一
コクウからの提案を受けて、マホロバも動き出した。
さまざまな資料が飛び交い、会議が重ねられ、やがて両国の間に書簡がやり取りされるようになった。
効果的な技術援助を図る為、具体案は、専門家や学者の現地調査をしてから相談するということになり、初期の具体策が固まったところで、その発表と大々的な両王家の婚姻の儀を執り行うことになった。
おそらく、年が明けてからになるだろう「大きな花火」の主役として誰もが思い描くのは、もちろん、華やかなセセナ姫。
「大事な花火が湿気っているわね。コクウの皇太子殿下って、どんな方なのかしら。何か知っている?」
最近は、城の中でも薄布の面覆いを掛け、ますます目立たなくなっているユキアがメドリに聞いた。
「噂によると、なんでも少年の頃からご武功目覚しく、敵が、お姿を見ただけで逃げ出したほどの猛将でいらっしゃるとか。ご容姿の噂は聞いていませんが、凛々しい殿方なのでしょうね」
言いながら、メドリはうっとりした。
「お名前は、なんとおっしゃるのか 知っている?」
「ええと、確か、カムライ様とか」
「あら、そんなことがあるのかしら。セセナに言ってあげなくちゃ」
あれが隣国の王子だとしたら、先日の使者の為、連絡や繋ぎを取る役目を果たしに来ていたのかもしれない。
そして、反対派の賊に襲われた。
他国の人間ならば、ほとんど使われていないとはいえ、王家の別荘で狼藉を働いたのも分かる。
ユキアは、セセナの部屋を訪れた。
侍女が、めそめそと泣き暮らしているセセナに手を焼いている様子だ。
ユキアの顔を見て、 少し ほっとしたように案内した。
「泣いてばかりいたら、可愛い顔が台無しよ」
「……」
「ねえ、丘の別荘で、寝ていた怪我人のことを覚えている?」
セセナが、ぱっと顔を上げたが、すぐにうつむいて 涙を押さえる。
「でも、私、野蛮な隣国の見知らぬ王子と結婚させられてしまいます」
「あの怪我人はカムライという名前だったわ、隣国の王子様と同じ名前よ。もしかしたら同じ人かもしれないじゃない」
「お姉さまは、お名前を聞いていらしたの」
「あっ、ホジロが聞いたみたいよ」
「いくらお名前が同じでも、別人に決まっていますわ。だって、隣国の王子は、敵も逃げ出すほどの鬼神の如き猛将だというではありませんか。きっと鬼瓦みたいな怖いお顔に 違いありません。別荘にいらした方は、儚げに咲く谷間の百合のように美しい方でしたもの、全っ然違います」
ユキアは、思わずこめかみに手を当てた。
確かに、毒に侵されてぐったりはしていたが、果たして一人前の男に「谷間の百合」という形容をしても良いものかどうか。
しかも、「儚げ」まで付けているし……。
押し倒された時の感触からすると、見かけによらず肉体派だ。
かなり鍛えられている。
しかし、説明できない。
夜中に賊を相手に立ち回りを演じて、命を危険にさらしたなどと言えない以上不可能だ。
一方、湿気った花火も国家の一大事。さてどうする。
調査団の人選が始まっていた。
総指揮は、民部省の少輔タヅムラ。
無論、豊富な知識を備えた逸材だが、武術にも秀で、見た目も立派な偉丈夫であるから、バカにされることは無い、という理由もあった。
何しろ、つい昨年まで戦の絶えなかった国だ。
やさ男では勤まらない。
一通り専門家たちの人選がまとまった後、タヅムラが言い出した。
「もう一人、遊軍を追加したいのですが」
「どんな人物じゃ」
「名はホジロ、丘の別荘番をしている変人ですが、何にでも興味を示します。ド素人の専門家とでも申しましょうか、それゆえ、その道の専門家が見落としがちな 変なことに 気がつくかもせん。役立たずに終わる可能性もありますが、足手まといには ならないと思います」
「一人くらいは いいだろうて、かまわん」
「いえ、助手を一人連れて行きたいそうです」
「邪魔にならぬようなら連れて行け」
ホジロの父親が、調査隊の費用にと、多額の寄付を用意していたりする。
しっかり者のタヅムラは、経費のこともちゃんと考えていた。
小雨の降りしきる秋の日に、調査団は出発した。
三国のうち、マホロバと国境を接しているのは、コクウとモクド。
長い国境線を有しているのはモクドだが、そのほとんどが山岳地帯である。
畢竟、調査団はコクウを目指すことになる。
国境までは、マホロバ軍が物々しい警護を固めて進んだ。
正式な国家間の使節であるという示威の為である。
彼らに何かあったら ただでは済まない、という圧力でもあった。
一行が進む間、降ったり止んだりを繰り返しながら、細かい雨は続いた。
「ユン、本当に大丈夫なの」
馬車に揺られながら、おまけの調査員ホジロが『助手』に言った。
