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フローティア  作者: ゆらぎからす
10.リービング
106/150

187日目(*)‐191日目(1)

 189日目(*)‐191日目(1)




「いらっしゃいませー……あ」

 入店音に反応したレジの女性の声が少しトーンを変える。

 弁当とお茶の500mlペットボトル、防虫スプレーやウエットティッシュ、冷却シートなど。

 店内に入って来た客は、昨日一昨日と同じ手順で、同じ品物をかごに放り込んでレジ前にやって来た。

「ありがとうございます……今日も、山を見に行かれるんですか?」

 レジからのどことなく弾んだ声に、彼は微笑んで頷く。

 山あいの県道沿いにぽつんと建っていたコンビニ。

 利用する客も、この近辺の住人に限られている。

 20歳そこそこのレジの彼女も、ここからあまり離れていない地区から通って来ている。

 数日前から毎日の様に来店する様になった、明らかにここの人間ではない若い男性。

 彼が来る度、彼女は露骨なまでに嬉しそうだった。

 他の常連客――大半は近所の農家のおばちゃんやお年寄り――も、それを苦笑いしながら見守っている。

「ここの山、そんなに面白いですか?――私なんか、何もない所だなんて思ってましたけど」

「そんな事ありません、毎日が新しい発見ですよ。今週いっぱいしかいられないのが名残惜しいです。地形や鉱物も貴重な種類のものが多いですが、野鳥もかなり多くの種類がいるみたいですね」

