四
イマナジが、うっすらと笑みを浮かべていた。
その昔、モクドの巫女になる為には、皆、『妖精王の瞳』を身に飾り、真の姿をさらす試練を受けねばならなかったのだ。
いつしかその力は失われていたが、モクドの宝には違いない。
長い戦乱の中で行方不明になっていた宝玉と巡り会えた。
喜びの笑みだった。
だが、占いは やっぱりハズレだ。
ユキア姫には必要ない。
この姫は、自分自身の中に、しっかりした『瞳』をすでに持っている。
人は、誰でも持っているのだ。
『己自身の瞳の種』を。
見つけて育てる気さえあれば、翠の宝玉が持つ奇跡の力は、万人のものだ。
メギドの末娘は、これから美しくなっていくだろう。
ツクヨリの姿もまた、己が育てたものに他ならない。
「何故、何故だ。後から生まれたというただそれだけで、兄上のような戦馬鹿に、私がことごとく負けねばならぬのだ」
しぼり出すような、恨みのこもった声だった。
「分からん」
カムライの簡単すぎる答えに、ツクヨリは、さらに激怒した。
手首に巻いた首飾りを、むしり取り、投げつける。
反射的に手を出して捕まえたメギドが、慌てて卓の上に置いた。
ツクヨリが、剣に手をかけた。
ユキアを庇うように前に出たカムライが、静かに言った。
「戦馬鹿の剣に勝てるのか」
指摘されるまでも無い。
ツクヨリが、剣でカムライに勝てたためしは なかった。
「うわあ――っ」
ツクヨリが、悲痛な叫び声を残して飛び出して行き、去った。
残された静寂の中で、メギドが力なくくず折れた。
「メギド公、今、配下の衛士が、城に知らせに走りました。覚悟してください。
それから姫、怪しいものをわざわざ口にしないでください」
「どなたが止めるのか知りたくて。でも、あれは一口くらいなら死にません。止める人がいなければ、不味いと言ってやめるつもりでした」
「あの茸をご存知でしたか」
「はい、以前教えてくれた人がいました」
ホジロである。
この庭の隅に生えていたのを持ち帰って見せたら、ホジロに叱られたのだった。
ツクヨダケ。自分と似た名前の茸を、ツクヨリは知っていたのだろう。
この屋敷の庭に生えていることも、おそらくは……。
度々出入りしていた王子の指示に、料理人は逆らえなかったものとみえる。
本当は、食べても意外に美味しいらしい。
しかし、猛毒である。
ツクヨリは夜叉となって、真夜中の闇を彷徨っていた。
準備を重ねた計画が、水の泡となって消えた。
それが、嫉妬に狂っておろかな行動に走った自分が招き寄せたことだと、今は、厭でも解る。
辻斬り騒ぎのせいで、遅くまで外を歩く者はいない。
酒場に閑古鳥が鳴いている という。
人っ子一人いない闇夜を、夜叉が 彷徨う。
二番目の兄を陥れるために、辻斬りもした。
目障りな長兄を殺す為の策略も巡らした。
焦っては身の破滅だと気づきながらも、止められなかった。
生まれる時を間違えたと思ったが、生まれながらに間違えている人間など、いるのだろうか。
『分からん』
兄が言い返した言葉と同じ言葉しか、思いつかなかった。
剣の腕は、もとよりかなわなかった。
足元にさえ及ばない。
ならばと戦略を学んだが、何故か戦果は上がらなかった。
窮地に陥って、助けられる破目にもなった。
やはり何事も兄には勝てなかったミノセが、それでも慕っているのが、うとましくさえなった。
和平の話が持ち上がって、今度こそと思ったのに、ツクヨリの予想に反して、父王の右腕になり次々と 講和に向けて有効な手を打っていく兄は、戦の英雄から、頼もしい平和の担い手になろうとしていた。
何故だ。
何故、私の手には何も無い。
掌をそっと開いてみた。
そこから、ほのかに菊の花の香りがした。
「ツクヨリか。おぬし、何という姿をしている」
低い男の声が、ツクヨリの行く手を遮った。
知らず、町外れに近いところまで来ていた。
林と呼ぶにも頼りない、まばらな木立の生えた手付かずの空き地だ。
眉のように細い月と満天の星が、かろうじて浮かび上がらせたのは、闇よりもなお暗い漆黒の男。
着衣の形は、優雅といっても良い洗練された工夫がなされているが、全て、喪を纏うような黒だった。
長身の逞しい体を持つ男の顔は、見目麗しいとはいえず、端整ともいえなかったが、人を引き付けずにはいられない不思議な魅力があった。
「コクウで、おかしな事件が起きていると聞いて、確かめに出向いたのだが、おぬしの仕業だな。浅はかな。やはり使えぬか。大して当てにもしていなかったがな」
「くっ、」
男に気圧されて、勝手に身体があとずさる。
「もういい。消えろ。おぬしが執心の姫は、俺がゆっくり可愛がってやる。案ずるな」
無造作に大剣を抜いた。
それを受けた剣を、あっさりなぎ払った勢いのままに、ツクヨリの身体を切り裂いた。
「あ……に……うえ」
倒れながら最後に口にしたことばに、自身が呆然として、ツクヨリは事切れた。
優しく、悲しげな死に顔だった。
あくる年、空き地に小さな白菊が咲く。
小ぶりながらも、ふっくらと精緻な八重に咲く花は、中心が淡い翠色をしていた。
咲ききれば、花芯は鮮やかな翠だが、ほとんど咲ききることなく萎れるという。
誰言うとも無く、『ツクヨリ菊』と名づけられた菊は、切なくなるほど芳しい匂いを 放った。




