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フローティア  作者: ゆらぎからす
10.リービング
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192日目(2)

 192日目(2)




「な……何?」

 髪も服も激しく、後ろへとたなびいている。

 飛ばされそうになって身を竦めながら、美也は声を張り上げた。

「わあああああああ」

「ああああああああ」

 もみじとぽぷらは何度も突進を試みては、後ろへ転がっている。

 突然彼女達を襲った突風は、洞窟の外から中へと吹き込んでいるだけではなかった。

 彼女達の足元や壁際では、同じ位の強風が中から外へと(・・・・・・)吹いている。

  風同士は絡まって渦を巻き、水滴や石片を舞い上げた。

 ここでは、空気の流れが滅茶苦茶だった。

「もうっ、遊ばないで」

 美也が叱ると、二人の子供は「はあーい」と返事しながら彼女にくっついて、風上へと視線を向ける。

「一体、何が起きたんでしょう……?」

 洞穴の奥で何が起きているのか。

  彼女達にも想像さえ出来なかった。

 一斉に末期発現したと言う牧浦達から離れ、洞内の深い所を何時間も移動し続けていた。

  だが、多くのフロート達が集まっている深層エリアには戻らなかった。

 これが何か――薬や細菌によるものなら、彼女達に既に付着していて、そこから広がってしまう恐れもあったからだ。

 もし皆と合流するなら、今よりもっと気密性の高い装備が必要だ。

 願わくば――自分達も発現する前に。

 そう考え、ひとまず避難場所とは別の保管スペースまで向かっていた。

 あそこには、発現や、フロートに有害なガスの発生に備えて、美也の考えている様な設備や薬が揃っていた筈だった。

 網目状に入り組んだ、ようやく立って歩ける程度の狭い穴でこの暴風に見舞われたのだ。

 吹き飛ばされそうな程の風圧は収まっている。

 しかし、穴の向こうからは人のものではない唸り声が響き、空気は不安定に揺れ続けている。

「私が見て来ます――――ここで待ってて」

 後ろへそう言い残すと、美也は一人で闇の中へ足を踏み出した。

 唸り声は、空気の揺れの中に入ってしまうと聞こえなくなる。

 代わりに、ノイズの様な風音が、ダイレクトに耳朶を叩き始めた。

 さっき程の強風でないとは言え、彼女のボブヘアーはバラバラに乱れてしまう。

 ―――ばしゃっ

 冷たさも気持ち悪さも感じなかったが、空気とは違う密度を腰回り付近まで感じた。

 防護服は防水ではない。美也はしまったと思う。

 もしもフロートを発現させる『何か』が水で活性化するものなら、この中にだって多量に含まれているかもしれない。

 そうだったなら、アウトだ。そうでなくてもフロートの身体に浸水は――

 だが、不思議と恐れは感じない。

 なる様にしかならない、そんな心持で足を進める事が出来た。


 だって、よく思えば滑稽じゃないですか。

 死人が死を恐れるなんて。


 ばしゃばしゃばしゃばしゃ

「……?」

 いつもより鋭敏になっていた聴覚は、近付いて来る慌ただしげな水音をキャッチしていた。

 美也はライトを消し、躊躇わず水の中に全身を沈める。

 顔だけを水面に覗かせていると、音と共に丸い光が二つこちらへと向かって来ていた。

 微かに照らし出されたのは二人組の男。

 年令も、フロート狩りか否かも判別出来なかった。

 酷くこわばった顔で前方を凝視しながら、もがく様な動きを見せていた。

 いや、本当にもがいていた。

 突然、彼らは糸の切れたみたいに前へと倒れ込む。

