8日目(2)
8日目(2)
津衣菜が山中の細い砂利道を登って行くと、途中の茂みから音もなく二つの影が現れた。
「さんの津衣菜、帰る」
「おかえりなさい、津衣菜さん」
梨乃と美也は、どうやらここで津衣菜を待っていたらしい。
どうしたのか尋ねると、夕方、拠点にしていた廃工場に人が来たのだという。
恐らくそこの所有者であろう50歳前後の男は、すぐにそこを去ったが、その時に新しい段ボール箱を山積みにして置いて行った。
「どんな物が入っているのか分かりませんが、ここに置いといて多分何度も取りに来るんじゃないかって……お布団や私たちの事は気付かれなかった様ですが、当分ここを使うのはやめようってなったんです」
他の皆は今、山の上の神社に集まっているという。二人は津衣菜にそれを伝える為にここで待っていたのだ。
「ラインに入れときゃいいのに。途中で何度か見てたんだからさ」
津衣菜は言う。津衣菜の今使っているスマホは生前使っていたものではなく、遥から渡されたものだった。
津衣菜だけでなく、フロートになってからの端末を持つ者は多い。少なくともこの班では全員が持っていて、花紀に至ってはスマホと別にタブレットまで持たされていた。
それらの購入費用がどこから出て来たのか、通信契約がどうなっているのかは、誰も知らない。
「ラインは使われて混んで、挟む事の出来るの無いのが今。起きるのは話の事の重大なのは理由」
「……ちょっと、重大な話があってどのグループも立て込んでいたんです。だからそれ以外の会話や連絡とか挟めなくて」
最初は梨乃が首を振りながら津衣菜に答え、美也が多分同じ内容の事を、分かり易く説明してくれる。
彼女にも梨乃語が分かるのだろうか。内心そんな事を思いつつ津衣菜は、思い出した事を口にする。
「ああ、そう言や……何か、あちこちの班でフロート狩りの話してたね。何だっけ、アー……」
「アーマゲドンクラブ」
「“アーマゲドンクラブ向伏”のクローズドトピックを新しく傍受したんです。全国規模でウィンターキャンペーンを始め、獲得ポイントの高かった外部チームを加入団体として認めるって内容でした」
「何だか分からないけど、それってそんなに重要な話なの? あいつら仲間内でいつもそんなやり取りしてるんじゃなかったか」
「ワナビーチーム内のイベントとアーマゲドンクラブ発信のそれとでは意味合いが違います。このポイント制や加入団体認定って報酬も、私たちにとってかなり危険度が高くなるんじゃないかって」
神社に着くと、社の扉の前付近に全員が集まっている。車椅子の雪子も少し離れて地面の平らな場所に見えた。
石段に腰掛けてタブレットを開いている花紀を、他の少女達が囲み、めいめいに画面を覗き込んでいる。境内の闇の中でタブレットと、複数のスマホの小さな画面だけが場違いな光を放っていた。
フロートの少女達のぼそぼそと交わされる囁きが聞こえる。
「“くがやんズ”系、総出でエントリーじゃない……」
「あとね、これ見て……何かね、中学生の参加者がいるみたいなんだ。この“アルティメットフォース”の……」
「スケジュールリストやポイントの情報は、まだ見つかんないのかよ」
そんな中、花紀は一言も発さずモニター上で指を動かし続けていた。随分没頭しているらしく、津衣菜たちが目の前まで来ても気付く様子はない。
「花紀」
「にゃあっ!? にゃっ、にゃー、おか……えり」
「そこまで人の名前を圧縮するのはやめて。呼ばれてんのか、ただ鳴いてんのか、こっちも分からなくなるから」
「ううう……」
気まずげに唸りながらもじもじと見上げて来る花紀に、津衣菜はモニター画面を指さしながら訊ねた。
「どんな状況なのか教えてくれる? そこまで大変だとは思わなかったんだけど」
「ええとね、まずこれを見て」
花紀が画面上をしばらく操作すると、何度か見た「AGC」のロゴが大写しになって消え、エフェクトで目がちかちかするグラフィックアニメーションが流れた後、ゲームのトップページみたいな表示が現れた。
何らかの方法で入手したクローズドトピックというのが、これなのだろう。
『立ち上がれ人間! 日本はゾンビの国ではない! アーマゲドンクラブはこの世の水際で新たな戦友を求めている。さあこの冬こぞって奮起せよ。一大ウィンターキャンペーン始動!』
