18日目(5)
18日目(5)
「ゆうくんったらもう、急に逃げちゃダメだよう……」
ゆうくんとは誰の事か。最初分からなかったが、今の言葉で少年ではなく発現者の子供の事だと、それだけは津衣菜にも分かった。
何故、花紀が子供をそう呼んでいるのかまでは分からなかったが。
少年は素早く後退し、二人から距離を取る。
「女ゾンビか……このガードは厄介だ。まずは連射で隙を作り……」
少年はぶつぶつと独り言を口にしながら、ボウガンを構え直す。
駆け出した花紀の背中に矢が放たれる。ジグザグに走る彼女へ思う様に矢は当たらなかったが、一本が背中に刺さった。
少年も躊躇いながら小走りに彼女の後を追う。深追いし過ぎて接近してしまうと危険なのを、この夜の間に学んだ様だった。
「ゆうくん……だめっ!」
花紀が叫ぶ。発現者の子供が顔を上げて、花紀の肩に噛みついていた。
その機会を少年は見逃さなかった。子供の顔を狙って3連射で撃つ。それを庇う様に花紀は身を屈ませ、その場に座り込む。
更に2本の矢が花紀の肩と背中に突き刺さった。
「このまま針山にしてやるよ。そうすれば逃げにくく――」
「あのね……この子はそっとしてあげてほしいの……苦しんでて、みんなが怖いだけだから、やさしくしてあげれば――」
「ゾンビが喋んなよ」
振り返って少年に話しかけた花紀の頬を矢が掠める。血は流れなかった。
「やっぱゾンビだ。色がゾンビっぽくないから人間の女かもとビビってたけど、問題なかったな」
「やっぱり、君も怖いの? 私たちが……そうだよね、死んでいるのに動いて喋っているのが怖いんだよね。だから」
「はあ? 怖がってなんかいねーよ。気持ち悪いんだよ。汚ねえしくせ―し、こんなのに街中歩かれたくねーし、殺しても罪になんねーし」
少年はそう言って笑った。普段隠していた悦びを露わにした、暗い微笑だった。
花紀は少年の微笑に一瞬だけ怯んだが、きっと睨み返すと、毅然と言い放った。
「この子は、これ以上傷つけさせない」
「もう黙れよ」
再びボウガンを花紀へ向けた時、津衣菜は数十メートル先の斜面を駆け降りて少年に迫っていた。
足音に気付き、慌ててボウガンを津衣菜に向け発射する。
一本が右肩を貫き、反動で津衣菜の上半身が後ろに反るが、突進の勢いは止まらない。
「ひっ……?」
津衣菜は少年の数メートル前で飛び上がって、そのまま空中から彼へと組み付き、転がった。
「ついにゃー!」
「や、やめ……」
「あああああああああっ!!」
津衣菜は少年の声など聞いてはいなかった。金色の瞳を輝かせ、左手の拳で、鉄筋の入った右腕のギブスで、その顔を滅多打ちにする。
少年を殴り続けながら、津衣菜の中に言い知れない感情が湧いていた。
ああ、やっぱり。私は発現者と……こいつの同類だ。花紀よりもその手の中の子供と――このクズ野郎をこそ、身近に感じる。
いずれ命を渇望させて腐って行く、この世にいるべきでない者だった。
クズ野郎が自分の手の下で、恐怖と苦痛と血で顔面を崩壊させて行くのが、こんなに楽しいなんて。
殴る手を止めて、津衣菜は静かに少年へ語りかけた。
「犬猫を切り刻むのが好きだなんて奴が、フロート狩りに飛びつかない訳ないよな……お前の為にある様な娯楽だよ」
少年は目を大きく見開いて津衣菜を凝視するが、何故自分が知っているのか、教えてやるのも面倒だった。
「家でも学校でも、バスの中でもコンビニでも我慢して我慢して、色々な人間の前で我慢して、無害な奴装って、動物やホームレスやフロートにまで我慢させられる筋合いないって思うよね……違う?」
