208日目(1)
208日目(1)
銃声は5回聞こえた。
その後に、きぃんという残響を引きつつ、静寂が訪れる。
目の前のこの闇が、目を閉じているからでしかないと、津衣菜はようやく気付いた。
ゆっくりと瞼を押し上げると、何も変わっていなかった。
夜の暗さも。月明かりも。
目の前の遥も。煙の浮かぶ銃口も。
ただ、膝の下の床に、さっきまでなかった抉れが出来ていた。
全弾が津衣菜の周りの床に撃ち込まれたらしい。
彼女の眼前を、大量の埃が舞っていた。
津衣菜は左手をぎこちなく、首から胸、右肩から手首、腹から足へとなぞってみる。
どこにも被弾していないのを確かめ終えて、重く口を開いた。
「…………どういうこと……?」
彼女の声が残ってはいるが、獣じみた低くかすれた声。
遥は津衣菜の問いを聞くと、顔を動かした。
彼女の視線の先には、木製のベンチに転がしたままだった中年女。
「まだそれ死んでなかったからね、セーフって事さ」
「何……それ……バカじゃないの?」
向坂は気絶しているだけで、確かにまだ生きていた。
軽い調子で答えた遥を、津衣菜は上目で睨みつける。
「何がセーフだ……下らない事言ってないで、さっさとやれ……ってんだよ」
「残念だが、もう弾丸切れなんだ」
「ふざけんなっ……知ってんだよ、もう一丁持ってるって!」
遥が空っぽのシリンダーを出して見せながら言うと、津衣菜の掠れ声が一層大きくなる。
カチャカチャ音を立ててシリンダーを戻し、もう一回出し。
また戻し、出し、ふいに遥の方から質問が飛んで来た。
「やってほしいのかい?」
「さっきからやれって言ってるでしょ! もううんざりだって!」
間髪いれず答える津衣菜。
「何でまた私が残ってるんだよ! 残るべき奴が残らないんだ!? 残りたがってた奴が残らないんだ!?」
「終わらせたいんだね」
「…………分かってるでしょ。こんなクソ運命、どこかに決めてる奴がいるんなら、台無しにしてやる」
即答で返した津衣菜へ、遥は頷いた。
そして、口の端を上げて笑いながら言った。
「それなら尚更、あんたの望み通りにしてやる訳にゃ行かないね」
「何でだよ……」
「素直に撃っちゃったら、罰にならなさそうだしね」
「ルールはどこに行ったんだよ……いつもいつも、そういういい加減な事を」
「いーや、はっきりしてるさ。今のあんたに『終わり』なんかあげられないつってんだよ。どんなに適当でも、フロートが生き残る為の『ルール』なんだ。あんたの都合いい自殺の道具じゃない」
遥が今までの口調から一変して、冷徹な声で津衣菜へ告げた。
カチリと音がしてシリンダーが戻された。
遥は空になったままの銃を、津衣菜の前に放る。
「弾丸が要る時は私が入れてやる。これからは津衣菜が持ってな。空っぽのままでね」
「これは……」
「戸塚山3班はもうないけど……リーダーのポジションはまだ残ってる。次の班長はあんただ。前班長からの正式な指名だよ」
左手で銃を拾い、目の高さまで持ち上げた津衣菜。
いつの間にか失くしてしまった花紀の銃とは違う、いつも手入れされてそうな色艶の銃身。
銃を見つめていた彼女の耳に、遥の声が届いた。
「月並な言い方になるけど……あの子の分を生きろ。それがあんた向けのペナルティーだ」
銃を持った手を下ろし、再び遥を凝視する。
「『生きろ』……だと? 私たちは、死んでるのに?」
「いや、確かにあんたは選んだ筈だ……生きていると言う事を」
「何言って……私は……そんな」
遥の言っている意味が理解出来ず、否定し様とした津衣菜の脳裏に、何かの記憶が走る。
――生きるって、こういう事なんだよ。分かるかな
――あんたにはきっとずっと分かんないんだろうな。
津衣菜が、病院を出る時に鏡子に言った言葉。
遥はどこかで聞いていたのか、それとも鏡子から聞いたのか。
いずれにしろ自分は確かにそう言ったと、津衣菜は認めざるを得なかった。
その言葉は――自分の現状を肯定する為の、津衣菜の精いっぱいの言葉であり――そして、その定義は――
「自分で自分を生きていると定義したなら、あんたは生者なんだよ――シンクでも何でもなく、生に向き合って生きる生者だ」
「……」
津衣菜は返事もなく黙り込んだ。