かつて見た、自分を襲った連中が使っていたSNSと比べると、機能もデザインも段違いで洗練されているページに思えた。
右下に、中央の煽り文句よりも目立ちそうな字体で、このイベントの要点らしい内容が並べられていた。
『人間もどきのゾンビを見つけて倒し、写真・動画付きで報告!』
『強い敵、丈夫な敵、倒しにくい敵には高ボーナスポイント!|(要審査)』
『ポイント獲得上位チームはACG加入団体に! 中央ネットアクセス権も!』
「これが、アーマゲドンクラブのクローズドトピックなの?」
「うん。リンク遮断されて、詳しい説明のページまでは手に入らなかったって……でも、これが」
花紀の指が再び動く。今度は動画だ。黒いスーツ姿の男が何かを大声で話している映像が流れた。
男は30代後半から40歳前後位。恰幅が良くオールバックの髪。
自信に満ちた張りのある表情と声が、真っすぐ正面に向けられていた。
「だから、皆さんには、誇りを持ってもらいたいんですよ! 皆さんはね、この世を守る戦いをしているんです! 一体一体、この世とあの世の裂け目から湧いて来て、生きてる人間の世界を掠め取り乗っ取ろうとしているゾンビ共を殲滅し、正常な世界を取り戻す。それが皆さんの大事業です。イザナギノミコトが黄泉比良坂に大岩ヨミドノオオカミを打ち立てて以来の、神国日本の一大聖戦なんです!」
「何、これ」
画面を凝視しながら津衣菜は呟いた。
堂々とした態度、真っすぐな視線。自信に満ちた声。
だがその熱弁の内容は、「イカレている」の一言に尽きるものだった。
「アーマゲの会長さん」
「さんはいらないっすよ」
千尋に横から突っ込まれながら、花紀は言葉を続ける。
「こないだ本部集会で講演した時のなんだって」
「――見た目が女性だったり子供だったりすれば、そんなに腐ってなければ、躊躇う人もいるでしょう。しかし! そんなものは奴らを保護する理由にはならないでしょう? 奴らは成長して労働力になりません。結婚して子供も産みません。税金も年金も納めません。ただただ死体のまま徘徊し、生者の世界を侵食して行くだけなんです。ここが運命の分かれ道。我々は殺戮の時代に入るのです。狩って狩って狩りまくりましょう」
「内容がまともだったら結構渋いのに勿体ないね。いい年して何やってんだろ」
「渋いって、どこがだよ。言ってる事関係なく最初からキモいって」
少女達が口々に動画の感想を言っている中、津衣菜が再び質問する。
「まだ分からないんだけど、このアーマゲドンクラブって、他のフロート狩りの奴らと何が違うんだ? 私を襲ったのも、こいつらじゃなかったんだろ?」
「アーマゲドンクラブは、フロートの存在がネット上で話題になってから程なくして生まれた、国内初のフロート狩りの集団です。対策部より歴史が古いとも言われています」
津衣菜の問いに美也が答えた。
「ネットで話題になっていたのか」
「本当に何も調べてねえな、自殺女。匿名掲示板でも専用の板あるし、まとめブログの記事もある。そのクソ会長のゴミトークだって動画サイトじゃしょっちゅう出て来る。お前この1週間、何見てたんだ」
津衣菜は、鏡子がうんざりした声で挙げたそれらのものを、一つも見た事がない。
「ただ、ネットにフロートの話が出る様になって、その男がコメンターとして目立ち始めて、彼を中心にアーマゲが作られた――って流れがちょっと急過ぎるとも言われてるっすよね……対策部の主導権握ろうとした政治家の仕込みだったんじゃないかって」
ふいに口を挟んだのは千尋だった。皆の話の輪に加わるという形であっても、彼女が津衣菜に話を向けたのは、これが初めてだったかもしれない。
「アーマゲドンクラブ自体もフロート狩りイベント企画したりするけど、一つの団体というよりローカルを結ぶ全国的なネットワークって感じが強いですね」
「そして、現れるでいたのは彼の人達が作る集団の狩るフロートで、よる模倣の知るネットのアーマゲローカル」