「大丈夫よ。近頃は陰で『引きこもり姫』と言われている みたいだしメドリにも頼んであるから、気がつかないと思うわ」
ユキア変装して、時々朝の散歩道と書庫を出入りするだけでいいからと言われ、メドリは嫌々身代わりを 承知させられた。
今頃は、さぞやため息をついていることだろう。
タヅムラが顔を知っているので、ユキアは、やはり覆面をしている。
実験の失敗で顔にやけどを負っている、とホジロが苦しい言い訳を通した。
国境では、コクウの出迎えが待っていた。
近隣の村々から来た野次馬を警備の兵が抑え、世話役のイナダが進み出て、丁寧な歓迎の挨拶をする。
三十歳過ぎだろうか、落ち着いていて感じも悪くない。
調査団は身の回りの簡単な警備だけを連れて、コクウに入った。
霧のように煙る国境に、マホロバ軍の人馬が並んで見送る。
その姿が離れていくにつれて、白い雨の中に 溶けて見えなくなっていく。
一行のほとんどにとって、初めて足を踏み入れる土地だった。
見知らぬ道を隊列がゆっくりと進む。
馬車の窓から望む 城までの道のりには、思ったほど戦火の跡は無い。その辺りは免れたようだ。
コクウの城下に入る所で、使者が待っていた。
王族メギド公からの口上を述べる。
晩餐への招待だった。
「格式ばったものではございません。長旅の疲れを癒していただく気軽な食事会でございますので、是非 お越しください」
イナダは聞かされていなかったらしく、戸惑った様子でタヅムラの顔を見た。
「せっかくのお招きですから、喜んで伺いましょう」
タヅムラは答えた。
学者と専門家も、丈夫そうなところをみつくろって連れてきた。問題は無い。
一旦宿で荷解きをして出かけたメギド公の晩餐会では、冒頭に屋敷の主が挨拶した。
堂々とした体躯、見た目の悪くない初老の紳士だが、挨拶は下手だった。
長々と退屈な演説の最後に、イナダの面目を潰すような発言で 締めくくる。
「なお、今回の世話役は、そこそこ使える男ではあるが、身分が低い。手配できた案内人も身分が下の者ばかりだったので、わしが有能なものに替えた。因って、ますます調査がはかどることと思う。期待していますぞ」
イナダはというと、慣れているのか感付いていたのか、顔色も変えずに礼を言っている。
調査団の面々のほうが鼻白んだ。
メギド公は、用は済んだとばかりに、
「後はくつろいで、自由にやってくれ」
と退室して行った。
言われたとおりに、勝手に宴会が始まった。
にぎやかなドンちゃん騒ぎで盛り上がる。
タヅムラの人選が よく解る光景だった。
笑い転げたユキアは、顔を風に当てたくなり、召使を捕まえて厠の在りかを尋ねる。
男の身なりをしているが声は女、それが 宴会で覆面をしたままなので、
召使が、おどおどといぶかしげな様子で場所を教えた。
「あ、あ、こ、この廊下の突き当りを右です」
突き当たりまで行くと、左には回廊が続いていて、庭があった。
広い庭だ。思わずふらりと左へ進んだ。
不意に、近くの部屋から……マホロバ……と 聞こえた気がする。
扉に近づくと、中で話し声がした。
「心配なさらなくても、案内役にはよく言い含めてあります。見られて困る所は見せないようにと。大丈夫です、殿下」
メギドの声だ。
「しかし、……に 招待しなくても……」
応える声は、小さくて 聞き取りにくい。
「奴らを上手く手懐けて、こちらに引き入れれば、役に立ちますからな」
「……無理な……は……な。 ああ……、では帰る」
ユキアは急いで庭に隠れる。立ち聞きするつもりはなかった。
聞いてしまったものは仕方が無いが、ここに居たことを知られるのはまずい。
扉が開いて、男が急ぎ足で出て行った。
残念ながら、顔までは見えない。
とっさに隠れた庭の陰は、手入れが行き届いているとは言いかねた。
回廊からはきれいに見えたが、木の陰に入ると雑草が伸び、得体の知れない茸まで生えている。
美味しそうに見える。匂いも良い。なんという茸だろう。
ホジロなら知っているだろうかと、二本ばかりを袖に隠して、持って帰ることにした。
翌日から、ユキアとホジロは適当な誰かの後にくっついて、ぶらぶらと見物して歩いた。
町や村のたたずまいは、まだ繕いきれずに貧しさを露呈していたが、明らかな活気が満ちていた。
長い戦が終わったことを実感したのだろう。雑多な印象の中に笑顔が垣間見える。
宿屋は、一行の貸し切りになっていた。
調査から帰ってきた団員は広間に陣取って、資料のまとめと情報交換の話し合いに忙しい。
ある大雨になった日、コクウの職人たちを宿に呼んでの聞き取り調査になった。
ホジロは相変わらずぼうっとした顔でうろつき、あちこちで話を聞きかじっている。
