二
タヅムラが、コクウ側に調査団の名簿を渡したところ、居合わせたカムライ王子がホジロの名を見つけて、
『このホジロというのは、丘の上の屋敷に住んでいる ぼうっとした男か』
と聞いてきたという。
たぶんその男だと答えると、嬉しそうにしたらしい。
それを聞いたユキアとホジロの二人は、顔を見合わせた。
「ほんのちょっとしたご縁で、そうだ、ご挨拶に行きたいけど、どうしたらお会いできますかね」
ホジロが言った ちょうどその時、
「ごめん、おーい、誰かいないのか」
宿の入り口から大声がした。
三人が何事かと顔を出すと、カムライだった。
「ホジロ、やっぱりそうだ。あっ! 助手一名ってユンのことだったのか」
「良かった、すっかり元気になったみたいだね。心配してたんだ」
「殿下に何と言う口の聞き方を……」
ホジロの言い様に、タヅムラが慌てる。
「いやあ、いいのだ。この二人は、私の命の恩人だから。また会えて嬉しい、わはっはっはっは……」
(その顔で高笑いするんじゃない! どこが谷間の百合なのよ)
ユキアは、誤解に満ちたセセナの印象を思って、少しばかり不安になった。
「ユン! 会えて嬉しい。抱きしめても良いか」
「駄目です」
「僕ならいいですよ、抱きしめてくれても」
「いや、いい。いらない」
断られたホジロは、差し伸べた腕の行き場をなくして、ぶらぶらと振り回した。
カムライは、いいことを思いついたという風に、ぱっと顔を輝かせる。
「そうだ! 二人を私が案内しよう。ホジロは馬に乗れるか」
「いえ、全然」
「ユンは私が乗せるとして、ホジロを一緒に乗せる者を捜さなくてはな」
「わたし、馬には乗れます。殿下がホジロを乗せてください」
「どの程度?」
「かなりの馬好きです。馬は余計なことを言いませんから」
「しょうがないか。じゃあ、明日の朝迎えに来る」
カムライが元気に帰って行くと、タヅムラが不思議そうに聞いてきた。
「コクウの皇太子の命を何処で救ったのだ? 何時、どうやって」
「そ、それは、極秘事項ということで……秘密です」
仕方なく出て行きながらも、首を捻るタヅムラの人生にとって、長く深い謎として残ることになった。
「さあて、これでわたしは、いつでも帰れるわ。セセナには、ホジロから手紙が来たことにするからね、よろしく」
ユキアが、にっこりと笑った。
翌日、ユキアとホジロは、朝早くから押しかけてきたカムライに引っ張り出された。
三人を乗せた二頭の馬は、北へ向かって駆けた。
早朝から休むことなく駆け続け、日が中天に懸かる頃、目的地に着いた。
一見のどかにも見えたそれは、砦の跡だった。
近付いて見れば、武器が当たって付いたのだろう多くの傷があり、折れて刺さったまま残る矢もある。
焼け焦げた跡、不器用な修理の跡、戦場の様が今なお窺い知れる荒れた建物だった。
馬から下ろされたホジロは、ばったりと倒れこんだ。
息が上がっている。
「もう、駄目です。休憩しましょう」
二人が、川辺で馬に水を飲ませ、草地に繋いで戻ってきても、まだ起き上がれない。
「昼飯にしよう。あ、あそこがいいかな」
「いったい、ここは何処なんだ」
青息吐息で引きずられていくホジロが聞いた。
「川の向こうは、マサゴ王国だ」
元は辺鄙なただの田舎だったが、マサゴが、攻める為に軍を通す道を開き、コクウが、迎え撃つ為に砦を建てた。
ここに大きな橋を架ければ、両国を行き来する交通の要所になれるはずだ。
「いい考えだと思うのだが、どうだろう。我が王都から一番近い国境だ」
カムライは、三人分の昼食をしっかり用意していた。
男たちが食事を取りながら話し始めると、ユキアは自分の分を持って、その場を離れた。
砦の陰に向かって行く。
「あれ? 何処に行くの」
「顔を見られたくないんだよ。放っといてあげて」
「何故だ」
タヅムラにしたのと同じ言い訳をしてみる。
「そんなことは気にしなくていいのに」
この反応からすると、やっぱり、あの時も顔を見てはいないようだ。
ホシロはほっとした。
マホロバの姫君だとばれると、ややこしくなりそうだ。
すでにややこしくなっている気がするのは、気がつかないことにする。
追いかけようと立ち上がりかけたカムライを止めて、ホジロは聞いてみた。
「随分ユンが気に入ってるんだね、顔も知らないのに」
「おお、もちろん大好きだ。理由は聞くな。自分でも分からん。でも、運命を感じるのだ。生まれる前から 魂が知っていたような、そんな感じだ。ま、まさか、ホジロはユンと仲良しなのか」
「うん、だって僕の助手だよ。今回だけの臨時だけどね」
「恋人ではなかろうな!」
「違うけど……」
あからさまにほっとしているカムライを眺めながら、聞こえないように呟く。
「運命か……、ちょっとずれてるところが、問題だよなあ」
◇ ◇ ◇
イヒカは砦に潜り込んだ。
村長から、危険だから入るなと釘を刺されていたが、知ったことではない。
腹が減っていた。
両親は戦で死んだ。
村長は悪い奴ではない。
親を亡くした孤児たちに、一日一回わずかな量だが食べ物をくれた。
だが、九歳の少年、イヒカの身体には到底足りない。
今は腹を満たすことしか念頭に無いが、本人の意識していないところで不安も渦巻いていた。
一人ぽっち。
無茶を承知で、いや 、無茶だからこそ、危険な場所に飛び込んででも、飢えを満たせるものが無いか探す。
鉄くずでも布切れでも、たべものと交換できるものが見つかれば御の字だ。
何度か火を掛けられた砦の焦げ跡は、板を打ち付けられて塞がれてはいたが、戦が終わると人気の無いまま打ち捨てられ、風雨に晒されて傷みがきていた。
うっかりすると、踏み抜いて怪我をする。
だが、するかもしれない怪我よりも、毎日確実に苛まれる空腹のほうが怖かった。
イヒカはかまわず突き進み、まだ入ったことの無い場所を目指す。
役に立ちそうも無いガラクタを漁っていると、鈍く光る小さな物が目に付いた。
潜り込んで 、手を伸ばして拾う。
「ちぇっ、石ころか」
捨てようとしたが、半透明に光る茶色の石がきれいで気に入った。
何気なく懐に仕舞う。
立ち上がろうとしかけた時、壊れかけた箱が積んである陰に、厳重な閂が掛けられてある扉が見えた。
近づいて重そうな閂に手をかけると、滑らかに動く。
最近誰か開けたのだろうが、イヒカは、あれっと思っただけで、そこまでは気づかない。
中を覗いて驚いた。
「誰だ! 出て来い!」
突然背後から響いた声に、イヒカには、出て行かない分別が残っていた。
すばしこさを武器に、狭いところをすり抜けて出口へ急ぐ。
屈強な男が二人、恐ろしい顔で追ってきた。
危ないところを何度かかわし、外にまろび出る。
一目散に走って逃げようとするが、男たちの足も速い。
前方に、覆面の人物が立ち上がるのが見えた。
一か八かで走り寄る。
「助けて!」