47日目(6)‐50日目
47日目(6)‐50日目
「津衣菜さん」
「どうしたの」
「足跡が……」
真っ白な斜面の中、凹みとなって残っていた道。
そこに新しく刻まれていた美玖の足跡は、美也の指差す先で消えていた。
津衣菜は足跡の途切れた先の雪に触れ、次に軽く叩く。
「……固い」
そう呟くと右足を雪の上に乗せ、続けて左足も乗せてみた。
さくっと音を立て、少しだけ靴底が沈んだ。もう一歩そっと踏み出すと、今度は沈まずに立つ事が出来た。
美玖の体重なら、慎重にすれば足跡を残さず進むのも可能だろう。
「みくにゃんはこつぜんと消えてしまった! だが、いないと思ってしまわなければ、どこかにきっといる。いると信じれば、いつかきっと見つかる。チュパカブラがぼくらにそれを教えてく――」
――ごっ
「あのね、がこさん……上からのグーはね、痛くなくても脳に響くだよ。花紀おねえさんの頭が悪くなったら、みんなもきっと困るだよ」
「今以上にそうなる恐れはねえ。心配すんな」
背後の漫才は無視して先へ進む。しばらく探索したが、新たな足跡は見つからなかった。
斜面の下からは遠く、パトカーのサイレンが響くのも聞こえていた。
人も少ない山ふもとの倉庫で、昼間から何発も銃声がしているのだ。付近の住民に通報されない筈もない。
「完全に、凍ってますね……どうして道だけこうなんでしょう」
「掘り返したり踏んだりした上に積もった雪だからってのも、あるんじゃないかな……そんなに遠くまで行ける筈もない……けど」
「何……やってんだよ」
苦しげな声と、リズムの乱れた足音が、ペースを早めつつ背後から近付いて来た。
「するなは走るに急」
「危ないですから」
両脇を梨乃と日香里に支えられた純太は、列の先頭まで来ると、足跡のない雪面を見渡した。
津衣菜が足元の雪に視線を落としながら、純太に答える。
「見ての通りだ。この先だとは思うけど、どこまで行ったのか分かんないし、あまり探す時間も……」
「そうじゃねえよ……お前ら、ここで何やってた……十日前……この、雪の中で」
美也は津衣菜の顔を見る。横目で彼女を見返し、津衣菜は記憶を辿った。
この雪の道は、自分達が掘ったものだった。何の為に?
「……どけ」
純太は、彼を支える二人ごと、津衣菜と美也を押し退ける様にして前へ出る。
数十メートル程先で、道が二手に分かれていた。その分かれ道がどうして作られたのか、津衣菜には心当たりがあった。
「ったくよ……何で、ファイルチェックしてただけの俺が思い出して……報告上げたお前らが……忘れてんだよ?」
呟きながら左側の道を選ぶと、純太は梨乃と日香里から肩を離し、その場で四つん這いとなる。慌てて手を差し出した二人に構わず、彼は這いながら進んだ。
左の道は3、4メートル先で途切れていて、行き止まりには枯れ草に覆われた段差が道を塞いでいる。
純太が無造作に枯れ草を払うと、その向こうには空洞が黒々と口を開けていた。
その横穴を最初に発見したのも、空洞を枯れ草で覆ったのも、津衣菜だった。
「確かに冬眠にはちっとキツそうだな…………おーい……美玖、いるんだろ? そっち行っても……いいか?」
古びた横穴には入らず、入口から奥へと呼びかける。苦し気であまり大きくはない純太の声は、その小さな空洞では良く響いた。
「入って来んなバカあっ! 何なんだよお前、もう誰も見たくないよ! どいつもこいつも、何なんだよっ」
横穴の奥深くからは、そんな半泣きの罵声が返って来た。
津衣菜と美也、続いて花紀と鏡子、梶川と曽根木も横穴の前に到着していた。
彼らも中を覗こうとはしなかった。純太から距離をおいて、声を立てずに様子を見ている。
「おい……」
「うるせえ! もーやだ! やだやだやだ! 私もうここ出ない、ずっと一人でいるっ」
「いや……そこは寒いだろ。長くいんのはきついと思うぜ」
「うるさーい! 純太くんは何で、いつもそうなんだよ?」
「いつもって……何が?」
「一人でくよくよ悩んでー、気回してー、それがすっごくズレてるところだよっ!」
純太の声は、津衣菜達に向けるものや先日美玖を帰そうとした時のものとは全く違う、不器用で朴訥とした口調だった。
