表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
フローティア  作者: ゆらぎからす
10.リービング
116/150

192日目(4)

 192日目(4)




 さっきワゴンが突っ込んだテラス側の反対側に当たる、木張りの壁に小さな窓が並んだ面。

 1階屋根の中から2階の長いバルコニーが突き出している。

 屋根まで梯子を掛け、屋根からバルコニーまでの間も、AAAの突入メンバーは軽々と登って行く。

 最後の二人の男性が、千切れかけた下半身ごとケースに収められた状態の千尋を、器用に運び上げた。

「あの……」

「うん? なあに?」

 バルコニー端の扉が解錠されている事を確かめ、中の様子を覗き込んでいた鎖弓。

 千尋からの声に振り返り、優しげに聞き返す。

「そろそろ、どうして僕も連れて来たのか、聞いていいですか?」

「あら、一刻も早く雪子ちゃんを助けに行きたいでしょう?」

「確かにそうですが……今の僕では……」

「『スラッシャー』は、瓦礫の中に潜って来て、雪子ちゃんを連れて行ったのよね?」

「え? は、はい」

「千尋ちゃんの目の前で」

「はい」

「キモイ顔で笑いながら」

「ええ、キモかったっす……何ていうか、思ったより顔自体は綺麗だったんですけど、中身のヤバさがモロに出てるみたいな」

「綺麗な顔、だった」

 鎖弓は千尋の言葉を抜き出して、繰り返し呟いて見せた。

「それが何か……」

「千尋ちゃん」

「はい」

 鎖弓は苦笑しながら、千尋に言った。

私たち(AAA)はね、誰一人『スラッシャー』の顔を知らないの。マスク姿しか見た事ないのよ」

「えっ……」

「千尋ちゃんが連れて来られた理由、分かったかしら?」

「僕だけが……あいつの顔を見ているから」

 千尋がそう答えると、にっと笑いながら鎖弓は頷いた。




 左手と左足をついて、右半身はステンレスの上にへばりつかせて、雪子は『スラッシャー』から目を離さない。

「ううん、いいっ、素晴らしいよ、その非対称(スラッシュ)