尋ねながら、もう一度殴った。血しぶきが少し津衣菜の顔にかかる。
「汚いな、ゴミ…………まあ、ゴミ同士のよしみだ……」
津衣菜は左手の指を伸ばし、貫手を作ると耳の横まで振り上げた。金色の瞳が少年を矢よりも残酷に射抜いている。
「殺してやるよ」
「――――だめえっ!」
振り絞る様な制止の声。通衣菜は貫手を構えたまま、花紀へ言う。
「花紀……この世には確かにいるんだよ。ここにいる資格のない奴らが」
「違う、ちがうよ、だめだよ、ついにゃー……」
花紀はもがく子供を抱きながらも、首を横に振り津衣菜をじっと見つめている。
しばらく経って、津衣菜は静かに左手を下ろしていた。
「あんたはそうだよね。分かっていたよ……」
「えへへ……私達、何だかボロボロだねー」
「全くだよ」
「ごめーん……」
どちらからともなくクスクスと笑い出し、そのまま二人で笑い合っていた。
朗らかな笑いの似合う状況ではない。津衣菜の下には顔面血まみれで気絶した少年。花紀の腕の中には全身が腐乱し、呻きながら手足を振り回す子供。
草一つ生えない岩の上で、それはまるで、この世の果ての有様だった。
聞きたい事、これから考えなくちゃならない事は山程あった。
でも、今はこれでいい。
どうしてその子供をここまで連れて来たのか。これからどうするのか。
花紀がそうしたくてそうしたんだったら、それでいいじゃないか。
津衣菜にはそう思えていた。
そんな夢みたいな時間は、長くは続かなかった。
花紀の姿が突然現れた人の壁に遮られ、津衣菜の視界から消えた。
彼女は大勢のフロートに隙間なく囲まれていた。その中には鏡子達の姿もあった。
「ほら、その子を放せ! 君だって噛まれてるじゃないか!」
「花紀! もうやめろ! そいつはもうだめだ!」
「だ……だめっ」
身を固くして、花紀と子供とを引き離そうとする何本もの腕に、彼女は抵抗していた。
「やだやだやだぁっ! この子ね、ゆうくんっていうんだよ! 花紀おねーさんにちゃんとお名前教えてくれたんだよ! お友達になったんだもん!」
「名前……発現者が……?」
花紀に伸ばされた腕が一時、動きを止めた。
後ろの方にいた一人の男が、首を横に振りながら言う。
「末期発現者も稀に意識を取り戻して、会話が成立する事があるんだ。その子に見込みがあるって事ではない」
再びフロート達と花紀の攻防が繰り返される。
「どうして聞き分けない事するんだ! 君、戸塚山1のエリアリーダーだろ?」
「花紀さん、一体どうしちゃったんですか? 花紀さんだって分かりますよね? そこまで腐敗が進行した発現者は――」
「ゆうくんを取らないで! おねーさんと一緒にいさせて!」
友達で……いてくれる、かな?
うん。大丈夫だってば、忍。
……ありがとう
何、あんた――こいつかばう奴?
そういうことしてっとさあ、ここでまともにやってけねえよ?
こういうのはねえ、まあ、仕方のない事だから。
私は――
私は――
あんた、どっちなの
「花紀おねーさんは、ゆうくんと約束したんだもん。この世界に必ずいる、ゆうくんの味方の一人だよって」
こいつの味方すんの?
いや、そういうわけじゃないよ。
「ずっと苦しくて、おなかがすいて、怖くて、悲しくて……」
そう言う目にあってんのって、あんた自身のせいだからさ、いちいちこっち来ないでくれる?
あんたの仲間だと思われて、どんだけリスクあるか分かるでしょ?
