193日目(9)
193日目(9)
そのお部屋の、そのベッドにいた人が、
ある日いなくなるの。
病気が治って出て行って。
それと、花紀お姉さんも時々そうしたみたく、少しぐあいが良くなって。
それと、もっと具合が悪くなって、別の部屋に送られて。
それとね、
もう一つ。
私にとって『死』は、そんなベッドのお引っ越しの一つだった。
当たり前みたく、看護士さんや他の患者さんから聞かされる話で。
挨拶代わりに、他の子に話すことだった。
いつもどこかで起きている、身近なもので、
そして、遠いものだった。
あの人は、おじいちゃんは、あの子は、
彼は、彼女は、
昨夜、早朝、先日、
亡くなりました。
そう説明された人がどうなったのか。
病院の中では、一度も見なかったの。
花紀お姉さんは誰かのお葬式に一度も行かなかったし、動物を飼ったこともなかった。
とても清潔な病室では、蠅も蚊もゴキブリもネズミも見なかった。
それを殺している所も見なかった。
生きていた時に、
わたしは死を見た事はなかった。
うん。
覚えてないの。
いつ頃からだったのか。
その『死』の順番が、
|自分に迫って来ていると分かったのは。
「目の前に今、対策部の人達が来てます」
津衣菜が引きずり出された直後の窓。
そこから、ヘルメットに機動服の対策部実力部隊が素早い動きで、一人ずつ滑り込んで来る。
一見警察の様にも見えるが、服の色や装備、デザインを警察とは変えてあり、彼らの機動服には『指定変異対策局』の文字が左胸の上と右袖に刺繍されていた。
彼らは室内に入った順で左右に広がって、奥にいる花紀を扇状に囲んで行く。
「えっと、対策部というのは何かというと、耳慣れない名前かもしれないけど、私達フロートについての国の……公共機関みたいなものかな」
彼らはそれぞれ手に刺股、あるいはゴム銃らしきものを構えている。
およそ半数は、周囲に視線を向け、隠れている者を警戒していた。
だが、残り半数はそれらの切っ先や銃口を花紀へと向けていた。
廊下の奥からもガラスの割れる音が聞こえ、複数の足音がこちらへ向かって来ていたが、棚や台を重ねて塞がれていた辺りで止まる。
人数が増えている気配はあっても、すぐに破ろうとはしていない様だった。
隊員の一人が、持っていた刺股を上へ逸らし、ゆっくりと花紀へ近付いて行く。
暴徒や対策部の投げ込んだ物、そして津衣菜が抵抗の為に投げたり倒した物、ガラスや壁の破片で、フロア全体が惨憺な有様だった。
埃や煙も薄く立ち込めている、その中で花紀のいる場所だけが平静だった。
花紀は、目の前に置かれたままのカメラとノートPCへ、そして輪を縮めて来る彼らへ、さっきまでと変わらない様子で話し続けていた。
機材の手前まで来た彼は、振り返らずにハンドサインで後ろの隊員達を止める。
そして、花紀へ向かって手のひらを見せ、続けてその手を押し下げながら尋ねる。
「言葉は分かるな? 喋るのを止め、放送も中止するんだ」
「いま、対策部の人が放送を止めてくれと言ってるの……でも、私は続けたい。みんなにお話したいことがもっとあるから」
花紀はカメラを見たまま、そう言葉を続ける。
「あの、対策部の皆さんにも聞いて行ってほしいです」
彼女の前の隊員は、溜息と共に手を下ろしてうつむいた。
「班長」
「こちらの状況をきっちり喋っている」
後ろからの部下の小声へ、抑揚のない声で彼は答える。
「強制執行しますか。彼女も変異体の様ですが、放送自体はノートを閉じれば瞬時に……」
「やめろ。ここで放送が中断されれば、それが我々対策部の対応として、全国、全世界に発信されるぞ。機材や電波状況の不具合のせいに出来ない」
「では」
「基地局の係長へ繋いで」
彼――班長は、隊員の一人を指して言う。
命令を受けた隊員が無線で、どこかにいる高槻へ現況を報告し、判断を仰ぐ。
その声はインカムを着けていない、無線担当者以外の者には全く聞こえない。
「現状況を継続せよ、との事です」
「ああ、聞いていた」
無線を終えた部下の報告に、班長が答える。
「はい。『環花紀』と思われます。確認します。対象は完全な包囲状態にあります……攻撃の意思なし。確保に失敗する恐れはありません」
「ありがとう……ございます」
隊員に追加報告をさせた班長へ、花紀はお礼を言って、一言尋ねる。
「あの、ついにゃー……窓にいた子は」
「安全に確保されている。不要な実力行使は行なっていない」
