47日目(2)
47日目(2)
中学校に入学したばかりの頃、私ね、同じ小学校から一緒に来ていた友達と大ゲンカをしたの。
どうしてそんな事になったのか、今じゃ思い出せないけど、その少し前からぎくしゃくしていて……それがとうとうあんな感じになっちゃたのかな。
ひどい事言われて、私もひどい事言い返して、引っぱたいて引っぱたかれて。
教室も飛び出して、入ったばかりのバスケ部にも顔を出さず、そのまま近所の川岸にあったプレハブ小屋でずっと泣いていた。
子供の頃から、嫌な事があったらよくそこに隠れて、一人で泣いたり怒ったりしていたの。
大人にも、他の子にも絶対見つからない、私の隠れ家だった。
あれだけ仲良かったのに、こんな事になるならもう中学校になんて行きたくない。これ以上大人になりたくない。そんな事を考えながら。
そしたら、そこから出たくないのに、そこにいるのがとても怖くなった。
こんな私は、このまま誰にも見つけられず、ここに隠れているしかなくなるんじゃないかって。
だけど、そんな私を、純太くんが見つけてくれた。
突然窓をノックして、「加野内……だよな。開けてもいいか?」って声をかけて来たの。
その時にはもう純太くんの名前も顔も知っていた。同じバスケ部一年の男子だって。
私は、びっくりしたのと、他人に隠れ家知られたのがショックだったのとで、「ダメに決まってるでしょ。何お前、入ってくんなよ、訳分かんない」とかケンカの気分で怒鳴っちゃったけど。
なのに、純太くんは言われた通りに窓を開けないで話してくれた。
私がケンカして、泣きながら走って行くの、純太くんに見られていたんだ。それで、気になって追いかけて、探しに来たんだって。
「この辺まで来たら、ここ見つけるのは簡単だった。俺も昔こんな隠れ家持ってて、キツい時、ずっとそこ籠ってたりしてたから、そういう場所は分かるんだ」
窓越しに、純太くんは私のイライラも愚痴も、不安もずっとそこで聞いてくれた。
そして、最後に、出て来ないかって私に言ったの。
「そいつがいい奴なら、絶対仲直り出来るって。そして、新しい奴とも出会って、そいつとも仲良くなれる。今はそういう時なんだと思うぜ……だからさ、出て来いよ」
私は、あっさり出て来ちゃった。
どうして素直に聞いたのか、その時は自分でも分からなかった。でも、今では分かる。
純太くんが私を見つけてくれたのが、自分の欲しかった答えをくれたのが、本当は嬉しかったんだって。
だから、今度は、私が純太くんを見つける番だって思ったの。
遥からは待機指示が出て、それからしばらく少女達のもとへ連絡はなかった。
SNSで見る限り、彼女達だけではなく他のフロートのグループも同じ状況だった様で、どうやら中心メンバーだけでの話が難航しているらしい。
アーマゲドンクラブ向伏支部長、石村康博。彼のやっている事は紛れもない犯罪行為だった。暴力団員数人と結託して、フロートではない生者の未成年を騙して、人質にしようとしているのだから。
こうなるともう、普通の警察相手でも言い逃れは出来ないだろう。
さっきの動画について話すフロートの中には、快哉の声を上げる者もいた。
「向伏のアーマゲはもう終わりだ」
「この動画を県警の暴対にでも送ってやれば良い。警察がフロートの存在をどう扱おうが、奴らが手を出したのは生者だし、これは完全に人質強要罪だ」
「そう上手く行くかね。ヤクザだってどうせ海老名が揃えたんだろ。その辺の対策立ててあんじゃないの」
勿論、楽観的に見ている者ばかりではない。
そして彼らの多くはあまり関心を向けていないが、美玖が救出されず警察に通報された場合、彼女はただでは済まない。
「仕方ねえよ。フロートにとってこれはもう生者同士のいざこざだ。何かしてくれた方が、奴らの罪状が増えて好都合と思ってるのだっているだろうな」
「そんな……私たちにとって美玖さんは……」
「あたしだって美玖には会って、色々話しているんだ。そんな気持ちにはなれねえ――あいつに、あたしの見たものまで見てほしいとはな」
ショックを受けたらしい美也に、鏡子は暗さを帯びた声でそう答えていた。首のギブスに巻いたマフラーを指でとんとん叩きながら。
彼女達から少し離れた所で座り込んでいた津衣菜は、視線を花紀に移す。