「花紀もそう望んだ様に」
「望んだ………そうしたんじゃないってのか」
「勘が良いね。あるいは分かってたのか……そうだ、あの子は自分をそう定義したかっただけだ。そして、出来ずじまいだったのさ。あの子は、あんたの何十倍も、後戻りの出来ない死を受け入れてしまっていたのさ」
「そんなこと……あるのか……そんで、私が……」
「あんたは自分を死者だと定義したかったんだろうけどね」
「だから私じゃなくて花紀なのか」
「私らの記憶力はよくないからね、何度でも教えてやる。あんたらの心の持ちようなんて、発現するしないと何の関係もないよ。どう思おうがする奴はするししない奴はしない」
「何でもいいよ、本当はここが地獄で向こうが天国だからとか、それなら少しは納得が行く――」
津衣菜の詰問は、どこか懇願が含まれかけてさえいたが、遥は首を横に振るだけだった。
「悪いけど、何をどうしても、その質問にはこうとしか言えない。『私にも分からない』とね」
二人の間に沈黙が流れた。
どちらも、それ以上聞く事も答える事もないし、次に何をしていいかも分からない様な感じだった。
何分後か分からないが、最初に沈黙を破ったのは津衣菜だった。
「花紀は………………苦しまなかった?」
「あんたが誰かを殺そうとしている事を、止められず、変えられなかったのが、悲しいって……そして、それ以上にね、あんたが怒ったまま、いないまま、仲直り出来なかったのが辛いってさ」
「そんな事っ! 私は……怒ってなんか……仲直りする必要なんて……最後までバカなの……」
津衣菜は叫びながら絶句し、視線を下に落としながら、途切れがちに言葉を漏らした。
「あんたにはバカとか言われたくないだろうけどね……そして、こうも言っていた」
津衣菜が視線を遥に戻すと、遥は間を置いて、花紀の言葉をそのまま伝える。
「でも……そう思っちゃいけないのかもしれないんだけど……それでも、何だか、嬉しかった」
「うれし……い?」
津衣菜が呆然とした顔で聞き返すと、遥は津衣菜を一瞥だけして、頷きもせず言葉を続ける。
「あんたが自分の為に走り回ってくれた事が、狂おしい程に怒って、笑って、考えて行動してくれた事が、『良い・悪い』や『正しい・間違ってる』とは別に、一つ一つ嬉しいと思ったって」
「何にもならなかったのに……あの子の望みは無視していたのに……星も一緒に見ようとさえしなかったのに……嬉しかった……って」
「津衣菜が救おうとしてくれた事、連れ出してくれた事、一緒にいてくれた事は幸せだったって」
「何だそれ……何それ何それ何それっ……やっぱバカでしょあんた、最後まで……っ!」
私だって会いたかったよ。
一緒にいたかったよ。
話をちゃんと聞きたかったよ。
笑顔にしたかったんだよ。
ただ、これからもずっと、そうしていたかったんだよ。
それだけだったんだ。
変な声が鼓膜の奥に響くのを感じた。
言葉にもなっていない、母音aの羅列。
自分が叫んでいるのだと自覚出来るまで、少し時間がかかった。
喉の振動と、自分の頭蓋から溢れ、暗い駅舎内に反響する音は上半身を折っても、のけぞる様に伸ばしても、膝を曲げてその場に跪いても、止まる気配がなかった。
遥は、そんな津衣菜を表情も変えずに、無言のまま見続けている。
「ええと、これ、何ていうんだっけ……でもおかしいな、確か……」
津衣菜は自分の陥った状態について、どこかにある心当たりを確かめようとしていた。
その間も、事態は更に進んでいた。
「あんた……」
遥の少し驚いたみたいな声が聞こえたが、闇に慣れた筈の目に、彼女の顔は見えない。
急速に視界がぼやけ、滲み、揺れ始めたから。
こうなる事にも覚えがあった。
叫び続けながらも記憶を手繰り続けていた、津衣菜の脳裏を、甘い囁くような声が一言残して通り過ぎて行った。
フロートはね、笑う事も怒る事も出来るけれど……泣く事だけは出来ないの。
―――嘘つき
津衣菜はその声に、口に出さず心の中だけで言い返していた。
乱れた髪とくしゃくしゃの顔で、細めた死者の赤い瞳孔から涙を流して、泣きながら。
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