193日目(8)
193日目(8)
「そうね……そっちは6人でどうかな。5人はこっちを希望してるんだ」
遥は電話しながら振り返る。
後部座席に、他地域からのフロート11人がまとまって座っていた。
彼らも遥達も、捕まった時の服は取り返しそびれ、施設内で着せられた検診衣のままだった。
「ああ、そうだ。向伏に行く前に、服買う時間はないですかね」
「自分で考えて、あると思ったのですか?」
遥はバスの前方へ尋ねるが、返って来た椎菜の視線に肩をすくめる。
バスは織子山の南から高速に乗り、まず向伏へ行こうとしていた。
『本部長』によれば、彼らはフロートの残存グループと合流し、同時に地元の対策部支部の動きを整理するのだという。
「そんなに嫌な顔しないで下さいよ。そっちはきっちりスーツ着てるじゃないですか。私ら被検体丸出しな格好のままなんだから」
「それは分かってますが、我慢して下さい。到着時間次第で、状況がどうにでもなってしまう時なんです」
遥はスマホの通話に戻る。
「全部片付いた後、服も買ってからそっちに送る……いや、すみませんて何だい。何であんたが謝ってんのさ。いくら酔座に近いからって、元々あんたらに何かやってもらう様な事じゃなかったんだから……え? トンネル前までならドローン飛ばせた? 一体どこからそんな金……何ていうか、相変わらずだな」
「また……ヘリですね」
窓際の席に座っていた日香里が、電話中の遥の代わりに、周りのフロート達に声を掛ける。
何人かが窓の外を覗き、山の上を北へ進む複数の機影を見た。
「本当に多いね……市内じゃなくて、栗根とかへ向かってる様に見えるよ」
電話中の遥も、他の対策部の人間と話し中だった椎菜も、ちらっと外を一瞥した。
「今、南向伏の手前まで来ててね、ヘリが多いみたいなんだけど、これってやっぱり……ああ、やっぱりこっち絡みかい。うん、次は終わってから連絡する」
電話を切った遥は、車内の視線が自分に集まっている事に気付いた。
みんな、彼女の電話が終わるのを待っていた様だった。
「このバスは行き先変更します。この先の妻木川PAから南へ折り返し、栃木を目指します」
その中心にいた椎菜がマイクを手に、フロート達へ向かって宣言した。
「ええ? 織子山から1時間以上あるじゃない。一体何を――」
さすがに遥も、驚いた顔で尋ねる。
「このまま向伏に入っても、大事な所へは行けないわ」
椎菜は無表情のまま答えると、車内天井二か所のモニターを見る様に彼女達へ促した。
同時に、モニターに映像が表示される。
今放送しているニュース番組らしく、山中の国道を塞ぐトラックと、渋滞する東西の車列が映し出されていた。
続いて『酔座スキー場 (ファミリーゴルフ)』の字幕と共に、緑の平地で一台ずつ着陸し、実力部隊を下ろしては再び離陸して行くヘリの列が映る。
『インターネット上で、賞金500万円の呼びかけ』
『推定300人近くが参加。酔座スキー場は危険な状態』
「離せよこらあ! 邪魔すんじゃねえよ!」
「警察じゃねえのに何だよ? 対策部って何だよ!?」
「ゾンビが出て暴れてるから退治しろって、国公認じゃなかったんですかあ?」
『暴走する変異者狩り、そして変異症者の抵抗集団』
『聖戦を唱えたアーマゲドンクラブ、会長日出氏は変異症者グループに身柄拘束』
「レストハウスから煙が出ていますね……出火したんですか?」
「現在確認出来ていません。下がって下さい」
「中に人がいるんですか?」
「カメラ切って! 下がって!」
『国道13号線、数か所で通行止めと渋滞』
『酔座‐向伏間の車での移動は、中央自動車道をご利用下さい』
酔座スキー場内の、中腹にあるレストハウスには賞金に煽られた連中とフロート狩り、そして対策部の実力部隊が衝突を繰り返しながら取り囲んでいた。
『首相官邸で指定変異対策会議が緊急招集』
カメラのフラッシュの中、首相官邸の玄関前を歩く閣僚と議員の列。
その中の何人かが記者からの質問に答えている。
「賞金で扇動を行ない、この事態を引き起こしたのが、アーマゲドンクラブ東京支部と向伏支部だったと聞いています」
『衆院議員 海老名光秀氏』
「この件でのアーマゲドンクラブの責任は、しっかり追及して行くべきと考えております。今後の指定変異対策の改革において、避けては通れない課題となるでしょう」
『総務大臣 朝来一郎氏』
