一
「カムライには勿体ないほど見事な姫君だな」
しかし、謁見の挨拶を終えたカリバネ王は、側近のウガヤの前でため息をついた。
おそらく初めて心を寄せる女性にめぐり合ったというのに、息子が不憫な気がした。
話から察する女性とは、ユキア姫は正反対に思える。
顔の傷を覆面で隠し、男の子のような身なりで剣を振るい、馬で駆け巡り、ドスの利いた声で話す娘とは、あまりに違いすぎる。
「陛下、今この時期に、カムライ殿下を廃太子にすることは出来ません。それに、恐れながら四人の王子様の中で、コクウの皇太子には最適人であることも確かです」
王は、もう一度ため息をついた。
「カムライの様子はどうだ」
「逃げ出さないように、部屋に閉じ込めて見張っております。式典まで、目を離さぬよう厳しく命じてありますから、ご安心ください。会わせてしまえば何とかできるでしょう」
「どうかな、そうだといいが」
カリバネは、今は亡き最愛の人、カムライの母親を思い出し、二人の子がそうなって欲しくないようにも思えて、珍しくうろたえた。
「マサゴからは商業組合長が到着しました。まもなく挨拶に罷り越します。昨日モクドから来た巫女の長は、迎賓館ではなくメギド公のお屋敷に入られました。公が、高名な巫女殿と親交を深めたいと仰いまして、持っていかれてしまいました」
カリバネは、 片眉を上げた。
「あの強力なまじない師の巫女殿をか。軍師のおまえからすれば、まじないは戯言にしか思えんのだろうな」
涼しげな顔で報告しているウガヤに向かって、渋面をつくる。
「いいえ、人には心というものがありますから、心理的効果は絶大です。我が軍が何度もしてやられたのは 確かですよ」
しかし、ウガヤは相変わらず涼しげな顔で、にっこりと笑う。
その顔を見ながら、カリバネは 思い出した。
ウガヤが来たのは、最初の妻が亡くなった後だった。
知らないのだろう。彼女がモクドの巫女だったことを……。
カムライは確かに強いが、それだけではない。
戦いの中で、吃驚するほどの鋭い勘を閃かせた。
あれは、妻の血だ。
「巫女殿、おくつろぎいただいていますかな。ご高名は聞いておりますぞ」
メギド公は、巫女イマナジの滞在する部屋に入ると、 言っている言葉にそぐわない尊大な態度で話しかけた。
イマナジは、丁寧に滞在の礼を述べる。
見た目には、ただの気のいい老女にしか見えない。
巫女の長といってもこの程度かと思うと、メギドの応対も、ついぞんざいな扱いになる。
「いや、せっかくわしの屋敷におるので、一つ、占いでもしてもらおうかと思うての」
どかりと腰を下ろして、イマナジを品定めするように眺めた。
「残念ながら占いはしていません。やっても当たりませんので」
「いや、謙遜は結構。今目論んでおる壮大な計画が、うまくいくかどうか占ってくれ」
「ほう、どんな計画ですか」
「それは秘密じゃ。うまくいくかどうかだけ占ってくれたらよい」
聞くまでは帰りそうも無い様子に、諦めたのか、
「分かりました」
と言い、そのまま無言の時が流れ、ややあって、おもむろに口を開いた。
「目的のものは守られています。 ……鮮やかな色の……石、その石がある限り手が出せないでしょう」
「なんだと! 石とはなんじゃ。鮮やかな色とは何色じゃ」
気色ばんで詰め寄ったメギドに、イマナジは薄く笑って、一拍の後答えた。
「緑色に輝く、美しい宝玉」
メギドは礼も言わずに、ぶつぶつと独り言を呟きながら帰っていく。
「……宝玉か ……それなら ……ありそうだな ……念のために確かめねば」
メギドがいなくなると、イマナジは笑い出した。
占いは、やっても当たらないと言った。
未来は、変えられる。
努力、根性、希望、情熱、祈り、いろいろなことで変わっていく。
運命もまた然り。
「なんとも、がさつなお方よのう」
祝賀式典は、大広間において厳粛な雰囲気で始まった。
宮廷の主だった臣下はもちろん、国のさまざまな要職にある人々が招待され、 いっぱいに埋め尽くされている。
その中で一際華やかに目を引いているのは、来賓席のユキアだ。
一見何気なく見える衣装は、山繭の糸から織られた絹。
ごく淡い黄緑色の深い光沢を放って、気品ある華やかさを振りまいていた。
髪も若い姫君らしく豪華に結い上げられ、胸には翠玉の「妖精王の瞳」が輝いている。
「徹底的に目立たない地味なお姫さま」を目指していたとは、到底誰も思うまい。
仕度をしているとき、メドリも驚いたほどだ。
『この翠玉の首飾り、初めてお付けになった時よりも、さらにお美しく見えますね。ユキア様のために誂えたかのようですわ』
