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フローティア  作者: ゆらぎからす
1.フロート
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2日目(2)

 2日目(2)



 橋を渡って30分程歩き、国道を渡った先の住宅街に入ると急に疲労を覚えた。

 今の自分に疲れがあるとは、津衣菜にも予想外だった。

 だが、何もしたくない、どこかで休みたいという欲求は強く湧いている。

 この時間にもなると、大半の家が窓の灯りもなく、辺り全てがひっそり静まり返っている。

 津衣菜にとっては歩き易かったが、万が一、巡回中の警察官とかに遭遇してしまったら面倒にも思えた。

 津衣菜はこの住宅街の奥にある団地を目指していた。

 団地には付属の児童公園もあり、彼女の休めそうなスペースにも心当たりがあった。

 四角く複数並ぶ居住棟のシルエットが見える所まで来た時、津衣菜の耳は微かに奇妙な音を捉えた。

 子供の声。弾ける様に笑いはしゃいでいる。

 団地の住人の多くは家族連れで、公園だってあるのだから、子供の声だってするだろう。

 しかし、今は午後11時過ぎだ。どんな理由を付けても子供が遊んでいる時間じゃない。

 駐車場の中から居住棟の脇を回って、津衣菜は児童公園に向った。

 公園に近付くにつれて声はけたたましくなる。


 きゃははははは

 きゃっ、きゃきゃ、きゃああーーっ

 やああああーーーっ、ええーーーいっ


 公園では、プラスチックの動物達の間を縫って、二つの小さな白い影が走り回っていた。

 性別は分からないが5、6歳くらいの二人の子供。

 走るだけではなく動物達の背中に登って飛び移ったり、小山に体当たりで跳びついたりしている。

 その間も彼らは、大きな声で叫ぶように笑っている。

 適当に座ろうと思って津衣菜はベンチを探す。

 その間も、子供達は滑り台を駆け下りたり駆け上ったり、手前のブランコを蹴飛ばしてチェーンにしがみつき激しく揺さぶったりと、やりたい放題だった。

 自分がこの位の頃、こんなに楽しそうにはしゃぎ笑っていた事があったか、津衣菜は思い出せない。

 しばらく公園の端のカバに腰掛けて子供達を眺めていた津衣菜だったが、ようやく時間以外の異常な点に気付いた。

 親や保護者の姿がどこにもない。

 こいつらの親は何をやっているのか。

 それに、子供達の尋常ではないテンションも、『注意する大人がいないから』だけではないものに見えた。

 何かの本で読んだ、認可されていない外国製の風邪薬の話をふと思い出す。

 強力な効果の触れ込みでメディアでも注目を集めたその薬は、個人輸入で広く出回っていた。

 ある母親が風邪をひいた子供にそれを与えて放置していたら、高熱で伏せていた筈の子供は、真夜中に家を飛び出してそこらで騒ぎ回っていたとか。

 気にはなったが、子供達に声をかけたりする気にもなれない。

 自分から首を突っ込む事ではないとも、津衣菜には思えた。

 どんなにこの子供達が異様に見えようが、所詮は生きている人間の世界の事でしかない。

 こんな時間にこんな場所で何をしている、家には帰らないのか。

 そんな問いは、悉く自分にブーメランとなって返って来る。

 子供達の喧騒を諦めめいた心持ちでやり過ごせる様になると、津衣菜の意識に言い様もない寂寥が湧いて来る。

 この世の、生きている人間達の、あらゆるものと自分は隔てられている。

 だからこそ、この心に見合った、現実に無人の静寂が欲しかった。

 死人らしく朽ちて行ける時間が欲しかった。

 この寂しさと静けさを求めて夜を彷徨ったのに、どうしてこう訳の分からない奴らばかり次々と自分の前に現れるのか、変な目にばかり遭ってしまうのか。

 寂寥は苛立ちと疲労感に置き換わる。

 津衣菜は左手でこめかみの辺りに触れる。

 さっき石をぶつけられたそこには、2,3センチ程の皮膚の裂け目が出来ていた。

 骨まで見えそうな深さなのに、血も流れていない。