 30歳は超えていると言っていたが、それを感じさせない程の若さ。

 そして、完璧すぎる程の美形だった。

 東京の化粧品会社に勤めていて、半月近い有給休暇を取ってこの山へ来たと言う。

 日本中、時には海外の、様々な変わった地形や石を見に行くのが趣味だそうだ。

 ここは、彼の様な人にとってかなり貴重な場所で、超レアな石灰石の洞穴や川辺の地層なんかがあるらしい。

 夏だけど長袖のシャツを着て、ラフになり過ぎないアウトドアファッションのコーディネート。

 それらのアイテムの一つ一つも高価そうだった。

「ではっ、あれです、また休暇取っていらして下さい」

「ふふ、勿論そのつもりです」

 少し頬を赤らめ満面の笑顔で言う彼女に、隙のない微笑で彼も頷いてコンビニを後にする。

 駐車場に停めていた車は、白のアウディA4。

 滑らかな動きで駐車場を出ると、山奥方面へと走り去って行った。

 ルックスも服も、喋り方も笑顔も、そして勤め先も車も完璧な男性だった。

 だけど、それだけ完璧だったから目についたのか、彼の右手はいつも少しぎこちない。

 過去に何か大怪我でもしたんだろうか。

 誰もいないコンビニの店内で、自動ドアを見つめながら彼女はぼんやりと思った。


 山頂近くの展望台の駐車場で、彼は車を降りる。

 案内板のあるハイキングコース入口から、展望台とは逆の方向へ入って行った。

 やがて、ハイキングコースからも外れ、けもの道の様な所を慣れた足取りで奥へと進む。

 頭上から聞こえた舌打ちの様な声に視線を上げると、緑の中をシジュウカラが枝から枝へと飛び移っていた。

 目を細めながらしばらくそれを見つめるが、再び歩き出す。

 鳥の声が大きくなると、目的地までの道を半分以上来ていると分かる。

 やがて、涼しげな川の音が耳に入って来た。

 更に数分歩いて行くと、ふいに目の前の木々が唐突に開ける。

 その先で、足元の地面もなくなっていた。

 彼の立つ場所は崖の縁だった。

 眼下二十メートル下に、丸石の敷き詰められた河原があり、その中央を幅数メートルの渓流が流れている。

 渓流と河原の向こうには、こちらと同じ切り立った岩壁があり、赤と茶色の地層が薄く見えていた。

 数度の地形変化によるものか、地層には幾つかのずれが斜めに走っていた。

「うん、自然の力はまた人の手とは違う素晴らしさ。何度見ても……」

 彼は感じ入った様な顔と声で呟く。

「何度見ても、美しい『非対称』(シンメトリー)ですね」


 さっきコンビニで何となく口に出したが、彼は本当は野鳥が好きじゃなかった。

「それに比べて、野生動物はいけない。どいつもこいつも、左右対称過ぎる」

 ぶつぶつ言いながら、樹木の幹を背にして腰を降ろす。

「捕まえて、握り潰して……千切って……もう少し美しく(・・・・・・・)してやりたいものだ」

 柵も何もない崖っぷちで、地面も少し傾斜している。

 さすがにそのままでい続けるのは危ないと思ったのか、彼は樹木と自分の腰をロープで繋いでいた。

「木や草花、鉱石、そして大地の作ってきた非対称の美を、どうして動物は……人間は、台無しにしてしまったのか」

 悲しげに眉を寄せながら、虚空に向かって虚ろな目で嘆く。

 言葉と裏腹に彼は、殆ど岩壁も木々も見ていなかった。

 樹木の陰で肩を縮め、河原から姿を隠して、虚ろな微笑みを貼り付けた顔のまま、河原を一時間以上じっと見ている。

 彼が自然鑑賞に来たのではない事は、どう見ても明らかだった。

「……来ましたね」

 口の端を上げ、彼はにいっと笑う。

 さっきまでコンビニのレジの女の子に見せていたのとは違う、薄気味悪い微笑だった。

「おや、もう子供はいない……いつものあの女の子とおばさんだけですね。もう移動が終わったのかな」

 彼の視線の先には、岩壁に沿って慎重に河原を進む、美也と中年女性のフロートの姿。

 彼は二人を追いかけるでもなく、木の陰から通り過ぎて行くのを見送り続けていた。

「さて、右の洞穴AまたはDから入るか、左の洞穴BまたはFから入るかだね。あの子だから、Dかなあ……おや、向こうからも来ましたよ……おじさんだけどいい感じに非対称だなあ」

