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フローティア  作者: ゆらぎからす
7.「過剰さ」の相互補完
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106日目(2)

 106日目(2)



「雪子が自分の間違いを認めて謝るまで、許さないってさ」

 寝袋の並べてある廃作業場内で、花紀に千尋の話の最後部分だけを伝えた。

 千尋の過去について、花紀だったら知っているかもしれない。

 だけど、本人以外からそういう事を言わないのが、ここでのマナーだと津衣菜は思っていた。

「間違い……か。じゃ、やっぱりちーちゃんは、いかさましてなかったのかな」

「だろうね。でなければ、こういう怒り方はしないでしょ」

「ふむ。つまり、仲直りの為には、ゆっきーの前でちーちゃんがいかさましてないのを、はっきりさせる必要があるって事だねえ」

 花紀は胸の前で腕を組みながら、何度も頷いて見せる。

 真面目に考え込む様な顔をしているが、その口元はむずむずと動いていた。

「それで、形式はどうする? また全員でオイチョカブ? それともこいこいでトーナメントとかにする?」

「えーとね……って、うう……ついにゃーのいけずぅ。第47回花札大会開催を、花紀おねーさんに宣言させないとはっ」

「ふふん、お見通しだよ、あんたの言いたい事ぐらい……でも、どうだろうね。前と同じだったら、雪子はよく見えないよな」

「うーん……」

 花紀は外に出て、しばらく経って日香里と美也と梨乃を連れて戻って来た。

「がこさんは、何かお仕事中で忙しいみたい」

 次の花札大会はどんなやり方が良いか、彼女達にも聞いてみる。

「それでしたら、やっぱり千尋ちゃん主役にした方がいいと思います。千尋ちゃんが勝てそうにない強い人相手に五回戦勝負して、それを雪子ちゃんが後ろからじっくり見ている……というのはどうですか?」