そう言ってから、階下で続く戦闘の音に顔をしかめる。
窓際で巨漢の変異体と争っているのが、暴徒なのか他班なのかも彼にはよく分からなかったし、そもそも、一階からの突入を試みている班が、どの指揮系統で動いているのかも、把握出来ていないのが現実だった。
「放送続けて良いならば、君から一階での抵抗を止めてもらう事は……できるかね?」
班長のその問いに、花紀は答えない。
黙ったまま、まん丸い目で彼を見返し続けている。
「ああ、そうだな。一階から入って来る連中が、現状を維持してくれる事は、俺にも約束できん」
肩をすくめながらも後ろ手のサインで、彼は隊を自分の周りへ密集させる。
目の前の小柄な――彼の一人娘と同じ位にも見える――少女が、生者の様に動く死者――痛みも熱も感じない、折れた骨も振り回し生者以上の力を出す、第二種変異体である事は意識から外さなかった。
彼らが態勢を整え終わったのを見て、花紀が口を開きかける。
その時、班長の声がかぶさった。
「ちょっと、こちらから聞いても良いかな?」
「は、はいっ。な、何だろ」
「いや、個人的な質問なんだが」
かなり焦った声で花紀が聞き返すと、彼は彼女をじっと見据えたまま尋ねた。
「君は、何があって死んだのか?」
一秒の沈黙。
彼が早口で言葉を続ける。
「聞くべきじゃなかったかも知れないのは分かっている。答えたくなければ別に――」
「病気です。生まれた時からの」
「そうか」
「もっと詳しく聞きたいですよね?」
「そう見えるかい?」
「うん。苦しんだのか、怖かったのか、それは長かったのか短かったのか……私は今の班長さんの顔を沢山見て来たから」
他の健康な人達と何も変わってなかった。
今ならそう思う。
みんな、いつかは死ぬの。
それを知っているけど、いつかの事で今じゃない。
だからみんなそれをどこかに置いて来ちゃうの。
そして今を幸せに過ごすの。
それが突然目の前に現れるまで。
発作の回数が増えた。
一人だけの部屋に何度も連れて行かれた。
光も音も、少しずつ弱くなって行く。
呼吸の量が減って行く。
苦しい、苦しい、痛い、痛い
そして痛みさえいつかは麻痺し始めて。
私の身体が、止まろうとしているというのを、24時間感じさせられ続けた。
『死ぬって、どういうことなんだろう』
朝から夜まで、それをずっと考えるようになった。
その答えが、この苦しさや怖さを少しでも紛らせてくれる。
一人でそう信じてた。
それが間違いだったと気付くまで。
その答えなんてなかった。
全てなくなる事が、死だったの。
『なくなるという事もなくなる。あったという事が、ここに生きていたという事そのものがなくなるのだから』
花紀お姉さんは、宇宙人も、未確認生物も、妖怪だって、どこかにきっといると思ってるの。
でも、幽霊や、天国と地獄、死者の魂。
そんなのは生きている誰かの希望でしかなかったの。
『死』自体が、生きている人の頭が作ったものであって、実際に死ぬ人には『それ』さえない。
それを知って、私は更にその日を恐れ、自分の運命を理不尽だと思う様になった。
どうして、私にそんな事が起きるのか。
どうしてなくならなければならないのか、全く受け入れる事なんて出来なかったんだよ。
「ねえ、どうして私が死ぬの」
「ねえ、私じゃなくてあなたが死ねばいいのに」
「あなたが死んだらとても悲しいし、明日からの不安も増えるけど、それでも私がなくなるよりずっといいのに」
「そうだねって、本気でそう思ったの?」
「ごめんねって何? 誰に何を謝っているの?」
病院の中の人生でも、私、十分、幸せだったと思うよ。
みんなが優しくしてくれた。
私は愛されていると、感じる事が出来た。
面白い本も楽しい遊びもあって、退屈しなかった。
毎日がエキサイティングの連続だった。
おいしい物も時々食べた。
こんな幸せがずっと続く様な気がしていた。
―――だからなおさら許せなかった。
自分がもうすぐ死ぬという事が。
この全てがなくなってしまう事が。
とても、受け入れられなかったよ。
本当の私は嫌な子だった。
みんなのことが大好きでも、みんなから愛されていても、
私は私しか愛していなかった。
いつも誰かに当たり散らしていたよ。
「ギブス装着……頸椎骨折の様子あり……」
津衣菜の頭を押さえている男が、どこか虚ろな響きの声で報告する。
傍らの隊員が『頸椎骨折あり』と復唱した時、凍った表情に微かな安堵を浮かべる。