「アーマゲをネットで知って見よう見まねで、フロート狩りする人たちが現れたの……それが、ワナビーって呼ばれる人たち。この向伏には“くがやんズ”というチームを中心とした幾つかのワナビーのチームや個人の集まり、“アルティメットフォース”“バスターズ”というまた別のワナビーチームがあって、更にローカルの“アーマゲドンクラブ向伏”があるの」
梨乃語を通訳するついでに花紀が補足して言った。画面の動画は既に切られていた。
「ワナビーの人たちはね、アーマゲに入れてもらいたくて認めてほしがってて、でも、アーマゲがワナビーを加入団体に認めるって事は発足当時は割とあったけど、今では滅多にないの。そして、アーマゲは、自分たちとは別のフロート狩りチームに増えてほしいんであって、自分たちの組織を今より大きくしようとは考えてないみたい」
「ああ、何となく分かった。つまり、アーマゲドンクラブっていうのはフロート狩りの元祖を看板にしているけど、実際には、フロートが狩られる状況を作り出してコントロールしたいって奴らなんだな」
花紀は津衣菜の言葉に、少し考えてから小さく頷いた。
こういう話をする時の花紀の口調は、普段よりしっかりしたものだった。説明の中身も簡潔で過不足ない。こんな所は班長らしいと津衣菜は思う。
「この情報から言える事は、当分……キャンペーン開始の日まで、彼らに殆ど動きはないって事ですね」
美也が小さな声でそう言い、周りを見回す。千尋、日香里、梨乃が美也と視線が合うと頷いた。
「そして……キャンペーン開始と同時に噴出する……高地さんもハルさんも同意見で、一日目から連中の行動は頻発するだろうって」
鏡子が、美也の言葉を継いでそう言った。
「あの、もう一つ気になるんですが……これは、アーマゲドンクラブ中央が出した、全国版のページですよね。キャンペーンについても全国共通の事しか出ていないと思います」
ふいに手を上げて話を切り出したのは、日香里だった。
「私たちはここ以外のフロートについて殆ど知りません。狩りについてもです。フロートがどんな風に過ごしているのか、地域によって色々と違うらしいですね――ローカルはこのキャンペーンについて、他の地域にはない補足を入れるのではないでしょうか」
「私たちの……こと、だよね」
花紀がそう確認する様に言うと、日香里が頷いて続ける。
「はい。私たちは市内全域に根を張り組織的に動く事で、狩りの半分を潰して来ました。これがここだけの事だったなら、ローカルが私たちへの対策を……最悪、私たちそのものを壊滅させるキャンペーンを、独自に張るかもしれないと思います」
「あたしらと奴らは最初から敵同士だ。潰そうと思って潰せるなら、とっくにそうしてるだろ。潰したいと思っても、実際には出来ないんだよ」
「今まで出来なかったから今度も出来ないとは限らないだろ……」
鏡子の言葉に津衣菜が返すと、二人は無言で睨み合う。その一触即発の空気を遮ったのは、花紀の言葉だった。
「ついにゃーの言うとおりかな……この向伏で、アーマゲは今まで本気じゃなかったかもしれないんだよ。この会長さんの演説見ても、それは突然終わるかもしれないと思う。これからはいきなり増える狩りと……今までない動きがあった時にも、十分気を付けた方がいいよね」
日が昇る前に臨時の会合はお開きとなり、班員達はめいめいに、いつの間にか境内からいなくなっていた。
今日も皆で一緒に寝ようという花紀の提案はあえなく却下され、彼女は石段の上でしょんぼりしている。社に残る事になったのは、津衣菜と美也だけだった。
鏡子と日香里は露骨に津衣菜を避けている様だが、何となく、皆が寝る場所を変えているのはそれだけじゃないのかもしれないと、津衣菜は思い始めていた。
たとえば千尋と雪子の場合、花紀相手にかくれんぼを楽しんでいる分も混ざっている感じがする。確かに千尋には実際に避けられてもいたが、雪子はどう思っているのか分からない。
少しも隠れない梨乃に至っては、意図が全く掴めない――もう少し姿を隠す様、花紀が注意した方がいいのではないかとも思う。注意して、理解出来るのかどうかさえも津衣菜には分からなかったが。
「あんたは……私を避けないの? 一緒に寝たのは昨日が初めてだったけど、避けないで話しかけてくれたし、挨拶とかも普通にしてくれるよね」
しばらく厄介になりそうな神社だったので、思い立って人避けにと境内の入口に意図的に枯れ枝や落ち葉を散らしていた時、津衣菜は美也に聞いた。
