189日目(1)
189日目(1)
『ご乗車ありがとうございました。織子山、織子山駅に到着です。車内にお忘れ物など――』
新幹線のグリーン車よりホームに降り立った40代前半の男性。
恰幅の良い体躯を高価そうなブランドスーツに包んだ彼の後に、数人の服装も年齢もバラバラな男達が続いて降車する。
平日の昼前、乗り降りする客もまばらなホームでその男、アーマゲドンクラブ会長、日出尊人はカメラを取り付けた生放送用のノートパソコンへ向かって話していた。
「はい織子山へ到着しました」
ホームの透明壁から見える駅前の光景を一瞥してから、彼はカメラに向き直る。
「結構栄えてますね……で、ほら、そこ」
日出の指差した先には、高層ビルの影から見える閉鎖されたショッピングセンターの屋上部分があった。
「ダイセーが入ってたんだけど2年前閉店して、そのままだって。あそこにも、多数潜んでいるらしいですね」
いかにもおぞましげに、瞬きを繰り返しながら声を潜めて日出は言う。
「危険ですから、今は近寄ったりとかしませんが」
『今日はどこ行くんだよ』『キャバクラだろ』と言った、画面を流れる罵声にこめかみを震わせながらも、表情だけは平静を装う。
「最後には浄化、しますよ。と、取りあえず一通り……ね」
その声は微妙に震えていた。
取り巻きの2、3人が不安げな顔を浮かべる。
日出達はエスカレーターを降り、新幹線改札をくぐる。
すると、更に数人の男女がドトールコーヒーの方向から彼らに近付いて来た。
「お疲れ様です」
「お待ちしておりました、会長。アーマゲドンクラブ向伏支部でお迎えいたします」
「おはようございます」
「車はぁ? 車、来てんの?」
口々に挨拶しながら頭を下げる出迎え達に、日出は尊大な、だがどこか落ち着きのない口調で尋ねる。
出迎えの先頭に立っていた、20代半ば位の男が答えた。
「あ、はいっ。西口前のロータリーにおいて、すぐ出せますっ」
甲高い声に子供っぽい顔。
襟足を伸ばした茶髪に染柄のTシャツを着たその男が、アーマゲドンクラブの新しい向伏支部長だった。
『頭が悪く、自分で何も考えられない』と陰口を叩かれる事も多かった彼だが、会長の意向をすぐ実行に移す忠実さと行動力では、アーマゲ幹部の中でも飛び抜けていた。
日出は鷹揚に頷くと、無言のままつかつかと歩き出した。
その後を取り巻き達がついて行き、更にその後を地元の出迎えグループがついて来るという大名行列。
「第一連隊はもう着いたの? こっちに連絡ないんだけど」
「ああ、第一連隊ですが、黒磯の辺りで対策部らしき車列にはっつかれたんで、高速降りてあの辺ウロウロしてるって報告がありました」
「何だよもう」
「まあゆっくりして行きましょう。第四連隊まで揃わなければ始まりませんから」
「そうそう。ホテルも例の地酒とステーキのコースのやつ、無事押さえてあります」
不機嫌そうに愚痴っていた日出も、後ろからそうなだめられると次第に表情を緩めて行く。
「うんうん。ホテルまでの経路もしっかりとお願いしますよ。市内にも多分ね、うるさいのがいっぱいいますから」
「はい、大丈夫です。あの、3回ほど車変えますけど……いいっすよね?」
「3回もか、ちょっと多いなあ、まあ仕方ないけど……あんまり長いと疲れちゃうからね、車の中でもさ」
「はあ、すんません。でも、用心のためっすから」
「用心と言えば……例の予防線はどうなの?」
「はいっ。河鍋組さんにはきちんと挨拶――」
「声大きいよ、バカチン」
「すんませんっ」
集団が駅を出ると、ロータリーの一般車乗車場に3台の車が一列になって、彼らを待っていた。
先頭の黒塗りの乗用車に、日出ともう一人が後ろへ乗る。
残りの取り巻きは二台目の白い乗用車に、出迎えの連中は最後尾の赤いワゴン車に、それぞれ分乗した。
