二
カムライが気づくと、覆面から心配そうな目が見つめていた。
柔らかい寝台に寝ている。
知らぬ間に 運ばれていたようだ。
きっちりと結ってあったはずの髪も、知らぬ間に解かれて流れていた。
「気分はどう?」
「まだ体中がだるい。水をくれないか」
ユキアが水差しから汲んだ水を持ち、カムライの肩に腕を差し入れて飲ませた。
「余計な事をしたようですね」
「そんな事は無い。飛投剣は私を狙ったものだ。貴女がいなければ、どのみち毒で死んでいる」
「飛投剣というの? 曲線で飛ばせても、命中率は低いでしょうに」
「ふっ、本来は捻らない真っ直ぐなものだ。毒を塗ってあったから……」
「わかった、どこかにかすり傷でも付けられれば良かったから、避けにくいように捻りを入れたのね」
カムライは頷くと、苦心して帯に絡めてあった鎖をはずした。
何の変哲もない金の鎖の先には、原石そのままの赤い石が付いている。
半透明の朱色に近い赤が、暖かな光を宿していた。
「命の恩人に、お礼を」
「気にしなくても良いのに。お礼を受けるほどの事ではないし」
「私の気持ちだ。受け取れ」
無理やり渡されたものを、ユキアは何気なく首に掛け、胸に下げた。
胸に、安心感のような暖かい気持ちが広がる。
「これは、何と言う石?」
「赤瑪瑙、高価なものではない」
「とってもきれい。本当に貰ってもいいの」
「君に、持っていて欲しい」
この時、カムライにも解らなかった。
顔も知らない娘に、何故あれを渡す気になったのか。
幼い頃から、お守りのように肌身離さず持っていた石なのに……。
翌日、別荘に馬車が来た。
降り立ったのは、セセナだった。
付いてきた召使が、扉を訪っても答えが無い。
セセナは勝手に入って、姉を探すことにした。
奥まったところにある、日当たりのよさそうな部屋。
見当をつけたセセナが扉を開くと、寝台に見知らぬ若い男が寝ていた。
セセナは、父より美しい男に初めて出会い、呆然として見つめてしまった。
部屋の外から、侍女が大声で呼んでいるのが聞こえる。
「ひめさま~、姫様、どこですか」
「あ……」
慌てて 部屋から飛び出した。
廊下を戻ったところに、ホジロがやって来た。
「セ…セナ様ですか?」
「ええ、あなたは?」
「この別荘の管理をしているホジロと申します。突然いらっしゃったので、びっくりしてしまいました。失礼」
「あの部屋に寝ているのは、どなた」
「ああ、庭で倒れていた怪我人です。ユキア様が、手当てをするようにとおっしゃいましたので。ユキア様は離れにおいでです。ご案内いたしましょう」
セセナは、上の空で離れに連れて行かれた。
「メドリさん、セセナ様がお越しです。ユン……ユキア様は御目通りできますか」
ホジロは扉を叩きながら、不自然とも思える大声をあげる。
しばらくして、やっとメドリが顔を出した。
「まあ、セセナ様どうなさったのですか、突然に……」
「あ、あの、お姉さまを驚かそうと思って、流れ星が見えるとおっしゃっていらしたから、わたしも見たいし」
慌てて着替えたユキアが、笑って出迎えた。
「本当に驚いたわ、吃驚よ」
「お姉さまは母屋にいらっしゃると思って、男の方が寝ている部屋を開けてしまったの」
「ああ、怪我をしていたので手当てをさせたけれど、得体の知れない人だから、関わっちゃ駄目よ。治ったらすぐに出てもらうわ」
自分の所為で傷を負わせたと思い、手当てをしたが、明らかに殺し屋に追われていたようなのに、事情を話そうともしない。
あんな危険な男を、セセナに近づけるわけにはいかない。
だが、心配することも無く、まだ動かぬ体に力を振り絞って、その日のうちに、カムライは何処かへ姿を消した。
数日後の午後、ユキアが書庫で本を探していると、弟のエヒコが声をかけてきた。
王子たちは、姉たちのように屈折した成長振りを見せることなく、眞に素直に育った。
第一王子エヒコは、次代の世継に相応しく、まだ少年ながらも、堂々とした落ち着きと思慮深さを持つ、聡明な王子になっていた。
第二王子オトヒコは、何処で何をしているのか分からない。
誰も気にしない地味さを発揮していた。
いずれ、たいしたことはしていない。
「姉上、セセナ姉さまは近頃ぼんやりしておられるようですが、どうしたのでしょう。何かご存知ではありませんか」
「あら、近頃静かだと思っていたけれど……。分かったわ。様子を見てみます」
ユキアの暢気な答えに苦笑した後、エヒコは眉をひそめた。