 前髪から左サイドにかけての辺りを撫でてみると、焦げた髪が一筋、容易く千切れた。

 髪はまた伸びるだろうか、傷は塞がるだろうか。

 髪だけでなく、制服の上着やスカートのあちこちにも焦げが出来ている。

 明日になれば、昼間に人前を歩く事はますます難しくなるだろう。

 視線を感じて、瞬時に津衣菜の首から背中に冷気が走る。

 顔を上げたら子供達と目が合った。

 彼らはもう騒いでも走ってもいなかった。

 滑り台の前に並んで、津衣菜を無言でじっと見つめていた。

「………」

「………」

「な……なに……?」

 子供達と津衣菜はしばし無言で視線を交わしていたが、最初にぎこちない言葉を発したのは津衣菜の方だった。

 ここまで露骨に注目されて、気付かないふりは出来ない。

 子供達からの返事はなかった。

 2人はちらと目配せ合って、再び津衣菜をずっと無言で見つめている。

 津衣菜はその視線に気圧される様に、口を開いて何かを言おうとするが、口を動かすのに慣れていなかった時みたくうまく言葉が出て来ない。

 口だけでなく、頭にも今言うのに妥当な言葉が浮かんで来なかった。

「あ……い…いえの……ひとは、いない…の……?」

「……」

「だれか……まって…た…の?」

「……」

 出て来るのは、PTAの補導員とかが言いそうな質問ばかりだった。

「ああ……だめだとか…じゃ……ないよ」

 言い訳がましく言葉を足してから、やっぱり放っておこうかと津衣菜は思い始めていた。

 これ以上彼らへの適切な質問は思い付かなかったし、彼らの様子から、そんな問いには答えてくれなさそうにも思えた。

「こんな……夜中に遊んでて……楽しい?」

 ふいにそんな事を尋ねていた。

 暗がりの中で子供達が顔を見合わせる。笑った様な気がした。

「おねえちゃんも―――でしょ」

「……え?」

 耳に飛び込んできた幼い声。単語が聞き取れなかった。

 津衣菜が聞き返した時に、たたたたっと小刻みの足音が響いた。

「あ、ちょ……っと」

 二つの小さな影は、津衣菜を背に団地の奥へと向かっていた。

 津衣菜が立ち上がって一歩進んだ時、一人が振り返って彼女へ笑いかける。

 津衣菜から逃げるのでもなく、置いて行こうとしているのでもなく、ついて来いと誘っている。

 津衣菜は一瞬だけ逡巡し、大きく足を踏み出して、徐々にその動きを速めながら子供達を追った。

 幾分慣れて来たとは言え、感覚のない足をここまで速めるのには勇気と、細心の注意が必要だった。

 さっき自分の足があれだけ動いたのは、やはり無我夢中だったからという事でしかなかった。

 駆けているにもかかわらず、子供達の速さは津衣菜が見失う程ではなかった。

 団地の一棟に入った彼らは階段を上り、踊り場から裏手へ軽やかに飛び降りた。

 知らず知らず、津衣菜はその動きをトレースしていた。

 右手だけを手すりについて、全身を捻りながらその向こうへ。

 あまり手入れされてない雑草の茂った土地を、ざっざっと鳴らしながら追い続ける。

 雑草が切れるとアスファルトの地面。団地の敷地から裏手の道路に出ていた。

 その頃には津衣菜も、何となく気付いていた。

 彼女の前方を駆けて行く子供達は、自分と同じだと――「動く死体」なのだという事に。



 住宅街の中でも、二人の子供は津衣菜に追いつかれず、かと言って振り切ってしまう事のない距離をキープしていた。

 角を曲がって消えたかと思ったら、先の角で笑いかけながら塀の影へと去る姿を見せる。

 3人は車の通れる道から、一戸建ての住宅とアパートが混じって密集するもっと狭い路地へと入り込んでいた。

 遠く、どこかの家で見ているテレビの音も聞こえる中、静かな追いかけっこを続けていた。

 細い砂利道に入って、津衣菜は目を凝らす。

 子供達の前方で道が消えていた。

 勿論、本当に消えていた訳ではない。

 道の終わりに一段、コンクリートの土台があり、その両脇には鉄製の手すりが見えた。

 この先は下り階段だ。

 津衣菜は、子供達が何を考えてこんな所へ来たのか分からなかった。

