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フローティア  作者: ゆらぎからす
10.リービング
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192日目(3)

 192日目(3)




 ノズルからの炎は、みるみるうちに細くすぼまって行く。

 まるで着火マンみたいな火しか出なくなった時、梨乃はレバーを締めた。

「これで……終わりですか」

 美也の問いに梨乃は頷いて、背負ったリュックを降ろす。

「あと四か所くらい、残ったままですね……」

「ふん……それ全部焼いたとしたって……大丈夫じゃないんだろ」

 少し苦しさの残る声で、フナコシが口を挟む。

 苦痛を抑えるアンプルは無事入手していたが、その効果も完全ではない。

 酸欠で倒れた、菌の散布チームと思しき男二人は、奥の風通しの良さそうな広い空間まで運んでおいた。

 意識は朦朧としたままだったが、それ以上悪化する様子もなく呼吸も正常だったので、大丈夫だろうと判断した。

 本当に助かるかどうかは、運次第だ。

「猶予は、出来ると思います」

「それだって分かんねんだろうって」

 外にいた『アーマゲドンクラブ南関東』の巡回班から梨乃が入手したのは、リュックに偽装したタンク付きの手製火炎放射器だけではなかった。

 手書きの洞内地図に記された、菌の散布場所と拡散予想図。

 梨乃と累達、『旧・稲荷神社組』はその図に書かれた矢印の先、空気の通り道の数か所をチェックして、散布場所と共にそれらを火炎放射器で焼いて回っていた。

 ただ火炎を放射するだけではなく、累達の用意した粘度の高い燃料入りのボールで、何十秒も燃焼させる。

 洞穴の一つの岩場に、彼らが予備のタンクも数本隠していたので、それも遠慮なく使った。

 彼女達の『チェックポイント』には、末期状態まで発現したらしい旧・北部地区班の男性フロート達数人が倒れている所も含まれていた。

 石のステージの上で列を作った彼らは、後ろの者が前の者の頭を短い手斧で割っている。

 一番後ろにいた牧浦ともう一人が、正気を保つ間に合わなかったのだろう。

 梨乃は遺体の列にも火を掛け、念入りに焼き尽くしたという。

 そしてもう一つの情報――スラッシャーが雪子を連れ去ってしまったという、最悪のニュース。

 彼は一度、動けなくした雪子をここまで連れて来て、その後、彼らが『拠点』と呼んでいる場所へ連れて行ったらしい。

 トラップで動けなくした連中のスマホを開かせて、手に入れた情報だった。

 だが、雪子と一緒にいた筈の他のフロート達――千尋も含めて――については、何の情報も無く、彼らも聞かされていなかった。

「あいつらのアジトは、そんなに遠くない。むこうの山のうらてにある、べっそう(・・・・)だってよ」

 累が美也の地形図上に書き込んだ丸印を指差しながら言う。

「そこに……雪子さんが」

「……ないは、だけのそれでは」

 梨乃がぼそっと美也に答える。

「そこにあるは中和剤、抗体のその菌は、彼らのここに必ず。もしそれがならば菌や薬はその為の彼らの私達への使用」

「私たちに使う為の薬や菌なら、必ずその抗体や中和剤もその拠点に持っている筈だと……」

 美也が主にフナコシに、梨乃の言葉を翻訳して繰り返す。

「そんなもの、きちんと用意する奴らなのか? 仲間内だった時にもそんな奴らには見えなかったけどな……あの『アーマゲドンクラブ南関東』は」

「彼らがどうかは知りませんが、それを開発したのが対策部やその関連企業なら、必ずワンセットです」

 フナコシへの美也の返答に、梨乃も頷いた。

「で……それも取って来るってのか……お前らと奥の奴らが、ゾンビ化する前に」

 発現を『ゾンビ化』と呼ぶフナコシの皮肉に、美也は歯を強く噛み、眉を寄せる。

「とにかく……私たちは……最善を尽くしましょう」

「最善かあ……俺らのこの状態での、最善って何だろうな……」

 選び抜いた言葉もそう茶化されて、美也は黙ってしまう。

 フナコシは苦痛の合間でも、引きつった笑いを浮かべている。

「まきうらのおっちゃんもよくいってたな。何がフロートにとってのよいことなのかって。おれら子供にまでききまわって、ずっとかんがえてた……」

 突然口を開いてそう言った累に、美也もフナコシも注目する。

「おれにだって分かんねよ……『ほんとうにおれらこれでいいのか』なんて。だけど、今から何するのかはもう決まってんだろ。こんな時に大人がぐちぐちしてるとみっともない」