花紀はスマホとタブレットを傍らに置いてはいるが、そのどれにも目を通さず、うつむいてじっとしていた。何かを考え込んでいる様だった。
邪魔しちゃ悪いかと迷いつつ、津衣菜は花紀へ声をかけた。
「花紀」
「うん」
「何か、迷ってることがあるの?」
「うん……ついにゃー、あのですねっ」
「うん」
花紀は頷いてから予想に反して、甘えて来る時みたいな声で、津衣菜に返した。
今度は津衣菜が頷いた。
「じゅんじゅん、どうするのかな……?」
津衣菜は首を傾げる。分からないのは、彼女の問いへの答えだけではなかった。
「どうって、分からないよ……あいつがどうするかなんて。て言うか、私たちにとってそれがそんなに大事なことには思えない」
「そうかなあ」
「大事なのは、私たちがどうするかじゃない? あいつが生前の女友達見捨てる奴だって別におかしくはない。そんな奴はこの世界にいっぱいいるんだから」
「うーん……でも、何だかついにゃーらしいかな、その答え」
花紀は納得していない様子で唸った後に、そんな事を言った。
「花紀はどうしたい?」
「助けたいよ」
「だよね。あんたはそうだと思った」
「ついにゃーは?」
「私は……花紀の望んだ通りにしたい」
少し間を置いて、津衣菜はそう答えた。美玖を助けたいとは言わなかった。
心の底では、それ程に美玖を助けたいとは思っていなかった。彼女は生者で、しかも不用意にフロートの世界に立ち入ってしまった生者でしかないという思いが、津衣菜の中にもあった。
そして、自分が元々そういう人間だったという自覚があった。
自分が誰かに同情し、助けようとするのであれば、それは――花紀がそれを望んでいるから。
花紀は少し驚いた顔をしたが、微笑んで津衣菜の顔を見返す。
「えへへ、うれしーな」
遥から連絡があり、津衣菜と美也、鏡子と花紀だけが、迎えの車に乗って緊急ミーティングに来るよう指示された。
一番近くのマンホールから地上に出て、程なくしてやって来た車。曽根木が運転していた。
信梁地区の以前も来た下水道入口で車を降り、車の影になったマンホールに素早く入って行く。
少年達の拠点には、梶川と純太ほか3人程の少年、そして遥や高地ほか成人のフロートが数人で彼女達を待っていた。
少女達の到着と同時に、梶川が早速とばかり口を開いた。
「揃った様なので信梁班の見解を伝えておきます。これは生者同士の事です。フロートが介入する筋合いはありません。石村も我々を何だと思ってるんですかね……彼女は自己責任なので、放っておくべきです。他の皆さんも、手出し無用です」
「自己責任って……何だよそれっ! 美玖さん、何の為にここへ来たと思ってんだ!」
「フロートがそれでいいんですか? この世から離れて助け合う私たちに、一番似つかわしくない考えじゃないんですか?」
「梶川さん、考え直しましょう。私達で協力し合えば、今度だって美玖さんを助ける事は――」
千尋、日香里、美也が口々に少年達や梶川へ抗議の声を上げた。千尋の傍らの雪子は無言だったが、千尋の言葉に異存はない――様だ。
鏡子は口元を歪めて笑みを作り、梶川をねめつけながら嘲るように言う。
「はっ、これだ。こーゆ―奴らなんだよ。性欲なくなると、ここまで女に冷たくなんのかね」
「女だ? 何言ってんだよ! 男も女もねーだろ、馬鹿じゃねえの?」
それまで沈黙していた少年達が、鏡子に負けないくらい毒のある声で言い返して来た。
「リスク計算も筋読みも出来てねえのかよ。身内でもねえ生者の為に、コミュニティ危機に晒してアーマゲ本隊とやり合う道理ねえつってんだよ」
「おめーらがゆるーくフロート暮らしやってくのは勝手だけどよ、だったら余計な所にまで首突っ込んで来んじゃねえ――前線で身体張って来たの誰だと思ってんだ」
そんな事を口々に言う彼らは、よく見ると身体中に欠損した部分があった。
片腕がない者、右目の潰れた者、口の端の肉が抉れ、歯茎が露出している者、雪子の様に顔中に縫い目の走る者。
「環も相当のもんだけど……うちの班員も負けてないのはざらにいる。フロートのリスクと簡単に言っても、それが真っ先に降りかかるのは、いつだって彼らなんだ」
梶川が彼らの怒声を継いで、静かに言った。
「……何黙ってんですか、先輩」
千尋がふいに後ろを向いて、少し後ろにいた津衣菜達に咎める視線を送った。