「姉上、コクウ王国について ご存知のことは ありませんか」
「海に面したマサゴ王国と山と森のモクド王国に挟まれた平原の国、昨年三国同盟を結んで、長きに渡った戦いからやっと抜け出した。隣国だというのに、これくらいしか知らないわね。どうかしたの」
「近々、コクウから使者が来るようなのです」
「ただの挨拶ではなさそうなのね」
「はい、面倒なことではないといいのですが」
「そうね、でも三国が束になっても、わが国は大丈夫だと思うわ」
「はい。……姉上、その赤い石、お似合いです」
あれからずっと着けたままになっていた。
真っ赤な色をしているのに派手に目立つことは無く、かえって落ち着いて見えるのが気に入っていた。
だが、考えてみれば、天然石そのままに加工もしていない石は、王女の身を飾るものではない。
そう気付いて、衣装の胸の中に隠した。
部屋に戻ったユキアは、手近なところから聞いてみようと、とりあえずメドリに話しかけた。
「セセナの様子が近頃おかしいって、聞いている?」
「はい、別荘からお帰りになってから、明らかに 変です。もしや恋煩いでは」
「恋煩い?」
「一目惚れって、お分かりになりますか」
「ええ、本で読んだわ。あら、誰にかしら。ホジロ?」
「いいえ、違うと思います」
「でも、別荘の独り者は、後は召使のボラボラ小父さんしかいないわよ」
「姫様が庭で拾ったという怪我人ではないかと……」
「えっ?」
あの男は、いかにもまずい。危険だ。
せめて素性を調べてみて、何とか出来るものならしてやりたいが、名前しか分からない。
もらった赤瑪瑙は、手がかりになるだろうか。
そういえば、美しい顔をしていたかもしれない。
なるほど、一目惚れなのか。
ユキアは、妹を案じた。
コクウ王国からの使者は、少人数で意外にひっそりとやって来た。
威風堂々とした 壮年の使者は、謁見の間でホヒコデ王と対峙した。
面倒な挨拶が一通り終わると、いよいよ本題を切り出す。
「マサゴ、モクド、我がコクウの三国は、昨年和議を結び、長い戦いの歴史に幕を閉じました。三国共に 二度と戦わないと固く誓いを立て、これからは貴国のように、安定した豊かな国づくりを目指す所存です。しかしながら、長く続いてきた戦いに疲弊して、正直なところ、未だ新しい国づくりが進んでおりません。就中、戦によって甘い汁を啜ってきた輩が夢を捨てきれず、貴国と戦を構えようなどと画策する始末」
「使者殿、脅しに 来られたか」
ホヒコデ王の鋭い声に、使者は、にやりと笑みを浮かべ、続けた。
「いや、単なる愚痴でござる。今回は、貴国のご助力を仰ぎに参りました。我ら三国、戦さえなければ、マサゴからは豊富な海の幸、コクウは広い平原から穀物の実り、モクドの山からは、ほぼ手付かずで眠る資源を手に入れることが可能。ご助力いただければ、その成果を廉価で提供すると約束する。隣国ゆえに、運搬にも便が良い。貴国にとって、現在のように遠国より買われるよりも益になる。それに、我らが平和に暮らせば、国境の人々も安んじていられましょう。両国にとって悪い話ではないはず」
「上手くいけば、じゃな」
「必ずや、この身に代えましても上手くいかせます」
ホヒコデ王が、部屋から召使たちを下がらせた。
残ったのは、王と、使者と、信頼が厚く腕も立つ側近のみ。
「使者殿、お主、何者じゃ」
「ばれましたか。コクウ王カリバネ、お初にお目にかかる」
隣国の王は、晴れやかに笑った。
ここに来て、戦に飽き飽きした三国の王が、奇しくも意見を同じくしたという。
百年、二百年先の国をかんがみて、ゆくゆくは、王家を一つに纏める案まで出たという。
マホロバに助力を乞うという案は、港を通して広く他国からの情報を知るマサゴ王の発案であり、資源を宝の持ち腐れにしてきたモクドの民が、それを熱く支持している。
「人心を纏め、事を上手く運ぶ為に、相談がござる。大きな花火を打ち上げたい。我が息子、コクウ皇太子に、マホロバの王女を娶わせたい。換わりに、三国から一人ずつ、王子を人質にお送りする」
三国合わせても、マホロバの半分に満たない。
大国マホロバ王国からすれば、協力をしなくてもやってはいける。
しかし、国境を接する三国が平和に収まるならば、長年の緊張から開放される。
うまくいけば、確かに悪い話ではない。
そしてこの王は、自らの覚悟と面構えを見せにやってきたのだ。
「マホロバの姫には、四国に跨る平和と繁栄の さきがけとして、大きな花火に なっていただきたい」