 美也は水面から身体を起こして、彼らへと駆け寄った。

 二人の男は洞窟探検用のツナギにヘルメットという完全装備で、ケービングバッグを肩から掛けている。

 二人とも、全身が水に浸かっているのに、何の反応も見せずぐったりとしていた。

「あの、大丈夫……ですか?」

 声を掛けながら、美也は手前の一人を水中から引き起こす。

 こんな時間に、しかもこんな場所を、普通の観光客は勿論、管理の人間だって歩いている筈がない。

 彼らがフロート狩りなのは間違いない様に思われた。

 頭まで冷水でずぶ濡れになっていた男は、生きて呼吸はしている様だった。

 だが、その顔には死者以上に生気がなかった。

 美也は男を近くの岩壁まで運ぶと、そこに凭れ掛けさせ、急いでもう一人を引き起こす。

 もう一人の男も目を閉じ、フロートなみに顔が白かった。

 彼女には二人の状態に見覚えがあった。

 酸欠だ。

 フロートには何でもない事だし、気付く術もなかったが、ここには酸素がないのだろうか。

 だとすれば、二人をこのまま置いてはおけない。

 何故彼らが酸欠になっているのかもそうだが、どっちに進めば酸素があるのか、まずはそれを確かめないと。

 美也は彼らの走って来た穴の奥へ足を進めようとして――押し寄せる空気と光に、咄嗟に水へ伏せた。

 水面を舐める炎の舌。水中をオレンジ色に照らしてすぐに消えた。

 洞外に逃げようとしたフロートを狙い撃ちしている火炎放射器の話を、美也も知っている。

 顔を上げず水中で、奥からやって来るもう一人分の移動する質量を確かめつつ考えた。

 こんな場所でそんなものを使えば、近くにいる人間が窒息するのはむしろ当然だった。

 洞窟の中で仲間が倒れてしまうのも構わず炎を放ったのか。

 いや、そもそも、自身がそんな環境下で平気なのか。

 こちらへ向かって来る気配は、さっきの二人と違い落ち着いたものだった。

 再び彼女の頭上を火炎が走る。水だけではなくもっと上や岩壁へも、火炎放射器を放っている様だった。

 水面を照らすのは火炎だけではなかった。

 水中まで貫く直線光が何度も円を描きながら移動している。

 質量は一人分しか感じないが、もう一人照明役がいるのだろうか。

 気配はおよそ数メートル先まで近付いている。美也はもう少し近付こうとする。

 互いの距離が二メートルを切った時、相手の動きが止まった。

 向こうも目の前の水中に『何か』がいる事に気付いた様だ。

 その瞬間に美也は水中から身体を出現させて、相手の姿勢を把握しようとする。

 辺りは白灰色の水蒸気が立ち込め、太い光線が二本、目の前の人影の上から伸びている。

 向こうがこちらにノズルを向けるより先に、ホースごと奪い取るつもりでいた。

 眩しい光が顔に当てられる。

「――待ったあっ!」

 目の前に立った相手の頭上から、聞き覚えのある高い声が響いた。

「……累くん?」

 美也は手を止めて声の主を見た。

「てをおろせよ。みやねきだぜ、なのねき」

「え……? 梨乃さん!?」

 蒸気の中から現れた梨乃は、肩車で乗っている累に従って、美也に向けていたノズルを下げた。

「何をしているんですか……外は……牧浦さん達には……会ったんですか?」

「……それは大体に…弱いのは熱、そして……ないは動くがないの…空気」

 いつも通りのぼんやりした表情を美也に向けながら、梨乃はゆっくりと自分の行動を解説しようとする。

「彼らは……いないのが今」

 美也は瞼を大きく見開いて、梨乃を見返してしまう。

「勿論、それは焼いたのが向こうのもの、それもまた」

「そうでしたか……お疲れ様です」

 彼らの最期を見届け、そうする必要があったので彼らの遺体も焼却して来たという梨乃に、美也はそう労うしかなかった。

