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フローティア  作者: ゆらぎからす
プロローグ
1/150

0になるはずだった日

 0になるはずだった日



 階段を二段飛びする感じで、踏み出した。

 数十メートル下の地面が、高速のリールで巻き上げられたみたいに迫って来る。

 それで――――――終わり。

 何もなかった。

 痛みと衝撃とかもない。

 どこかで『ドン』とか『ぐちゃ』とかいう音を聞いたりする、なんて事もなかった。

 満足も後悔もなく、何の感情も、それまでの記憶もなく。

『何もない』と認識する自分自身が、そもそもなかった。


 駅前のビルが並ぶ狭い裏道。

 市内の高校の制服を着た女子生徒が、街灯に照らされてうつ伏せに倒れているだけ。

 昼間でも人通りの少ないその辺りには、彼女を目撃する事になる者の姿もない。

 テナントビルの外付けされた非常階段、最上階の踊り場から、森津衣菜(もりついな)はアスファルトの路面へと真っ逆さまに落下し、全身を叩き付けていた。

 即死だった。



 彼女が『起きた』のは、そのおよそ150秒後だった。



 最初に彼女が思ったのは、『面倒な事になった』

 自分に何が起こったのか全く分からなかったが、『思った通りに死んでいない』事だけは理解出来た。

 全身の感覚がない。目も見えない。

 音はやけにはっきりと聞こえていた。

 どういう訳か、皮膚が「空気の流れ」を感じていた。

 痛みも熱も感じないにもかかわらず。

 意識を集中すると、何も感じないまま手足は勝手に動いた。

 膝をついた姿勢から、バネ仕掛けの様に上半身が跳ね上がる。

 再び前に倒れそうになった身体を、左手が支えた。

 首と右腕が重力に逆らわず、ぐにゃりと崩れて垂れ下がってしまう。

 半開きの瞼、瞳孔が広がったままの瞳に光が宿った。

 どこかが死ぬ前と違う色の光。視界が像を結ぶ。

 目に映った世界の上下は逆さまで、それ以外にもどこか違和感があった。

 喉が鳴って声が漏れる。

『まいったな』と呟こうとしたが、口の筋肉は思った様に動かない。


「お……ああ……あうああ…………」


 それは、奇妙な声音の呻き声になった。

 地面に触れている膝や左手に、感覚が戻って来る。

 しかし、これも生きている人間の触覚や痛覚とは、どこかが違う。

 さっきから伝わって来る、『空気の流れ』と近い種類の情報に感じられた。

 そして、熱さも冷たさもない。

 連日の雨で肌寒かった筈なのに、その寒さは彼女に戻っては来なかった。

 引きずる音を立てながら、津衣菜は左手と膝だけで前へと這い進んだ。

 道沿いのビルの手前、金網のフェンスまで辿り着くと柵へ手をかける。

 柵にもたれながら、時間を掛けて彼女は立ち上がった。

 背中ではなくうつ伏せにもたれているのだから、まだ傍目に不自然な姿勢だった。

 それでも、倒れたり這いずったりしているよりは目立たない。

 空いた左手を垂れ下がった自分の頭へ伸ばすと、それを持ち上げて首の元あった所へ戻す。

 折れた頸椎に首がうまく座る事はなく、そのまま持っていなければならない事を悟った。


(何だっての、もう面倒臭い)

「ああー……ああ……ああああ」


 忌々しげに、うんざりした様に毒づくが、口からはやはり呂律の回らない呻きしか出ない。

 頭を支えながら、津衣菜はようやくここがどこなのかを考えた。

 天国でも地獄でもなければ、それ以外の『この世じゃない世界』とやらでもない。

 見覚えのある駅前の裏道。周りに人の姿がないが、それはこの時間この辺りでは普通の事だ。

 国道や駅前のロータリーを行き交う、車の音が微かに聞こえる。

 次に自分がどうなっているのかを確かめる。

 あちこち折れた身体をぶら下げ、引きずって歩いている。

『肉体を離れ、魂だけの何かになった』という訳でもない。

 脈拍がなく呼吸がないのは確認済みだった。

 つまり、きちんと死んでいる。

 にもかかわらず彼女は身体を動かし、ものを見て聞いている。

 そして何かを思ったり考えている。

 断ち切られた筈の時間が流れている。

「…………」

 舌打ちはせず、奥歯を強く噛みしめるだけにしておいた。

 この先どうするかを考えなければならない。

 取りあえず、いつまでもこんな明るい所に、このまま留まっている訳にはいかない。

 真夜中のこの場所だって、絶対に人が通らないとは限らないのだから。

 フェンスにもたれたまま、津衣菜は一歩足を前へ踏み出した。

「あー……ああ……ぐ…」

 おぼつかない歩みを進める度に、声が漏れる。

 痛覚はないのに、得体の知れぬ不快感が込み上げる。

 デッドマン・ウォーキング。どこかで聞きかじった単語。

 男じゃない、ならばデッドガール・ウォーキングだろうか。

 そんなどうでもいい感じの疑問を意識に浮かべたら、幾分吐き気が和らいだ。

 ビルの角の先に、街灯の光の届かない闇が広がっていた。

 津衣菜は、次第に寄りかかる身体と左手を壁から離す。

 よろよろと二足歩行を取りながら、彼女は暗がりへと消えて行った。






copyright ゆらぎからすin 小説家になろう

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無断複写・転載を禁止します。


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