「自殺した人は私たちと違うと、私には分けられないんです。私も……同じようなものじゃないかって思うから」
「……え?」
「鏡子さんは違うよって言ってたけど、それでも違うんだろうかって……私はやっぱり、自分の意思で死んだんじゃないんだろうかって」
そう言って寂しげに美也は笑った。
美也の死は一家心中によるものだった。
「一方的に首を絞められたとかなら、自殺ではないとなるんでしょうけど、私は苦しまない様にするからとお母さんに言われて、自分で睡眠薬を呑み、そのまま眠っちゃったんです」
父親が職場で精神と身体の両方を病みそのまま解雇され、必要な保障などもうやむやにされてしまったのだという。その前から結構な額の借金があり、その返済も滞っていたと。
反対する意思はなかったという。自分達はもうこの先まともに生きて行く事は出来ないのだと、あらかじめ納得していた。
起きた時、美也は車の中にいた。嗅覚はなかったが、自分の足元すぐにコンロがあり、練炭がまだくすぶっていた。薬を呑んで眠ったのは家の中だったのに、車はどことも知れない山中に停まっていた。
「お父さんは運転席で、お母さんは後ろの席で、5歳の弟はお母さんの膝の上でぐったり倒れていて、そのまま起きる事はありませんでした」
助手席にいた美也はドアを開けて車外に出た。全身の感覚がなく心臓が止まっているのも自覚していた。顔も腕も不自然に赤みがかかり、窒息死の死体の色を見せていたのはミラーで分かった。
後は津衣菜にも身に覚えのある彷徨が続いた。山の中を彷徨っていた美也は、どこで嗅ぎつけられたのか分からないが、津衣菜同様にフロート狩りの標的となった。
「その時、私を助けてくれたのは、花紀さんなんです」
「……花紀が?」
フロート達に助けられたというのなら津衣菜と同じだが、美也の口ぶりだと、花紀が一人で、フロート狩りから美也を救出したという事になりそうだった。津衣菜にはどうもその光景が想像出来ない。
花紀の探知能力なら確かに、美也を見つけられたかもしれない。だが、その先は――花紀も持っているという拳銃の事が頭を掠めたが、打ち消す。
人間を殺さないというルールを彼女は遵守しているし、そうでなくとも、彼女が人に向けて銃を撃てるとはとても思えない。
「あの人たち……人間の形をして人間の言葉を喋っているものに、よくあんな事が出来ますよね……しかもそれを、あんなゲームみたいに演出して、楽しげに……」
その日の事を思い出したついでか、美也はふとそんな呟きを口にした。
「凄い話だよな。フロートには何をしても罪とならない。生きた人間でも死体でもないから殺人にも死体損壊にも出来ない。それを禁止する何の法律もないし、そもそも存在を公表してないし定義も出来ないから新しく法律を作る事も出来ないって……ああ、街中で武器や火使ったりしたのがばれればそっちで捕まるらしいし、軽犯罪法にも触れるらしいけどな」
「法律がなければ、何やってもいいとなれば、何でもやるものなんでしょうか……」
「多分ね。犯罪者にならずに人間を切り刻みたいと思ってる奴なんて、きっと珍しくはないよ――そう言う奴がこっそりああいう娯楽に飛びついたんだ」
美也は黙り込んだ。
津衣菜は足で落ち葉を散らしながら、ふいに美也へ尋ねた。
「昨日言ってたよね……この国はもうダメなのかもしれないって。その時、そいつら見てから思ってたことなの?」
「はい……そして生前の事。父や母がどんな目に遭わされて来たか、皆が父や母の事を何と言っていたか、少しは知っています。私が教わって来た当たり前のこと、正しいと思っていた事が、どんどんそういうもの……父を嘲笑った人達や人間を狩れる人達のそれに、取って代わられていると思うんです――あらゆる所で」
津衣菜の向けた問いに、美也がぽつぽつと答える。
津衣菜は、落ち葉の上に更に廃材を配置して作業を仕上げながら、彼女の方は見ずに言った。
「私はあんたに答えられそうにない。私はきっと……そういうものの中で生きる事しか知らない、そいつらの一人だから」
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