 美也がしばらく考えた後に、そう提案した。

 その場の全員が顔を見合わせる。

「うん、いいんじゃないかな」

「それは人の決まる誰はない可能性の彼女の勝つが」

「ふふん、この向伏フロートの花札最強無敗と言えば、一人しかいないよねっ」

「さて、誰なんでしょうか? 花紀さんはこの前、雪子さんにぼろ負けしましたよね」

「ぐはあっ」

 日香里のツッコミに爆死する花紀。

「まあ、この中で花紀が一番やり込んでて強いってのは当たってるから、それでいいんじゃないか? 千尋VS雪子にしちゃったら、疑い深くなるだけだし」

 苦笑しながら津衣菜が出した助け船に、花紀は拾われた子犬の様な目を、他の少女達は笑顔を浮かべる。

「ふむぅ……ちーちゃんとゆっきーの仲直りの為でも、ゲームはゲーム、手は抜かないよぅっ」

「それでいいんだよ。勝たせるのが目的じゃないんだ」



「姉さんとこいこい五番勝負ですか? いいですよ、やりましょう!」

 夕方からの巡回時、ちょうど花紀と千尋と津衣菜の三人グループになった。

 話を振ると千尋は、二つ返事で快諾した。

「あ……でも……ズルするつもりはないんすけど……」

「……?」

 だが、その直後に千尋は、何か気まずげな様子で言い淀んだ。

 花紀は首を傾げて、彼女の顔を覗き込む。

「あの……次みんなでやる前に、姉さんに花札の色んな技とか教わりたいって……思ってたんすけど、そういうのってダメすかね」

「えっと……どうなのかな、ついにゃー?」

「別にいいんじゃない? いかさまとは違うんだし。そう言えば私も、ルールから教えてほしかったんだ……今まで一度も参加してなかったからね、花紀さんの花札大会には」

「ふえっ!? そ、そうだったけ……そうだったかもしれない。ついにゃー、色々忙しかったし」

「あーあ、花紀さんがそれだけ入れ込んでる花札に一度も呼ばれない、これが私の存在感なのか……」

「いやあああ、ついにゃーが拗ねてるぅ……教えるからっ、教えさせていただきますからー、機嫌直してえ」

「ちょっと、騒がない。下に聞こえるっての」

 三人は今、駅前の繁華街の一角で、アーケードの屋根と2階建ての屋上とを伝い歩いていた。

 思わず出ていた大声を押さえて、今は真っ暗な通りを見下ろす。

 もし通行人がいたなら、屋根上で騒ぐ三人の不審者に間違いなく気付いた筈。

 幸いにして誰もいない様だったが、居酒屋と居酒屋の隙間の暗がりへと素早く潜り込んだ。



「君たち、第二種変異……『フロート』だね? ああ、警察じゃないよ。内閣の政策審議官32部局、『指定変異対策部』だ」

「はい、対象3名です。一人は『かのり』、小グループリーダー、天津山案件です。二人目の名称不明、『はるか』との同行が複数ある個体。三人目は名称不明、詳細不明」

 地面に降り立ったと同時に、突然声を掛けられる。

 薄暗い交差点の影から、スーツ姿の男が数人わらわらと現れ出て来た。

「連行とかもしないよ。ちょっと一人ずつ教えて頂きたい事があってね」

「……何でしょうか?」

 彼女達に話しかける男の後ろで、インカムでどこかへ報告を続けている者がいる。

 花紀の問いに、男は押しの強い声で答えた。

「君達の生前の身元……ご家族などについてなんだが。勿論、先方に君達の事を教えたりはしないから、安心して――」

 男が言い終わる前に、三人は別々の方向へダッシュする。

「あっ―――待て!」

 男が駆け出した時、津衣菜は既に、さっきまでいたアーケードの屋根を走っていた。

 例の質問の対策部に遭遇した時は、散開して合流。

 もし逃げられなくなったら、一緒にいた者か遥へワン切り。

 おおよその手順は決まっている。

 花紀と千尋の姿も、もう見えなくなっている。

 足音と呼ぶ声が聞こえなくなるまで、屋根から屋根へ津衣菜は飛び続けた。



 周囲の車や人を慎重に確かめながら、市内を大回りして津衣菜は山に戻った。

 時刻は3時半を回っている。

 空が明るくなる前に着く事が出来て、少し気が楽になった。

 砂利道を歩いていた津衣菜は、前方に目を凝らす。

 視界の先、道の横で腰に手を当てて突っ立っているシルエットは鏡子だった。

「何?」

 冷たい声で津衣菜は尋ねる。

 鏡子のこちらに向けている視線は、どう見ても好意的な用事ではない。

 一歩、二歩とゆっくり足を進め、鏡子は津衣菜のすぐ前に立つ。

「最近、出しゃばり過ぎなんだよ、お前」

 言った直後、津衣菜の脇腹を膝で蹴る。

