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フローティア  作者: ゆらぎからす
3.シンク
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11日目(1)

 11日目(1)



 倉庫の一画に仕切り板で区切られた、およそ5メートル四方のスペース。左右と奥の壁には、段ボール箱がラックいっぱいに積み上げられていた。

 その中で複数の人間が荷物を確認して回っていた――その半数は、生きた人間ではなかったが。

 遥を筆頭に3~4人のフロート。そして残り数人は黒や灰色のスーツ姿の男性。血色から普通の生きた人間だというのが明らかで、特にフロートと比べると違いは一目瞭然だった。

 手元のファイルリストを見ながらフロートの一人が頷く。それを見て遥は自分の持っていた封筒とケース入りのUSBメモリー、小さな指紋認証金庫を灰スーツの男の一人に渡す。

 津衣菜はスペースの外に待機していた。津衣菜の他に高地や曽根木、先日の北部の中年男性たちや他の大人の男もいた。見慣れない同年代の少年の姿も、離れた所に見える。津衣菜の班の少女達の姿はない。

 そこにいるのもフロート達だけではなかった。スーツや作業服など様々な服装の男達が、フロート達と向かい合う様にたむろしている。スペース内と違い、こちらの生者達はかなり殺伐とした気配でフロートを監視していた。

「今週の補充はこちらのリスト通りで間違いありません。お疲れ様です」

 スペース内から遥の声が聞こえる。

「こちらもデータ、サンプル共に確認しました。ありがとうございます」

 灰色のスーツの男が遥に答えた。

 フロートの体内を整え、腐敗の進行を抑えたり活動エネルギーを補うらしい各種の薬品や抗生物質、その他、遥が要請した様々な物資が、対策部の用意したこの倉庫に定期的に補充される事になっていた。

 見返りに遥が渡していたのが、対策部の研究セクションが求めているという、フロートの身体状態に関する様々なデータらしい。

 二人組の白衣を着た研究者らしき男が、遥へ近付いて来て言った。

「何でも今度、子供のフロート一体にアンプルGCAを併用して疑似食事をさせるそうだが」

「――一人」

 じろりと二人を一瞥して、遥が冷ややかな声で訂正を求める。

「失礼。その子の食事に、是非とも我々を立ち合わせてはもらえないだろうかね」

「私達としても極めてデリケートな作業となります。一言も発しないで、気配を消して、呼吸も心音も止めて、ひっそりと物陰から観察されるのでしたら検討します」

 無表情でそう返答した遥に、二人は肩をすくめながら退いた。

「終わったよ。今回の配給分を運び出すから、入って」

 遥が外に声をかけると、めいめいにかご台車を引っ張りながら、津衣菜達がスペース内に入って来た。作業員を装っている男達は、警戒を緩めていない。

 互いに、相手側がいつ態度を豹変させ、自分達を襲い拉致しようとするか分からないという緊張感の下にあった。

 津衣菜はラックの前で、遥達があらかじめラベルを貼った箱を台車に積もうとして、その手を止めた。彼女の視線は、スペースの角で今入って来た対策部員と話し込んでいる黒スーツの男に向けられていた。