例によって、こっそり赤瑪瑙も帯に絡めて、見えないように挟んであった。
もう すっかり馴染んで、持っているだけで安心するようになっている。
大勢の人々で あふれかえる広間で、一番目立っているのは、間違いなくユキアだった。
広間のざわめきは、そのほとんどがユキアに対しての賛辞だった。
その中にまぎれた、一つの 呟き。
「……翠の宝玉……」
そしてただ一人、 一身に注目を集め続ける姫君に、最初から最後まで目を向けようともしない人物がいた。
カムライ皇太子だった。
式典が終わって、夕方からは晩餐会が催された。
カムライの隣はユキア、正面にはイマナジが、その隣にはメギド公の席になっていた。
ユキアは、髪をおとなしい感じに 結い直している。
メギド公は何かと周りに話しかけ、がさつな話題を振りまいていた。
容貌は悪くないのに、会話の下手さ加減が、いっそ 気の毒な気がする。
「姫の首飾りは見事ですな。翠玉ですかな、さぞや高価なんじゃろうなあ」
「妹が誕生日にくれた贈り物です。『妖精王の瞳』という名前がついています」
発声練習の成果で、透き通るような声で柔らかに答えるユキアに、イマナジの目が、ほんのわずかに見開いた。
気づかないメギド公は、かまわず後を続ける。
「一番大事にしているのじゃろ」
「いいえ、一番ではありませんが、大切にしています」
言いながら、帯に手を当てた。一番はそこにある。
「ほう、やはり緑色の宝玉ですかな」
「……いいえ、緑ではありません……」
妙な聞き方をする。
緑色がどうしたのだろうと訝しんだ。
もしもこのとき、『一番はどんな石ですか』
と聞いていたなら、話の展開が多少は変わっていただろうか。
質問が、がさつに過ぎた。
カムライは、晩餐会の間も、やはりユキアを見ようとはしなかった。
視線を向けることがあるのは、男たちとモクドの老女のみ。
少しでも若い女は完全に無視している。
ユキアは、その様子を面白がっていた。
始めて出会った時は、身を挺して襲撃者から庇ってくれた凄腕の剣士。
二度目に会った時は、おおらかな やんちゃ坊主。
そして今日は、謹厳実直、女なんかには目もくれません、といわんばかりの冷たい顔で取り澄ましている。
全く何をしているのやら、飽きない。
冷たい横顔を見ながら、ユキアは思わずくすりと笑ってしまった。
宴も終盤に差し掛かり、もうすぐこの場から開放されると思っていたカムライは、やっと少し気を緩め、あれこれ考え始めた。
城からはいつでも抜け出せる。
あんな見張りなど振り切るのは簡単だ。
ホジロに手紙が届いていれば、そろそろ城下に現れてもいい頃だ。
(ユンに逢いたい)
マホロバの姫には正直に謝ろう。分かってもらえるまでお願いしよう。
そのとき、隣から、こらえていたのが我慢できなくなったような、 くすりと笑う声が聞こえた。
油断していたカムライは、うっかり声のしたほうを見てしまった。
二人の視線が出会い、時が止まった。
楽しそうに笑うユキアの、花が咲いたような笑顔に、周囲の目が集まり、ため息が出る。
カムライは、表情を変えないようにするのが精一杯だった。
動転していた。
(なんだこれは! また運命を感じてしまった。わたしの運命は浮気者なのか! 名前の『ユ』しか、同じところが無いじゃないか。嘘だろ、ありえな~い)
カムライの苦悩の始まりだった。
迎賓館に戻り、部屋に二人きりになるのを待っていたように、メドリが猛然とかみつきはじめた。
「カムライ殿下って、あんな方だったのですか。心配で物陰から様子を伺っていたのですが、 式典の間も、晩餐会でも、ひんやりと冷たいお顔で終始なさって、ユキア様を御覧になったのは、たった一度きり。後は、ずうっと素っ気ない態度で ほったらかしでした。こんなことを言ってはなんですが、セセナ様だったら、あの場で泣き崩れていらしたかもしれません。ユキア様、大丈夫ですか」
「よくわからないけれど、政略結婚なんて、こんなものじゃないのかしら。でも、少なくとも 嫌いじゃないわ。あら、結構好きかも……」
「でしたら、よろしいのですけど」
「メドリ、悪いけどちょっと付き合ってくれる?」
ユキアは、ユンになるため、着替えを始めた。
夜も遅いがまだ大丈夫だろう。
調査団の連中は、仕事をしているはずだ。
大部分はマサゴとモクドに渡ったが、コクウ担当の者達が残っている。
「調査団の人たちに差し入れをしたいの。みんな頑張っていると思うから」
「かしこまりました」
メドリも身軽な形に着替えると、剣と覆面を渡し、自分も目立たぬように小刀を携えた。
迎賓館は城に近い。用心して、こっそりと抜け出した。