「ギブス装着、右上腕骨折」
「肩甲骨下と背面肋骨、骨折あり。プレート装着」
「頭蓋骨骨折なし」
「呼吸なし……体温なし……眼球、口腔の乾燥度は」
「これで生きてるみたいに動く……これが指定第二種変異体なんですか」
レストハウスの屋根の斜面に、窓から出した津衣菜が運ばれ、隊員数人がかりで押さえこまれていた。
津衣菜を押さえている数人以外に、屋根にはおよそ十人以上の隊員が待機し、2階への突入班や、どこかにいる管制と連絡を取っているらしかった。
「これとか……言うな」
津衣菜は抵抗する様子もなく、隊員一人の呟いた言葉へ反駁する。
頭を更に強く押さえられるだけで、言葉は訂正されなかった。
屋根の上へ連れ出されて、視界の端に見えた地上部分から、中で感じていた以上に自分達が絶対絶命の状況にあった事を知る。
建物東側の暴徒は、半分近く対策部の制止を振り切って窓へ迫っている。
暴徒周りの対策部は、一旦その制圧を止めて建物内へ同行しようとしている。
西南部分では暴徒に先手を打つ気か、別の部隊が一気に突入を試みている。
窓からは何本もの煙の筋が彼らへ伸びる。
津衣菜の知る限り、レストハウス内に運び込んだのは全てただの発煙筒で、催涙効果のある物は皆無だった筈だ。
そして、本数もそんなになかったと思う。
屋根上からの突入部隊は、既に十人以上二階へ入り込んでいた。
彼らは花紀を取り押さえず、放送を続けさせていると、ここで交わされている会話で知った。
一階の窓から私服姿の暴徒が一人、放り出されて転がった。
次にテーブルと一緒に機動服姿の対策部の職員が放り出された。
数人がゴム銃を続けざまに窓へ撃ち込んでいる。
「現状を継続って……何故です」
「我々が彼らを人間扱いしない暴力的な輩だと宣伝されるリスクは、今の時期、それだけ重大なんだ」
「ということは……中でネット放送しているって情報、本当だったんですか」
「本当だったんですかじゃなくて……自分で見たらいいじゃない」
津衣菜が押さえられたままで、また口を挟む。
今度はさっきよりも彼女を注目する者が増えた。
「そのモニターでアクセスして、見取り図ばかり見てないで、あの子の話を聞いてよ」
「静かにしていろ」
待機班のリーダーらしい男が、津衣菜の顔の前で屋根板を突く。
「調子に乗ってんじゃねえよクソゾンビ。何が話を聞けだ。『死人に口なし』って言うじゃねえか?」
津衣菜を見下ろして男は嘲笑を浮かべた。
「全く、異常な状況で異常な奴らが調子に乗ると、普通の人間の負担ばかりが増えるんだよ」
「……『普通のゴミ野郎』の何?」
「あ?」
男は再び津衣菜の身体の脇で、刺股の柄を叩き付ける。
「俺達公務員は、素人のハンターと違って何もしねえと思ってんのか? どうせ痛くもねえんだろうけどよ、てめえの見えない所ぶっ壊すぐらい、さほど問題ねえんだからな」
男の声と同時に、津衣菜を押さえている手が一斉に拘束を強める。
腰の上や足も踏みつけられ、身じろぎも出来ない程となった。
「……何だ?」
頭の上で訝しむ声。
そして、さっきまでも頻繁に聞こえていた、空高くからのモーター音。
「我々のヘリだ。現地派遣用の」
「今頃か? まだ来ていない班などあったか?」
「高槻係長はさっき完了したと言っていましたね……南側の井口次長管轄ではありませんか?」
「井口次長の所も、係長は把握済みだ。それに……酔座方面から来ていないか、あれ?」
そんな会話の間にも、上空のヘリはスキー場上へ移動して着陸態勢に入っていた。
「係長より各局通達です。東京の旧部局本部から状況整理要請あり! 本部長がヘリにて現着後、現地指揮をとるとの事!」
「何だって……それは間違いないのか?」
「レストハウス周辺と屋内一階、二階、屋根上の状況について再度詳細送れとの事です!」
「ちっ……待機W班。変異体一体確保。十代女性。首と腕に骨折とギブスの補強あり。多少暴れたので、一時的に制圧を行なったが、人道的配慮の元に拘留を行なっていると報告しとけ!」
その声の直後に津衣菜を押さえる力が、一斉に解かれた。
直後、引き起こされて立たされる。
彼女の頭上を更に二機、ヘリの轟音が通り過ぎて行った。
続けて向伏市内方面、さっきまでと同じ南からも新たなヘリが接近している。
地上の様子も変化した。
窓際に固まっていた部隊が順番に移動し、総員を暴徒の包囲に投入し始めた。