 幾ら何でも、彼らが今のペースで階段を駆け下りられるとは思えなかった。

 階段の上り下りだけは、津衣菜にもスムーズにこなせそうにない。

 子供達は道を間違えたのかもしれないと彼女が思った時、彼らは躊躇する様子もなく階段へと突進し、それぞれ左右の手すりに飛び乗っていた。

 そのまま、小さな足音と共に更に加速して、手すりの上を滑りながら駆け下りて行く。

 階段前に着いた津衣菜が見た時、子供達は一番下まで到達し、二人同時に地面に着地する。

 階段の手すりを走ったり滑ったりするのは、マンガとかではたまに見かける描写だった。

 実際にやっているのを見るのは初めてだ。

 津衣菜は恐る恐る、彼らの駆けた手すりに視線を落とす。


「やめときな。フロートなら出来るってもんじゃないよ、それは」


 その声は下の方からだった。

 少し低めの、津衣菜よりも年上っぽい、女の声。

「めんどくてもフツーに降りた方がいいね。この子たちももう逃げないから」

 階段の下では、道が横に伸びていた。

 道の向かいには白い柵があり、その向こうに線路が見えた。

 階段を下りた子供達は、右へと駆け出そうとした所で立ち止まり、道の先を見ている。

 彼らの視線の先、柵の傍らに誰かが立っていた。

 街灯が逆光になり、黒いシルエットしか見えなかった。

「ハルさんっ、こんばんは」

「はるかさん、ここで待ってたんですか?」

 子供達はさっきより騒がしめな足音を鳴らし、そのシルエットへと駆け寄る。

「探したよ。また遊びに出てたのかい……今夜は外に出ないで大人しくしとけって言ったろ?」

「ごめんなさい、つい……」

 少し咎める感じの声に対し、子供達は頭を垂れて素直に謝っていた。

「でもー、でもっ」

 子供の一人が顔を上げ、打って変わって期待のこもった声を上げた。

「ハルさんこっちに来たって事は、今夜はもう大丈夫って事だよね!」

「あんたら……」

 道の先からは、子供達の切り替え早さに呆れたらしい声が返って来た。

 もう一人の子供も、うんうん頷きながら隣に合わせて元気よく言った。

「そうです! それに、新しいおねえちゃんも見つけたんですよ!」

 下でのやり取りの間、津衣菜は手すりにしがみつく様にして一段一段、必死で階段を下りていた。

 3人の視線が一斉にこちらへ向いたのを感じた。さっきの冷気が甦る。

 瞳孔の開いた6つの目は薄赤く光りながら、津衣菜を刺す様に見据えていた。

「ああ知ってるよ。見慣れないのが一緒にいるなと思ってね……あれ?」

 前方からの声がふいに途切れた。

「へえ……」

 しばしの沈黙の後、シルエットは興味深げに呟くと子供達と一緒に階段へ近付いて来た。

 津衣菜が階段を降り切るまでまだ数メートル残っていたが、彼らが街灯の下まで来ると、人物の姿がはっきりと浮かんだ。

 声で女性だと思ったが、現れた外見はいまいち性別を特定しにくいものだった。

 髪は耳が隠れる程度の長さのショートヘア。

 黒っぽいジャケットと踝までのパンツで、背が結構高い。

 170はなさそうだが、津衣菜よりは頭一つ分以上高い。

 鼻筋が通ってて切れ長の目、声と同じく大人っぽい整った顔立ち。

 津衣菜には二十代半ばぐらいに見えた。

 だが彼女の顔は、その造形以上に印象付けられる特徴があった。

 左の目尻から頬骨、口の左側にかけて、赤と紫と灰色の入り混じった痣が大きく縦に走っていた。

 その毒々しい色を際立たせるかの様に、肌も血が通っているとは思えないほど白く、どこか暗かった。

 津衣菜や子供達と同じく。

「もうここまで来たんだ? 随分早かったじゃない」

 最後の一段を下りた津衣菜に、彼女はニッと笑いかけて言った。

 津衣菜は彼女の言葉の意味が、すぐには呑み込めなかった。

「歩きだったんだよね? あの山から」

「――!」

 反射的に、津衣菜は彼女を凝視しながら一歩下がる。

 子供達がきょとんとして彼女と津衣菜を見比べながら尋ねた。

「ハルさん、おねーちゃん知ってたの?」

「ん? いいや、私も会うのは初めてさ。そうだよね?」

 子供の質問に遥はかぶりを振って、津衣菜に同意を求める。