津衣菜は千尋の視線を受け止めて、次に梶川ではなく純太に身体を向けてから、ゆっくりと口を開いた。
「いや何、あんたこれからどうなんのかなあって……私が気になってるのは、そこだけさ」
「これから?」
津衣菜の言葉に、純太は怪訝そうな顔をして聞き返す。
「あの子スルーして、多分死体になってるよね――低確率で私らの仲間になるかもだけど。あるいはガッツリ覚醒剤食わされて何が誰かも分からない位ぶっ壊れちゃうか。その後も続く、あんたのフロートライフだよ」
純太は口の端を歪める。鏡子と違い笑ってはいない、奥歯を噛みしめる様な歪みだった。
「それを横目に、気の毒だったけど仕方がなかったんだって、俺は間違っていないって、自分に言い聞かせて……どこまで行けるのかなあって、フロートの世界には、自殺ってないみたいだしね」
「ある事は聞くのしたいさんの梶川。あるの危機とはないか、なしばかりのよるに敵、あるはよるも内」
梨乃がぼんやりした顔のまま、ぼそぼそとした声で、だがはっきり梶川を見ながら言った。
梶川が理解したかどうかは分からないが、理解出来なかったらしい少年達は顔をしかめた。
津衣菜は薄く笑いながら梶川を向いて、梨乃の言葉を補足した。
「そういう事。分かる? 敵ばかりじゃない。内からの危機って、こういう所から出るんじゃないの?」
「……結局、お前も生前に囚われてるんだな。ハルさんもタカさんも人選ミスっしょ、これ」
純太の声に津衣菜は再び彼を向く。
うつむいて歯噛みし続けていた彼は、顔を上げていた。ニットキャップの下の目は、津衣菜を真っすぐ睨みつけている。
「覚悟が足んねんだよ。フロートの世界で死にぞこなってくってんなら、生前なんて切っちまえ。生前と切れねえんだったら……フロート同士で繋がろうとすんな。一人でどっか行けっつうの。そんな奴は、他のフロートの厄介事でしかねえんだからよ」
「それがあんたの答えか。否定はしないよ……もっとも、あんたに私の事指図される謂われもないけどね」
純太の言っている事は、彼なりに完結した正論だった。少し前の、彼と初めて会った頃の津衣菜なら、動揺していたかもしれない。
しかし、津衣菜は自分が選んで生前に囚われているのを自覚していた。そして自分の自殺に。
津衣菜の傍らを背後からすっと通り過ぎた気配。それが花紀だと気付いた時、彼女は純太と向かい合って立っていた。
「――花紀?」
梶川の発言にも、花紀は今まで言い返す事なく、津衣菜の更に後ろで沈黙していた。
千尋の咎める声は、津衣菜だけじゃなく梨乃や花紀にも向けられたものだったらしい。
その花紀が、今初めて純太に尋ねていた。
「それが、じゅんじゅんの覚悟なの…………それでさびしく、ないのかな」
「さびしいとか、アホか。それが現実だろ。この死者の国の、現実のしのぎ方だろ」
馬鹿にした様な純太の返事に、花紀は頷いて言った。
「知ってる」
「……はあ? 何言ってんのお前」
「じゅんじゅんの見ているもの……そして、選んだもの、知ってるもん」
花紀はじっと純太を見つめる。二人には20センチばかり身長差があり、花紀は彼を見上げる態勢だったが、純太は押される様に身体を少し逸らしていた。
「天津山での事は、話でしか聞いてないがな。ジュンタも君と同じさ、環。ギリギリの現実の中で考えてるんだ」
梶川は純太の横に立ち、純太以上の身長差から花紀を見下ろして言った。
「そうかなあ?」
梶川と花紀で並ぶとまるで大人と子供の様だった。
そのせいか普段より幼く聞こえる声で、花紀は梶川の言葉へ疑問を挟んだ。
「僕は信梁の班長として、彼の選択を尊重する」
「そっかあ……カジさんもなんだね」
梶川の顔を見つめて花紀は呟く様に、どこか悲しげに言った。
花紀の声に梶川は尊大で自信に満ちた、それなのにやはりどこか悲しげな声で答えた。
「僕には責任があるから」
この時の津衣菜は、まだその会話の本当の意味を分かってはいなかった。
二人は最初の宣言通り、美玖を放置する事を選んだのだと思っていた。
copyright ゆらぎからすin 小説家になろう
https://ncode.syosetu.com/n0786dq/32/
禁止私自转载、加工
禁止私自轉載、加工
無断複写・転載を禁止します。




