85日目(4)
85日目(4)
夜の木々の間に薄く漂うもやは、霧ではない。
ここまで流れて来た煙の中を、丸岡と津衣菜は走る。
林道では、さっきまではなかった赤い光が、いくつも点滅している。
消防車やパトカーが、町の方から林道の奥まで、どこまでも続きそうな列をなして並んでいた。
行き交っていた警察官や消防隊員の目の前を一瞬で駆け抜け、林道を横断する。
彼らの視線がここにいない筈の一般人に向いた時には、二人はポンプ車の屋根を蹴って林の中へと消えていた。
西沢病院の方から再び爆発音が、続けて二回響いた。
病院に近付くにつれて、林の中を漂う煙は濃さを増して行く。
普通の人間だったら、窒息や一酸化炭素中毒の危険を感じるレベルだ。
やがて、闇と煙の奥から数人の人影が浮かび上がる。
病院に迫っていた炎を爆薬で吹き飛ばし、自分達の道を作ったフロートと発現者の群れ。病院から出て来た彼らは、暗い林の中をのそのそと進んでいた。
「……ふん、どこ行こうってんだあ」
樹上から彼らを見下ろしていた丸岡は、手元の筒を彼らに放り投げる。
中心にいた三人が炎に包まれ、じたばたともがき出す。残りの者は、助けるでも逃げるでもなく彼らから距離を取って、おろおろしていた。
炎上した中の一人が爆薬を持っていた。樹木も折れそうな爆風が吹き上げ、彼らは一人残らず吹き飛ばされる。
「おめえらに、行く所なんてねえんだよ」
病院前には二人のフロートが待機していた。
病院の中にも移動の順番待ちだったのか、何人かフロートや発現者がいる様子だ。
林の中から丸岡がおもむろに姿を現した。丸岡は大股で彼らの方へ歩みながら、手の中の銃を何発も撃ち込で行く。
猟銃ではない。遥や曽根木の持っているのと同じ、回転式拳銃だった。
いくつかの蔦の垂れ下がった窓から、フロートが彼へとショットガンを撃ち返す。
丸岡は倒れたフロートの一体を起こすと盾にして、そのまま窓の連中と撃ち合いを続ける。
病院玄関にも、新たなフロートが現れた。柱から半身を覗かせて撃って来る。
丸岡は起き上がって、撃ちながら玄関へと駆け寄る。
玄関前のフロートは頭を撃ち抜かれて倒れた。
窓際のフロートが、ショットガンをスライドさせていた時、窓の外から何かを投げ込まれる。
自分達の爆薬とも似ていた、金属製の筒状の物体。その両端から煙と炎が噴き出し、次の瞬間、彼は全身を燃え上がらせていた。
窓のすぐ下を屈んだまま走って、津衣菜はもう一つの窓から撃って来るフロートも同様に片付けた。
煙を上らせる窓から、津衣菜は病院の玄関側へと向き直る。
扉手前の一人が倒れた、その更に奥から、何かが丸岡へと投げつけられるのを見た。
津衣菜は瞬時に十メートル近く駆け、その勢いで丸岡にタックルし、更に十メートル転がる。
同時に彼の今までいた場所は、土煙を上げて爆発した。
その瞬間、津衣菜は見た。玄関の奥、待合室だっただろうスペースに乱雑に積み上げられた木箱を。
「くそっ……おおう!? 何だおめえっ!?」
丸岡の怒鳴り声を背に、津衣菜は窓の一つへ駆け寄る。
飛び込むとそこは診察室の一つだった。中ではフロートが燃えながら倒れている。
その傍らに転がっていた猟銃を拾い上げると、部屋のドアから廊下へ出る。
廊下には発現者が二体、出て来た津衣菜へゆっくりと顔を向けるが、津衣菜は銃身をスライドさせて散弾を出会い頭の彼らへと浴びせた。
彼らは一瞬のけぞるも、ダメージを感じないかの様に彼女へ向かって来る。
だが津衣菜が二発目を放った時、その首から上が綺麗に吹き飛んだ。散弾とスラッグ弾が交互に装填されていたらしい。
残りの一体も再び散弾を浴びると、原形を留めない程に崩れた顔で倒れた。津衣菜は弾切れの銃を捨てて、一直線に玄関へ向かう。
待合室では、フロートの一人がさっき見た木箱に手を突っ込んでいた。津衣菜に背を向け、玄関の向こうの丸岡を見据えている。
リュックから出した円筒を、スイッチを入れてから3数えて、その背中へと投げつける。
フロートの男が振り返るよりも先に、オレンジの炎は木箱の一角と男の全身を舐め上げていた。
瞬く間に炎は、木箱全体と周りのボロボロの絨毯へ広がって行く。
もがきながらも津衣菜に立ちはだかろうとした男の目に、眩く明滅する赤と青のLEDフラッシュ。