「どうして私たちの所に帰って来なかったの? それで、こんな場所でぐちゃぐちゃになって、酷いケンカしてるの……これが純太くんのしたかった事なの……?」
「したいとかじゃねえよ……そうしなくちゃならなかったんだ」
「そんなこと誰も頼んでない。せっかく拾った命じゃない、無駄にしないで」
「拾った命……? 俺が生きてるって言うのかよ……俺は」
「生きてるよ! 心臓止まってたって、呼吸してなくたって、顔色悪くたって……純太くん、ここにいるじゃない。ここでまた、私を見つけてくれたじゃない」
純太は両手を雪についたまま、困った様な顔で空洞の奥を見ていた。
立って歩くには狭い横穴の奥の暗がりから、四つん這いで近付いて来る美玖の姿が浮かび上がった。
「純太くんがいないと……私を誰も見つけてくれないよ」
「俺だって……ずっと探してたんだよ! 自分がこんな、訳の分かんない事になって、どうしたらいいか分かんなくて……もう家族にもダチにも、お前にも会えねえって思って……納得出来る答えが欲しかったんだよ!」
美玖の顔を見て、純太も声を張り上げていた。今にも倒れそうな様子なのに、訴える様な声で、美玖へ自分の感情をぶつけていた。
「ここで俺と同じ事になってる仲間に出会って、ここで答えを見つけようとしたんだ……もうそれも終わりになっちまったけどな」
「じゃあ、これからは私と一緒に探そうよ……! 酔座へ帰って来て、私達で探そうよ。決めたんだもん、今度は私が純太くんを見つけるって」
「お前が俺をかよ……大きく出やがって」
微かに、純太は笑顔を浮かべた。
少しずつ美玖は出口へ、純太の所へ近付いていて、もう彼の目の前まで来ていた。
「美玖、もういいよな。出て来いよ……もう帰ろうぜ」
言いながら片手を差し出すが、美玖はその手を取ろうとせず、まず確かめる様に尋ねた。
「純太くんと一緒にだよ……そうだよね?」
純太は答える代わりに、無言のままもう一度手を美玖の前に出した。
「純太くんが帰って来て、探しもの見つかったら、伝えたい事がいっぱいあるんだから」
泣き笑いの表情を浮かべ、やっと美玖はその手を取った。
「いやーいやぁー、青春だねっ! ラブだねっ! 見ているだけの花紀お姉さんも、思わず照れてしまうのです」
「それ本人たちの前で言ってみろよ。まあ、何かハッピーエンドっぽいけど、本当の地獄はこれからだって感じじゃね? 帰るとか言ってるけど、そんな甘いもんじゃねえし、あの二人似た感じでダメそうだし」
木陰から横穴入口の二人を覗いているのは花紀と鏡子だけで、他の少女達は遠慮してそこからも離れていた。梶川と曽根木は既に分かれ道の向こうまで退却している。
曽根木からは「警察が山に登って来る事はなくなったが、こちらも当分山から下りないように」と注意を受けていた。
「……先輩」
並んで凹みの外の固そうな積雪の上を、ゆっくり歩いていた時、千尋が津衣菜に声をかけて来た。
「何?」
「さっきはありがとうございました。あの、僕が首飛ばされそうになった時」
「ああ、あれ……」
「そして――ごめんなさいっ!」
「――?」
感謝の理由は思い出せたが、謝られる理由にはさっぱり心当たりがなかった。
怪訝な表情の津衣菜に構わず、千尋は言葉を続ける。
「秋頃、先輩に分かった様な事言って喧嘩売った事あったじゃないですか、僕。あれから色々考えて、僕は未熟だったなって、何も分かってなかったなって思って――謝らなくちゃって思ってたんですよ」
「謝る事はないと思うけど……一応言ってる事は間違ってなかったし」
「間違ってますよ。僕は、生前を切ろうとするフロートにも、彼らの意志があるんだと思うべきだったんです。それなのに、あんな自分だけが正しいみたいな言い方で――」
言葉途中で落ち込んだ千尋だが、すぐに顔を上げて思い出した様に言う。
「信梁のあの人……そういう所が先輩に似てましたよね」
「似てるとは思わないけど。あいつに言わせれば私も結局、『生前に囚われてる』んだってさ」
「先輩もですか」
「千尋もその場にいたでしょ……結局あいつも切れなかったし、じゃあ本当に切れる奴とはどういう奴なのか、そうなる事が私たちに必要なのかとか、分からないままになっちゃったけどね」