 数十メートル先で、三人のフロートは何かを話し合って、再びそれぞれの進路へ進む。

「うーん、あのおじさん初めて見るな……まだまだ、僕の知らないルートがあるって事だね。あと二日で、どれだけ押さえられるものか」

 彼は腰を上げ、樹木のロープも外すと、そっと中年男性のフロートを追い始めた。

 元北部地区班に属していた右足が義足の男性フロートは、彼の追跡に気付かないまま、よたよたと歩き続ける。

 数日前から佐久川市に入っていた彼は、駅前のビジネスホテルに滞在しながら昼も夜もずっと、フロートの追跡を繰り返していた。

 フロートの探索だけなら、一月前から休日に日帰りで行なっていた。

 美也や子供のフロートを見つけ、彼らがいた工場も押さえた。

 長期休暇を取ってからは、あらかじめ見つけたフロートの追跡調査だけでよかった。

 廃工場にいたフロートが山中の鍾乳洞に移動し始めている事を、初日で既に把握していた。

 四日後には、連休を利用して仲間がここに集まり、本番が始まる。

 それまでに鍾乳洞の出入り口がどれだけあるか、死者達がどこから出入りしているか、どことどこを往復しているかを、出来る限りつきとめなくてはならなかった。

 そして――彼は、未だに、一番探しているもの(・・・・・・・・・)は見つけられずにいた。

 河原の人影を見失わないよう注意しながら、木々の中を音を静かに進んでいた彼は、スマホの振動で足を止める。

「何だこんな時に、無粋だよ」

 声に出さず心の中だけで咎めながら、彼はスマホを取り出し画面を確認する。

「定時確認です。『スラッシャー』、現在の観測結果を送って下さい」

 個人のではない『アーマゲドンクラブ南関東』の管理アカウントで送られたライン。

 担当者は二、三人しかいないから、その中の誰かだというのは分かる。

「新しい洞穴と個体を発見する見込みあり。追跡し、判明後マップ追加します」

 彼――『スラッシャー』――は、不機嫌そうに眉を寄せたままそう返答する。

 再びライン上に質問が現れた。

「了解しました。あなたのターゲット、『創元雪子』の所在は確認出来ましたか?」

 彼の表情の不快な色は、ますます濃く浮かび上がる。

「まだです」

「ここにはいないという可能性は?」

「いいえ。彼女は……雪子ちゃんは必ず、ここにいます」

 それだけを入力するのに『スラッシャー』は指をぶるぶる震わせて、二分近くかかった。

 切れ長の瞼をめいっぱい見開いて画面を凝視している。

 彼は、怒ってもいなければ動揺してもいなかった。

「僕が作った、僕だけの美しい非対称(ドール)、僕だけの(もの)……僕には分かるんです。雪子ちゃんは間違いなくここにいます。彼女はここで僕を待っている」

 ただ何かに取り憑かれた様な目で、彼女は絶対いますと繰り返す彼に、管理アカウントはそれ以上の詮索をしなかった。

「了解しました。それでは、予定の計画を継続します」




「畜生っ……あのクソガキども……くそっ、くそが」

 深い溝に囲まれて孤立した台状の石の上で、鍾乳石の柱に繋がれていた男。

 元フロート狩りのフロート――『フナコシ』は、一人で子供達への呪詛を呟き続けていた。

「殺してやる……必ず殺してやる。舐めやがって、害虫どもが」

 彼の周囲には、子供達に投げられた丸石が散乱していた。

 殆ど動けずに身じろぎするだけの彼へ、石つぶてを集中砲火で浴びせたフロートの子供達は、実に楽しそうに笑っていた。

「ここを出る時には……一匹たりと見逃さねえ……駆除して……」

 真っ白の顔で笑いながら弱いものをいたぶる、死人の世界の子供達。

 生きている、普通の人間の子供とは、根本的に情緒も道徳心も違い過ぎる。

 心の中でそんな比較をして見た時、フナコシの意識に生前の小さな記憶が突然浮かび上がった。


 ―――町内美化の時間です。

 ―――公園は正しく利用しましょう

 ―――くっせえホームレスのジジイが生きていていい場所じゃねえんだよ


 ははははははははははは

 ひひひひひひひひ


 フナコシの小学校時代、彼の地元には、公園や堤防下にホームレスのテントが何軒かあった。

 フナコシは友人達数人と連れ立って、彼らへ夜中の奇襲を繰り返していた。

 最初は石を投げたり、駆け寄って蹴り逃げする程度だった。

 誰かがバットを持って来たら、自分も持つようになった。

 屋根からオイルをふりかけて、火のついた布切れを投げてやったら、思っていた以上に勢いよく燃えた。

 テント内から悲鳴が聞こえたが、火のまわり具合と勢いから、逃げ出せなさそうに思えた。

 フナコシと友人達は、その場から一斉に逃げ出した。

 新聞も見ていなかったので、そのホームレスがどうなったかは知らない。

 ただ、それ以降、彼の地元でホームレスの姿をほとんど見なくなった。

 フナコシ達も、そのままホームレス狩りはぱったりと辞め、話題に出す事さえもなくなった。

 だけど、あの日のホームレス狩りが今の彼の出発点だった。

 それは彼自身も自覚している。

 誰にも言えないあの日の興奮、炎に包まれたホームレスを見た時の達成感を探し求めて、彼はフロート狩りに辿り着いた。

 もう一つ、数年前の震災直後に西日本を中心に大ブレイクした、また別の(・・・・)『人間狩り』も、彼の欲望を再燃させる引き金となったかもしれない。

「あの、『テロリア人』狩りも燃えたよな……テロ写真なんてデタラメだってみんな知ってたのに、みんな乗っかって盛り上がった……結局あれで『テロリア人』も日本からいなくなったし」

