15日目‐16日目
15日目‐16日目
朝になっても、新しいフロートの子供が発見されたという報せはなかった。
「あ……電池、切れちゃった」
古びた社の横の高欄(縁側みたいな所)に腰かけ、足をぶらぶらさせてタブレットを見つめていた花紀は呟いた。
「あんまり煮詰まるんじゃねえよ。誰かがじきに見つけるさ」
高欄の下で彼女に付き合っていた鏡子が声をかける。子供の安否より花紀を心配しているのは一目瞭然だった。
「フロート狩りにも動きはない。対策部の車両だって目撃されていねえんだ」
「うん……うん」
「充電行くか。気分転換にもなるよ」
鏡子が手を伸ばす。その手を取って花紀は下に着地した。
神社から2~300メートル離れた所の電柱に、彼女達の使う携帯電話やパソコン、懐中電灯を充電する為の電源スペースが設置されていた。
勿論、真っ当な方法で設置されたものではない。
花紀は地面に降り立ったが、タブレットを両手で抱えたままその場から動かなかった。やがて顔を上げて言う。
「あのね、花紀おねーさん、その子を探しに行こうと思うんだよ」
「おい……」
鏡子が少し険しい顔で花紀を睨む。
「あ、がこさんやついにゃーは休んでて大丈夫だよ」
顔を上げた花紀は笑顔で、境内を見渡す。最初に目の前の鏡子、そして鳥居の下に佇んでいた津衣菜へ。
他の班員達は、日が出た頃に花紀に言われ、それぞれのねぐらへ戻っている。
「未確認フロートの捜索や救助があんたの仕事かよ? ぶっちゃけ悪い癖なんだよそれ!」
鏡子が怒声と共に花紀を突き飛ばしていた。実際には小さく両肩を押しただけだったが、花紀はひゃんっと声を上げながら、その場に尻餅をついた。
津衣菜は二人へ向かって足を進める。
「がこさん、いたいよ……」
「痛いわけねえだろ、あたしらに痛みなんてねえんだ――おい自殺女、口出すなよ。これはあたしと花紀の話だ」
津衣菜が二人の手前数メートルで足を止めたのを見届けて、鏡子は言葉を続けた。
「その子が心配なんだろ? じゃあ、自分の事は心配じゃねえの? 置いてくあたしらは心配じゃねえの? あんたが無茶するたび、あんたの心配であたしらにどれだけ負担かかってるか、分かってんの?」
花紀は答えない。タブレットを抱えたままうつむいている。
「自分を犠牲にしてでもとか、そんなのちっとも偉くも美しくもねえんだよ。そんなのは突き詰めりゃ、そこにいるクソと同じだ」
鏡子は言いながら、手だけ動かして後方の津衣菜を指さした。無表情でその指先を見つめる津衣菜。
やがて鏡子の手は下がり、再び花紀に差し出される。
「あんた、あたしらのリーダーなんだ……いや、そんなの本当はどうでもいい。あんた、いつか帰るんだろ? 生きる世界に帰るんだろ? こんな所で終われねえだろ?」
「ごめんなさい……ごめんね」
鏡子の手を握りながら花紀は謝る。だが、その謝罪は反省とはどこか違っていた。
「でも、私は行かなくちゃ」
顔を上げ微笑んだ花紀が、そう言った。
「あの子は怖がってる……お腹だってすいてるかもしれない……悲しんでもいるかもしれない……分かるんだよ、あの子は花紀お姉さんを呼んでるって」
「本当に、ちょっと探すだけにしとけよ。少しでも何かあったら、すぐあたしらに連絡入れる事……あんただって、一人じゃないんだ」
鏡子は花紀を引き起こしながら、苦笑いを浮かべてそう忠告する。
彼女の最後の一言に、花紀は丸い目をいつもより丸くして彼女を見つめる。そして、すぐに元気良く返事をした。
「――はあーいっ」
程なく、身支度を終え羽根付きのリュックを背負った花紀が「行ってきまーす、がこさんもついにゃーも、昼はしっかり寝るんだよ―」と手をぶんぶん振って神社を後にした頃、津衣菜のスマホにメールが入る。
遥からの呼び出しだった。また、彼女一人で来いという内容だった。
「はい、やはり対象aは……所轄への通報件数は……重傷者一名……ええ……情報収集では……壊滅を狙って……アーマゲドンクラブ本部の指導が……何か……その手際は……あ、ええ……海老名ラインは濃厚……ご教示ありがとうございます、ええ、では失礼」