玄関から突入した部隊も、先に入り込んでいた暴徒だけを捕まえて戻って来る。
一階がどうなったのか、高地がどうなったのかはここからは分からない。
「お前らの人権にうるさそうな上が来やがった……告げ口するなら好きにしろ。旧部局は、現場を弄る事は出来ても、どうせ俺の発言どうこうする権限まで持ってねえんだ」
投げやりな声で待機班の班長は、津衣菜へ捨て台詞を吐いて屋根の縁へ向かった。
一人ずつそこから降り初めているらしい。
西の空から飛んできたヘリ一機が、斜面の上でなくこちらへ向かって来ている。
良く見ると、機体前方に「指定変異対策32 酔座支部」と白字で書かれていた。
その側面から、身を乗り出してこちらに手を振っているのは遥だった。
彼女の後ろの日香里や曽根木と共に、この屋根の上に降りて来るつもりらしい。
ヘリが津衣菜の前方で高さ5メートル程まで降下して来た時、彼女は声を振り絞って叫ぶ。
「うるさい! 花紀の話が聞こえないでしょ!」
「分かってる! 放送ちゃんと見てるよ! すぐに出すから!」
大きなジェスチャーを交えながら言い返す遥は、いつもの胡散臭い笑顔を浮かべていた。
ヘリは更に1メートル降下すると、縄ばしごを垂らす。
「降りるんなら早くしなよ」
「せかさんどいてって」
津衣菜の冷たい声に苦笑しながら、降り始める遥。
機動服の隊員に両脇を固められながらも、津衣菜は上半身を少しそらして、降りて来る彼女達を待っていた。
その津衣菜が突然肩を震わす。
異常に気がついた隊員二人が、彼女を押さえようと構えるが、それより彼女が身体を捻る方が早かった。
「うわっ!?」
津衣菜を掴み切れずに弾かれてよろけた二人を後に、津衣菜は屋根の縁へ駆け出そうとして、途中で転びかける。
そのまま転落しない様に勢いを殺しながら、屋根を滑り落ちて縁手前でしがみついて止まった。
地上を凝視する彼女の耳に、もう一度、彼女の名を呼ぶ微かな声が入った。
「津衣菜!」
レストハウス玄関前のスペース。
機動服姿の対策部が100人以上でごった返す先に、囲まれて大騒ぎしている私服姿の賞金目当ての連中20人以上がいた。
その更に向こうから、見覚えのある青っぽいスーツを着た女性が、こっちを真っすぐ見ている。
津衣菜も彼女を無言で見返す。
森椎菜は、百メートル以上先のレストハウス屋根に立つ娘へ、もう一度大声で呼びかけた。
「津衣菜!」
地上の大騒ぎと、空を飛び交うヘリ。
普通の人間だったら、どんな大声でも届かなかったかもしれない。
だが、フロートの耳は、しっかりと母の声を拾ってしまった。
「森さん、群衆がまた興奮し始めました! 二十メートル以上後ろへ離れて下さい!」
対策部職員に促されて、半ば無理矢理後退させられる椎菜。
彼女へ向かって、口を開きかけた津衣菜は、再び両横を捕まえられる。
「どこへ行くんだ! 大人しくしろ」
「ほら、仲間と合流して移動しろ。頼むからこれ以上面倒増やすな」
抗い切れないまま引きずって行かれる。
その先には、既に梯子を降り終えていた遥が待っていた。
「行くよ。丸さんや鏡子も10キロ東で拾ってくれるってさ」
「……」
津衣菜は遥を見返すが、そのまま黙ってしまう。
そんな彼女に、遥の方から声がかかった。
「言っただろう? あんたらが向かい合える機会は、思ってる程多くないって」
踵を返し、津衣菜に背中を見せてから、一言付け加える。
「そういうふうにしたのは、あんた自身だよ。忘れんでね」
「分かってる……」
ようやく口を開いた津衣菜は、うるさげに答えると遥の後に続いて歩き始めた。
聞こえますか?
もう大丈夫だよね?
それでね、
さいごまで、私は嫌だと言い続けた。
このまま死んじゃうのは嫌。
どんなに痛くたって、苦しくたって、怖くたって、
生きるんだって。
もっと楽しい事が待っている。
もっと嬉しい事がある。
もっと優しくされたい。
ありがとうって言いたい。
大好きな人に大好きだよって言いたい。
そして、自分のイヤなところも、いつか直すんだって。
酷いこと言ったのも謝るんだって。
そう思いながら、意識がなくなった。
本当に、なくなるということも、なくなってしまったんだよ。
あのまま目が覚めなければ。
だから、次に、私が当たり前みたく目を覚ましてしまったから
とてもびっくりしたの。
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