 身体半分を浮かせた雪子は、解剖台の上で両肩を斜線にしていた。

 たんっ

 鋭く軽い音と共に、彼女の姿は台上から消えた。

 次の瞬間、手前の床上を彼女の身体は滑っていく。

 その目の前へ『スラッシャー』は踏み込むと、山刀みたいなナイフを彼女の頭上へ降り降ろす。

 彼女は斜め後方に滑って斬撃を避け、床から拾った数センチ程度の小さいナイフを、彼へと投げつける。

 きんっ

 金属音と共に、簡単に彼のナイフでそれは弾き飛ばされた。

「その感じだ。遠慮せずにどんどん使ってよ。そのつもりで落としておいたんだから」

 彼女は床を這いずったまま、更に彼から距離を取り、じりじりと向きを変えて行く。

 彼は彼女の視線から逃げる様に、室内を横へと歩いて行きながら、やはり彼女を見続けていた。

 だっ、だだだっ

 左足で床を蹴って、一歩二歩と、彼女は彼との距離を詰める。

 左手の人差し指と親指は口の端の糸を摘み、一気に引き抜いていた。

 彼女の身体は一気に飛びあがり、低い放物線を描きながら、彼へ向かって行く。

 顔いっぱいの巨大な口を開き、彼の手首を狙って。

 かしゃんっ

 耳慣れない金属音。彼は突然ナイフを前へ放り投げていた。

 その落下音ではない。彼のシャツの袖口から右手が変形したかのように見えた。

 そして、彼女の左目の眼球は綺麗にくり抜かれていた。

 ざあああああっ

「…………!」

 着地した雪子は、床を滑る様に彼から離れつつ、残った右目で彼の手を食い入る様に見ている。

 右手の袖口から、四本の奇怪な形状の刃が掌を囲みながら伸びていた。

 指のリングからの極細の鎖で、角度や長さも調節できるらしい。

 先端で曲がった刃先は、他の刃と交差し、明後日の方向を向いている。

 その中の一本の先に串刺しになった白い球体。

「珍しいでしょう、この暗器。僕のコレクションの中でも、本当に大好きな一品なんだよ」

 心の底から嬉しそうな声で、『スラッシャー』は雪子に解説を始めた。

「僕が『スラッシャー』なんて呼ばれる様になった理由もこれ。ゾンビ狩りにはいつもこれを着けて行って、ゾンビ共を美しくスラッシュしていたからさ」

 彼は左手を刃先に近付けると、優雅な手つきで眼球を引き抜いて指先に転がす。

「ああ、雪子ちゃんの目玉だ。なんて可愛らしい、このまま食べちゃいたいくらいだ……いけないいけない」

 とろんとした目つきで、何度も雪子の眼球に唇や舌を当てていた彼だが、かぶりを振りながら顔を離す。

「すぐに防腐処置しないと。切り離された変異体のパーツは、とても腐るのが早いんだもの。雪子ちゃんの右手右足は本当に残念だった」

 左手を胸に抱える様にして、彼は目を泳がせる。その視線は部屋の隅の薬品棚に止まった。

「その事も反省して、あれから僕はもっと勉強したんだよ、君達について」

 彼は躊躇わず、つかつかと棚へと向かって行く。

「切り離された部位だけじゃない。君達の一番の弱点は……そう、頭だ。一種も二種も変異体は、頭を潰されたら終わりだ。何故なのか、それまでは脳が生きているという事なのか。呆れた事に、その謎は未だに解明されていないんだよね」

 刃を再び袖口にしまった右手で棚のガラス戸を引き開けると、空のガラス瓶と茶色い薬品の瓶を一つずつ取り出して、手前の台に置く。

「だって、変異体の頭蓋を開いて脳が外気に触れたとたん、ぐずぐずに崩れて腐り始めてしまうんだから。調べる事も出来ない。開かずにスキャンした限りでは、ただの死体の脳と同じ状態にしか見えないんだよ」

 少量の薬品をガラス瓶に注いで、解剖台近くの蛇口の水で薄め、そこに雪子の眼球を入れて蓋を締める。

 液体の中にゆっくりと沈んで行く眼球を見て、満足げに微笑んでから再び部屋を見渡す。

 室内に雪子の姿は微塵もなかった。

「うん、そうだね。どこに隠れているかすぐ分かる様じゃ、勝負にはならない。僕が完全に油断したその瞬間、一撃必殺。そうでなくては君に勝機なんかないからね」

 彼は頷きながら、新たな標本(・・・・・)を棚に収める。

「どこかで君は僕をじいっと見守っているんだ。それを思うだけでも僕は幸せになるよ。わくわくして来たなあ」

 床のナイフを一本右手で拾い上げると、彼は出口扉に向かう。

「その瞬間を楽しみにしているよ。僕はまず、頼りない仲間達の応援に行くとするか。ぼやぼやしていると、君の仲間が先に解体されちゃうかもね」

 扉を開けて独り言の様にそう言ってから、廊下へと出て行った。




「前に来ました! どうしますか、そっちの部屋に……」

 美也の声に梨乃は答えず、ハンマーを構えながら突進して行く。

 廊下の突き当たりからバラバラと現れた男達は、『アーマゲドンクラブ南関東』公式サイトの写真そのままに、ホッケーマスクやガスマスクを被って、手に斧やハンマーを構え持っていた。

 しかし、梨乃のハンマーは、見た目の破壊力がケタ違いだった。

 だんっ!