「あんた……誰……?」

 彼女を睨んだまま、津衣菜はこの状況で誰もが持つだろう疑問を、ようやく口にした。

「私は遥。契里遥(ちぎりはるか)って言うんだ。あんたは?」

「森……津衣菜」

 聞きたかったのは名前ではなかったが、あっさりと答える遥に津衣菜は名乗り返してしまっていた。

 遥は、津衣菜の名前を聞いて、何故か一瞬だけ表情が消え口元を薄く歪めたが、また元の笑顔に戻していた。

 笑みを浮かべつつも、何か考えている様子で名前を反芻する。

「もり……ついな……ついなか。よろしく津衣菜」

 よろしくと返す気にはなれなかった。

 沈黙したまま彼女を睨み続ける。

 一見友好的で話も通じそうな物腰だが、津衣菜には、今夜出会った連中の中でも一番得体の知れない相手に見えた。

 そもそも、自分と同じ状態で「普通の笑顔を作れる」というのが、津衣菜から見て尋常ではない。

 仕草や喋る言葉だって、あまりにも滑らか過ぎる。

 遥は津衣菜の態度を気にした様子もなく、目線を下から上へと動かして彼女の全身をチェックする。

「近くで見ると結構酷い有様だね。あいつらのせいで服もボロボロだけど、それ以上に――」

 値踏みする様な視線は、津衣菜の顔の上で止まった。

「こう言っちゃ何だが、あんた随分と『顔色悪い』な。死後どれくらいだい?」

「…………二日」

「二日か。それだけ何の処置もせずに一人でやってたんじゃ、まあ仕方ないかもね。これ飲んどきな。ちょっとはマシになる」

 遥は半透明の小さなパケを摘んで、津衣菜に放った。

 キャッチしたそれを津衣菜は軽く振る。袋の中には石灰っぽい白灰色の粉が塊になっていて、振られた衝撃で形を崩しさらさらと揺れた。

「私らは消化しないからね。コップ一杯のスポーツドリンクに解かして飲むと良い。浸透したら勝手に体内で広がってくれる」

「これは?」

「話すと長くなる。おいおい教えたげるよ。フロートの痛みや腐敗を抑える効果があるとだけ覚えといて」

 津衣菜は何も答えず、自分の顔の前にパケをかざし続けていた。

 左右に揺れる粉を見ながら、ついさっきの記憶を反芻する。

 団地の児童公園。

 子供達は顔を見合わせ、一人が津衣菜に言った。


 おねえちゃんも――『フロート』でしょ?



「私が山での事を知ってるのを、怪しいと思ってるかい?」

 返事もせず睨み続けている津衣菜の警戒心を見透かした様に、遥が言った。

「簡単な話さ。あんたを張ってた奴らを、私らが張ってたんだよ」

「張って……た……? 私……ら……?」

 さらっと言う遥だったが、津衣菜には彼女の話が根本的な所で理解出来なかった。

 複数の人間の集団が自分を「張る」――選別し、監視し、追跡し続けているなんて事を当たり前の前提にされても理解し様がない。

 人の目につかない場所で死に、死体のまま起き上がり、二日足らずだがそれを隠して生活していた。

 その果てに、人のいない場所へ消えようとしていた津衣菜。

 あの男達はそんな彼女を、わざわざ夜の山で待ち構えていた。

 誰にも話していない、自分でさえ現実感がなかった津衣菜の変化を、奴らは彼女自身より確信していた。

「市内に網を張って、あいつらはいつでも探しているんだ。自分達の狩るターゲットを。あんたみたくフロート丸出しでウロウロしてれば、速攻あいつらのレーダーに引っ掛かる。いつどこで見つけたのかまでは知らないけど、夕方前にはあいつらのSNSに、今日の『ゾンビ狩り』の告知が上がった。あんたの顔写真と現在地付きで」

 遥は自分のスマホを津衣菜の顔の前へ突き出した。

 用水路の橋の下、しゃがみ込んでスマホ画面を眺める津衣菜の灰色の横顔がそこに大写しになっていた。

 その場所でそうしていた記憶は確かにあったが、撮られた覚えなどなかった。

「二時間そこらで今日動ける仲間をかき集めて、その間もあんたの動きをつぶさに監視していたんだ。山の公園に向かっているって踏んで、あいつらはゲームのプランを固めた。奴らは慣れているのさ、その辺の人達の中からフロートを見つけ出す事と、狩り場を作る事に」

