31日目(2)‐37日目(1)
31日目(2)‐37日目(1)
「いやあ、急に冷えたねえ。あんまり急だったもんで、市内の班の誘導で手一杯であんたらまで手が回ってなかったわ」
ベッドの端に腰かけながら、遥が笑い声混じりで言った。
「だからって、いきなり山にチュパカブラ探しに行ってそのまま遭難とか、あんたらも随分と斜め上だよね。連絡受けた時は、流石にもうちょっと凍結対策ぐらいしてるかなと思ったけど」
「……うっさい」
「そこまで笑うこたないでしょハルさん……そりゃ、かなり恥ずいけどさ」
もう一つのベッドの上に座り込んでいた津衣菜と鏡子が、気まずげに遥を睨む。
車内で一人ずつ解凍した後、彼女達はこの駅前のホテルのツインルームに運び込まれていた。他の少女達もベッドの上や、近くのソファーに座っている。
遥は笑いを収めて言葉を続ける。
「まあ、緊急時という事でこの通り奮発したんだ。こんなホテル久しぶりだろ。機嫌直しなよ……そう、ここらのフロートは冬と言えば大体“冬眠”だね」
「遥さん、チュパカブラもきっと冬眠しています! あの桃園山で! 襲われずに見つけるなら今なんですよっ。これはですねえ、フロート総出で完全装備の探索隊を組んで……」
真剣そのものの表情で提案する花紀は、全員からダイナミックに無視された。
「多分だけど、向伏だけでなくこの地方全部でそうだと思う……津衣菜、花紀、美也、梨乃。半分が去年はいなかったのか」
無視されてふくれる花紀や、未だに半睨みの津衣菜と鏡子を含め、彼女達は互いの顔を見る。
今挙がっていなかった名前。千尋と雪子、日香里、鏡子の四人が、去年の冬もここにいたという事になる。
「去年は四人しかいなかったのか」
「……もっといました」
津衣菜の質問には、たまたま視線の合った日香里が素っ気なく答えた。
それ以上は誰も何も言わない。千尋も津衣菜から視線を外し、鏡子はいつもの通りだが「話しかけんじゃねえよ自殺女」オーラを放っている。遥さえも僅かに津衣菜へ目配せしたきり、何も言わない。
津衣菜もさすがに、もっといた同年代の少女達がどうなったのかは、いちいち聞こうとはしなかった。
フロート狩り、対策局、そして発現。新たに現れるフロートも多いが、消えるフロートだって多いのだ。
「去年は大野城跡公園の地下に行ったんだよな、あんたら」
遥が話を振ると、千尋と日香里が頷いた。鏡子は頷けないし、雪子はずっと無反応のままだ。千尋に背中を支えられながら左足を投げ出し、天井をぼんやり見つめている。
「石落としって言うんですか。地下の石垣の中があんな風に丸ごと残っているなんて、初めて知りました。学校の郷土史学習でもそんな事言ってませんでしたし……私たちが入るまで何百年もあのままだったみたいで……春までいたんですよね。あまり覚えていませんけど」
「まあ“冬眠”だからね。その間の記憶はないさ。冬眠した事ぐらいは思い出すべきだっただろうけど」
答えた日香里は遥からのツッコミで恥ずかしそうにうつむく。去年の記憶も、フロートが氷点下に弱いと言う知識も持っていたのに、花紀がチュパカブラ探しに盛り上がっている間は完全に忘れていたのだから、恥ずかしいのは無理もなかった。
「フロートの冬眠は、完全に人目に触れない空間を使う事が多い。だけど、分かると思うけど……この向伏に、そんな場所がどれだけあると思う?」
遥の問いに、津衣菜は何一つ思い浮かべる事が出来なかった。今聞いた城跡の地下の話で、そんな場所があるのかと初めて知った程度だった。
「完全な廃墟にだって誰かが見回りに来るんだ。地下用水路にだって点検は入る……一番多いのは、結局、山の奥深くに穴を掘って蓋をしてその中で眠るって事になる」
「僕たち、普段からやってます」
千尋が妙に勢い込んで言うが、遥は横に首を振った。