ロータリーを出た三台の車は、列を保ったまま街中を二三周する。
『ダイセーショッピングセンター跡地』は大回りで避けつつ。
そのまま駅からの大通りに戻ると西へ進み、南北に伸びる県道との交差点で北へ曲がる。
その時、先頭の車だけが後ろを引き離して加速し、そのまま時速90キロ程で直進し続けた。
2キロばかり先で交差点を右折し、更に次の交差点を左折した時。
さっきまでの道より細めな4車線の路肩に、クリーム色の乗用車が停車していた。
車はその真後ろへ止まり、降りて来た日出ともう一人は前の車へと乗り換える。
クリーム色の車は走り出し、ビルもまばらになって来た地区を何度も曲がりながら、織子山市内を徐々に北上して行く。
途中の道で、また茶色の車が路肩に止まっていて、日出達は更にそれへと乗り換える。
家電販売店とショッピングモールの辺りで、南北に伸びる国道に入った時、そこで待機していたさっきまでの白い乗用車と赤いワゴンが、茶色の車の後ろに再びついて来た。
「そっか……まずいですね」
「ん、どうしたの?」
後ろと合流してから数分後、川を渡り、高速道路下の道から西へと進み始めた時。
助手席の女が電話を取って何やら短く会話した後、運転手へ耳打ちする。
運転手が低い声でぼそっと呟き、日出が耳ざとく尋ねた。
「いやあ、後ろからの連絡で、どうも対策部に捕捉されちゃったらしいです」
「ええ? 何だよもう。だから『しっかりやれ』って、あれ程言ったじゃない」
「このままだと、温泉に向かってるのもバレるでしょうね。温泉では部局の皆さんの出迎えを受ける事に」
「冗談じゃないよ、どうすんだよ」
「二台……あるいは三台が、かなり後ろですがついて来ているらしいです……申し訳ありませんが、もう一回乗り換えを行ないます。これで完全に撒ける筈ですので大丈夫です」
「ああ、しんどいなあ……ったく」
大声で面倒臭そうに愚痴る日出へ、運転手は淡々と答える。
助手席にいるポニーテールの女はさっきからずっと、そっぽを向いて押し黙っている。
電話と耳打ちの時以外、日出に顔も向けず、一言も喋っていなかった。
車は内側の車線に入ると加速し、後続の二台をみるみるうちに引き離して行った。
「おお、さっきのレクサスよりいい加速してるじゃない。いい感じにぶっちぎって……あ、ネズミ取りにも気をつけなさいよ」
「お任せ下さい。ここの道は慣れてますので」
予想外に心地よい乗り心地で、すっかり機嫌を良くした様子の日出。
運転手も朗らかな声で彼に答える。
「ん……? ああ、失礼します」
日出の機嫌が直ったのに安堵する暇もなく、ポケットの中から響くメロディ。
隣に控えていた男は慌てた様子でスマホを取り出し、通話を始めた。
「もしもし、どうしました……え? こちら? どこへ行くって……聞いてませんか? 対策部に尾行されてるから、もう一度撒いて見るって。ええ? 連絡ない? まいったな、じゃあ後ろに確認してみて下さいよ、はい、では」
彼は電話を切ると日出を一瞥する。
日出はご機嫌のまま、運転手に織子山の銘菓について色々と尋ねている。
彼は日出へ報告はせず、画面を見ながら次の着信を待つ。
着信表示が現れると同時に、彼は電話に出た。
「はい。え……? そんな事言ってないって? いやいや、そんな訳ないですよ、こちらにちゃんと電話が……はあ? 後ろで何度かけても繋がらない? こっちへ? いやいや、そんなに何度も電話なんて――」
男は弾かれた様に顔を上げる。
あのポニーテールの女、本当に後ろの車からの電話に出ていたのか?
本当は、どこと電話していた?
あの元ヤンっぽい向伏支部長は、本当にこの運転手へかけているのか?
本当に彼らが連絡取ろうとしている『用意した運転手』は今、どこでどうしているんだ?
こいつらは、本当は誰なんだ?