 生者の様に痛がる顔や、屈む反応は見せず、津衣菜は黙って鏡子の顔を見返す。

「何で自殺女が花紀の周りでうろちょろしてよ、しかもみんなを仕切り始めてんだ。訳分かんねえんだけど」

 無反応の津衣菜に鏡子は口元を歪め、更に拳で胸を突く。

 今度はふらついて一歩後ろに下がる津衣菜。

「そういうの、あたしのポジションなんだよ。ちっとイジメないでやれば、今度は調子乗りやがって」

 鏡子はもう一歩踏み出すと、彼女との距離を詰めて言った。

「自分の人生投げ捨てた奴が、こんな所で居場所作ってんじゃねえよ。前もそう言ったよなあ? 目ざわりなんだ、端っこに引っ込んでろ――つうか、さっさと失せろ」

「こんな所でこそこそ私を待って、用はそれ?」

「文句あんのか」

「花紀の傍にいたいなら、花紀に言えばいい。何でいちいち私を言いなりにしようとする」

「はあ?」

「私が花紀の隣にいるのが気に入らないのは、あんたがそうしたいからだろ。私の死因とか、そんなのは本当は関係ないんだ。そういう無駄な話、こっちに振んないで欲しい」

「ナメてんのか……それとも、ビビってんのか。争いは嫌です、私には関係ないでしょ、シメないで下さいってか」

「そんなんじゃない。つまり……ムカつくんだよ。そういうの」

 馬鹿にした風に嘲る鏡子へ、今度は津衣菜が低く怒気を含んだ声で答えた。

 一瞬気圧された様子を見せる鏡子だったが、こちらも舌打ちして低い声を返す。

「何がムカつくだ……マジで殺すか」

「あっそう」

 感情のない声で返すと、津衣菜は一歩下がって身構える。

 つんのめらない様に注意しながら重心を少しずつ前へ倒し、開いた左手の指に力を溜めて折り曲げる。

 意識に溜まって行く憎悪が、ゲージを上る様に感じ取れる。

 まるで、そういう格闘ゲームでもプレイしているみたいだった。

「自分と同類のゴミは、躊躇なく殺せる……自分を殺す様にね」

「ふざけんなっ……誰が、お前の同類だ」

「あんただよ……どうせ、生きてた時からそういう奴だったんだろ」

 鏡子も身構えるが、彼女の様子はその言葉と裏腹に、強い殺気が感じられない。

 その表情に一番浮かんでいた感情は、怯えだった。

 津衣菜も心の中では分かっていた。

 鏡子は、普段の言葉や態度でアピールしている程、暴力的な奴でも好戦的な奴でもない。

 良く言えば『自分の居場所を守るために一生懸命なだけ』であり、悪く言えば『口先だけのヘタレ』

 だけど、それを配慮して優しくする気にはなれない。

 それだからこそ、優しくする気はない。

 そういう奴らの作る世界を、津衣菜は何よりも憎んでいた。


「じゃま」


 背後から投げられた無造作な声に、二人の動きが同時に固まった。

 津衣菜にとって聞き覚えのない、掠れた女の声。

 二人は構えを解いて、声の方向へ身体を向ける。

 彼女達の視界の下の方、車椅子の上で雪子が無表情に前を見ていた。

 津衣菜も鏡子も思わず道の端へよけ、車椅子一台が通れるだけのスペースが出来る。

 雪子はボタン操作で、車椅子をガタガタと揺らしながら進ませた。

「雪子……喋れたのか……でも、どうやって」

「ま、待ちなよ……雪子、どこへ行くんだ? いくら自分で動かせるつったって、こんな砂利道、夜中に一人で……危ないって」

 鏡子が後ろから雪子に追いついて、心配そうに声をかける。

 津衣菜も思わず彼女を追っていた。

「上に、誰もいなかったの?」

 どちらからの質問にも、雪子はうるさげに一瞥するだけで、そのまま車椅子を進ませている。

 しばらく経って、彼女は口の端の縫い目を指で押さえて、唇を少しだけ広げる。

「……さんぽ」

 さっきも聞いた掠れ声。

「散歩だったら、取りあえず戻ろうよ、な? 誰か手の空いてる奴と一緒に行けばいい、あたしも準備出来るし、この自殺女使ったっていいじゃないか」

「……」

 雪子は、二人を無視し続けている。

 段差に対応した太い車輪を使っているが、それでもこの砂利道で来る椅子は大きく揺れ、時々傾きさえする。

 雪子一人で行かせるには、かなり危なっかしい。

 シート後ろの介助用ハンドルで無理にでも引き返そうと、津衣菜も鏡子も考えた様だが、察知した雪子に鋭く睨まれては諦める他なかった。

 何をするでも、それ以上何かを言うでもなしに、二人は雪子について行くだけだった。



「なあ……どこまで行きたいんだ? どこか行きたい場所とか……あんのか?」

 なだらかなカーブの山道をゆっくり下りて行く雪子に、鏡子が優しく尋ねる。