雑居ビルの空き店舗スペース。扉の鍵は開いていた。
津衣菜が中に入ると、遥はソファーに座って電話していた。津衣菜の入室に気付くと、急に早口になり通話を切り上げる。
心なしか、津衣菜に通話を聞かれるのを避けていた様にも見えた。
ソファーもテーブルも埃っぽく、前の入居者が放置して行った物らしかった。
「あーっ、おねえちゃん、ひさしぶりですっ」
ステレオで聞こえる元気な高い声。津衣菜が驚いて部屋の隅を向くと、見た事のある二人の子供――女の子だったらしい――もみじとぽぷらが、津衣菜に向かってダッシュして来た。
「お元気でしたか~」
「今度、わたしたちのところにも来て下さい。花紀おねえちゃんもしばらく見てません」
「まさか、この子達にも仕事を?」
「んなわきゃない。この子達のエリアに近いからね、気を付けるようにって事で呼んだのさ」
津衣菜の問いに遥は首を横に振る。さっきの電話も関係しているのか、彼女の様子もどこかいつもと違う。
目立たない程度だが、疲れ、気まずさ、焦りと言ったものが彼女の顔にも浮かんでいる。
「近いって、何が」
「発現者が出没して一般市民の負傷者も複数出ている、この子達の所に近付いているらしいんだ――あんたらから話のあった、例の子だよ」
「何だって……?」
「悪いんだけど……まだ、ここだけの話にしといて。帰っても向こうの子達に言わないで……花紀にも」
「花紀は、その子を探しに行った」
「本当かい……花紀からの連絡は?」
遥は津衣菜の話に、これまた珍しく驚いた表情を見せた。遥の問いに津衣菜はつっ立ったまま「ない」と即答する。彼女は首を横に振れない。
「そう」
口元に指を当てて遥は肩を落とす。そのままソファーの上で、彼女は何か考え込んでいた。
「失礼します」
そんな声と共に、少年達のグループがどたどたと足音を立てて入室して来た。先日、高地の車に来た少年もいる。彼は津衣菜を一瞥したが、すぐ遥に視線を戻す。
口を開いたのは、眼鏡のリーダーだった。
「駅前は、対策部員でいっぱいです。僕らもこれ以上の潜入は無理です。それと……連中に混じって……間違いありません、アーマゲドンクラブ向伏の石村がいました」
「駅前周辺のフロートの避難はどうだい?」
「完了しました。篠田山公園周りに散らばってもらっています」
「うん。お疲れさん」
短く少年に答えながらも、遥は顔も上げず、考え込む姿勢を変えない。
「発現者の子供は、対策部に任せる他ない――コミュニティ内でなかったのが不幸中の幸いだ。フロート狩りに渡すよりはマシだと思おう」
扉の方からの声。いつの間にか来ていた曽根木が、腕を組んで遥を見ている。
「マシかね……カリウム注射や糜爛性ガスの耐久実験に使われるかもしれないのに?」
「考えたらきりがない。マシだとは言ってない」
曽根木の言葉に遥は小さく頷く。
遥はスマホに電話番号を入れる。花紀の携帯番号だと津衣菜にはすぐに分かった。
「――おかけになった電話番号は電波の届かない場所にあるか、現在――」
アナウンスは津衣菜の耳に聞こえる。遥は無言で電話を切った。
津衣菜が自分のスマホで花紀にかける。遥と同じアナウンスが流れる。
「繋がらないね」
そう呟いた後、遥は顔を上げて津衣菜を見る。津衣菜は初めて真顔になった彼女を見た気がした。
「もし連絡取れても、花紀にはやっぱり言わないといて。そして、明日戻って来ない様なら、花紀はまず津衣菜で探してもらえるかい? 明後日以降にはどうにかする」
明日になっても花紀が戻って来ないなんて事があるだろうか。まるでそれが前提であるかの様な遥の言葉に、津衣菜は違和感を覚えた。
だが、彼女が正しかったのだと数時間後知る事になる。
キャンペーン前だと言うのに、またも2~3人での単発のフロート狩りの情報が入った。標的は、市東部の沖島地区の廃屋に住んでいた高齢者グループの一人。夕方に散歩する習慣のある彼を、格好の標的と定めたらしい。
