181日目(3)
181日目(3)
向伏市北西部の山中、酔座方面への道。
以前、純太達を見送った駅から1キロほど北にあたる。
人気のない山道で路肩にエルグランドを止め、降りて山林の中を歩くこと一時間。
草の生い茂った廃線跡に高地と津衣菜の二人が着くと、他の者達は既に来ていた。
先を歩いていた日香里と丸岡、その先に匠が率いる信梁班の少年3人ばかり。
「全員、揃いました」
日香里が振り返って二人を見ると、前へ向き直って声をかける。
「ここには、隧道と呼ばれるトンネルへの廃線が、何本もあります。落ち着いて通らないと、間違えるかもしれませんね」
ただでさえ暗い中、紛らわしい分岐まである廃線に戸惑う津衣菜へ、下調べして来たらしい日香里が解説する。
「廃線がここばっかり幾つもあるんだ? 何でそんな事になってんの」
「明治時代から昭和30年代まで、何度も敷設と廃棄を繰り返していたみたいです」
数十メートルも進むと、前方に朽ちかけたホームと駅舎がぼんやりと見えて来た。
比較的新しい――と言っても20年以上放置されていたっぽい――ペンキの剥げた木とトタンの駅舎を、フロート達は窓から覗き込む。
扉のない入口から足を踏み入れると、床面は落ち葉と、壁や天井板の破片で埋め尽くされていた。
中に転がっていたソファーやテーブルも、形だけは残っていたが、殆どが触れただけでボロボロに崩れてしまった。
その中で、ソファーが一台だけあまり崩れないで、使えそうな感じがする。
「掃除は必要ですよね」
「いいんじゃない? どうせあいつ入れとく場所でしょう?」
「あんまりひどい待遇も考えもんだ。こっちゃあ交渉だっつうのに、奴ぁ発狂して、何言い出すか分かんねぞい」
「それと、蚊が多い。生者には堪えるかもな」
「フロートだって安心出来ねえぞ。蝿もかなり飛んでやがる」
「いずれにせよ、虫除けはきちんと考えた方が良いですね」
廃駅とホームから更に進むと、二百メートル先に煉瓦造りのトンネルがあった。
入り口をくぐった津衣菜達は、周りをLEDライトで照らしながら、数メートルだけ奥へ進む。
全部を見るつもりはないらしく、そこで立ち止まると、ライトだけ奥に向けながら小声で会話を交わしていた。
「豚料理は駅舎で、お客はこちらで接客って感じか」
「じゃあよう、旧橋で降ろしてよ、トンネル向こうからこっちゃ来てもらうかお」
「来ればの話だけどな……ちゃんと来んのかよ」
「何、会長を助けにすら来ねえ程ボロボロなの? 今のアーマゲって」
「こないだの会長の生放送見たかよ? ガタガタだったぜ」
丸岡、匠と高地の会話に、津衣菜は思い出した様に口を挟んだ。
「日出会長は例の『公園事件』を何度も持ち出しては。『我々の活動が世間一般に認められて来た、その成果だ』と言ってるけど、内輪の反応は何か薄くなってるね」
「おお、珍しいな。おめえがきちんとチェックしてるなんてよ」
「うるさい……むしろ、こういう所で自分達が特別な存在になれなくなって来ているからって、盛り下がっているみたい」
「それと、地元のワナビー連中も、結構きついらしいよ。アーマゲにいくら煽られても、去年みたいなノリにはなれねえみたいだ」
匠が、津衣菜だけでなく丸岡や高地にも聞かせる様に、現状をまとめて説明する。
去年冬に『くがやんズ』から分裂した『光陰部隊』は深刻な予算不足に陥り、メンバーの行動も押さえられている。
彼らは金銭面や、その他の面でも但馬の親に後ろ盾になってもらっている所が多くあった。
しかし今、彼らも当事者となった『西高訴訟』の影響で、それどころじゃなくなっている。
当然、但馬も今はフロート狩りの現場に来ていない。
冬にも春先にも重傷を負わされた上、裁判に不利となるリスクも高いのもあり、はっきりとフロート狩りへの参加も禁止され、ボウガンや刃物も没収されたのだという。
更に、『光陰部隊』そのものが、但馬の親より直々に自重を求められてしまった。
更に、それとは別に『くがやんズ』参加チームの一つが突然解散を発表したという。
一昨日の夕方の事で、津衣菜と日香里だけでなく、高地も丸岡も今初めて聞いた話だった。
「リーダーが、彼女が出来たのを理由に引退したんだってよ」
「……は?」
解散理由についての匠のその説明に、思わず聞き返したのは津衣菜一人だけだった。
高地も丸岡も、予想がついていたみたいに平然と聞いている。
日香里も僅かに顔を曇らせたぐらいで、驚いてはいなかった。
「それ以外でも、地元のチーム全部で若手のメンバーが続々と辞めて行ってるみたいなんだ。どうやら……飽きられたらしい」