 舗装されている道路に入ったとは言え、山を降り切るまで下り坂が続き、おまけにこの暗さである。

 とても、車椅子を一人で行かせられる状態ではない。

「もし行き先があるんだったら、遥に連絡して車を回すけど……その方がいいと思う」

 鏡子に続けて津衣菜も声をかける。

 やはり二人を無視していた雪子だったが、ふとブレーキを掛けて車椅子を止めた。

 顔を上げて二人の顔を見た雪子に、鏡子が少し驚いた顔で尋ねる。

「ん……どうした?」

 左手を上げると、津衣菜の手元を指差した。

「え、これ?」

 津衣菜が花紀と遥へ連絡する為に持っていたスマホを掲げると、雪子は頷いて『よこせ』とジェスチャーする。

 要求されるままに、津衣菜はスマホを雪子の前に差し出した。

 その画面を雪子は指でなぞって行く。

 画面から指を話した雪子が、押し戻す動作で『見ろ』と示した。


『川沿いのサイクリングロードをちょっと流すだけ。椅子の電池切れる前に帰る』


「筆談……」

 さっきの短い一言に続いて、津衣菜が初めて『見る』雪子の言葉だった。

 津衣菜も思わず驚きの声を上げる。

「そういや、その手があったじゃねえか……」

 驚いたのは鏡子も同じだったらしい。

 再び雪子がスマホを求める。

 彼女が戻した画面にはこう書かれていた。


『筆談って発想が今まで全く出て来ない。ほんと使えない奴ら』


「ぐっ……」

 今まで全く予想していなかったが、結構性格がきついらしい。

 立ちつくしてしまう二人を尻目に、雪子は再び車椅子を動かした。

「あ、ちょ、ちょっと」

「ま、待ってくれよ」

 鏡子も津衣菜も、先程の毒気のすっかり抜け切った声で彼女を追う。



 津衣菜と鏡子をお供に、雪子は悠然とサイクリングロードを進んで行く。

 川の向こうには、僅かな街灯が規則正しく並ぶ夜景が広がっていた。

 夜景と言っても空は青紫色がかり、間もなく訪れる朝の兆しを見せている。

 時折、二人はスマホを介して雪子と言葉を交わした。


『街のイルミネーションと明ける空を見たかった。私には何よりもそういう景色が落ち着く』

「生前から夜更かししてたのか……でもイルミネーションって」

『正直、田舎のは物足りない。私はずっと東京にいたから』

「何だって……」

「マジかよ」

 鏡子も知らなかったらしい。

 1年以上誰も、雪子の言葉に触れていなかったという事だ。

 たった一人を除いて。

「じゃあ、どうして向伏に?」

 津衣菜が尋ねる。

 雪子はスマホを求めず、景色を見つめていた。

 答えられない質問だったかと津衣菜が諦めかけた頃に、スマホを求められた。

 雪子からの答えは、こうだった。

『死後起きたら、変質者に拉致されていた』

「は……」

 絶句した二人の前で、彼女は淡々と次の言葉を入力する。


『人を壊すのが好きなイカレシンメトリー野郎。私の顔も、右手右足も、そいつの仕業』


 その後、雪子は車椅子の向きを変えると、来た道を黙々と戻って行く。

 津衣菜も鏡子も、さっきの言葉についてそれ以上尋ねる気にもなれず、ぼんやりと彼女のお供を続けていた。

 津衣菜の視界の隅、前方の橋のたもとに動く影を見つけたのはたまたまだった。

 こんな時間に、人がうろうろしている様な場所じゃない。

 釣りか。掃除か。

 津衣菜は頭の中で、『そこに人がいる合理的な理由』を探しながら、影を良く見ようと目を凝らした。

 そして、それが自分の知っている人間だと気付く。

 黄色いダッフルコートと横分けのショートヘア。

 西高の元クラスメート、小川紗枝子。

 学校の暗部を数人の仲間と共に告発したらしい彼女だが、その様子はどこかおかしかった。

「何だよ自殺女……知り合いか?」

「まあ、一応」

「フロートじゃないよな。真っ当な生者の女子高生が、こんな時間にあんな場所で何やってんだ」

 紗枝子は、膝を曲げて屈んだ姿勢のまま、ふらふら揺れて笑っていた。

 彼女の傍には誰もいない。

 いつの間にか車椅子を止めていた雪子が、津衣菜へ再びスマホを求めて来た。

「雪子?」

 雪子はさっきよりも素早く、荒く画面をなぞり、津衣菜へ突き返す。


『危険ドラッグ。もろに合成カンナビノイドハーブ。あの子かなりハマってる。私は知っている……あのままだと死ぬよ。私のように』


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