 震災のパニックも一段落ついて再び『狩る対象』を見失った彼の目の前に、死人達(フロート)と『アーマゲドンクラブ』が現れた。

 彼にとって、どちらも彼の欲望の為に存在しているかのようだった。

 何種類もの『人間狩り』を体験していた彼には、彼独自の持論があった。

 『人間狩り』という娯楽を成り立たせしめるものは、『倫理と秩序』

 倫理や秩序の維持を前提にしない人間狩りは、ただの攻撃本能の垂れ流しであり、人間が共有する娯楽とはならない。

 『真っ当で清潔な市民社会の』『日本民族、日本国民の』、そして『生者の』倫理と秩序に則って行なわれるからこそ、人間が人間を狩るという行為の理性が保証されるのだ。

 それは、彼の人生において発見した法則であり、彼の人生唯一の意味のある収穫だったと言えたかもしれない。

 その法則に則って彼の人生も終わり、死後さえも支配される羽目になった訳だが。

 誰よりも彼が自覚していた。

 『俺は狩られる側へ転落した』という残酷な答えを。

 死者の国には死者の国の、倫理と秩序が存在した。

 そして、彼は生者の国へも戻れなかった。


 溝の向こう側から響く足音に、彼は身体を少し震わす。

 今まで聞かなかった調子の足音だ。

 フロート狩りだった彼には、まして生前以上となった感度の聴覚で、死者と生者の足の踏み出し方の違いが分かる。

 やがて、奥の暗がりから三人の人影が現れた。

 フナコシは自分を繋いだロープを引きつけて、石柱の陰に姿を隠す。

 防水スーツを着た男達は、ロープで数珠つなぎになりながら、ゆっくりと石壁に沿って歩いて行く。

 三人がヘルメットライトをめいめいの方向に向けて、まばゆい程の光の中、洞内の奇観が露わになっている。

 だが、彼らが溝の向こうのフナコシに気付いた様子はない。

 生者だと確信しながらも、フナコシは彼らに声をかける気は全くなかった。

 一目見ただけで分かっていた、彼らは自分の同類――フロート狩りだと。

 だからこそ、今、彼らに見つかる訳にはいかなかった。

「何だ? 消火器……?」

 フナコシは男達を観察していたが、口の中でもごもごと呟いた。

 男達は両手でロープにしがみつきつつ、何かボンベの様なものを背負っていた。

 赤っぽい色のボンベからは黒いホースが伸び、少し大きめの消火器に見えなくもない。

 彼らは時々立ち止まると、片手でホースの先を持って、辺りの地面や水たまりへ向ける。

 ホースの先から、これまた消火器っぽい白い粉末が放出される。

 消火器と違うのは、彼らのボンベは粉末を最後まで出し尽くしたりせず、しゅっしゅっと音を立てて断続的に粉を吹いていた事。

 一人が無線機を持っていたらしく、ざらついたスピーカー音が洞内に響いた。

 洞窟内の死者達に気付かれそうだったが、今、この辺に死者はいない様子だった。

 いないと知ってて来ているのか、気付かれても構わないつもりなのか、フナコシには分からない。

 どうも、『深すぎです。もう戻って来て下さい』と言われている様だった。

 男達は粉末の散布を止めると、そそくさとロープを手繰り寄せて、来た道を闇の中へ戻って行った。

「帰った……? 何をしに来たんだ、あいつら……?」

 彼らのヘルメットライトが見えなくなった所で、フナコシは声に出して呟く。

 自分をここへ拘束したゾンビの若い女が仲間と話していた内容から、ここへやって来るのが『アーマゲドンクラブ南関東』だというのは知っていた。

 そして、奴らがワナビーに狩りの現役を譲らない、特に好戦的な連中だという事。

 フナコシの様な連中とも違い、一方的な虐殺よりも、反撃して来る死者との『殺し合い』を求めているトップクラスの狂人どもだという事も知っている。

 薬か何か知らないが、こんな深い洞窟の中であんな僅かな粉をまいて何になるのか。

 考え込んでいた彼は、手の自由が利く範囲で、意識せず背中を掻いていた。

 背中や首筋が痒い。

 彼にとって何十日ぶりになるだろう、あり得ない筈の自分の皮膚感覚に気付くのは、痒さが皮膚の内側の焼けるような痛みに変わってからだった。




「痛み、ですか? でも、ゾンビに痛覚はない筈じゃ……」

「普通はね。だけど、この透過ガスは違うんです」

 『スラッシャー』は、微笑みながら大学生っぽい若い集団に、粉末のボンベを一本見せながら解説している。

 彼らはこの佐久川市近辺――県南一帯のフロート狩り参加希望者達だった。

 県北の向伏市でばかり増えていく、フロートの集団とフロート狩り団体の抗争の中で置き去りにされた人々だった。

 近所で指導してくれる人間も情報交換し合う場所もなかった彼らに、単独で県北よりレアな死者を発見し狩りたてるスキルもある筈はなかった。

 アーマゲドンクラブ南関東は、今回の行動に先駆けて、こう言った県南のワナビーにまめな声掛けをして、自分達の元へ集結させていた。

 およそ二十数名。男も女も、若者も老人もいたし、地元の大学サークルまるごとで来た者もいた。

 そして、彼らを導くのは、『スラッシャー』を含む総勢8名の『アーマゲドンクラブ南関東』だった。

 週末、佐久川に予定の参加者全員が揃った。

「これを皮膚から取り込んだゾンビは、痒みを経て『火傷』らしい痛みを感じる様になる。やがてその痛みは、目も口も開けられない程となる」

 『スラッシャー』は足元の乾いた岩にホースを向け、僅かに白い粉末をこぼして見せる。

「この粉がね、水に反応してガスが生成されます……元々は、僕の勤めてる化粧品会社の不良品から出た、刺激物の成分だったんですよ。これに提携していた外資の製薬会社が目を付け、防犯用・暴徒鎮圧用ガスを開発しようとした。そして、ガス化した成分が、生きた人間以上にゾンビに対して有効だという事を発見したのです」