 その後で、一番重要な事を確認する。

「熱……酸素。つまり…これは細菌ということですか……でもどうして」

「それはある資料の書かれる多くの情報。あそこにいた者はそれを持ち知る」

「きんをまいたところも、どんなふうにひろがるかもあいつ(・・・)からきいたぜ」

「あいつ……?」

 美也の訝しげな声に、梨乃はノズルと背中のタンクを見せる。

 元から洞外にいて、牧浦達と連絡取り合いながら外のフロート狩りを調べていた梨乃と稲荷神社組。

 火炎放射器をその持ち主から奪い、同時に散布場所や拡散予想の情報も手に入れて来たのだとは分かる。

「それで……その人は……どうした(・・・・)んですか」

 それを尋ねる声は緊張を孕んだ低いトーンだった。

 梨乃はいつもの感じで、無言のまま両手を突き出して手首を合わせ、手錠のポーズを取る。

「あんなやろーでも殺しなんかしねえよ。何だよ、みやねきも信じてねえのかよ、なのねきのこと」

 累が咎める様に聞き返す。

「そんな事っ……いえ……そういうこと(・・・・・・)ですね。すみません」

 頭を下げる美也に、梨乃は笑みを見せて首を横に振る。

「それはないのがおかしいは思う不安。それについての当たり前の私」

「いいえ、梨乃さんを疑うのは当たり前なんかじゃ……」

「――当たり前だろうが。この人殺し野郎」

 美也の言葉途中で後ろから響いた声。

 弾かれた様に美也が振り向くと、そこには物凄い形相のフナコシが立っていた。

 膝上までの水も気にせず、少し猫背な姿勢で梨乃を睨みつけている。


「どうして? 待ってて下さいって言ったじゃないですか」

「嫌な予感がして来てみたんだよ。そしたら案の定じゃねえか」

 フナコシは大きな水音を立てながら、美也と梨乃の所へと近付いて来る。

 美也と累は身構えるが、梨乃は平静なままで彼を見ている。

「なのねき、あのおっさん、オイルボールぶつけっか?」

「……危ない」

 身を乗り出しそうになる累を梨乃が押さえてる間に、フナコシは三人のすぐ手前まで来ていた。

「久しぶりだな。お前が『なの姉さん』だったのか。俺の事……覚えてるだろう?」

 フナコシは美也も累も眼中にない。

 憎悪の眼差しを、梨乃だけに突きつけていた。

「凄く痛かったぜえ。腹、あんなもんで抉られてよ、馬鹿みてえにぶん殴りやがってよ……あん時、お前何て言ったか覚えてるかよ?」

 梨乃が彼を見ながら黙っていると、構わずに彼は言葉を続けた。

「『胃袋なんか刺したって死にはしねえ』つったんだよ。この嘘つきが。死んじまったじゃねえかよ」

 最後の一声は底暗く洞内に響く。

 美也と累の空気も変わった。

 それまでも二人はフナコシへ身構えていたが、その意味が瞬時に別のものに変わっていた。

 襲いかかるのを警戒する構えから、彼に襲いかかろうとする構えへ。

「それで……私達を責める(・・・・・・)んですか?」

「俺の人生、絶好調って訳じゃなかったけどなあ、程々に、それなりに、上手く行ってたんだぞ。仕事だって順調だったし、結婚はまだだったけど見合いの話だって親戚や親父が持って来てくれてた……それが全部だ、全部なくなっちまったんだ、俺の人生が消えちまった」

「あなたが来なければ良かったんじゃないですか! 梨乃さんや子供達を襲ったりしなければ!梨乃さんを沼に沈めたりしなければ!」

 彼の様なフロート狩りにそんな事を言っても通じないのは、美也も経験上分かっていたけれど、それでも怒鳴らずにはいられなかった。

「いいじゃないかよ! それの何が悪い。世間に迷惑かけてる訳でもない、趣味のボランティアだ! お前ら、どうせ死んでるんだからよ。きちんとした社会の一員じゃないんだからよ!」

