30日目‐31日目(1)
今回から少し各話ごとの表記を変更します。
章だけにタイトルを付けて、各話は日数や番号だけとなります。
30日目‐31日目(1)
「わ……」
花紀が短い声と共に空を見上げる。
津衣菜も、彼女に合わせて見上げようとしたが、ギブスに固められた折れた首ではそれも出来ない。彼女の目を見て視線の先を探す。
花紀が掌を上にして前に出す。その上に白い欠片がゆっくりと落ちて、津衣菜はようやく彼女の見ていた物を理解した。
「雪……だよ」
津衣菜も手を前に出すと、彼女の手にも白い氷の結晶が一つ二つと落ちて来た。結晶は手の上でもすぐには溶ける事なく、形を保っていた。
同行していた鏡子や梨乃も掌に落ちる雪を見ていた。美也と千尋は空を見上げている。
住宅街を見渡せる高台の上、前方の黒い空に降り注ぐ無数の欠片を津衣菜も見る事が出来た。
「もう、そんな時期……なのか」
津衣菜は思わず呟いていた。
彼女の脳裏にあったのは、あの日の事。
自分がフロートとして目覚めた日は、肌寒いとは言え、まだ秋だった。あれからちょうど一ヶ月になる。
あの天津山の高原では既に雪の積もっている所があり、近いうちにここにも降る予感はあったが、実際に目にすると色々な事を思ってしまう。
寒さを感じなくても、寒さの記憶はある。一層勢いを増して降る雪を見ているうちに、どこかでその寒さを思い出してしまっている。
「えへへ、今年の冬は賑やかになるね」
いつにも増して嬉しそうな花紀に、津衣菜は尋ねる。
「去年の今頃は、そんなにいなかったの?」
「去年の私は……病院で雪を見ていたから」
「あ……そうか」
花紀自身もあまり喋らないし、津衣菜も覚えていなかったが、彼女もフロートになってから一年経っていない。
「でも、こんな事を喜んじゃうのはよくないかな……」
フロートの仲間が増える。その意味する所は考えるまでもない。花紀の躊躇いはこの場にいた誰にも分かっていた。
彼女達は死者で、ここは生者の世界にめり込んだ死者の国なのだから。
「嬉しい時にまでいちいち気に病むなよ」
静かに鏡子が言った。津衣菜とは仲が悪いままの彼女だが、花紀への視線は優しい。
「ただ何も残せず死んじまうより、色々制限付きでも時間を貰えたあたしらはラッキーなんだって、あたしはそう思ってるよ」
「時間……かあ……」
少し複雑な表情で花紀は鏡子を見る。
あたしを殺した男を必ず見つけ出し、同じ様に殺してやる。
それが彼女の「貰った時間」でやりたい事の全てだった。
「私の記憶は怖いが降るの雪。怖いはそれが滑るタイヤの易く」
「梨乃は、ひょっとしてバイクに乗っていたの?」
「多分……そして……それは染まる赤くが雪は鮮明に」
津衣菜は怪訝な顔を浮かべた。梨乃の生前の記憶は忘れてはいない様だがはっきりとしないらしい。「多分」という言葉が頻発する。
タイヤが滑ると言うのは分かる。しかし、「鮮明に赤く染まる」とは何だ。
何となく、彼女がフロート狩りに振り降ろしたスパナの、正確さと躊躇なさが意識を横切った。
「フロートはバイクに乗れねえからな。バイクどころかチャリにすら乗れねえ」
鏡子が呟く様に言った。
身体能力が異様に発達し――というより、リミッターがない――フロートは生前では考えられない腕力や早い動きが出せるが、触感に依存する重心の細かなコントロールが出来ないのだ。
それらを必要とする自転車やバイクの運転、スケートボードやサーフィンなどはフロートにとっては不可能なのだ。勿論相撲も苦手となる。余程の力の差がない限り、組み合ったら割と簡単に転ばされてしまう。
「ないは思うの乗るは今」
梨乃は答える。これまた何故かは分からないが、梨乃は生前と今では興味のあるなしが違うらしい。
「私たちにとっていい季節だと良いですね……冬だけではなく、その先の春も、夏も、ずっと……私たちだって、こればかりは望んでもいいと思います」
美也が笑みを見せて言うと、花紀は顔を輝かせてこくこくと頷いた。
「その通りだよ! 美也ちゃんが今いいこと言った!」