 遥が指先で画面をスクロールすると、向伏市内の地図が現れた。

 少し曲がった矢印が赤く書き込まれている。

 矢印が、今日自分の歩いた道であると津衣菜はすぐに分かった。

 矢印の先、童茅地区への橋と、山へ登る道、その先の公園入口にかけて複数、奇妙なマークが表示されていた。

 アルファベットのAを中央に、GとCを重ねたマーク。

「橋の辺りで車を見なかったかい? あれもあいつらの仲間さ」

 津衣菜は画面から顔を上げる。

 あののっぺりとして絡みつく様な気配を思い出した。

 遥の指先で画面が、あの橋のたもとに停車するあの車を写している。

「あんたが山に向かってるのを確認して、公園と別の候補ポイント2か所の仲間にゲームスタートの合図を出す。そしてゲームのフィニッシュが奴の仕事だった」

 画面が地図に戻り、遥が点在する奇妙なマークをタップする度に、プレーヤーデータが現れる。

 アイコンとプレーヤーネームの下に、それぞれの配置場所が連中にしか分からない英数字の組み合わせで表示されている。

 装備欄には、石やブロック、斧や鉄パイプ、金属バット、ボウガンと矢、火炎瓶やスチールタンクなどの様々な図柄のアイコン並んでいた。

 並んだアイコンの数で、所持数を示しているのだろう。

「あんたが橋を渡った時はスルーしておいて、その後、細道の出口へ移動し、待っていたんだ。追い込まれて出て来たあんたを、思いっきり轢く予定だったのさ。あいつはガソリンをスチールタンクに詰めて持っていた。車のガス欠に備えじゃない……あんたを轢いた後のフィニッシュに使うつもりだったのさ」

 ここはまだフィニッシュじゃない。

 火炎瓶片手に、奴らの一人はそう言っていなかったか。

 津衣菜は襲撃された時の記憶を辿る。

 火炎瓶が最後ではなかった。

『これで終わりではない』と思っていた自分の勘は、やっぱり正しかった。

 舗道に出て、進んで言ったその先に、本当に最悪なものが待っていたのだ。

 だが、実際には追手は現れず、車も――――

「勿論、その前に私らで囲んじゃったからね。自分の置かれた状況を理解して頂き、静かにお引き取り頂いた。あんたが来た時にはもういなくなってたって訳さ」

 津衣菜が話と事実との食い違いについて尋ねるよりも先に、遥は種明かしをした。

「畑の真ん中であんたを追い回していた奴らも、同様に途中退場して頂いた……ああごめん、こちらは静かって訳でもなかった。結構力ずくだったって報告が入ってる」

「ちょっと……待って……」

「ん?」

 続きを話そうとしていた遥を遮って、津衣菜はさっきから気になっていた事を尋ねた。

「あんたには……仲間がいるのか?」

 遥の話だと、彼女には津衣菜に目を付けて狩ろうとしていたあの不気味な連中を、更に外側から監視し、包囲出来るだけの仲間がいる事になる。

 どう考えても、それはかなり大きな規模の集団だ。

「いるさ。『私ら』って言っただろ? 私も本当はその現場にいなかったんだ。私はこの子達がいつものねぐらにいなかったから市内を探し回っていたんだ。山での事は、そっちに行った仲間からの配信で見ていただけ」

「仲間って……まさか……全員が……」

「ああ、そのまさかだ。みんな、私やあんたやこの子達と同じ、『フロート』さ」

「 『フロート』って何なんだよ? 私みたいな……死んだのに起き上がって……死体のまま歩き回ってる奴を、そう呼ぶのか?」

「そうだ。私らは、私ら自身の事をそう呼んでいる。F・L・O・A・T――死から生へと浮いてきてしまった私達の名称だ」


「じゃあ、そういう奴が、他にも……もっといるって言うのか?」

「いる。この向伏市内でも。日本中でも。そして、日を追うごとに増えている……様々な厄介事と共にね」

 首を横に振るのがここでの自分のリアクションとして一番適切だろう。

 津衣菜はそう思ったが、ギブスで固めた折れた首で、それは叶わない。

 遥から身体ごと顔をそらして、津衣菜は呟いた。

「聞いた事がない。そんな話」

「まあ、テレビや新聞ではまずやらないし、あまり表には出てないよね。かと言って、そんなに隠されてもいない筈だよ。起きている事の規模がデカ過ぎて、とても隠し切れるもんじゃない」