「あと、あの温泉のコンパニオンですけどねえ、ノーマルじゃなくてスーパーの方……おい、ちょっと」
報告しようかどうか躊躇うよりも先に、隣から焦りを含んだ声。
温泉の『表に出ないサービス』についても聞こうとしていた日出が、窓から後ろに流れて行った案内看板を凝視して声を張り上げたのだ。
「ここはもう友已御市の真ん中じゃないか。温泉街道へ入れる道、とっくに過ぎてるだろ……どこかで切り返すのかよ? ここからの道なんてない……」
運転手は答えない。
助手席の女も無言のまま窓の外を眺めている。
日出達の向かっていた滞在予定のホテルは、織子山市の北西にある温泉町だった。
車はそこへ行ける道全てを通り過ぎて、そこより更に数キロ北付近の国道を、向伏市方面へ真っすぐと進んでいる様子。
「日出さん、3号車から対策部がいるなんて話はしてないそうです。そして、向こうではこっちに電話が繋がらないと言ってます」
「え、何、それどういうことだよ……」
男がようやく日出へ告げると、彼は呆然とした様子で尋ねて来る。
「こいつら、偽者です。この車は向伏支部の用意した車じゃないんです」
「おいいっ! 止まれえええっ!」
男が最後まで言わない内に、日出は吠えて運転席へ身を乗り出していた。
「何なんだよアンタ! 誰だよ!? どこに向かってんだよこの車あっ!? 停まれよ、停まれよおっ」
「ちょっと、それマズイ。落ち着いて日出さん!」
半ば恐慌状態で、運転手の肩や腕へ掴みかかろうとする日出。
男が彼を押さえて、ようやく後部座席へ引き戻した時、運転手が口を開いた。
「大丈夫ですよ。アーマゲドンクラブ会長、日出尊人さん。乗り間違いでも何でもなく、この車はきちんと、あなたの行き先へと向かっています」
男の前のシートが急に倒れ込んで来た。
ヘッドレストに乗せたままの頭から覗き込む、一対の濁った赤い光。
男の右膝の上に女の右腕が投げ出す様に置かれた。
ギブスで固められたその腕はびくともせず、男の次の動作の殆どを封じている。
「貴様ら、生きた人間じゃない……ここのゾンビどもかよ!」
「お連れの方の仰る通り、今しばらくお静かに願います。貴方もこちら側までは来たくないでしょう」
振り返った運転席の曽根木の手には拳銃。
迷いなく銃口は日出の顔面に置かれていた。
「私だって、来ないでほしいですけどね」
倒したシートの上で、首も動かさずに後席の男を睨め付けていた津衣菜が、続けて言う。
織子山市の北に隣接する友已御市の、西の外れ。
日出達を乗せた茶色の車に4台ほどの車が追い付いて並び、高速インターのそばの路肩で一斉に停車した。
それらの車から降りて来た十人以上の男女。
全員がフロートで、その中には遥の姿もある。
後部座席のドアが開き、日出の付き人だけが降ろされる。その両手には、私人逮捕用のダブルリング手錠が嵌められていた。
彼らの他に通行人の姿も無く、大声で叫んだ所ですぐに誰かに聞こえる事はない。
彼は無抵抗のまま数人のフロートに囲まれ、別の車へと乗せられた。
日出の付き人の乗り換えを終えると、フロート達もそれぞれの車へ戻って行く。
彼を乗せた車ともう1台が、並んでその場から走り去る。
残り二台と日出を乗せたままの茶色の車は、その3、4分後に再び出発した。
「何だこりゃ……」
「俺の車が……これ、賠償してくれんのかよ」
「賠償って……ゾンビが?」
さんざん追突された果てに、電柱に激突させられたワゴン。
煽られた果てに、スリップして堤防下の河川公園に転落した乗用車。
比較的無事な車も凹みと傷だらけだった。
車から降りて呆然としているアーマゲドンクラブ向伏支部の幹部達と、中央から来た会長の取り巻き達は、闇の中にどれだけいるのか分からない死者達に囲まれていた。
彼らに正対する形で数人の死者達が姿を見せている。
その間で、昼間消息を絶った会長に同伴していた中央幹部が、手錠姿で立ちつくしていた。
「隠しときたいなら隠しとくのも結構だけど、会長命令で動く第一連隊から第四連隊には伝えときな――会長は捕まったって。無事で帰してほしければ大人しくしてろって」
顔の半分に死斑の様な痣が浮かんでいた女は、そう言った後、薄笑いを浮かべながら付け加えた。
「それと……会長ご自身も、あんたらの自重を強く希望しているってね」