 床を蹴って、彼らの目の前の宙空でハンマーを振りかぶる梨乃。

 彼らも悲鳴を上げながら左右に散る以外、出来る事はなかった。

「はしれ!」

 累が叫ぶ。身を縮めている彼らの横を、三人の子供達が駆け抜けた。

「……あ」

 美也の目の前で、体勢を取り戻しかけた彼らが廊下に立ち塞がり始めていた。

 もみじとぽぷら、美也、フナコシの四人は、動きが遅過ぎたのだ。

「どいて下さい!」

 美也は怒鳴りながら、人質兼案内役の青年の袖を掴んで前に立てる。

 彼らの動きが止まる。

「す……すみません。どうかお願いします」

 青年も前方の彼らに謝りつつ懇願する。

 彼らの表情は見えないが、困惑している様にも見えた。

 後ろでも、さっきから彼女達を追っていた足音が近付いて来る。

 挟み撃ちにされる事は予想出来ていた。

 そこで部屋に逃げようとした美也だったが、梨乃は突貫を選び無事前へ進んだ。

 フロート狩り達は攻撃して来ないが、進路を空けてくれる気配もなかった。

 挟まれたままで膠着する事が目に見えていた。

 フロート狩りの一人が、突然自分の背後へハンマーを振った。

「ぎゃっ!」

「―――累くんっ!」

 美也も叫んでいた。

「歴戦の精鋭舐めんじゃねえ、くそがきゃあ」

 ガードを取ったまま廊下を転がった累を、男は更に何度も蹴りあげる。

 駆け出そうとした美也を背後からフナコシが、前からもみじとぽぷらの二人が制止する。

「ぐ……が……なのねきいっ、くるんじゃねえぞ……おまえらも……行けえ!」

 蹴られながら累は前の仲間と梨乃に叫ぶ。

 だが、次の瞬間、空気が乱れる。

 他のフロート狩りも、一斉に振り返り構えていた。

 人間には捉えにくい程の駿足の子供達も、アーマゲドンクラブの古い武闘派には、ワンパターンのイージーキャラでしかなかった。

「ばかやろー、くるなって……」

「なかまをみすてねえのがおれらだ」

「ばかや……ろ……」

 もう一人が累へ手斧を振り上げる。

「離して下さい! 離して! 累くんの……あの子達の所に行ってあげないと!」

 もがきながら叫ぶ美也へフナコシが言う。

「分かんねえのか。今はあんたがボスなんだ。あんたがやられたら全員終わりなんだよ。あのクソ女もガキも、俺も、洞窟に残ってる奴らも」

「だって……だって……」

「落ち着けって。いいか、ゾンビ狩りには共通の弱点がある。これは、なってみねえと分かんねえかもしれねえけどな」

 フナコシは美也を羽交い絞めにしたまま、小声で囁く。

 美也も抵抗を止め、小声で彼に聞き返す。

「彼らの弱点……?」

 フナコシは更に彼女へ耳打ちを続ける。

「だけど、じゃあ具体的に何を……」

 フナコシの言葉が終わった時、不安げに美也がそう呟く。

 がこんっ!

 天井から異音が聞こえたのはその直後だった。

 送風口の枠が外れてぶら下がり、穴から何か細いものが飛び出して来る。

 ガスッ!