「分からない……」
「まあ、千尋が気にする事じゃない。特に、千尋や花紀には必要のない話だと思う――違う?」
「うーん……ん?」
津衣菜の言葉に考え込む千尋だったが、思考を中断し耳を澄ます。
どうしたのか尋ねようとした津衣菜の耳にも微かに、がささっと雪を踏む様な、木の枝の雪が落ちる様な音が届いていた。
音は道の外の木々の奥、二十メートル以上先から聞こえた。樹木の陰に、何か不自然な影が蠢いていた。
「いますね……」
「誰……?」
津衣菜は静かに足を進めながら、木々の奥を一層強く注視する。
既に全員帰っていた筈の敵が、まだ残っていたのか。あるいは、石村が心変わりして戻って来たのか。
連中に限っては、十分あり得る事だ。油断は出来ない。
蠢く影は、170~180センチくらい――痩せ形で、緑のコートを着ている様に見えた。
結構長身だな。あんな奴さっきいたかな。
そんな事を考えつつ津衣菜が一歩踏み出した時、僅かにだが雪を踏む音が鳴ってしまった。
影は素早く振り返る。津衣菜達が隠れる暇もなく、「彼」は二人に目を止めていた。
「え……?」
緑のコートではなかった。それは薄く毛に覆われた体表の色だった。
大きく吊り上がった赤い双眸。牙と牙の間から長く伸びた舌。
それが津衣菜達を見ていたのは1秒ばかりの事で、次の瞬間、それは踵を返すと高く跳躍した。
2メートル以上……3メートル近く跳び上がった様に、津衣菜には見えた。跳びながら、それは小さく鳴いた。
「ルゥゥゥゥンヤァッ」
跳躍と鳴き声とを繰り返し、それは白い山林の奥へと瞬く間に消えて行った。
「先輩……あれ、あああああれ……」
「い……いやいやいやいや……か、花紀、そっ、そっちにいるし……」
「チュ、チュパカ――」
「いやいやいや、ないないないないっ、ない!」
引きつった顔を見合わせていた二人の背後に、いきなり声がかかる。
「ついにゃー、ちーちゃん、何かあったのー?」
「え、いやいやいやいや何でもないっ!」
「僕たち何も見てますぇんよね、せ、先輩っ!」
「う、うん! 何でもない! 何も見にゃかったよ!」
必死で手を振って誤魔化す二人に、花紀は小首を傾げた。
「そー? 何か落ちた音が聞こえたけどなあ」
「雪! 木から雪が落ちたっす!」
「そっかあ……あ、そう言えば、ついにゃーとちーちゃん、とうとう仲直りしたんだね。良かったあ」
「そ、そ! 僕たちもう仲良しっすよね! 先輩!」
「そ、そうね! 同じ班の仲間だものね!」
にへらっと笑う花紀の前で、引き攣った笑いのまま千尋と津衣菜は、肩まで組んで見せていた。
利用客もいない無人駅。今そこには生者は一人しかいなかった。
その代わりに、昼間だというのに十人近くのフロートが集まっていた。
「向こうに行ってもやる事なんか殆どないし、多分ずっと冬眠してると思いますよ」
淡々とそんな事を言ったのは松葉杖に手足のギブス姿の梶川だった。
隣の純太も、松葉杖と腹周りのギブスで満身創痍の有様だった。
「たまには起きて、契約分の仕事はやろうよ」
呆れ声で遥が言い返す。
「まあ、どっちみち春になってからでしょうね」
向伏から三駅先の、山の中のこの小さな無人駅から、梶川と純太、美玖は酔座行きの列車に乗る予定だった。
見送りに来たのは花紀と津衣菜、鏡子と美也、曽根木と遥だけ。梶川と純太の仲間である筈の信梁班のメンバーは一人もいない。
この見送り自体が、他のフロートには知らせていない非公式なものだ。
梶川と純太の処遇は、「重大な指示違反行為により、向伏市からの追放処分」という事になっている。
そして、彼らの戦いを支えた津衣菜達については、「そんな事実は存在しない」事とされた。
『二人だけでダメもとで突入したら、予想以上にショボかったアーマゲドンクラブと暴力団員をいい感じに倒して、人質の救出に成功してしまった』
それが先日起きた事の大筋とされている。
遥もこっそり考えていたプランだったが、同時に同じプランを考えていた曽根木に、タッチの差で先に実行されてしまったらしい。