曽根木と津衣菜、少年グループで現場に急行した。そこにいたのは、津衣菜や少年グループと年の変わらない高校生の男子だった。老人のフロートをバット片手に嬉々と追い回していた彼らの横にハイエースを横付けし、一瞬で車内に引きずり込んだ。
小突き回しながら聞き取りした結果、彼らはくがやんズに所属する弱小プレーヤーで、最近イベントがなくて暇だったからというのが理由らしかった。
「こいつら、ちょっと僕らでいじっていいですか」
「――殺さないようにね」
彼らの処遇を考えていた曽根木に少年グループのリーダーが提案し、彼らはそのまま、フロートの少年達によってどこかに連れて行かれた。
車で戸塚山の下まで送ってもらった時には、0時を回っていた。
花紀は戻って来ていなかった。
空が明るくなると同時に、津衣菜は花紀の探索に出た。
昨夜の班内は異様な空気に包まれていた。津衣菜も最初に花紀が戻ったかを美也や梨乃に訊ねたきり、誰とも一言も喋っていない。
あらかじめ遥から動くなと厳命されているからか、勝手に探しに行こうとする者もいない。フロート内の情報網にも彼女の行方の手がかりは一切出て来なかった。
勿論、子供が発現者となっている事については、完全に伏せられていた。
彼女達の雰囲気の異様さは、事態の異常さだけが原因でないのは明らかだった。
花紀がいないという事そのもののもたらした影響は少なくない。そう津衣菜は思った。
「あれだけ言ったのに……どこで、何やってやがんだ……何で連絡しねえ……あのバカ」
社の中、奥の方で鏡子はずっと呟いている。そんな彼女に話しかけようとする者も誰一人いなかった。
千尋は雪子の車椅子を押して、夜明けも待たずに早々どこかへ消えた。
梨乃も社の裏に座り込んで黙り込んでいる。彼女が口を開けば、誰が爆発するか分からない程の空気だった。
日香里も美也も社の中、鏡子の反対側でスマホを眺めながら、たまに互いに情報があったかなかったか確認し合う以外は、殆ど喋らない。
津衣菜は鳥居の下の苔むした石段に座り込んでいた。朝になり遥からの指示が届くのを待っているつもりだったが、こんな所で自分が何を待っているのか分からなくなる。
本当は自分は花紀を待っているんじゃないのか。あの子がへにゃへにゃ笑いながら下の山道を登って来るのを待っているんじゃないのか、他のフロートの少女達と同じく。
だとしたら、自分の座っている位置は、まるで誰よりもそれを待ち焦がれているかのようだ。
朝の6時半過ぎ、津衣菜の元に届いたのは花紀の姿ではなく、遥からのメールだった。
そのまま立つと、後ろの班員達にも声をかけず山道を降りて行った。
フロート達の中心メンバーや「力仕事」担当限定のラインでナビゲートされながら、津衣菜は市内各地を捜索し、報告を入れて行く。
駅前は未だ、対策部が厳重な警戒網を張っているらしく、近寄る事さえも出来ない。それはすなわち、花紀や子供の発現者がその中にいる可能性も、極めて低いと言う事だ。
連中に捕えられていなければ。
その不安は津衣菜も遥へ言ったが、それはおおむね大丈夫だと返事が来た。
「連中がマニフェストやフロートを捕まえて、その情報がこちらに来ないと言う事はまずない。少なくとも、今は」
信じていいのかどうか分からなかったが、駅前を探せないと言う事だけは動かし難い事実だった。
マップで次の探索エリアを見て、津衣菜は少し気が重くなった。テレビ局前通りから西高にかけての地域だった。
単に気分的な問題ではなく、知人に発見され、警察を呼ばれるリスクも高くなる。
遥もその事を全く考慮していなかった訳ではなく、建物の陰や空き店舗の通り抜けなど、人目に付きにくいルートが、マップ上を幾つも走っていた。
津衣菜はフードを深くかぶり、それらの道を素早く通り抜けた。時おりビルの屋上や鉄塔の上から通りを俯瞰して、花紀と子供の姿を探す。
ふと、花紀ではない、別の少女の姿をその中に見つけた。
紗枝子だ。生気のない顔で――まるでフロートの様に虚ろに白い顔色で――揺らめく様に雑踏を漂っている。