「累くん……」

「おっちゃん、やることやんねえと楽にさせてももらえねえぜ。じぶんでじさつも出来ねえんだろ? おれはおっちゃんの死に方にどうじょうなんかしない」

「このガキ……」

「おれはおれのははおやにころされたんだ」

 さすがのフナコシも、累のその言葉には絶句してしまう。

「みやネキもだらしねえ。さいぜんなんて関係ないだろ。おれらはぱっくまんネキとりもどして、くすりをとって、あいつらたたきつぶす。なぜもなにもねえ、はじめからそれいがいの道なんてないんだ」




「サブ、見て下さい」

「……あら? 鍾乳洞の包囲に残ってた車よねえ、あの赤ワゴン」

「まだ奴らの交替時間じゃない筈です。ゲートは開きましたが、何やら慌ただしいですね」

「3班、見える?」

「運転席にいるのは南関東の古株の『オクトパス』ですね。何か向こうであったみたいです。話しながら建物前まで誘導しています」

「うん……ちょっと……良く見てて。何か様子が変わったわ」

「はあ……うおっ!? 見ましたか?」

「ええ、きちんと見ているわ。周りの人吹っ飛ばして、別荘に突っ込んじゃったわね。あんなに運転下手くそだったかしら、あのおじさん」

「違います」

「分かっているわ。派手に始めたものね……あなたは見えた? 車の後ろから飛び出して来たフロートたち?」

「はい。まず子供数名と男一名と女一名」

「そう、予想内の展開よ。私たち(AAA)も多分動くわ……各自、マニュアル『アクション2-7』を確認しておきなさい」




「『オクトパス』です。今ゲートの前に着きました。開扉願います」

 広い庭園に贅沢な邸宅。

 3階建てのモダン邸宅の、庭園に面した側は殆どがガラス張りだった。

 テラスにたむろしていた学生の参加メンバー二人は、その電話を受けて屋内のパネルで開扉操作を行なうと、すぐにゲートまで駆けつけて行った。

 門扉が開き切ってから、静かに入ってきた赤いワゴン車。

 運転席には『オクトパス』と名乗っていた、50歳位のアーマゲドンクラブ正会員だけがいて、助手席には誰もいない。

「怪我人ですよね? 体調不良とかではなく?」

「はい」

「ゾンビに……変異体に襲われたのですか?」

「いいえ、洞内探査中に足を滑らせて、石棚から落ちた様です。足を痛めてて、どうも骨折の恐れもあります」

「結構重傷みたいっすね。それで……今はどこに」

「後ろです。ここからじゃ見えないと思いますが、寝かせてあります」

 運転席のすぐ後ろにはカーテンが引かれ、前から覗いても後部座席の様子は見えないようになっている。

 そして、後部の車窓も全てサンシェードで覆われていた。

 カーテンの向こうには、何となく複数の人間がいる気配がする。

「ん? 他にも、誰かついて来ているのですか?」

「え、ええ……まあ、とりあえず……彼の班、全員連れて来ました。残しても探索続けられませんし……運ぶにも人手がいると思ったので」

 話しながらも車はのろのろと、建物へと近付いて行く。

「ちょっと、そこのテラスまで寄せさせて下さい。そこからだと寝室へ近いでしょう」

「ええ、まあ問題ない……と思いますが……」

 言いかけた学生は、もう一人に肘でつつかれ言葉を切る。

 怪訝な顔で隣を見ると、彼は無言で運転席を指差している。

「ああ、そのタイルには乗り上げちゃまずいか。そっちの石畳へ回しますよ」

 そう言って更に速度を落としながら、ハンドルを右へと切っている『オクトパス』。

 ハンドルを片手で持ち、もう片手を足の所へ落としている。

 太ももの所でズボンの生地にボールペンを何度も走らせて、薄く文字を書き殴っていた。

『奴らにつかまった。今うしろにいる』

 二人は顔を見合わせる。

 先に気付いた一人が車から離れてスマホを取り出す。

 もう一人がそっと車の後ろへと回ろうとした。

 その時、『オクトパス』の背後から突き出した二本の腕。

 白く灰色がかっている男の腕が彼の首に回され、締め上げていた。

「がっ……ぐ……う」

 『オクトパス』はもがいた拍子にアクセルを踏んでしまう。

 急発進したワゴン車は、テラスの奥のガラス壁を一瞬で粉砕し、屋内ラウンジのテーブルと椅子を蹴散らしてから煉瓦の柱に激突して止まった。