「こ……このっ」

「人しようとする殺すは、殺される」

 梨乃がぼそっと呟き、更に食ってかかろうとしていた美也は口を閉じた。

 フナコシも美也から梨乃へと顔を戻して、飛び出しそうな目で凝視する。

「そうだ、俺はこいつになんか言ってねえ。お前に言ってんだよ……で、何だ、『殺す』だと? 俺のは殺しなんかじゃ」

あなたも(・・・・)、人殺しだ。あなたが知るそれを、一番に」

 フナコシの言葉途中で、今度はゆっくりと明瞭に、単語を区切る様にして梨乃は言った。

 彼女の言葉に呆然とした表情を浮かべつつ、フナコシは肩を落とす。

 それを見て美也と累が構えを解いた、その直後だった。

「う……うるっせええええっ!」

 水しぶきを上げながら猛然と梨乃へ駆け寄ったフナコシは、全身に捻りを付けて彼女の顔面を殴り付けた。

 自らも倒れそうになりながらも、二発、三発と殴り続ける。

「このやろっ! なのねきっ、はなせっ、はなせよっ」

 彼女の肩上にいた累は、フナコシに飛びかかろうとしているが、彼女に腕をきつく掴まれ動けない。

「どうだ! 痛えか! 痛えかよ! クソ女! 腐れゾンビ!」

「痛くない」

「俺も痛くねえよ! こんなに殴ってんのに、何なんだよ畜生!」

「……それで」

 殴打が止まった時、梨乃が再び口を開いた。

「何かあなたのしたい事は、対する私」

 今になって彼女の言葉の奇妙さに気付き、口をポカンと開けているフナコシへ、美也が声をかける。

「あなたは私に何をしたいのかって」

「本当にそう言ってんのかよ……つうか何なんだ、その日本語」

「――『殺したい』?」

 僅かに語尾を上げて短く尋ねた梨乃の声。

 美也が再び身構えながらフナコシを凝視した。

 元々彼は、梨乃に復讐する為にここへ来たのであり、捕まってからも彼女達にその事を隠そうとさえしていなかった。

「そのつもりだった…けどよ……今はそうじゃない」

「……え?」

 フナコシのその返答に、美也が驚きの声を上げる。

「俺が死んだのも、死ねなかったのも、何もかも……お前のせいじゃないかよ。責任取れよ」

「おとなげねえおっちゃんだな」

「あなた、まだそんな事……」

「責任取って……俺をきちんと殺してくれよ……苦しくてしょうがねえんだよ……」

 美也の咎める声は、後に続いたフナコシの言葉と、彼がシャツをはだけて露わにした胸を見て、喉に呑み込まれてしまう。

 肋骨の上を何か所も、青黒く変色した肉が溶け崩れている。

 左右の肋骨の間でも腐敗の色は縦に長く伸びていた。

「ここだけじゃねえ。背中も尻もこうなんだよ……今朝ぐらいからずっと……この水に浸かってる所も痛えし、立ってるだけで気分悪くて吐きそうで……たまらねえんだよ」

 言葉途中で、フナコシは一歩後退し、呻き声と共に顔を下に向けて嘔吐し始める。

 彼の口から落ちる少量の吐瀉物には、美也の目にもはっきりと何匹もの蛆虫が見えていた。

「フナコシさん……それ……」

「それだけじゃねえ……頭の中で…信号みたいなのがチカチカしてんだ……楽になリタかったラ、人間バラシテ・・・・・・食えッテ……腸も脳味噌も引キズり出していっぱい食え、骨を引っこ抜イて、細かク千切って千切って食え……ってよぉ」

 顔を上げた彼が再び梨乃に向けた表情は、憎しみや怒りとは別の、懇願の混じったものだった。

「頼むよ……俺を……人間のままでいさせてくれ……こんなの、嫌過ぎるんだよ」

 しかし、彼の懇願に対して梨乃は少し沈黙した後、低い声で言った。

「済まないけど、でも、そこにある事、私の欲しいはもらういくつかの事は、あなたのやる事」

「……梨乃さん?」

 フナコシだけでなく、美也も苦しげな顔で梨乃を凝視してしまう。

 末期発現者に、『動けるうちにやってもらう仕事がある』なんて言う事の惨さは、今その苦痛を体験しているフナコシにも、何度も発現者を見て来た美也にも実感出来るものだった。