「だからね、今ゆうくんには、ゆうくんのことを、好きでいるひとがいるよって! 守るひとが、やさしくするひとがいるよって!」
津衣菜は人だかりへ向かって突進していた。走りながら、吠えた。
さっき少年にしたのと同じ様に、花紀を取り囲むフロート達へ飛びかかり、左手を振るう。
「うわっ、な――何だあっ?」
「花紀から離れろおっ! この……死人どもがあっ!」
「こいつ……例の自殺者だ!」
「自殺女、てめえっ……!」
掴もうとして来た鏡子を右のギブスで殴り飛ばしていた。
あまり知らない大人の男のフロートを蹴り、噛みつき、左手で顔を掴んでどこかへ投げる。
「ついにゃ……?」
「花紀の邪魔はさせない! 花紀が見捨てないって言ってんだ! そうさせてやる……邪魔する奴は……私が消してやる! 一人残らず!」
花紀が顔を上げて、暴れる津衣菜の後ろ姿を見ていた。フロート達は花紀と津衣菜の両方に対応しなければならなくなっていた。
「やっぱりそいつはおかしいんだ! 発現しているかもしれんぞ!」
フロートの一人が津衣菜を指さして怒鳴る。そうかもしれないね。津衣菜にそれ以上の感慨はなかった。
次はお前だ。その男へ飛びかかろうとした津衣菜の身体が、自分の意思とは無関係に宙を浮いた。
物凄い力で腹を蹴り上げられたのだと気付く前に、彼女は岩の上を転がっていた。
「ギブス壊れたらどうすんの……首がぶら下がっちゃうでしょ」
「そのつもりでやったんだ、クソボケが」
言葉の直後に巨体は津衣菜の背後に回り込み、首のギブスを鷲掴みにしていた。
「さっきのお返しだ。折り直すのは勘弁してやる」
ダンッ! と重い音が響き、津衣菜の全身が地面にたたきつけられ、そのまま固定された。
「何考えてるか知んねえけど……お前はまだ正気だ。理性で怒っているな」
津衣菜の肩と首を上から押さえ付けながら、高地は言った。
「ルール違反だが今回は見逃してやる。だけど、これからもセーフかどうかは……お前次第だぜ。お前がお前自身の自殺の理由に向き合えなければ、間違いなく破綻する」
「くそ……放せよ……花紀を、放せよ……」
動かせない津衣菜の視線の先で、花紀は肩を押さえられて子供を剥がされようとしていた。子供もフロート達に噛みついたり飛びかかろうとしたりしているが、発現者の扱いに慣れている者らしく、かすりもしなかった。
「花紀を放してやりな」
白みがかった高原の空に、よく通るアルトの声が響いた。フロート達が手を止め、振り返る。
遥が何人かのフロートと共に、坂を登ってこちらにやって来ていた。
「津衣菜じゃないけど、そんなに無理矢理引き剥がす必要はないさ。この子は自分のする事を、ちゃんと分かっているからね」
しばし顔を見合わせあった後、全員が花紀と子供から何歩か離れる。
坂を登り切ると、遥だけが花紀へと近付きながら声をかけた。
「そうだろう?」
花紀は遥の問いに答えず、子供を抱き座り込んだままで、しばらく黙っていた。
いや――
「……? 歌……?」
誰かが呟く。ぽつぽつと小さく聞こえて来るメロディー。
子供を抱いたまま、花紀は歌っていた。
多くの者が一度は聴いた事のある有名なブルース。かつては子守唄だった曲。
夏には暮らしやすくなるね
魚が飛んで、綿花も育つから
父さんはお金持ちで、母さんは美人
だから坊や、もう泣かないで
いつか、朝に君は歌い、翼を広げ空へ羽ばたく
でも、その朝が来るまで、君を傷つけるものは何もない
父さんと母さんが側にいるから
子供の唸り声が止んでいた。喉に噛みつこうと反り上げていた首も止まり、斜め上をぼんやりと向いている。両手は花紀の両肩を掴んだままだったが、滅茶苦茶に引っ張るのを止め、じっとしている。
フロートの何人かが驚愕を顔に浮かべてそれを見ていた。彼らの発現者に関する常識では、考えられない光景だった。