「さっきからそっちを飛んでいるヘリは、栃木方面からって訳ですか」
ニュースの画面がスタジオに切り替わった時、遥は椎菜へ尋ねる。
「陸路で、速やかに現地へ到着する手段は多分ないわ。向伏のヘリポートでは対策部が送れるヘリは2台が限度……既に全部出払っている」
「だから栃木」
「この近辺で、対策部が10機以上編成出来るのは、あそこの公共ヘリポートだけ」
「それで……連中がピストン輸送してる最中のヘリポートに行って、私らも乗せろってねじ込むんですか」
遥のその質問に、椎菜は少し間を置いてから答える。
「……本部長指示で何とか通すわ」
「多分揉めますね。それも、ここからどんだけ飛ばしても、着くだけでおよそ1時間……時間が惜しい時にする事かな」
「どれだけ近道したくても、辿り着けなければ意味がないのよ」
「酔座にも公共ヘリポートはありますよね。小さな酔座支部でも2台くらいならヘリを出せる」
遥の言葉に、椎菜は目を細めて彼女を覗き込んだ。
「調べたの?」
「向こうのフロートが、私らよりも当局と仲良いみたいでね。酔座支部は今、本部からの介入指示を心待ちにしてるんだって。無視しちゃったら、ちょっと可哀想じゃないですか」
「ちょっと待ちなさい……」
椎菜は片手を上げて遥の言葉を止め、周りの本部長達と目配せ合う。
「酔座支部か」
「あそこは確かに外部の影響が低い」
「だが、海老名派にも従順だとか……」
「それは支部の規模上ある程度は仕方が――」
小声で再検討を始めた彼らに、遥が声を掛ける。
「もうすぐ例の妻木川PAです。お早めに」
打ち合わせ中の椎菜のスマホが、断続的なアラームを鳴らす。
『配信再開しました』
遥は、彼女のそのアラームが何の合図かを知っていた。
「森先生」
椎菜は遥の呼ぶ声に無言で頷くと、素早くタブレットを操作し、繋がっている車内モニターの画面を切り替えた。
「えっと、こんにちは。知ってる人もいるかもだけど、私達とアーマゲ会長さんは今、酔座スキー場のレストハウス・オレンジに来ています」
落ち着かない、少し慌てた様子で話し始める、長い巻き毛の白い少女。
その背後が、今まで以上に騒がしい。
絶えず壁に何かをぶつけられる鈍い音が響き続け、時折ガラスが割れる音、火花みたいな音も入っている。
「えっとね、多分がこれが最後の放送です。凄く大変な状況です。なので――」
花紀の周囲の白っぽいスペースにはパンフレットや椅子や看板が散乱し、薄く煙のようなものも立ち込めている。
カメラを花紀に向け、放送の為の作業をしている者は、何度も機械を離れてどこかへ走っているらしい。
その度に画面はずれ、がたがたと揺れてしまう。
「今まで花紀お姉さん一人の時は、フロートがひっそり集まって暮らしてる事、最近あった事、フロートのみんなは普段どうしてるかなんて事をお話して来たけど……」
「ああああああああっ!!」
喉を振り絞るような叫び声と同時に、棚か何か大きな物の倒壊する音。
遥も聞き覚えのある、それを聞いた椎菜の表情が凍りつく。
花紀はその音に、一度目をきつく閉じたが、瞼を上げると、乾いた赤い瞳を真っすぐに向けた。
いつもの甘ったるい声で、だが静かに話し始めた。
「これからは私……『環花紀』が生きてた時の事、そして死んだ時の事をお話します」
花紀の周囲を少し濃いめの煙が舞った。
「まずは、病院のお話から始めます」
レストハウスの周囲およそ4分の3、西側から正面玄関にかけては、完全に対策部実力部隊の隊列で埋め尽くされていた。
しかし、正面玄関の脇付近から隊員と一般人の小競り合いが発生していた。
建物東側およそ4分の1では、フロート狩りや一般人の集団が、捕まえられる事もなく建物へせり出して、対策部を壁沿いへと押しやっていた。
彼らの中には、今にも建物内へ突入しようとしているグループもいたが、距離を置いて建物や対策部の様子を観察している者達もいる様子だった。
そんな中、若い男3人程のグループが、スマホを取り出してその画面を3人で覗き込みながら、レストハウス2階の窓を指差して何か話している。
画面に映っていたのは、薄い煙の中で話し始めた花紀の姿。
物心ついた時から、入院と退院を繰り返してた。
何となく病院の中と外が違うと分かってたけど、そんなに意識しないし、おかしい事だとも思わなかった。
何だかね、当たり前に「世界が二つある」みたいだったの。
小学校に入った頃から、年ごとに、病院にいる日の方が多くなって行った。