「まとまった人数が入れるように深く広く掘らなくちゃならない。そして、春先まで絶対に見つからない様に……城の地下ってのはいいアイデアだった。だけど、今いるフロートを全員収容するには、市内にあった全部の城跡を確認したけど、やっぱり全然足りないんだ」
「それで……私たちはどうするんだ? 神社の中でホットカーペットでしのげるって話じゃなさそうだな」
「来週には社から一歩も出られなくなるだろうね。そして、生者は、防寒着一つで遠慮なくあの辺に入って来る。あんたらをホテルに連れて来たのも、一番はその話なんだ」
津衣菜の問いに遥は頷くと深く座り直し、彼女達の顔を見回しながら言った。
「あんたらには今の拠点を変更してもらう――市内を転々としながら氷点下を避けて、3日おきに交代で仮の冬眠に入る。そして、起きてる子に冬眠場所の巡回と、新しい冬眠場所の開拓を手伝ってほしいと思ってる」
星一つない真っ黒な空の下で、どこまでも真っ白な斜面が輝いていた。葉のない樹木だけが乱雑に並んで模様を作っている。
津衣菜と美也の二人は、その中をスコップで目の前の雪だけを掻きながら直線状に進んでいた。
1メートル近くある積雪は、フロートの平衡感覚ではとても足で踏み抜いて進めるものではない。
普通の服装で入ったなら――と言うより入る前に麓の路上で――先日の様に凍結してその辺に倒れていそうな氷点下の世界だった。
津衣菜と美也は、全身にバイカー用の電熱ウェアを装着していた。その上から防水効果の高い、山の中で見られても違和感のないアウトドアウェアを着こんでいる。
数日ぶりに目覚めた二人は、市の北に広がる栗根山系と呼ばれる山地へ行き、「冬眠に使えそうな場所」をピックアップして来るよう依頼されていた。
時折濡れないように注意しつつ取り出したスマホで、現在地を確認しながら探索結果を入力して行く。
「――冬は冬眠だとか言っておきながら、随分人使い荒いじゃない、遥の奴」
「でも私たちなんかまだ眠れる方で、高地さんなんか、休みなしで巡回してるみたいですよ」
「あれはしょうがないね……フロートのくせに一人で暖房完備のマンション暮らしなんかしてるんだから。車だって持ってるし」
「遥さんもそう言ってました。津衣菜さん、最近、遥さんに考え方とか似て来ていませんか?」
「ええ、やめてよ……」
とりとめもなく愚痴や雑談を交わしながらも、彼女達の進みは早かった。
体温変化と凍結に注意するだけで、重労働に付きものの筋肉の痛みも寒さもないのだから、生者と比べたら楽な作業とも言えた。
「雪ばっかりで何も見えなかったから考えてなかったけど、冬眠にいい場所って具体的にどんなのだろう」
「うーん……横穴とか、じゃないですか」
「横穴ね……あるかもしれないけどさ……熊とかいたらどうすんの」
「熊ですか……フロートで、勝てるでしょうか」
「無理だと思うよ。てか、何その発想」
探せばあるもので、二時間もしないうちに、津衣菜たちは何かの貯蔵か防空壕に使われていたっぽい古びた横穴を一つ発見した。明らかに人工のその穴は何十年も人が入った形跡はなく、熊もいない。
それほど大きな穴ではなく、どれだけ詰めても二十人は入らないだろう。使えるかどうかは分からなかったが、念の為に記録しておいた。
「こうやって夜、山の中を歩いていると思い出してしまいます」
予定していたポイントまで探索し、さっきの横穴以外にめぼしい成果もなかったが二人は遥に報告を送った後、来た道を引き返していた。もうシャベルで掻き分ける必要はなかった。
なるべく自分の足跡を選んで踏みながら歩いている時、美也がふいにそんな事を口にした。心当たりのあった津衣菜は、何がとは尋ねなかった。
「フロートになった時の事?」
「はい。自分がどうしてこうなったのかも気になりましたが、お父さんとお母さん……弟の事を、ずっと思っていました」
「……」
「無事に、向こうへ行けたのかなって」