ユキアは、どうやったらカムライ王子を確認できるだろうかと思案していた。
噂を聞いて野次馬半分にやって来た特に意見の無い職人たちが、雨を眺めながら世間話を始めた。
「アトメが春の離宮を修復するってのは本当なのか。あいつ、からくり作りは得意だが、修復なんて一番やりたがらないと思ったが」
「本当らしい。メギド様に頼まれたようだ。修復にしちゃあ 集めてる材料が大げさすぎるがな。変にしなきゃいいが……。そもそもあそこは、修復が必要なんだろか」
「しかし、なんでメギド様が依頼するんだ。城の係りがいるだろうに」
ユキアはつい気になって、話に割り込んだ。
「あの、メギド様ってどういう方なのですか。わたしたちもお世話になっているのに、よく存じ上げなくて。ずいぶんと精力的に活動なさっておいでのようですけど……」
「カリバネ王の叔父さんです」
王位継承権があって、目立ちすぎると、普通は、王位を狙っているのかと勘繰られるところだが、子どもが 女の子ばかりなのだという。
「俺も十人までは数えてたが、今何人姫様がいるやら、誰も知らないんじゃねえか」
一族に男ばかりが生まれる家に、たった一人出来た女の子を、無理やり側室に迎えたが、生まれてきたのは やっぱり女ばかり。
側室の実家では、外孫とはいえ、女の子がたくさん出来て嬉しいと、大喜びで 可愛がっているらしいが、メギド公はがっかりだった。
「でも、それだけいらっしゃれば 婿を取るとか、有力者に嫁がせて勢力拡大するとか、やりようもあるでしょう」
ユキアの話に、大爆笑が返ってきた。
「会ったことがあるなら知ってると思うが、メギド公は めっぽう無骨な親父で、奥様もご側室も無骨な方々。姫君たちも無骨な上に不細工 ときちゃあ、無理な相談だ。全員一人身だ。末っ子姫が、やっとこさ 十人並みに毛の生えた程度ってとこかな。公も老齢だし、いずれにしろ もう遅い」
そこまで言って大丈夫なのだろうか。
一家総出で舐められている気がするのだが、嫌われているようでも無さそうだ。
その日も、帰ってきた団員は広間に陣取って、賑やかに仕事をしていた。
宿の者たちも、お茶を持って来いの 紙を買ってきてくれのと こき使われていて、入り口近くにある待合室なのか談話室なのか、間仕切りも無い小さな部屋は、案外に人目が無い。
ユキアとホジロは、そこに向かったが、珍しく外から帰ってきたタヅムラ卿が、二人を見つけてやってきた。
「ホジロ、面白いものは見つかったか」
「まだ金物が出回っていませんね。少なすぎるようです。どこかに大量の武器が保存されているのではないかなあ」
「大量?」
ユキアが聞き返す。
「ユンは人を切ったことがある?」
「有難いことに、まだ無いわね」
少ない経験だが、敵の武器を叩き落したり、持ち物や衣服を切り裂いたりで、大抵は 片がついてきた。
別荘での立ち回りでも、カムライが戻ってきた為、切るところまではいっていない。
「人間の体って、あぶらだらけなんだ。鍛え上げて筋肉しかない体は一見強そうだけど、いざ不測の事態に落ち入ると、生物としての弱さが露呈する。生き延びるために、身体は脂肪を溜め込むように出来ているんだ。だから、人を切ると脂が刃に纏わり付いて、切れ味がたちまち落ちる。研いで落さないと切れ味は戻らないし、錆びてしまうから、長い戦では予備が欠かせない。切るだけでは存外死なないから、止めを刺すには突く武器が有効だし、場合によっては叩き割る重い武器が役に立ったりするし、剣一振りでは持ちこたえられない。戦って、思いのほか大量の武器が無いと、長くは続けられないんだ。もちろん、城には たくさんあるだろうけど、城の武器庫では足りないほどに在ってしかるべきなんだ。鋳潰して他の金物に転用されている様子もないようだし、まだ武器のままでどこかに保存されているかもしれない」
「じゃあ、メギド公が言っていた『見られて困るもの』って、それかしら」
タヅムラの物問いたげな顔に、メギド邸で、うっかり立ち聞きしてしまった内容を説明した。
「それにしても、何をこそこそ隠すのだ。武器が他国に秘密なのは当たり前だ。今日は城に挨拶に行ってきた。カリバネ王は気さくな方で、自ら案内してくださったが、『ここから先は、武器庫だから見せられぬ』 と堂々とおっしゃった。他国に知られたくない事は、見せられないと言えばいい話だろう。我らは間諜に来たわけではない。それなら、もっと目立たない奴を選ぶ。それに、調査団の連中は、役に立つが手懐けられないぞ。何だろうな。……あっ、そうだ。ホジロはカムライ殿下を知っているのか」
思いもかけぬ展開に、二人は目を見張った。