 男は津衣菜の視線に気付いていない。津衣菜はさりげなくその場を離れ、男の死角に入ると、合図で遥を呼んだ。

 ラベル貼りを続けていた遥は、津衣菜の下へ静かに近付いて訊ねる。

「どうしたん?」

 津衣菜の緊張した様子に気付いたのか、さっきまでの冷たい雰囲気を解いて、いつもの砕けた口調だった。津衣菜は震える小声で言った。

「知っている顔だ。何で……あの人がここにいる。彼はお母さんの……森椎菜県議の秘書だ」

 ああと遥は短く声を上げ、男の方を一瞥する。

「隠しとける話でもないか。あんたの母さんね……対策部にがっつり噛んでるんだ」

 津衣菜は遥を凝視する。

「対策部に……フロート絡みで、自分の影響力を広げようとしている政治家は、国地方問わずいっぱいいる。この向伏の地方支部でも。森椎菜は、そうした議員の一人なのさ」

 衝撃を受けたらしい津衣菜の様子に構わず、遥は明け透けに説明する。最後に彼女をフォローする様に付け加えた。

「こればっかりは家族でも知らないのは無理ないよ。これは政治家先生としちゃ裏の顔の一番奥、暗部中の暗部になるものだろうからね」

 そんなフォローがなくとも、自分の母親が県会議員としてどんな仕事をやっていたのかなんて、津衣菜は元から殆ど知っていなかった。

 物心ついた頃に、津衣菜の両親は離婚していた。その後、母はずっとがむしゃらに仕事をしていたというイメージしかない。

 保険コンサルタント勤めから、福祉のNPOを立ち上げ十年近くやって来て、その実績から県会議員選挙の候補に推され、当選し今に至るまで。

 家にいても直接顔を合わせて話す機会は、中学校に入学した頃から激減した。ラインで連絡取り合ったりはしていたが、津衣菜が怪我しても、こちらが大丈夫だと言えば1日2日後に確認しに来る様な母親だ。