「向こう、ね……」
津衣菜はひとりごちる様に美也の言葉を反芻する。
ビルから飛び降りた時、津衣菜には行きたい場所などなかった。どこかに行く自分をイメージしてもいなかった。
「美也は、というか、美也の家族は、向こうに行くつもりでいたんだ?」
「はい……あっちで何も苦しい事なんてなく過ごせるよって、お母さんも何度も言っていました」
「ふうん、私は……そんな場所の事なんて考えなかった」
「津衣菜さんは信じていなかったんですか? 向こう……あの世とか天国と地獄とか、そういうものを」
「信じようがない。あってほしいとも思わなかったからかな。あんなものは、生者の為にあるものだって、本当に死ぬ奴には関係のないものだって思ってた……今でも思っている」
「生きている人の為に、ですか? あの世が?」
「そうだよ。生きている人間が死んだ後も自分に続きがあってほしい。生前良い事していたのに報われなかったら、それが報いられる場所であってほしい。好きな人間が死んだらそこに行って幸せになっていてほしい。悪い事していた奴、つうか自分の気に入らない奴もそれが裁かれる場所であってほしい。生きてる奴らのそういう願望が積み重なった物でしかない」
「現実的なんですね……」
「死は現実だよ。心臓が停止し、脳の機能が停止する。代謝や循環も停止し、身体は腐り、分解され、土に還る。脳の機能が停止した時点で、感じている事考えている事の全てが消える、死んだ人間には死さえもないんだ」
「じゃあ、私たちは何なんでしょうか」
美也の問いに津衣菜は沈黙した。彼女自身が知りたいと思っても、今まで知らずじまいになっていた疑問だった。この疑問に答えられる者は、この世界のどこにもいない。
黙々と歩きながら津衣菜はふと思い出す。
あの天津山の夜。花紀は子供の死体を埋葬しながら、子供があの世で幸せになる話は一言もしなかった。自分が連れ回していた間、幸せになれたか、それだけを口にした。
「……?」
津衣菜の視界の端に何か、見覚えのある物体が映り、彼女は思考を中断した。
美也もそれに気付き、津衣菜に顔を寄せて囁く。
「津衣菜さん、これって……」
「美也、身体を屈めて雪の陰に隠れて」
二人で屈むとゆっくりとかき分けた雪の中を進み、手を伸ばして半ば埋もれていたそれを取り出す。
矢が装填された小さめのボウガンだった。
「これって、まさか……」
「早とちりは出来ない。だけど、こんな時間にこんな所でする猟なんてあるか?」
なるべく音を立てない様に更に進む。耳を澄ますと、微かに自分達とは違う複数の足音が聞こえて来た。
雪を直接踏み抜く、ぎこちない大股の足音。そして何やら小さな話し声。
「まったく、ボウガン落として気付かないかよ。うちは遠隔系あまりいないから、ボウガン持ちって事で期待したのに」
「すみません……」
「一応探してみっけど、見つからなかったら諦めてね。あと、警察に発見されて何か聞かれても、俺らの事とか色々言わない様に」
「はい、それは勿論」
「ところで、何ですかね。この雪の掘り跡……新しい様ですけど、誰かこんな夜にここ歩いてんですか」
「ひょっとするとひょっとするかもな。前回失敗してるから早合点は禁物だが……ゾンビはね、山のこういう所とかで冬眠するんだよ」
木々の間から、数名の人影が姿を現した。雪明かりのせいで、普通の夜よりもその集団の姿はよく見えた。
直接見た事はないが、記憶にはある顔ぶれ。フロートの共有データの中で見た、フロート狩り「バスターズ」のメンバー達だった。車で一度追われてから、津衣菜にとっては二度目の遭遇となる。
苛立った男達の間で一人恐縮している、ボウガンの持ち主らしい女は見た事のない顔だった。
ニットキャップから覗く長い茶色の髪、童顔。津衣菜とそんなに変わらない年にも見える。
「津衣菜さん……?」