大所帯の『くがやんズ』や顔見知りで結束した『光陰部隊』はともかく、『アルティメットフォース』も『バスターズ』も、今では殆どが30~40代の中年ばかりになっているという。
高地は鼻を鳴らして嗤っただけだったが、丸岡や日香里は笑いさえ見せていない。
「何はともあれ、あいつらが弱ってショボくなったんでしょ? いいこと……ではないの?」
津衣菜は少し周囲の反応を怪訝に感じて、日香里に尋ねてみる。
日香里は微かに苦笑を見せながら答えた。
「そんな動機の人達に、私達は虐殺され、脅かされ続けて来たというのが……いえ、ある程度は予想出来ていましたけど」
「でも、それも終わるんでしょ? あいつらの時代は終わるんでしょ」
「めでてえのかあ? それってめでてえ事なのかよお?」
一際大きい声で丸岡が割り込んで来た。
丸岡の声はトンネル内にワンワン反響し、少し前に出ていた少年達も一斉に後ろを振り返る。
高地は舌打ちしながら、丸岡を睨みつけた。
「じじい、うっせえ」
「相変わらず、おめーは鈍いんだなあ、そういうことは。奴らが盛り下がった原因が分かるのに、それが分かんねえのか」
高地を無視しながら丸岡は、まだ少し響く声で津衣菜を小馬鹿にし続ける。
「だから何が問題なのよ?」
「フロート狩りが『裏の娯楽』だった時代が終われば、その次が来ます」
津衣菜の聞き返す声に答えたのは、日香里だった。
「普通の人が、日常生活の延長線上で、近所のフロートを狩る。法律も行政も、今度はそれを後押しする。次に来るのは、そういう時代ですね」
「このアホはともかく、俺らにしても分かり切った事だ。これ以上、あんま言ってもしょうがねえぞ」
高地がそう言うと、踵を返し、匠や少年達と共に出口へ向かって歩き始めた。
「俺達はな、その時代のお先棒を担いでんだぜ。『今、奴らを撃退する』って言うのは、つまりはそういう事だ」
「じゃあ、何もしない方がいいのか?」
高地の背後から、津衣菜が問いを投げつける。
高地は足を止めず、トンネル出口をくぐる。
「ほーら、グダグダ言ってると、アホがこういう勘違いするからよ」
「私達が何もせず、ここで痛い目見せなくとも、あいつらは自然に消えるのか? 形を変えて、残るんじゃないのか?」
「叩いたって、残るだろうが。あのな、こいつはいい方向にする為の行動じゃねえ。これ以上悪い方向にしない為の行動なんだ」
高地は、面倒くさそうな声だが、珍しいくらい丁寧に津衣菜へ語った。
フロート達は駅舎とホーム前まで戻って来ていた。
「今のうちに出来る限り奴らの力を削いで、もうこの辺まで手を伸ばせない様にしてやる。その一点だけなんだよ、『奴らをやっつける』意味なんて」
「何人くらい来るっすかね」
「まだ分かんねえな……一斉に来るのか、順番に来るのかも、まだ確定はねえ」
信梁班の少年達は喋りながらも、スマホで駅舎内や線路の周辺を撮影して回っている。
計画書を作るのに、出来るだけ様々な角度の現場写真が必要だった。
『アーマゲドンクラブ』の『東征』には、会長派の各支部――関東甲信越・京阪神・山陽――が、各地のワナビー団体の中から選抜を連れて来る筈だった。
そして中部、紀伊、九州は、今回の『東征』に呼ばれていなかった。
北海道、四国、沖縄。それらの地域にはアーマゲドンクラブの支部がない。
そもそもフロートが出現していなかったからだ。
山陰にも彼らはいない。こちらには、生きた人間が殆どいなかった。
アーマゲドンクラブ会長・日出尊人は自分のネット番組で、この時とばかりに『フロートを始末して来た自分達の存在価値』をアピールして回っていた。
だが、そんな背景にも関わらず彼らは、末期レベルの危機的状況にあった。
会長の『自分の知名度や集金が大事』というのが露骨な姿勢に、北九州以外でも、組織内の離反者や告発者が多数現れている。
そして北九州支部は、殆ど『同じ組織名を名乗っているだけの、対立勢力』と化していた。
「信梁班からお前ら、そして戸塚山班からお前らと花紀、鏡子」
高地はそう言いながら匠達と、津衣菜と日香里を見回す。
「織子山からこっちへ来るのはお前らだけだ」
「おう、俺ァまだ大筋聞いてねえんだ。姉ちゃんから聞いた事、おめえらで言ってみろ」
何も聞いていないという丸岡の言葉が本当かどうかは分からなかったが、津衣菜と日香里、匠の三人がそれぞれ自分の聞いた概要を、照らし合わせながら他の者たちに伝えて行く。
「アーマゲ会長は間違いなく、まず織子山に入る」
