぜ」

 高地が鏡で状況を確認しながら、憮然と呟く。

 その時、雪子は目元をぴくっと動かした。

 それに気付いた高地は、そっと雪子の顔に手をやって苦笑する。

「何だ。かわいいつったら緩めやがった。現金な奴みてえだな」


『私は可愛いか』

 頭から引き剥がす事に成功した後、スマホを使っての筆談で雪子とある程度会話をする。

「おお。元々はかなりのもんだろ。おめえ芸能人かモデルでもやってたくちじゃねえのか」

「高地さん、いくら顔が良いとしたって、何でそこまで……」

「顔だけで言ってんじゃねえよ。こいつの気合の入り方が違うんだ。分かんねえかな?」

「遥さんから、応答ありました」

 自分のスマホでSNSを確認していた梶川が、高地に報告する。

「おう……ああ!? またかよ!? 今度は白瀬川市だあ!? 反対側じゃねえか! 口裂け女の次はヘビ女? 都市伝説ハンターじゃねえぞ俺たちゃあ!」


 同じ日に回収され、向伏市のフロートコミュニティに迎えられた雪子と千尋。

 津衣菜が来た日より一年以上前になる。

 最初から同じ所にいた訳ではなかったと思う。

 千尋は背中を損傷していて、それを補う為に色々な物を使ったと聞いている。

 いつの間にか、二人で一緒にいる事が多くなった。

 自分がリハビリ中なのに、動くのに不自由していた雪子も助けようとする。

「大丈夫、大丈夫」

 能天気にそう笑いながら、雪子に構って来て支えようとする――最後には二人揃って転倒する羽目になるのだが。

 そして、いつからか、転倒しなくなっていた。

「顔をあんな風に切られて、手足もなくなって、なのにどうしてあんな強い顔が出来るんだろうって……僕、あの時、カッコいいって思ったんすよ」

 まだ敬語だった千尋は、初めて会った車内での事をそう語った。

 見えているものが、何につけ自分と違っていた。

 愚直で間抜けで、一途で、ひたすら強くなろうとする真っすぐな姿勢。

 彼女のその姿は美しかった。

 雪子は、激しく嫉妬を覚え、すぐに諦めた。

 千尋は自分にはない綺麗さで、それは自分にとってあまりにも圧倒的な、どうしようもない事だったから。




 千尋に最近焦りがある。

 何かに苛立っている。様に見える。

 私を気にし過ぎている。よそ見が多い。

 前を向いている横顔が、一番綺麗なのに。

 不自然な手札を持っていた、気がした。

 軽蔑している訳でもない。不正を許さないなんて倫理感でもない。

 せこいやり方で無理に勝とうとするなんて、この子の美しさじゃない。


 私には、千尋の綺麗さが必要だ。

 自分の手の届かない美しさに、私は依存し、補完される。

(僕には、雪子の強さが必要だ。

 自分の辿り着けない強さに、僕は依存し、補完される。)