 見た目によらず重い音を床で刻み、それは突き刺さっていた。

 後少しずれていたら、誰かの頭や肩に刺さっていた刃渡り20センチ程の解体用ナイフ。

 男達が凍りついたその瞬間、美也は制止も解かれ駆け出していた。

 累を蹴りかけたままの姿勢で固まっていた彼の右膝に腕を絡め、胸の所まで持ち上げる。

「うわあっ!?」

 そのまま彼を前へ押し出しつつ、左足に自分の右足を引っ掛け、斧を持った手は掴んで捻り上げる。

 バランスを崩した彼と美也は一緒に倒れ込む。

 床の上で彼の上になって押さえ込んでいるのは、美也だった。

「ナイフだ!」

「こいつ何かやってるぞ! 何だ? まさか近接格……」

「上にも誰かいるぞ!」

「みや姉!」

 もみじが声を掛けて手を伸ばし、その手を取って美也は起き上がる。

 起き上がるついでに、男の顔の横にさっき奪い取った手斧を叩きつけて。

「よし、よくやった!」

 フナコシがそう言ってから、美也と人質を押し出す様にして前へ行かせ、それによろけながら続く。

「そうだ……ゾンビ狩りは、経験者ほど、ゾンビの動きのパターンに慣れちまってるんだ……だから……予想してねえ動きって奴に、凄い弱えんだ」

「今みたいな……」

「ああ、簡単な護身術程度でも、ああいう組技やられるなんて普通ねえからな。それに、上からナイフ投げた奴もGJだった……」

「そ、そうでした……今、天井にいたのは、まさか」

「まさかも何もぱっくねきだろ。うまくにげてきたんだよ」

「その呼び方やめようよ、本当に雪姉怒るよ」

「ナイフ投げた後、すぐどこかへ行ったみたい」

 ぽぷらがそう言った時、美也のスマホが振動した。

 取って見ると、雪子からのメッセージが届いていた。

『スラッシャーはこの辺に来ている。気を付けて』




「当分、静観しててもいいんじゃないかなと思うんだけど」

「ふうん……当分(・・)と言うなら、それでもいいけど、それは、いつまで(・・・・)だい?」

「え……」

 曽根木に聞き返され、遥は言葉を詰まらせながら困った顔をする。

「恐らく、今の対策部は、以前のみたいにはフロートへの酷い扱いをしない」

 しばらく経って、慎重な様子で彼女は言った。曽根木は小さく頷く。

「現状、一番の問題はアーマゲで、それは結局向伏に行って、そのまま自滅するだろう流れだ」

「ふん」

「そして……足がかりが、今全くないんだ。まず何をどうすればいいか、目処が立たない」

「救出について?」

「うん……曽根木さんも分かるだろ。人数差がもう圧倒的過ぎる。以前の様な、『手薄な所を突く』という発想が全く通用しないんだ」

「だから……静観すると?」

「うん、もう、仕方ないんじゃないかなって」

 織子山市の中心から逃れ、郊外の鉄塔で市内を見下ろしながら、逃げ延びたフロート達は待機していた。

 ショッピングセンターに対策部が押し寄せてから半日が経過していた。

「この面子も、そう言うの向きじゃないだろ。せいぜい私と曽根木さん位じゃない」

「うん、高地くんや津衣菜さん、匠くん、牧浦さんたち、梨乃さんや千尋さんと合流出来るまで、待つかい?」

「その位じゃないと――」

「合流出来るとは限らないよ? 彼らとは今生の別れかもしれない」

 眼鏡の奥で、曽根木の目が赤く揺らめく。

 否定しようとした遥も、返す言葉はなく黙り込む。

「それなら、戦力が揃うまで……揃わなかったら、ずっと日香里さんたちは捕まったまま?」

「いや、ずっとってつもりじゃないけど……」

「つもりじゃなくても、そうなったらずっとだよね」

「どうしたのさ曽根木さん。今日はちょっと……」

「感じ悪いって? 仲間を見殺しにしようとしている君ほどじゃないさ」

「だから……!」

 掴みかかろうとする遥を、片手で突き飛ばす。

「取りあえず、二度と言わないかもしれないけど……甘ったれてんなよ」

 遥はすぐに立ち上がるが、その動きはどこか力がない。

 他のフロート達は鉄塔根元の付近で休憩していて、このやり取りに加わっていない。

 こんな余裕がなく力もない遥を見た事のあるフロートも、今では殆どいないだろう。

「確かに、放っておいても、当分は安全かもしれない」

 曽根木は近くの鉄骨に腰を降ろして、淡々とした声で言う。

「だけど、そう言うのと関係なく、あんたがここで仲間を見捨てたというのは残るよ。あんたは国を作るんだろ? フロートも色々だけど、そんな奴の国について来るフロートはどこにもいない」

 遥は顔を上げて曽根木を凝視する。

 俯いていた曽根木も、彼女の視線を受け止めて頷く。

シンクの(死に沈む)国ではそんなリーダーでも通用するかもしれないけど、フロートがそんな国で死ぬ必然性なんてどこにもない。あんたは岸末信継(シンクの王)じゃない」

「曽根木さん、私は……」

「今も、この先も、あんたはそれだけはやっちゃいけない。あんたは多少不合理でも、ハイリスクローリターンでも、仲間が囚われた時、孤立している時は、愚直に全力で助けようとしなくちゃならないんだ」


 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