 『スラッシャー』が話している最中に、防水スーツ姿の学生三人が恐る恐る洞穴から這い出て来た。

「あ、ご苦労様です。もっと手前付近だけで良かったんですよ……ちょっと『痛み』を感じさせるだけで良いんですから」

「あれ、このガスで撃退するんじゃないですか」

「違う違う。ゾンビが『痛み』を感じるって、危険な兆候だと思われてるんですよ――それが何かのガスのせいだとなった時点で、彼らは洞内に充満していると思い込み、ここから逃げ出そうとするでしょう――恐らくは、まずこのB洞穴から」

 言い終えた『スラッシャー』は耳を澄まし、隣にいた太った男に声をかけた。

「来ましたよ」

 男は自分の手にあるホースとノズルを構える。

 彼の背負っている銀色のボンベは二本一組で、薬品散布用のボンベとも明らかに違っていた。

 洞穴の奥から甲高い悲鳴が近付いた時、ノズルの先からちょろっとオレンジ色の光が噴き出した。

 『スラッシャー』が手でサインを送り、その場にいた者達が静かに洞穴から離れる。

 穴の中から這い出て来たフロートは数体。

「はい、放射」

 『スラッシャー』がそう言った直後、ノズルからの炎は数メートル以上の火柱となり、彼らを一瞬で包んだ。

 絶叫を上げ、火だるまになりながら穴の中へ戻ろうとするフロート達へ、男は執拗に追いかけて火炎を浴びせ続ける。

 彼らは燃えながら斜面を転げ落ちていき、そのまま動かなくなった。

「幸先いいですね」

 男は炎を停めると、朗らかに笑った。

 『スラッシャー』も笑顔で頷き返す。

 一部始終を見学していた学生達は、一様に凍り付いた表情であった。

 一人が顔を背け、もう一人は膝をついて嘔吐している。

「今の……女の人と……子供だったじゃないですか! いきなり焼き殺すって、ちょっと」

 青ざめた顔のまま、学生の一人が『スラッシャー』へ食ってかかる。

「子供? 女性? ……ゾンビですよ? 焼き殺す? ……死人どもですよ? 我々の戦う敵ですよ」

 学生の抗議こそ不可解だと言いたげに、首を傾げて穏やかに『スラッシャー』は答えた。

「別に我々に限りません。目の前に女がいようが子供がいようが、放射と号令があったらすかさず放射する。それが火炎放射器です。どこの国の軍でだってそうですよ。アメリカ軍でもそうです。イギリス軍でもフランス軍でもそうです。自衛隊でだってそうです」

「僕らは……軍じゃありません」

 緊張の解けない、少し震えた声で学生は更に反論する。

 だが、『スラッシャー』の様子に、感情の揺れは一切見られない。

「いやいや、軍ですよ。これは戦争なんですから。僕もあなたも生者の世界の境界線を守る、れっきとした軍人じゃありませんか。何度もそう言われていたと思いますが、違いますか?」

 優しく諭す様に言われて、学生も肩を落とし俯く。

 彼の言う通り、何度も『これは最終戦争だ』と言われ、自分達がそれを支持して来たのは事実だった。

「はい、放射」

 再び『スラッシャー』が指示を出し、一人で逃げて来たらしい子供――穴の外の彼らと、すぐ近くに転がる炭化した同胞を見て引き返そうとしている。

 その背中に火炎が追いついた。

「いやあ、震災ん時、こいつでテロリアのガキども一薙ぎに焼き払ったったの思い出します……あいつら全員逃げ帰ったんでしたっけ?」

 男は火炎の熱気と興奮で、顔をてらてら光らせながら少し大きめの声を上げた。

「落ち着いて下さい、大丈夫です。皆さん、実際のゾンビ退治を見たのは初めてじゃありませんか? 慣れていなければショッキングな事もありますが、何度も見て、自分でもやって行くうちに慣れるものです」

 沈黙したままの学生達に、『スラッシャー』はそう言って、優美な顔に微笑みを浮かべた。



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