花紀は歌いながら子供の頭をそっと撫で、傍らのリュックサックにその左手を入れた。
リュックから出した手に握られていたのは、10数センチの黒い鉄の塊。
ブラジル製のリボルバーガン、トーラスM85。
「ゆうくんは今までずっとつらい所にいた。痛くて苦しくて、怖くて、悲しかった。ひどい事する人やいやな物ばかりだった……でも、これからは、素敵な事だけがゆうくんを待ってる」
花紀が子供の顔に顔を寄せて語りかける。その間にも彼女の右手はセーフティーを解除し、引き金に指を掛けていた。
「苦しいのが終わったら、花紀おねーさんと色々な所へ行こう。お菓子もご飯もいっぱいあるよ。お家でゲームもいっしょにしようね。私ね……ゆうくんに出会えてよかったよ」
銃口はゆっくりと上がり、やがて子供のこめかみ後ろにぴったりと当てられていた。
「だからね、伝えたかったの。ゆうくんがこの世界で、こんなに愛されてるんだよって。悲しい事はもう終わりだよって。これからは――」
津衣菜は声も出せずに、目の前の光景をただひたすらに凝視していた。
子供に語りかけている花紀は、笑顔だった。
微笑を浮かべ、子供に銃を向けている。
周囲の大人のフロート達も、凍りついた様に花紀を見つめていた。こんな事になるとは、想像さえしていなかったのだろう。子供はあくまでも自分達の手で始末するつもりでいたのだ。
花紀の左手は子供の背後から伸び、彼女の肩を掴んでいた小さな手に添えられた。所々腐肉が落ち骨も露わとなっていたその手に。
「怖かったら、おねーさんの手を握っててね。大丈夫、ここに……ゆうくんのそばにいるから」
子供の手は花紀に握り返して来た。花紀は微笑んだまま頷いて言う。
「明日はいい日だよ―――――――だから、おやすみなさい」
「花紀……!」
津衣菜が叫んだ時、花紀の指がベッドルームの電気を消すみたいに引き金を引いた。
ドラマや映画とはまるで違う破裂音が一帯に響き、その後に重苦しい静寂が訪れた。
「かの……り……」
津衣菜は掠れた声を絞って、もう一度彼女の名を呼んだ。
花紀は右手の銃をそっと下ろす。
子供を抱いたまま、飛び散ったもので服も顔も汚し、彼女は微笑んでいた。その笑顔が津衣菜を向いた。
さっきの様に頭を押さえられている訳でもないのに、一瞬たりとも彼女から目を離す事が出来ない。
フロートはね、泣くことだけは出来ないの。
だから笑うのか。それでも笑うのか。
この死者の国で。
「津衣菜」
花紀が津衣菜に呼びかける。
彼女の口から津衣菜の名前を聞くのは、最初に会った夜以来、これが二度目だった。
「この子のお墓、一緒に作ってあげよう」
「う……うん……」
目を見開いたまま、強張った口でそう返事する以外、津衣菜にはもう何もする事は出来なかった。
そう、花紀には、あらかじめ全て分かっていたのだ。
その子供が今、どんな終わりのない苦痛の中にいるのかも。
その子がどんな形で生を終え、この世に留まってしまったのかも。
このままなら、その終わりもどんな形で迎える事になるのかも。
自分なら即座に終わらせてやっていただろう。そして、それ以外の選択肢などなかったのだと自分に言い聞かせ、納得して終われただろう。
だけど、花紀は筋金入りのお花畑だった。
子供を見つけ、現実を知り、ギリギリまで悩み、考え抜いてしまったのだ。
「その子を幸せに出来る方法」を。
その「考えた結果」のこれが正しかったのかどうか、私には分からない。
だけど――一つだけ、思い知らされる。
この世にいる資格のない奴らがいるのなら、資格のある奴もやっぱりいるのだと。
そして、本当の意味で「生きる資格のある」「生者の世界にふさわしい」者は、今、自分の目の前にいると。
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