「雪子の演出でさ、何か桜の下の幽霊みたいなことさせられたよ」

「そうなんだ……」

「生前のさ、クラスメートの前に顔を出したんだ。仲良く出来そうな奴らじゃないんだけど……やっとかなくちゃならない事が出来ちゃってね」

「うん」

「私は晴れて幽霊になったみたいだ」

「うん」

「やっぱり、分かってた(・・・・・)から、迎えに来たのか」

「うーん……どうだろうねえ。でも、ついにゃーを迎えに行った方がいい時って、何となく分かるんだよ」

 窺う様な眼で津衣菜を見上げる花紀。

 津衣菜は彼女に頷きかけて、その頭を撫でてやる。

 花紀は擽ったそうに、そして嬉しそうに笑った。





「じゃあ、そういう被害というのも」

「事件性はありません……ないものとするしかないんですよ」

 顔を伏せて、唇を噛み、紗枝子が答えている。

 画面に流れている番組は、テレビではなくストリーミング配信によるネット番組だった。

 高地が西高訴訟の生徒達との接触に成功し、顔を堂々と露出させてのインタビューを敢行していた。

 インタビュアーは高地ではなく、落ち着いた感じの40代後半の男性で、生者だった。

 高地の仕事仲間だろう。

 その番組を津衣菜は、新しくホテルに取り付けるモニターやチューナーの動作確認に使っている。

 彼女は、再び山間部の廃ホテルを訪れていた。

 二週間ばかりの間に、彼らの人数は数倍に増えていた。

 年齢層が広くなったのが大きい。

 殆ど山道沿いにのみではあるが、隣県まで伸びる、フロート間の情報網も確立していた。

 最初口にした時は冗談でしかなかった、『フロート用ホテル』が、文字通りに機能し始める勢いだった。

 電気の引き込みにも成功し、通信環境も安定させた。

 フロートでも必要な衣類や日用品、そして対策部からの薬剤、それらの常備がもっと充実すれば、ホテル化はますます進むかもしれない。

 人数が急激に増えた事によるトラブルはないか。

 そこは気になったが、現状大きな問題はないと言う。

「一つだけ言わせて下さい。西高問題では、自分で命を絶った人まで出ているんです」

「命を……? ちょ、ちょっと待って下さい。心身面で衰弱して転校、不登校になった生徒が出ているとは窺っていますが、自殺とか人命にかかわる事態は」

「これも事件として確定していません。失踪扱いですが、その人は亡くなっています」

「いじめで追い込まれて、ですか」

「いいえ、ずっといじめに加わっていた人です……自分の友人を同調圧力で、それを止められない事を苦にして……という所でしょうね」


 :何だそれ

 :想像以上じゃねえか

 :闇深すぎるだろ

 :同調圧力でって、死ぬ位なら逆らえよ

 :↑じゃあお前やってみろよ


 番組と連動するSNSのコメント表示も、上々だ。

 津衣菜は、満足げにホテルの住人達へ頷きかける。


『当チャンネルでは、これからも向伏西高校訴訟問題について、精力的な番組発信を継続して行きます……ご意見ご感想をハッシュタグ#mgvd00274へ……・』


 作業が一段落したので、休憩を取る事にした津衣菜。

 夕方からは数名、向伏市から応援が来る。

 戸塚山の班からも日香里と美也、そして機械に激強の梨乃が来る予定になっている。

 津衣菜的に、トラブルも少ない心強い面子だった。

 彼女にあてがわれた部屋のドアがノックされる。

「どうぞ」

 返事すると、コミュニティーのリーダーの女性が顔を覗かせた。

「お休みの所……すみません……ちょっと、いいですか」

「あ、どうぞ。何かありましたか?」

「いいえ……ちょっと気になる事があるって子が」

 彼女に促される様にして、もう一人、津衣菜と同じ位の年の少女が顔を覗かせる。

 確か、隣県の大きな街から来たという少女だった。

 リーダー自体があまり社交的ではないキャラクターだったが、その少女は更におどおどと人見知りしている。

 津衣菜が人の事言える社交性ではないが、彼女の場合、外面の良さには自信もあった。

「どうされました?」

「あの……向伏にいるって死……フロートの人で、これから来るって人の……」

「あ、はい。名簿みたいなのはないんですが、写真に写ってるのがたまにいるので、まあ、向こうの雰囲気も分かるかと思って」

「はい……それで……この人」

「はい……?」

 その少女が津衣菜に人見知りしている訳ではない事に、気付いた。

 手元に持った、向伏のフロートの資料。

 その中の誰か(・・)に怯えている。

 リーダーも津衣菜や、高地を含めて今まで来た向伏のフロートではなく、その少女の怯えに不安を抱いている様だった。

 高地を見て平気だった彼らが、一体誰に怯えるのか津衣菜には疑問だった。

「誰か、不安を感じる人が……え……?」

 写真の一枚、少女の指差した先に津衣菜は、驚きの声を上げる。

「梨乃……?」

 いつかの巡回で、稲荷神社の子供達と一緒に撮った梨乃が映っていた。

「やはり梨乃って名前ですか……フルネームは」

先岸(せんぎし) 梨乃(りの)

 少女の口からは言葉にならない、ヒっという高い音が出たきり絶句していた。

「やはり……あなたの言っていた、あの……」

「嫌……うそ……まさか、あいつは沼に……でも……!」

「あの……梨乃を知っているのですか」

「どういう方でしょうか、その梨乃さんという方は」

 津衣菜の問いには、少女に代わってリーダーが問い返して来た。

 津衣菜は自分の知っている梨乃について、彼女達に説明する。

「言葉が怪しいけど、悪い奴じゃないですよ。子供達にも好かれてるし……生前どんな奴だったのかは、こっちじゃ誰も知りませんけど」

「生前の……記憶がないとかですか」

「いや……どうだろう。そんな話もないけど……そう言えば、バイクの話とかしてたし」

「間違いないよ……あいつだ……先岸梨乃だ……いい奴……嘘だ」

 少女は一層ガタガタ震え出し、うわ言の様に呟き始める。

 津衣菜の記憶にどこか引っかかる物があった。

 彼女の口にした『血』のイメージ。

 そして、敵にスパナを振り降ろした時の、あの躊躇ない――殺すことを前提にした様な動き。

「梨乃を知っているんですか。何か問題があったんですか……?」

 津衣菜の問いに、今度は頭を抱え続けていた少女が、震える声で絞り出すように答えた。

「あいつは……悪魔………悪魔みたいな奴でした……」


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