津衣菜は自分はそんなでいいのかと違和感を感じたが、特にフロート全体の事としては間違っていないと思った。鏡子と梨乃も、少し笑みを浮かべた表情で同意を示していた。
「私たちはずっとハッピーだよ! どうしてって、そうするからだよ!」
雪の中、両手を上げて花紀は声を張り上げた。
「そんな訳で、満を持してチュパカブラ探しを始めるのだよ!」
「……どこでそうなった」
「だって、誰も信じてくれないんだもん……いるんだよ! チュパカブラ、この向伏の山にも!」
戸塚山山中の神社の中。戻って来るやいなや高らかに宣言した花紀は、全方位からダメ出しを食らった。
悔しげに花紀は力説する。呆れ声で千尋が突っ込みを入れた。
「だからその本、いい加減なオカルトじゃないですか。日本各地どこでもこじつけて妖怪や未確認生物がいる事にしてまとめてるだけの」
「大体チュパカブラってアメリカや南米のやつだろ? 日本にいるなんて聞いた事が」
「むー、がこさん知らないな。都内だけどジョニー・デップだって来日した時、ホテルで襲われたって言ってたんだよ。それで会見キャンセルになったって!」
「ジョークをジョークと分からない程、症状が進んでいたか……」
「とにかく、行ってみないと分からないって花紀おねーさんは思うんだよ! 昔、桃園山の麓で牛さんが何頭も血を抜かれて倒れてて、妖怪の仕業って言われてたけど、これがチュパカブラだったんじゃないかって」
ぎゃあぎゃあ言い合っている花紀達に津衣菜が口を挟んだ。
「まあ、行ってみる分にはいいんじゃないかな。桃園山ならここから割と近いし。最近、フロート狩りの奴らのキャンペーンも下火だし、何故か遥からの巡回のノルマも減って来てる……結構暇だろ、私たち」
「きゃーっ、ついにゃーは花紀おねーさんの味方ですね? 大好きだよついにゃー」
「……信じるとは言ってない」
ハグされて左右に揺さぶられながら、津衣菜は一言付け足した。流石に自分もチュパカブラの存在を信じているとは思われたくなかった。
それまで黙っていた日香里が手を上げて、花紀に質問する。
「ところで、何でここにホットカーペットなんて敷いたんですか? 私たちに寒さは関係ないし、気温は10度切ってるから暖かくもないと思うんですけど……」
彼女の言う通り、社の中には大きめのホットカーペットが床に敷かれ、室内の温度を少しだけ上げていた。
しかし、隙間風が四方から吹き込む社の中では十分な保温が出来てなく、寒さを感じないフロートにはそれも関係ない筈だった。
「ああ、ひーちゃん、それはね……」
「あの……班長」
日香里の呼びかけに、花紀が返事した。
「はひ」
「全身、動かないんですけど」
桃園山山中。フロートの少女達は全員雪に埋もれかけて倒れていた。
翌日、早速チュパカブラ探索にやって来た彼女達は、数十メートル歩いた所でこの状態となっていた。
「昨夜ホットカーペットの事聞いた時点で、気付かないお前もアレだと思うぞ。あたしらもだけどな……」
うつ伏せに倒れたまま、鏡子が冷静に突っ込む。
「そうなのです。フロートは体温が外気と同じ変温動物なのです……そして、体内の水分が凍結すると、この通り、動けなくなるのです」
やはりうつ伏せのまま、何故か敬語で解説する花紀。
「ホットカーペット用意までしておきながら忘れてるお前は最悪だ」
「そう、カ○ーズ様のように!」
鏡子の非難を無視して、花紀は力強く解説を締めくくった。
「その例えやめろ。あと無理に伸ばして伏せ字避けんな」
「巡回の仕事が減った理由もこれか……大方、冬眠とかしてるんだな」
頭から雪に突っ込んだままの津衣菜が、くぐもった声で質問する。
「はひ」
鏡子が少しドスの利いた声で花紀に尋ねる。
「それで……どうするんだ……班長さんよ……」
「――そのうち、花紀は考えるのをやめた」
「考えろよおっ! つうか元々何も考えてねえだろがお前えっ!」
彼女達は、前もって出発報告を受けていた遥がフル装備で現れ、「こんな事だろうと思ってたよ」と笑いながら回収するまで、数時間そのままだった。
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