明後日の方向へ腕を伸ばした男を躱し、津衣菜はそのまま玄関から外へと走り出た。
「何だ、何やったんだおめえよお……」
「―――――逃げろぉっ!!」
丸岡の問いにそんな叫びで答えた時、玄関口から炎と土煙が猛スピードで噴き出して、次に一階部分全てが土煙を上げて崩れ落ちる。
音とも地面の振動ともつかない、『ずどん!』という衝撃波が少し遅れて二人を襲った。二階部分からも煙は噴き出し、フロートらしき誰かが、窓から宙へ放り出されるのも見えた。
爆発音は三度続き、濛々とした土煙の中、病院廃墟はその半分以上が崩落していた。その中から出て来るフロートや発現者は、一体もいなかった。
「病院の横に小道があり……その奥……小さいんだろうけど、そこにも奴らの場所があるらしいんだ」
今や殆ど瓦礫と化した病院廃墟の裏。
先へ進もうとした丸岡を呼び止めて、津衣菜は気になっていた事を伝えた。
津衣菜が捕まっていた間に聞いた、フロート達の会話内容。一人、あるいは数人、『展望室』と呼んでいる、その場所に常駐している。
「おお、だけどよお、その病院横の道ぁよお……」
丸岡はそう言いながら、顎で左手方向を指す。
その先では津衣菜の言った小道が、林の奥へと伸びていた。そして、数十メートル先で炎の壁に遮られている。
その『展望室』や、そこにいた連中がどうなったかは分からないが、そこからフロートの援軍が来る可能性はゼロに思われた。
病院脇だけではない。教会の近くにも、津衣菜達の背後にも火の手は迫っている。
消防車はひっきりなしに林道を往復しているが、火災が縮小する気配はなかった。
辺りに立ち込める霧の様な煙も、濃さを増す一方だった。
「もう挟み撃ちにされる心配はあんめえ。奴さんは削られた頭数を教会に集める他ねえ」
「普通、救出するだけなら、敵を集めるってないと思うんだけどね……」
「馬ぁ鹿。散らばって、どこにどんだけいるか分かんねえうちが、奴らの強みだろがあ。あのままでは二人で嬢ちゃん助けるなんて無理だったんだでえ」
「本当かな……?」
内心、丸岡にとって日香里の救出は口実でしかなく、彼らの殲滅を優先していただけなんじゃないかと疑っている。
津衣菜の疑念は、突然耳に飛び込んで来た咆哮に中断された。
二人は、さっき背を向けた小道へと振り返る。
「な……何じゃあ……」
「嘘………でしょ?」
小道の奥の炎から、火ダルマの男達が三人、叫びながら突進して来た。
ここまで燃えていると、彼らがフロートだったのか発現者だったのかは、最早判別出来ない。
彼らは真っすぐ津衣菜と丸岡を睨んでいた。林に火を放ち、病院を爆発させた犯人が誰か、自分達を滅ぼしに来た敵が誰か、良く分かっている様子だった。
彼らに筒は無意味だった。丸岡は咄嗟に拳銃を撃つが、いまいち狙いが定まらない。
「顔、火傷しねえよおにゃ気ぃ付けろよ……一応、娘っこなんだから」
「一応って何よ」
そんな言葉を交わしながら、二人が荷物を下ろして身構える。
しかし、彼らのスピードはみるみる遅くなり、数メートル手前で突進体勢のまま完全に動かなくなった。
「肉が……固まっちまったか」
黒煙を立てながら燃え続ける彼らは、炭化もし始めている様子だった。
「逃げればいいのに……どうして……」
「先がねえ事、こいつら自身が良く分かってんだろうよ。滅ぼしてやんのも慈悲ってやつだあ……」
丸岡が、自分自身に言い聞かせる様に呟いた。
教会への道はますます煙が充満し、数メートル先の視界も取れない程だった。
あれだけ煩かったサイレンの音も、この辺りでは聞こえない。消防車もここまでは来ていないのだろう。人間の立ち入れる状況ではなかった。
「もう火事場真っ只中だあ……空気の流れで分かんだろ……アンテナはしっかり張っとけ……火に巻かれたらフロートでもお終いだからよお……」
言われるまでもなく『火の気配』には十分注意していた津衣菜だったが、炎は自分達には近付いていない。
前方がまるで見えなかったが、教会に近付いている事は分かっていた。
微かに聞こえて来る、オルガンの音。あの時と同じ、讃美歌の音。
「諸人こぞりて迎えまつれ……主はきませり……主は、主は来ませり……」
オルガンに合わせて、丸岡が唸る様に口ずさむ。変なこぶしを入れているせいで、讃美歌じゃなく演歌に聞こえそうだったが。