 後部座席のドアが左右同時に開き、中から複数のフロートがばらばらと飛び出して来た。

「あほかおっちゃん。いきなり首しめてどうすんだよ。ばれたあとにやってもいみねえだろ」

 累とは別の『元・稲荷神社組』の子供がフナコシを咎める。

「う、うるせえ。『この野郎、バラしやがった』と思ったら反射的に手が動いたんだよ」

「(――私もそこにいたらやってたかも)と、とにかく行きましょう。向こうも固まってるし、チャンスです」

 美也が子供達とフナコシをなだめ、そのラウンジ奥のドアを見る。

 彼らも美也に続いてそちらを向いた。

 その時、梨乃が車から降りて来た――様々な工具をベルトで胴や腰に下げ、1メートル程のハンマーを担いだ姿で。

 辺りにブザーの鳴り続けている中、壁に取り付けられたセキュリティシステムのパネルごと、スピーカーを叩き飛ばす。

 ラウンジ内だけは音が止まったが、館内全部でブザーは続いている。

 奥の扉が開いて新たに駆け付けて来た若い男は、ハンマーを軽々と振り回していた梨乃の姿を見て、回れ右で踵を返していた。

 梨乃と美也の後ろから、小さな気配が三つ、素早くすり抜けて行く。

 直後、逃げようとしていた男は、ドアを引き開けたまま前のめりに転び、起き上がれずに床でもがき始める。

「『オクトパス』のおじさん気絶しちゃったから、もう一人、案内人が必要ですね」

「ねーっ、必要だねーっ」

 フナコシの後ろから顔を覗かせたもみじとぽぷらが、扉前で倒れている男を見ながら声を揃えた。




「――――!」

 雪子が目を開いた時、すぐ真上にスラッシャーの顔があった。

 叫ぶ声も彼女にはない。

 スラッシャーは、覆い被さる様に、横たわったままの雪子をじっと覗き込んでいた。

 彼がどれ位そうしていたのか、定かではない。

 雪子は目だけを動かして、自分の寝かされている場所を確かめる。

 そこはどう見てもベッドではない、メタリックカラーの長方形の台だった。

 以前こいつに連れて来られた時も同じ物に寝かされた。

 だから、よく覚えている。

 これは、解剖台だ。

 雪子の身体の横にトレーが置かれ、そこに大小様々の解体用ナイフが並べられているのも視界に入った。

 その内の一本は、スラッシャーが今握っていた。

 残っている筈の左の手足も動かない。ベルトで全身を固定されている様だった。

 目だけ動かしても、自分の身体はうまく見えない。

 彼女は取りあえず知りたかった。

 今度は、どこを(・・・)切り取られたのか。

「…………?」

 スラッシャーは雪子の目覚めに気付いたのか、気付いていないのか、解剖台から離れてうろうろ歩いている。

 雪子は彼を見ている内に、違和感を覚えた。

 やがて、その理由が分かる。

 彼の手に持っているナイフは綺麗なままだった。

 のそのそと彼は近付いて来て、再び雪子を見下ろす。

 彼のどんよりとした眼差しと視線が合う。

 ナイフの切っ先をこちらへと向けて来るが、しばらく経つとそれはまた離れて行った。

 スラッシャーは再び雪子に背を向けて、部屋の向こうまで歩いて行く。

 雪子は何となく気付き始めていた。

 その理由は分からないが、これだけ状況が揃ったのに、彼はかつての様に彼女を切り刻む事が出来ないでいるのだと。

 彼の右手に握られたナイフ、長く流線型に反り返った刃が小刻みに震えている。

 ゆっくりと彼は振り返って、離れたまま雪子を見る。

 ふうふうと、荒い呼吸の音が雪子にも聞こえた。

 血走った眼で見つめているスラッシャーは、まるで――彼女を恐れているかのようだった。

 その時、突然室内に大きなブザー音が鳴り響き始めた。

「―――何だっ!?」

 露骨に苛立った声でスラッシャーが叫ぶ。

 辺りを見回して、セキュリティのパネルを見つけると、つかつかと歩いて行きマイクに向けて怒鳴った。

「僕だけど、何したの? うるさいよ!」

「あ、スラッシャーさん! 大変です! 侵入です! ゾンビ共がオクトパスさんの車で突っ込んで来ました!」

「何だって……?」