「会長を織子山で捕まえて、車を乗り継いで、ここへ連れて行く」
「そして、会長にくっついて来た連中は、織子山に足止めしたままでお灸据える」
「その後、3名、多くても4名以内をここへご招待し、こっちでもさんざん脅してから交渉に入る」
「基本的に、会長へは身体的危害を加えない。抵抗の度合いにもよるが無傷を心がける」
三人の情報に食い違いはなかった。
「おお、俺が聞きかじった事とも、違ってる部分はねえ」
高地は一通り聞いた後で、しれっとそうコメントした。
「会長にくっついて来た奴らはっつうがよ、それ以外の野郎らは、止めらんねえな、これじゃ」
「会長なんてどうでもいいからゾンビを殺せって奴も、来るだろな」
「それはそれって、遥は言ってた」
津衣菜がそう答えると、丸岡と高地も頷く。
「だろうな」
「予備のロープをもっと増やして下さい。乾燥剤と衣類や布のストックも、この書類の倍ほしいです。子供達とサポートが、長ければ半月以上そこで過ごすという事を、念頭に」
「はい」
「あと、アンプルとケースはこんなにこっちへ置く必要はありません。6割程度に抑え、ワイヤー運搬を使う様にして下さい」
「……」
「はい、雪子さん。『1号』は第3バレーにて隔離継続。架橋撤去済み。他フロートとの接触の危険はありません」
「……」
「子供達はA班が第2バレー、B班が第6バレー、C班が第7バレ―に移動予定。現在は達成率30%、完了予定は明後日です……アーマゲドンクラブ神奈川の到着ではなく、彼らの出発情報が入った時点で、全バレーの架橋を撤去します」
「あの、美也さん、『4号』の到着予定はいつになりますか? 明後日とは聞いていましたが」
「明日夜の可能性もあります……あと、その符牒、また使いますか?」
「え? ええ……」
「私達の仲間です。そろそろ『梨乃さん』と普通の呼び名に戻したいのですが」
「ええと……」
「まあ……いいです」
複数あった鍾乳洞出入口の一つで、美也は岩陰にトランシーバーとスマホを置き、キャンパスノートを広げている。
彼女は洞内と外の通信を繋ぎながら、準備作業に追われていた。
子供達を洞内の奥深く、板を架けないと入れない谷間の場所に避難させ、『決戦』の期間中そこで隠れていてもらう事にしていた。
万が一、『自分達が負けた場合』――誰かが救助に来るまでもっと長く――あるいは、ずっとそうしている事も想定して。
もう一人の滞在者『1号』――元フロート狩りのフロートも、単独で洞内の谷の向こうに隔離し続けている。
かつての仲間であるアーマゲドン神奈川支部の来訪を聞いて、彼は自ら隔離を希望して来た。
もし自分を見て、連中が助けたりしないどころか何をするか、彼にも十分分かっていた。
勿論、梨乃がここへ来る事は、美也達は彼に教えていない。
作業が一段落した所で、美也は休憩がてらスマホでニュースサイトを開いた。
暇さえあれば、彼女は最近爆発的に増え始めた『フロート関連のニュース』を目で追っていた。
一番多かったのは、例の『公園事件』関連のニュースで、次が対策部の省庁化をめぐる議論、次がまだ漠然としか語られていない『変異体関連法案』の内容についてのものだった。
新しい『フロートの為の法律』は、美也には、今よりも悪くなりそうにしか思えなかった。
『公園事件』の報道や世論が、それを裏付けている。
『現実』を声高に叫びながら、その実何一つ現実を見ていない、自分が変わらない事を前提にしか想像できない貧困な人間達。
端の方から膿んで腐れ落ちて行く社会の姿、こぼれ落ちて行く人々、世界の崩壊が見えない、見えていても別のものに置き換えてしまう死の国の生者達。
彼女にとってこれらの変化は、『相変わらずな』生者の世界が、新しい死者の世界を浸食しようとしている現象にしか見えなかった。
私達は、もう、こんな生者の世界とは出来るだけ関わらずに進んで行くべきだ。
それが、美也の隠す事ない本音の希望だった。
発現による以外の腐敗を気にせず、最低限のアンプルで維持できる、暗く冷たい環境だって私達は手に入れたのだ。
このままこの安住の場所で、ついえて行ければ、私達は幸せではないのか。
本当に?
本当に、それが私達にとっていいことかな? 子供達に……いいや、おとなだって。
本当に私はそうしたかったのかな?
お父さん、お母さん、しいくん、私、これで良かったのかな?
そっちはどうですか?
『本当にそれでいいのか』
美也自身が、自分の確信や希望に対して、引き裂かれそうな程に迷っていた。