 いつの頃からか、生活の面倒は見てもらっていても、自分の人生には殆ど関係のない存在になっていた。

「森椎菜は……フロートの敵なのか?」

 津衣菜のその問いに、遥は首を横に振った。

「うーん、どちらかと言や今は味方かな。互いに利用し合いましょうみたいな感じで……共通の敵もいる事だしね」

「共通の敵?」

「言ったろう、対策部に近付く政治家はいっぱいいるって。その中には非常にありがたくない奴も混じってるのさ」

 いずれにせよ、今、あの男の前に顔を見せる訳にはいかない。今日のジャケットにはフードも付いていない。

 そっと倉庫の外まで出て、そこに待機していたトラックに荷物を積み込む作業に配置換えしてもらう事にした。

 母は今、自分を探しているのだろうか。学校ではまだ休んでいる事になっているという元クラスメートの話を思い出した。

 常識的に考えて探していない筈はないだろうが、以前ニュースで見た行方不明の子供を探す親の様に、自分の母が必死に自分を探す所はいまいち想像出来なかった。


 トラックに荷物を積み終えて、その出発を待たずに津衣菜は倉庫を去り帰路についていた。フロートにしては珍しく昼過ぎに集まっての仕事だったので、外はまだ明るい。

 かつての様に土気色や紫の鬱血は見られないとはいえ、生者との違和感が夜よりも際立つ。人目につかない様、足早に移動する事を心がけた。

 ぐしゃっ……ぐじゃり

 耳が微かに嫌な音を拾った。県道沿いの住宅街だ、そんな場所で聞こえる筈のない聞き覚えのある音。

 最初は無視しようと思ったが、耳にこびりつくその音は変なリズムで断続的に津衣菜の耳を汚す。

 みちっ……しゃりっ……びちゃ……

 マンションが並ぶ小さな道。進むつもりだった角を曲がらず、直進して次の角を反対側に入る。小さな駐車場。停まっているワゴンの陰から音は聞こえていた。

 既に津衣菜の目は、見覚えのある服やズボンの裾、そして地面を流れる赤や黄色の筋を捉えていた。

 車の裏の人物をボディに映す車の前へ来た。服が、自分の通っていた向伏西高校の男子用制服である事を、改めて確認する。

 声が出ない様に喉を切り取られていたが、彼の手の中の猫はまだ生きていた。殺さず喉を抉る事に慣れているのだろう。

 前足を手羽先の様に刃を通してゆっくりもぎ取りながら、男子生徒は猫の目の反応を観察していた。猫とシンクロする様に目を大きく見開いて、その口元は笑っていた。

 津衣菜の知らない顔だった。ネクタイの色から彼が一年生だと分かった。すぐ傍に立ち彼を見ている津衣菜に、気付く気配は全くない。

 津衣菜は静かにその場を離れ、駐車場に隣接していた集合住宅の階段に登る。男子生徒の姿はそこからは見えなかったが、駐車場そのものと周囲の道は見渡す事が出来た。

 古い方のスマホを取り出し、電話帳を確かめる。もしなかったらこのまま放置でも構わないと思っていたが、いつ入れたものなのか、探していた番号は登録されていた。

 今度は新しい方のスマホでその番号へかける。向こうにとっては知らない番号だ。出ないかもしれないが、その時はやっぱり放置――と思っていたら、相手が出た。

「……もしもし」

「森だけど」

「森さん? え? 電話番号変えたんですか? え、どうしたんですか?」

 向こうからの不安げな声は、津衣菜が名乗ると慌てふためいた。

「西高の制服着て猫殺してる奴いたよ。菱浜2丁目の月極駐車場で分かる? 近くにいるなら間に合うかもね」

「本当ですか!? い、行きますっ。自転車で10分位で着きますので、待ってて下さい」

 慌てつつも勢い良く捲し立てる紗枝子の声に、津衣菜は答えた。

「嫌だね」

「……え?」

「私の問題じゃなくてあなたの問題でしょう? 行くか行かないか、どうするかは自分で決めて」

 紗枝子が続けて何か言っているのは聞かず電話を切り、番号を着信拒否にする。

 そのまま階段から地上を見下ろしていた。男子生徒が駐車場から移動する様子はない。

 やがて車の陰から、彼が出て来た。スマホを取り出して、自分のいた所に向けている。恐らく写真を撮影しているのだろうと津衣菜は思った。さっきまで彼が耽っていた残虐な娯楽を想像しにくい自然な挙動だった。

 その時、二三百メートル程離れた道で、駐車場に向かって走っている紗枝子の自転車を見つけた。このスピードでこの距離なら、多分男子生徒に追いつくだろう。

 この後も見届けようか、もう帰ろうか、津衣菜が迷っていると不意に後ろから声をかけられた。

「津衣菜ちゃん、やっぱり、津衣菜ちゃんだね」

 そこには、倉庫の中にいた黒いスーツの男が立っていた。

「柴崎さん……」

 抑揚のない声で、津衣菜は記憶の中の男の名を呟く。柴崎礼二(しばざきれいじ)。津衣菜の母親、森椎菜のNPO時代からのパートナーで、彼女が県会議員となってからも秘書として仕事を共にしている人物。

 彼の馴れ馴れしい呼び方に、何故か嫌な感じがした。

「小学校2年か3年? 小さい頃しか知らないから、あれっと思ったけど、やっぱり森先生に顔立ちも似ていたからね。どうして、あんな所に?」

 津衣菜に訊ねながらも、柴崎はその顔を見て、そして首のギブスや開いたまま血も流れない傷口に目を止める。

「君……まさか……フロートなの? どうして……森先生は……この事を? いや、まさか……そう言えば、先生は警察にも捜索願を」

「母に……報告しますか?」

「ああ、やっぱり先生は知らないんだね……ならば言わないでおくよ。先生は、大事な時期だからね」

 少し考え込むそぶりを見せて柴崎はそう言うと、津衣菜に笑いかけた。

 どうしてここで笑うのか。さっき彼に感じた嫌悪感が増幅される。

「現状でもてんやわんやだけどね……自分の娘がフロートになっちゃってたなんて知ったら、今後の指標も見失いかねない」

 そう言いながらも、柴崎の笑顔に椎菜を心配している様子はない。幼い頃の自分を覚えていたらしいが、自分が起きた死体(フロート)となって現れた事への受け止め方も普通ではない。

 何故笑っているのか、何故その笑い方が嫌なのか、津衣菜には突然分かった。この男は、母に知られず死んでフロートとなった彼女を見て、「いいカードを手に入れた」と思っているのだ。