「テラス側をぶっ壊して、学生を一人捕まえて廊下を北側へ移動しています……」

「あなた達で排除できないんですか?」

「ヤバいのがいます。今までどこに隠れてたのか、ハンマー振り回す様な怪力の女、あと目に見えない攻撃があるみたいです」

「目に見えない? 何それ? ゾンビつったって、奴らに超能力なんかないよ?」

「分かりません。誰もいないのに突然突き飛ばされたり、カメラが壊れたり」

「訳分かんないし、ブザーもうるさいし、何とかなんないんですか?」

「取りあえず挟み撃ちの用意をしています……奴らのここへ来た目的は何でしょうか」

「は? 分からないよ、死人の考えなんて。僕らを倒すつもりなんじゃないの?」

 唐突に質問振られて、スラッシャーは更に苛立った声でスピーカー向こうの相手に返す。

「仲間を助けに来たんじゃないでしょうかね……」

 そう言うスピーカーの声には、明らかな含みがあった。

「だから知らないって! あと警報止めてよ! 信号も切って! こんな所にセコムや警察が来たってどうしようもないだろ?」

 含みに気付いたのか、キレ気味になったスラッシャーは畳みかける様に命令する。

「分かりました。取りあえず警報は止めます」

「あと、セキュリティ(・・・・・・)じゃない方の(・・・・・・)管理番号には連絡しといて。『誰も来なくて良い』って釘刺して」

「はい、掛けておきます」

 通話を終えたスラッシャーはさっきよりも荒い呼吸で、肩を上下させながら立ちつくしている。

 雪子は彼の背中を凝視した。

「静かになった……」

 肩を震わせていた彼から、くぐもった声が聞こえる。

 ブザーが唐突に止まった時、静寂の中で彼が笑っているのを知った。

「く……くくく……そうだ……死人どもは人間じゃない。だけど人形でもない。だから……」

 勢い良く彼は踵を返し、雪子へ向かって歩いて来た。

「ふふふふふ、そうだ、僕はそうだった……雪子ちゃんは……」

 雪子を見据える彼は、普段の冷静さを取り戻したかのように、美形の顔に似合った頬笑みを浮かべていた。

 だがその目は、どうしようもない程にぎらついていた。

 怒り、怯え、苛立ち、希望、快楽、その全てが混沌と在る、気持ちの悪い熱気の目。

 解剖台の前まで戻って来た彼は、ナイフを逆手に握って振り上げ、一気に振り降ろし――

 ざくっ……ざくっ……がつっ

 雪子を拘束していたベルトを、次々と切断して行く。

 彼の行動に、雪子も目を大きく見開いてしまう。

 ベルトを全て切り終えたスラッシャーは、彼女の横のトレーを手で床へと落とす。

 並べられていたナイフが派手な音を立てて、床に散らばった。

 それをあちこちに蹴りながら、後ろ歩きで解剖台から離れてスラッシャーは言う。

「そうだ。動かない君を切ったって、右腕に刻まれた恐怖は消えないんだよ」

 床を滑り、壁に当たって止まったナイフの一本を拾い、左手に握る。

「そうだ。僕はずっとずっと、君が欲しくて、君が愛しくて……君が怖かった」

 両手に解体用ナイフを持ったままスラッシャーは構え、上半身を跳ね上がる様に起こした雪子を嬉しそうに見る。

「さあ、あの時の様に僕に襲いかかってくれ。今来たらしい君の仲間と一緒だって構わない。僕はそんな君を――抵抗し、僕にやり返す君を、切り刻みたかったんだ。あの日の屈辱と別離を清算して……君はやっと僕のものになるんだ」




「警報、止まりました……どうやら自分達で切ったみたいですね」

「鳴っててもうるさいだけだと、思っちゃうわよね。敵が中で暴れていたら、音だけ止めたって、再発報するでしょうし」

「2班、侵入経路確保開始。3班、退路確保完了。1班観測異常なし」

 鎖弓は車から出て来た、彼女より若そうな20歳前後の青年に、無線を指差して尋ねる。

「私らと、2班だけでいいかしらね。チーフ?」

「少人数でいいでしょうね。AAAの目標は、あくまでも建材の採取による施工主の特定と、関連書類の入手です。僕らは今より2班待機地点へ急行し合流。3分後に1班は窓を再確認。後、『アクション2-7』を開始します」


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