「あなたはまだだから。正気で、出来る動き」

「そうかい、今のは分かったよ……死んじまえ、ビッチ」

「もう死んでる」

 梨乃の返答はありがちなフロートジョークだったが、今それを口にする彼女は、あまり冗談を言っている様には見えなかった。

 死者(フロート)は、生者の様には他人の苦痛に同情しないという通告の様でもあった。

「あくまでも一時的なものですが、発現者の痛みを押さえるアンプルもあります。そこまで行けば酸素も問題ない筈です。まずはそこへ向かいましょう」

 梨乃がこれからどこへ行き何をしようと考えているのか、フナコシに何をやらせようとしているのか、全く分からないままだったが、美也は取りあえず全員にそう声をかけた。

 まずは後ろで倒れたままの二人の生者を酸素のある所まで運び、フナコシの苦痛を一時的にでも抑えるのが第一。

 それは間違っていない筈だし、誰が反対しようと譲る気もなかった。




「お目覚めかしら?」

 意識を取り戻してすぐに耳に飛び込んで来たのは、艶のある声。

 千尋は瞼を押し上げて視界を確認する。

 ワゴン車の中らしい白い天井は、どこか懐かしい感じがした。

「うわ……こんなになっても意識あるんすか、変異体って。やっぱりゾン……」

 どこかから聞こえた男の声は尻すぼみに消え、『すいません』と謝る小声が聞こえた。

「あれ……お姉さん……」

 上から覗き込んでいる隈のある目と黒い唇、白い顔。

 髪型は少し違っている様だったが、千尋にとって、見覚えのある顔だった。

「さ……鎖弓……さん」

「あら、ちゃんと覚えててくれたのね。お姉さん嬉しい」

 鎖弓は手を伸ばして優しく千尋の髪を撫でる。

「ここは……僕は一体どうなって……」

 シートに仰向けに寝かされているのは分かっていたが、あまりにもあの時(・・・)と似過ぎている視界に、一抹の不安を覚える。

「あまり動こうとしない方がいいわ。持ち運びには(・・・・・・)楽になってる(・・・・・・)けど」

 千尋が身を起こそうとすると、鎖弓は優しい口調でだが、ぴしゃりと釘を刺す。

「しかし、お腹の辺り元から殆ど作り物だったのね。フロートでもこういうのは珍しいかも」

 嫌な予感は的中していたらしいと気付き、千尋は顔をしかめる。

「あとで遥に直してもらいなさい。もっと丁寧に入れてもらった方がいいわね」

 建物が倒壊し下敷きになった時の事をはっきりと思い出した。

 明らかに金具で補強した胴周りが、鉄骨か何かで潰され内臓も散乱していた。

 暗くてよく分からなかったが、再び目にした自分の腸は、以前よりも赤身のない黒っぽい灰色だった様な気がする。

 ぼんやりと死後一年近くだもんな、フロートの体内ってこんなになってるのか、何か嫌だなとか思っていた。

 そして―――

「あ……の変態野郎っ……!」

 ようやくそこまで思い出し、また飛び起きそうになる。

 首と肩の勢いだけで少し跳ね上がった上半身は、バランス崩しそうになった所を鎖弓に抱きとめられる。

「ご……ごめんなさい」

「びっくりしちゃうじゃない。でもこんなになっても元気って事よね。安心するわ」

「――2班定時報告っす。10時、外出なし、入館2名。買い出しから戻ったスラッシャー他一名」

「了解」

 鎖弓の声に被さる様にして、車のドア付近から複数の男の声が響いた。

「僕ら潰されて、あの変態野郎が雪子を――」

「分かっているわ。私たちは彼があの子をここへ連れて来たのを見て、廃工場(あそこ)に向かって、あなたを見つけたのだから」

「ここ……?」

「私たちの仕事は、あなたたちの戦いとはちょっと違うのだけど……少し見せてあげる」

 鎖弓はそう言うと、男性メンバーと二人がかりで、千尋を入っているケースごと抱え上げた。

 これまたあの時と同じく、腰から下は完全に離れてなくて繋がっている様だが、人としてあり得ない折り畳まれ方が彼女の状態を物語っていた。

 車から出ると、そこは山の中腹の展望台みたいな場所だった。

 眼下に見下ろせる山間の谷間。

 緑の常緑樹で覆われたその奥の一画に、切り開かれた場所があり、そこに大きめの邸宅が建っていた。

 鎖弓と、私服姿の男女の集団。

 彼らはその邸宅を監視している様子だった。

 さっき誰かが報告していた。『スラッシャーが入館した』と。

「あそこは、彼らが『拠点』と呼んでいる、彼――『スラッシャー』のプライベートリゾートよ。お金持ち(・・・・)よねえ。上場企業のエリートにしても、ちょっと豪華過ぎるわ」

「『拠点』……」

「お仲間もご招待して、皆でお泊まりしてる様子よ」

「――3班、これより5時方角から50メートル内接近を試行」

「――了解、2階南窓からの目視に注意して下さい。監視がいる可能性あり」

 鎖弓の背後から、無線でのやり取りが聞こえて来る。

「雪子ちゃんは助け出さなくちゃね。彼は悪趣味過ぎるし、審美レベルも低過ぎるわ。外付けの作られた欠落に拘るなんて」

「はあ」

「あんなガサツな男にあの子が弄られるなんて、私だって耐えられないわ……でも、私達には同じ位に大事な事があるの」

「大事な事……すか」

 鎖弓の言葉に千尋は瞬きする。

 言っている事の半分以上理解出来ないが、それが彼女達がここにいて、自分が連れて来られた理由だとは何となく察した。

「私たちは凄く知りたいの。あの豪華な別荘が、本当は誰の(・・・・・)所有物なのか(・・・・・・)を」





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