美也の声にも反応せず、津衣菜はじっと男達の接近を待つ。十分な距離――手元のボウガンで狙える距離――まで彼らが近付いた時、彼女はおもむろに立ち上がった。
「探しものは何ですかあ?」
言いながら、矢を男達の方へと放つ。
「うわあっ!?」
「な、なんだっ?」
「見つけにくいものですかあ?」
記憶の端に残っている歌の一節を意識しながら、歌う様に声を上げ、次々と矢を撃った。
「何だてめ、やめろ、やめっ――」
「何のつもりだ……まさか、ゾ――ゾンビどもか!?」
「探しものは何ですかあ?」
その部分しか知らないので再び繰り返しながら、矢を撃ち尽くすと、津衣菜はボウガンを投げ捨ててシャベルを構える。
「――行ってみたいと、思いませんかあ?」
「どこへだよ!?」
「ゾンビがシャベル持つって……逆じゃねえ?」
「武器も出せねえ、逃げっぞ!」
津衣菜がニヤニヤ笑いを浮かべながら接近する構えを見せただけで、男達はバラバラと逃げ出した。
「ふえっ……」
女も逃げようとしたが雪に足を取られたのか転倒し、そのままそこにへたり込んでいた。逃げた男達が彼女を助けに戻る事はなかった。
「寝込みを襲うつもり一辺倒で、自分が奇襲される事は考えてなかったんだろうけど……ここまで露骨に仲間捨てるか」
連中のサイトを目にしているから知っているが、連中は日頃、仲間同士ではアットホームさと仲間同士の連帯感を殊更にアピールしている。普段の生活、学校や職場で孤立感を抱えている者が居場所を求めて仲間入りするケースも多いのだと、何度か聞かされてもいた。
目の前で動けなくなっている少女もその口だろうか。
どちらにせよクズだ。配慮する事など何もない。
「きゃあっ!」
「探しものはー、これーですかあー……ハハハッ」
ボウガンを投げつけられて、両手で顔を覆い悲鳴を上げる少女。津衣菜は笑いながら雪の積もってる所へよじ登ろうとした時、背後から軽く袖を掴まれた。
身をよじると美也が不安げに彼女を見ていた。
「どうしたの、美也」
「津衣菜さんこそ……どうしたんですか」
「どうしたって、とりあえずアレ押さえようよ。大丈夫、こっちも上手く歩けないだろうけど、あいつももう動けなさそうだし」
「そうじゃありません。今の津衣菜さん、彼らを襲うのを、楽しんでいましたよね……あの子をどうするつもりですか」
津衣菜は再び前を向いて、背後の美也へ、その目を見ずに言った。
「美也、言ったでしょ……私とあいつらじゃ、そんなに違わないって」
「津衣菜さん!」
何度も転びながら這う様に、津衣菜は少女の許へ迫る。その後を、津衣菜よりも不器用に美也も追い始めた。
少女は顔を上げて、雪の上を自分へと接近して来る二体のフロートを、声も出さずぼんやり見つめていた。津衣菜の突き出したシャベルの切っ先が顔の前で止まっても、彼女の表情は変わらなかった。
「殺しに来たんだ。殺されだってするよね……フフ、冗談さ。でも質問には答えてもらう」
じっと津衣菜の顔を見ていた少女はおもむろに口を開いた。
「あの……ゾンビのひと……ですか? 向伏のゾンビさんですか?」
「――は?」
聞き返す津衣菜には答えずに、少女はポーチに手を入れる。
「この……っ!」
津衣菜はシャベルを持つ手に力を入れ、少女の首へ切っ先を強く当てようとする。
「津衣菜さん、ダメ!」
「――――こ、この人、知りませんですか?」
切っ先が首に触れている状態で、少女はお構いなしにポーチから出した手を津衣菜に突き出した。
その手には一枚の写真。津衣菜は思わず凝視した。
そこに映っていた見覚えのある顔。向伏のフロートの少年グループに所属する、津衣菜と同年代の少年。
少女と似た黒のニットキャップを被り、いつも不機嫌そうな顔をしていた彼が、生前の血色良い顔に満面の笑みを浮かべて写っていた。
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