学校は『時々行く場所』になって、クラスメートの顔も、一緒に遊んだり勉強したりした思い出も、断片的になって上手く思い出せなくなってしまったの。
中学校はね……合わせて、1週間しか行ってなかったと思う。
それなのに、『先生』や『クラスメート』は、よくお見舞いに来てくれた。
うれしいけど、不思議な感じだった。
別世界から来たその人達が、いつもと違う新鮮な感じがして。
友達に出会って、毎日の様に顔を合わせて、挨拶して、一緒に勉強したり遊んだり悪戯して怒られたりして、ケンカしたり仲直りしたりして……やがて別れが来るのは、病院の中だった。
お父さんやお母さんと家族旅行にだって行ったんだよ。
動物園や映画館にも連れてってもらった。
アミューズメントパークにも行ったよ。
でも、私が帰ってくる場所は、病院だった。
好きな人が出来たのも、病院の中だった。
奥の窓が割られた。
気付くと共に、津衣菜は駆け付ける。
積み重ねた看板とテーブルの上から、ジャージ姿の中年男が埃塗れになりながら、障害物をどかして内部に入ろうとしていた。
津衣菜は持って来た消火器のノズルを、男の顔面に向け、躊躇わずにレバーを握る。
噴出音と共に男は真っ白になってのけぞる。
更に押し込む様に津衣菜は前へ出る。
これ以上彼を押しやると窓から転落される恐れがあったが、彼女がそれを気にする様子はない。
「ゲホゲホ……ダメだ」
男は配管にしがみ付きながら咳き込んで、逃げる様に伝い降りて行く。
窓まで来た津衣菜が、障害物の山によじ登って外を覗くと、対策部のいなくなった数メートルほどの壁沿いに、同じ様に配管や壁の凹凸で這い上がろうとする人々が集まっていた。
テーブルの一つを片手で振り上げて、下へと放り投げる。
結果を見ないまま窓から離れたが、その時、破壊音と同時に悲鳴や逃げ惑う足音が下から聞こえた。
正面玄関側、津衣菜の駆け付けた窓の反対側から、スピーカーで呼びかける声がする。
『指定変異症患者の皆さんが、自衛の為に行動していた事は理解している。当局はこの事態の収束を図りたい。速やかに投降し、日出氏の身柄をこちらへ移送せよ』
機械的な呼びかけの声には、1階から高地の、低いくせに良く通る声が応答した。
「日出を解放するからよ。アーマゲの幹部は誰かそこにいるか?」
「当局も制圧対応中で、確認出来ない」
「すっとぼけてんじゃねえよ。いるんだろ? さっき見たぞ」
しばらく間があった後に、斜面下側――すでに四方を塞がれて動きを封じられていた集団の中から、本部の男性幹部数名と、向伏支部長の若い男がまとめて連れて来られた。
「やっぱりいるじゃねえかよ」
高地は仕切り板の影から外を窺って呟く。
本当は、ここに来てから、交渉にいた幹部の顔は一人も見ていない。
集団のかなり後方にいたであろう彼らは、見える所に現れてすらいなかったと思われた。
「よし、それじゃよう――」
高地が言いかけた時、2階の南窓からつんざく様な破砕音。
「ついにゃーっ!」
階段上から花紀の悲鳴。
「おいどうした!?」
階段上へ怒鳴っても返事はない。
高地は南側へ行き窓の外を覗き見る。
対策部の連中がかなり密集して固めている様だが、何か行動している様子はない。
「窓から……レンジャーさんみたいなのが飛び込んで来て、ついにゃーを引きずり出そうと」
「花紀! 来ないで! 私はいいから放送を!」
高地は舌打ちする。
ヘリまで使ってあれだけ装備を揃えて来ている連中が、『下から上へ』だけとは限らない。
普通に分かりそうな事なのに、今まで全く考えていなかった。
「おいてめえ! この野郎! 何、話途中で突入やらかしてんだ!」
『我々は可能な限り手荒な解決を回避したい。迅速な対応を希望する』
高地の怒声に、抑揚のない声が答える。
「くそ……今、日出出すからよ! 女襲ってんの止めさせろ!」
高地は窓を離れ、フロア中程のカウンタースペースへ向かう。
カウンター下に隠していた日出を立たせると、短く怒鳴りながら、前を歩かせる。
その時、2階から新たな物音。
窓から室内へ次々と踏み込んで来る足音。
津衣菜の声や立てていた物音は、1階にはもう聞こえなかった。
copyright ゆらぎからすin 小説家になろう
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