彼女の姿を津衣菜は目で追ってしまう。彼女の身体に漂う気配は、とても身に覚えのあるものだった。何となく彼女の向かう先と行動が予想できた。
紗枝子は吸い込まれる様に、道沿いに並んだビルの一つに入って行く。正確にはそこはビルじゃなく、立体駐車場だった。トイレと自販機を除けば、彼女がそんな建物を利用する事情がどこにもない。
駐車場の最上階に紗枝子はいた。縁に張られたフェンスの手前。乗り越えるのは簡単で、その先は20メートル下の地面に真っ逆さまという場所だった。
「跳ぶの?」
背後からの声に紗枝子はびくっとして振り返り、津衣菜だと気付くと顔をますます強張らせた。
「森さん……どこに……どうしてここに……?」
津衣菜が「失踪」している事はもう紗枝子も聞いている筈だ。どうしてここにいるのか。どこにいたのか。どちらを先に聞いたらいいか混乱している様子だった。
「いや何。たまたま見かけたから、死ぬのかどうか見ておこうと思って」
津衣菜の声に紗枝子の顔は反応しない。
「ああ、あなたがやった事にされちゃったんだっけ、動物殺し。正義感が裏目に出ちゃったわけね。ざんねんー」
最後の「ざんねん」をまるで感情のこもらない声で呟いてみせる津衣菜。
津衣菜と対照的に、紗枝子の声は様々な感情で制御が利かず、震え、張り詰めてていた。
「どうして……私なの……私はただ彼に説得を……もういやっ、どうしてこんな事に」
「そういうもんだって分かっていたでしょ。何を今更」
「分かる訳ないじゃない! どうしてこうなるの! もう学校にも行けない。家の中も滅茶苦茶よ」
紗枝子は叫びながら、かきむしる様に頭を押さえてうずくまった。
「毎日嫌がらせの電話が来て“変質者の一家は向伏から出て行け”だの“シリアルキラーを生み出した社会的責任を取れ”だの。お母さんにも信じてもらえなくて私――酷……い……どうしてこんな……」
「酷いと思うなら、何もやらなきゃよかったんだよ」
「森……さん……?」
冷たい目で津衣菜は彼女を見下ろす。
「そういうもんだって、こうなるのがオチだって今まで分からなかった? ある意味羨ましいね――みんな分かってるから、猫を殺す奴や嫌がらせの電話する奴、みんなで人を壊す奴らと仲間になって、その中に埋没して生きて行くのさ。そのまま大人になって、一生ね」
津衣菜は紗枝子の横を通り、フェンスを撫でる。
「まあ、埋没した所で逃げ場なんてどこにもないからね。その中でこぼれ落ちない様に一生頑張らなくちゃ。だから、死ぬのもありだと思うよ……ゾンビになって生き返ったりしない限りはだけど」
「森さん……あなたは一体……」
震え声で尋ねようとした紗枝子は、おもむろに手を掴まれた。その冷たい感触に息を呑む。血の流れの感じられない冷たさ、剥製の様な固い質感。
さっきよりも間近にある津衣菜の真っ白な顔。彼女は呼吸をしていない。その瞳孔は開いたままで、薄く赤い光を放っていた。
「聞いた事ない? 死んだ筈の人間がしばらく経つと起き上がって、死体のまま動き回る――なんてのが最近増えてるって話」
津衣菜の手を振り払って、紗枝子は駆け出した。その後ろ姿を津衣菜は見送り、彼女が見ていた地上に視線を移す。
花紀ならどうしただろうか。ふいにそんな事を思った。
動物に向けられた刃物の前に身を投げ出すんだろうか。あの子はバカだからやりかねない。
背中を切り刻まれながら動物に笑いかけ、更には刃物を振り回している奴にまで、笑いかけるんじゃないだろうか。
説得を繰り返した挙句に罪を着せられても、分かってるのか分かってないのか、ふわふわ笑って、みんなおっはよーとか毎日挨拶してるんじゃないだろうか。
あの子は本当にバカだから。
どうして私はこんな時に花紀の事を考えているんだろうか。
花紀はどこへ行ってしまったのか。
翌朝まで続いたその日の捜索でも、花紀も子供もついに見つからなかった。
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