 母をも出し抜く為の、自分一人だけにとっての「良いカード」

 この男にとって、母は大事な仲間なんかじゃなかったのだ。

「森さんに今手を引かれたら、後はエビ野郎の一人勝ちだ。是非黙っといてもらいてえ所だが……そいつに付きまとうのもやめてくんねえか?」

 横合いから柴崎とも違う、ドスの聞いた低い声。津衣菜が驚いて身体を向けると、いつの間に現れたのか、高地が腕を組んで立っていた。

「やあ、高地さんまで……ちょっと、ここは3人でお喋りするには狭すぎますしね」

「あと、不法侵入だ。俺もこいつも人の事は言えねえけどな」

「また後日、落ち付いた所でお話を窺おうと思います。津衣菜ちゃんに声掛けたのは懐かしかったのと驚いたのとでね、別に他意はないよ」

 そう言いながら柴崎は階段を下りて行く。

「ああいう食えなさは県議そっくりだな……あの野郎、倉庫の中で既にお前に気付いてて、フロートだってのも分かってたぜ」

 高地が柴崎の消えた階段を一瞥して、忌々しげに鼻を鳴らす。

 津衣菜は再び階段下を見下ろしたが、男子生徒も紗枝子もどこにも見えなくなっていた。二人が会ったのか、どうなったのかは分からずじまいだった。


「あなた達にとって、私はどういうカードなの?」

「あ? 関係ねえよそんなの。お前、森県議の娘だからフロートになったって訳じゃねえし……と、言いてえけどな……」

 車中、助手席でしばらく黙りこんでいた津衣菜がぼそっと口を開いた時、運転席の高地はぶっきらぼうに即答する。だが、何かを思い出した様に、その語尾を濁した。

「遥は違うのか?」

「いいや……アイツだって、そこは同じ気持ちだろうさ。いつどこでどんな死に方してようが、なりたくてフロートになった奴なんて、ただの一人もいねえ。お前だってそこは例外(イレギュラー)じゃねえ。違うか? でもな……アイツは俺たちを引っ張ってる。だから……」

「カードとして見てなくて、カードにする気もなくても、結果的にカードを切ってしまう事もあると?」

「ストレートに言や、そうだ」

 高地は答えた後にカーステレオを起動する。彼の外見に違わず、一曲目から大音量のハードコアが車内の空気を震わせる。

「うるさい」

「運転してんのは俺だ、我慢しろ。いくらうるさくても、どうせフロートは頭痛にならねえ」

 そう言いながらも心持ち音量を下げる高地。

 四曲目に流れて来たのはラップだった。しかも何故かフランス語。あれと思ったが、意外と思うより、こちらも何故か彼らしく感じられた。

「ところでよ、お前はいつまで“行方不明”のままでいるつもりだ?」

 曲が変わったタイミングで、高地が訊ねて来た。

「……分からない」

「別にいい人ぶりたいんじゃねえし、親孝行しろなんて説教する気もねえ。自殺する様な奴にそんな説教は手遅れだろ。森県議は確実に、お前の事で消耗している。となると、俺らにそのしわ寄せが降りかかって来んだよ」

 消耗……しているんだろうか。津衣菜はぼんやりと疑問を抱く。

 そして、その疑問は脇に置いてもう一つの疑問、自分が高地の車に乗せられている本当の理由について考える事にした。

 ついさっき、今夜行なわれる「フロート狩り」の情報が急に入ったのだという。今回の「フロート狩り潰し」に津衣菜を実力行使要員として同行させる為、高地は現れたのだ。柴崎を見つけ、釘を刺したのはそのついででしかない。

「“フロート狩りはしばらくない”んじゃなかったの」

「……やっぱり分かんねえんだよ、バカの考える事なんて」

 津衣菜の問いに、高地は唾を吐く感じで答えた。






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