「あんたも知っているの」
「こいつぁたまたまよ……ガキの幼稚園のクリスマス会で、無理矢理歌わされた事あんだ」
津衣菜もどことなく聞き覚えのあるメロディだった。クリスマスには良く流れていたかもしれない。
「悪魔の一矢を打ち砕きて、虜を放つと……主は来ませり……この世の闇路を照らしたもう……絶えなる光の、主は来ませり……」
そんな歌詞なのかと、津衣菜は丸岡の歌に注意を向けてしまう。
今、これをオルガンで弾いているのは、間違いなく『王』だ。しかし、『虜を放つ』のは私達だ。
『闇路を照らし』たがっていたのは日香里で、今、闇を照らしている光は、全てをご破算にする炎だ。
知っている曲を適当に弾いているだけなのだと思うが、この曲で彼が自分達を待ち受けている様にも聞こえてしまう。
注意されていたにもかかわらず、津衣菜は讃美歌について考え過ぎていた。自分の胸元に高さに張られたワイヤーに、引っ掛かるまで気付かなかった。
「馬鹿野郎!」
丸岡が怒鳴って津衣菜を突き飛ばす。次の瞬間、視界全てに土煙が吹き荒れた。
見えない巨大な足で、数メートル蹴り飛ばされたみたいに感じた。
土煙の向こうに、丸岡が倒れている。彼の右肩から先が消えていた。
「丸さん!」
津衣菜は立ち上がると、彼に駆け寄る。丸岡もゆっくりと上半身を起こして苦笑した。
「気ぃつけろつったじゃねえかよおぃ……ったく、おめえとお揃いじゃねえか……やだなあ……」
「他には? 怪我した所はない?」
「ああよ……右腕だけよう……こうなったらよぅ、丸さんも何か強そうな義手でもつけましょうかねえ……」
「すまない……私のせいだ……でも、どうして」
「あん?」
「どうして、私をかばった? 咄嗟に避けていれば、あんたは無事だった筈だ」
身を呈して守る程の仲間意識など、互いに持ってはいなかった筈だ。
それ程自分自身も大事にしないフロートの感覚とは言え。爆弾が爆発する時、誰を真っ先に助けるか、優先順位はある。
「俺ぁよ……お前を仲間に入れるの、最後まで反対してたんだ」
苦笑しながら、いきなり丸岡はそう言った。
「おめえは自分で、『生きるのを辞めた』んだ。そういう奴を受け入れんなあマズいと思ってた。何かありゃあ叩き出してやる、ずっとそう思っていたんだ」
向伏のフロートにそういう奴が多い事は、最初の日から知っていた。そして、この男が自分にあまりいい感情は持っていないだろう事も、薄々感じてはいた。
だけど、それを結びつけて考えた事はなかった。津衣菜の排除を主張していた連中。丸岡は自分がその筆頭だと言っている。
津衣菜もそういう手合いの奴と、これだけ多く喋った事など今までなかった。日香里も含めて。
「だったら、どうして……」
丸岡の告白は、津衣菜の疑問の解からは余計遠ざかっている。それ程彼女を嫌っていたなら尚更、身を呈して助ける意味はあるのか。
「でもよぅ、実際に会ったおめえは……そっくりだったんだよ。俺んちのクソガキによぅ。もう十年以上前に嫁に行っちまったけどなあ。誰に似たんだか、捻くれてて、嘘ばっかりついて、怒りっぽくて、協調性もなくてよ……だけどよお、あいつなりに、しっかり生きてたんだ」
丸岡は顔を上げて津衣菜をじっと見た。ぎょろ目を細め、困惑したような表情で。
「おめえも生きてんじゃねえか。そして、あいつだって一歩間違えりゃ生きるの辞めてたかもしれないとか、そう思うと……もう、良く分かんねくなっちまったんだよ」
「私が……生きてる……?」
「おお、丸さんにゃそう見えんぜ。死にたい死にたい終わらせたいつって、魂は生きてるんだよ。これは死者じゃねえ。俺もよぉ、新しい、難しい事は分かんねえんだ。フロートとシンクって何だろなあ」
「私が聞きたいよ……」
丸岡の問いに津衣菜も苦笑で返す。
教会まであと少し。
もう庭園の中まで来ている事に、津衣菜は見覚えのある菜園跡で気付く。
濛々たる煙の向こうで十字架だけが、炎に赤く照らされ浮かび上がって見えた。
銃声が続けざまに響く。そして、間近で轟く爆発音が一つ。
向こうにこちらの位置は掴まれていないが、来た事だけは気付かれている。
主はきませり。主はきませり。
オルガンの音と共に、少し苦しげな日香里の歌声が聞こえていた。