 遥は話しながら、ゆっくりと津衣菜の目の前を通り過ぎ、背中を見せて立ち止まる。

 ちらっと背後を振り返って、言葉を続けた。

「フロートの事も、あいつらの事だって、探せばそれなりに話は拾える。多分、津衣菜は今まで興味ないからスルーしていただけさ」

「いなくなったあいつらは……本当は、どこへ行ったんだ?」

 津衣菜はそう訊ねてから遥へと歩み寄る。

 遥が津衣菜へと向き直った。

「囲んで、どうしたんだ? 殺した……のか?」

「まさか。“ゲームオーバーですよ”と教えて、普通に家に帰しただけだよ」

 即答して遥は笑みを浮かべ、少し間を置いて言葉を続ける。

「身分証確認して、家まで監視付けて、多少“お仕置き”付きで精神的ペナルティも負担してもらったけどね。“ゲーム”だったら仕方がない」

 皮肉めいた言い方で、遥は津衣菜を襲った連中の処遇がどうだったかを説明する。

「私らは人を殺さない。私らのルールで禁じている。例え、フロートを車で轢いてからガソリンで焼こうとする奴らでも」

「どうして?」

「フロートが生きている人間を殺せば、今度は対策部が出て来る。あんな病んだ暇人のお遊びじゃない、私らを人類の敵だと見なしての、国による徹底的な狩りが始まる」

「国……国も……知っているのか?」

「いるという事ぐらいだけどね。向こうも今の所は、どうするか決めかねて調査だけしてる感じなのさ。対策部っていうのは、国が設置した対フロートの機関なんだ」

 誰かもう一人現れて、今までの話は全て映画かゲームの設定ですとか言ってくれないかと、津衣菜はぼんやり考えていた。

 その位、彼女にとって非現実的で、理解の限度を超えていた。

 自分一人だけの事だと思っていた、この不可解な死に損ねは、多数の人間の身に起きていて、それを狩ろうとする連中まで現れていて、国が専門の組織を作って調査に出ている。

 そして、多くの死ねなかった死者――「フロート」は、津衣菜の様に生者達の視線に対して受け身にはならなかった。

「数を増やしたフロートは、より生者から隠れて過ごす為に、あるいはフロートを狩る連中や利用しようとする連中と渡り合う為に、各地で集団を作り協力し合う様になった。その結果、生きている人間の世界の裏にもう一つの、フロートの世界が存在するようになってしまった……それが私達にとっても良い事なのか悪い事なのか、私にも分からないけど」

 新しく目の前に広げられた現実を、津衣菜は整理し切れずにいた。

 この夜の奇怪な出来事を説明付ける種明かし。そして想像だにしなかった、自分の知っていた世界の裏側の姿。

 だけど。津衣菜のキャパシティを完全にオーバーしているこれらの情報も、彼女の本当に知りたかった疑問には、少しも掠っていない。

 自分はどうしてこうなったのか。

 これからどうなるのか。

「それで、あんたはどうするんだい?」

 逆に、遥から訊ねられた。

「え?」

「家に帰るかい? そうするフロートもたまにいる。生前と同じ住所に住み、同じ仕事を続ける――もっとも、家族と同居してたり、学校や会社に毎日通うって生活だった奴は、難しいだろうけど」

 少し間を置いて、遥は津衣菜をじっと見つめながら付け加える。

「あんたはそういうのとも別で、帰らないか……」

 どこか含みのある言い方だった。

「どっちにしろ、みんなを紹介するよ。私らは新しいフロートに会ったらいつもそうしている。身の振り方なんか、その後考えたって遅くはない」

 津衣菜は浮かべる表情もないまま小さく頷いた。

 行く場所もする事もない。正直言って、これからどうするかなど、今夜の彼女にはこれ以上考えられなかった。

 遥は微笑んで、津衣菜の右手を見てから、彼女が左手で取れるように右手を差し出した。


「ようこそ、フローティアへ」






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