「遥のは色々とダメだったよ……サポートに女の子たちじゃなくて腕自慢の深山班つけるつもりだったろ。彼ら、何かあればすぐ前に出て来るぞ」
曽根木は後日、遥のしようとしていた事についてダメ出しの解説をしていた。
「それに、何よりも……表向き、ルールを言い渡した本人が、それ破る作戦仕切るってのがダメだろ。ここは普段影の薄い奴が汚れる感じで丁度いいんだよ」
「実際に破った奴追放って言ったの、曽根木さんやないか……」
「みんな遥の決定だって思ってるよ。僕はただの音読屋ぐらいにしか思われてないさ」
「そう、そこもちょっと言っとこうかい……たかっちーもだけど、私の事をコミュニティーの独裁者みたいに言い触らすの、いい加減やめてくんないかな。今回も、私がどんだけ、おっちゃんらにぺこぺこ頭下げて回ったと思ってるんだい」
膨れながら曽根木と言い合っていた遥がここに顔を出したのは、彼女が梶川とこれまた内密に交わした「契約」があったからだった。
酔座市に新しく生まれたフロートコミュニティーに、現地にない対策局に代わって向伏のコミュニティーが薬剤や資金・物資面の援助を行ない、酔座コミュニティーはその代償として調査活動とコミュニティーの拡大を行ない、向伏に情報を提供する。
それが契約の大まかな内容だった。調査活動には酔座だけではなく、「酔座市以北の地域のフロートの活動実態」も含まれていた。
「寒けりゃ動けないんだから……仲間探しも調査もないっすよね」
「もし行くんなら、私も手伝うよ」
だるそうに言う純太へ、妙に元気な声で美玖が声をかけた。
「今行かねえつったじゃん。寒いだけじゃなくて、俺もユキノリさんも全身こんなだぞ」
「えー? だから手伝うって言ったんじゃん。寝てるだけなんてダメだよ。純太くん、昔からそういう所あるよね――動く理由がなかったら作ってでも動かなくちゃ」
「まあ、よろしく頼むよ」
遥が苦笑いしながら、今度は美玖に声をかけた。
梶川が少し驚いた表情を浮かべ、遥に尋ねた。
「遥さん……いいんですか? 僕は生者をそういう活動に関わらせるのは良い事に思えないんですが。遥さんだって……」
「それを判断するのはあんただろ。もう、あんたはこっちのフロートじゃないんだ」
少し寂しげな笑みを浮かべながら遥が言うと、梶川も頷いた。
「ご迷惑、おかけしました。そして……今までお世話になりました」
梶川と一緒に純太も頭を下げる。つられて美玖も頭を下げた。
「たまには向伏に遊びに来るからねー! かのちゃん友達だし、こっちのみんなが元気だよって、純太くんに教えるという役目もあるのだ!」
「んなこと頼んだ覚えねえよ……」
一日に数本しか来ない下りの鈍行列車がホームに着くと、美玖がぶんぶん手を振りながら先に乗り込む。
純太と梶川は続けて最後に一礼して乗ろうとした時、遥が小走りで駆け寄って、二人の顔の傍で短く何かを言った。
津衣菜にはそのやり取りが聞こえていた。
「西へ行く時は、呼ぶかい?」
「お願いします……その時はもう処分もコミュニティも意味がなくなってますよね」
「ジュンタは?」
「行きたかったけど……今は分からないっすね。勿論、美玖は連れてけませんから……」
遥は短く頷くと二人から離れた。
――――西?
津衣菜が怪訝に思っている間に、ドアは閉まり列車は走り出した。
「あ……」
ふいに花紀が声を上げた。津衣菜は花紀を見て、次に彼女の視線の先を追う。
他の少女達も、遥や曽根木も同じ方向を見ていた。
ホームを離れるとすぐの所に、山の斜面をくり抜いたトンネルがあった。列車がトンネルの前へ差しかかった時、周囲の山林の数か所から、赤や青や紫やオレンジの色つきの煙が一斉に立ち昇る。
「発煙筒だね……」
「やっぱり来てたんだ、信梁の子達……」
細い煙は列車の通過に合わせ次々と、車両の上を横切る様に飛び交い始めた。
列車がトンネルに入る瞬間、左右から4本ずつの発煙筒が投擲され、トンネルの上で交差する。
トンネル周りにたなびいていた煙は、闇の中へ車輪の音が遠ざかるにつれて急激に薄れて行った。
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