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孕み人魚と惡の華(挿絵版)  作者: 陸一じゅん
序幕 だって僕らは死んでいる
7/33

第五夜 修羅場に楯 後編

れ以上 りたくなどない

このまま 眠ってられたらいのに

                     (修羅場/より)

挿絵(By みてみん)


 ◐





「しっかりしな! 空船っ! 」


 重い瞼をようやくの思いで開くと、やたら薄暗い場所だということが分かった。視界の端に、何やら赤いものが垂れ下がっている。灯りではないようだ。


 ぐりぐり首を横に向けると、ぼやけた視界にも派手な振袖が見えた。……よくよく見りゃあ、着物の柄が桜じゃねえか。季節感がないし、何より今回にいたっては不吉すぎる。


 ふんわりと花の香が香る。白い手が伸びてきて、おれの額に触れた。





「目を開けたな? よし。まだおっ死ぬには早いからね。雲児を迎えに行くよ」


「雲児………」


 徐々に拓いていく視界には、すっかり陽の落ちた窓の外と、何も変わらないあの宿の部屋が見えた。


「そうだ……クウだ。あいつ、瑞己さまンところにいるかもしれない」


「そうか。あんたがそう言うのなら、そうなんだろう。よし、あたしの見立ては間違っちゃあいなかったってことだ。準備は出来てる。行くよカツ助」


 陽が落ちたからか、なんとか立ち上がることができた。人気が無く、しんとした廊下は明かりをつける手もないらしい。幸い、窓が沿ってついている。今日は明るい満月だ。


 斜めに差し込む僅かな灯りを頼りに、おれは照朱朗さんの背を追った。


「……あんたには、謝らなきゃあいけないね」


「それは、昼に溢したあれですか」


「そうさ。アタシが、雲児にここを教えちまった」


 じゃあ雲児は、分かっていてここに来たのか。


「天下の人魚の姫も、墓がコンクリの下ジャア浮かばれないよ」


 と、辿り着いたのは、あの駐車場だ。


 昨日は確かに、おれたち以外にも軽自動車が置いてあったはずである。どうやら本当に、宿から人間はすべて追い出したらしかったが、現場には見慣れぬ人影がひとつある。


 人手は(いや十中八九、人じゃあないんだろうが)おれたちの他にも用意されていたようだった。





 やってきた照朱朗さんに気付いたそいつが、座り込んでいた地面からはっと顔をあげて立ち上がり、アスファルトの上をかつんこつんと下駄を鳴らして近寄ってくる。


「雪ちゃん。こっちは準備万端です」





 驚いたことに、それはセーラー服を着た女子高生と見えた。栗色の髪をくるくるにパーマをかけて、ばっちりメイクをしている。とくに目元なんて、増量した睫毛が目玉のまわりを黒々と縁取って、ぎょっとするほどの目力である。


 おれの胸がざわついた。


(これがギャルというやつか)


 年寄りのような感想である。いちばん苦手なタイプの女の子だった。


 彼女は「こんばんわ」と、脇のおれに向かって丁寧に頭を下げ、黒くなったつむじを見せた。





「空船、こいつはおゆう。幽霊のおゆうだ」


「はじめまして。おゆうです」


「学校の、お方ですか」


 おれが尋ねると、照朱朗さんは頷いて、にやりとした。


「そう。人魚を釣り上げるための撒き餌さ」


「撒き餌、とは」


 応えたのは、横のおゆうだった。


「あたし、憑かれて死んだんですよぉ」えへへ、と、おゆうは首を掻いた。「だからオバケはあたしに反応します。あたしはそういう生き物です」


「こいつは、もともと生きていたころからそういう血筋だったんだよ」


「それは……この娘に危険は無いんですか」


「今回、あたしは食われンのが仕事ですから! 一度死んでるんですから、二度も死にません」


 おゆうは、山になった胸をさらに張る。


「雲児さんとは、この前お友達になりましたからね! あたしも気合を入れて協力します」


「……クウと? 」


 おれは照朱朗さんを見た。彼は無言で、おれの目を見つめ返す。


「……来た」低く呟いたおゆうの声で、おれは前を向いた。





 ◐





 白くたなびく女の着物の袖を見た気がする。だらりと乱れた帯の赤が、瞬き消える間に、おれの眼に焼き付いた。


 陽炎のように消えた女の立っていたそこに、痩せぎすの老人のような樹が聳えていた。灰色の乾いた表皮には苔が生し、空気に湿った泥の匂いが混じる。生臭い、水底のにおい。


 それと同時に―――濡れた土のにおい。クウが呼ぶ雨の香り。


 さぁっ、とくるぶしが濡れる。月明かり、濃い緑の沼が夜闇を溶かして、たぷんと波打っていた。


 これが河童桜の沼。


 ただひたすら、沼の対岸で樹は静かに夜風に揺れるだけ。さわさわと、囁くように梢のこすれる音がする。





 おゆうが進み出る。照朱朗さんとおれは、黙ってその後ろ姿を見送った。


 ざぶざぶと少女が樹に向かう。大の男が腕を広げたほどにも近づいた時、ふるりと、桜は身を震わせたように思った。


 ほぅ……と、樹は甘い息を吐く。


 木肌が割れ、ぬるりと濡れた手が伸びる。生木の色じゃあない。浮腫んだ灰色の肌に、紫の痣がまだらに浮かぶ男の腕だ。


 おゆうは腰まで水に浸かると、その手をささぐように両手で取って、額を寄せた。彼女の紺のセーラー服に包まれた細い肩が、深くゆっくりと上下する。少女幽霊のあるはずがない呼吸まで、聞こえたように錯覚した。


 オオォォォォ………オオォォォォ………


 樹は恍惚と震える。枝は無数の腕に変わり、わさわさと指を伸ばして、天にぽっかり浮かぶ月まで抱かんとする。


 さしのべるように伸びた枝は、こっくりと樹の陰を見上げたおゆうの首を、おもむろ掴みあげた。


 くっ、とおゆうの喉から空気の玉が吐き出され……気付けば跡に残ったのは、水面の大きな大きな波紋。ぞろりと沼から伸びた老若男女の腕らが、彼女の脚を、腰を、肩を、手首を―――絡み取って水に引きずり込んだのだ。





「照朱朗さん! 」


 唐突。背後から聞こえたおゆうの声に、おれはハッと振り返った。


 呑まれたはずのおゆうが、セーラーのひだをヒラリと靡かせ、照朱朗の手を取って地面に足をつく。彼女はおれの顔を見ると、にやりと悪戯が成功した子供のように唇をひん曲げた。





「いきな! 空船! 」おれは頷き、前を向く。


 獲物を逃した樹は、こしょこしょと囁いている。無数に、きっと最後に発したろう一言を。


 ……やがて、大きくなっていく声々が唸る。


 オゥオゥ……オゥオウゥ……オゥウウゥゥゥウウウウウ………。


 ひどく穏やかだ。一つ一つの怨念が込められた声だというのに、木の一部となったそれらには、赤ん坊のようにこちらの耳が痛くなるほど訴える力は、もはや無い。






「なあ、釣眼」


『なんやいな』


「なんでだろうな。あの樹の声は、おまえらと似ているな。声の響きがよ……」


『ぬしは無礼なやつじゃのぅ。鬼と怨霊を一緒くたにするのか。……まあ、似たようなものだがの』


 ―――――カタリ。顔の皮膚が外気から塞がれる。






 濃い潮の匂いがした。ずいぶんと、久しぶりの感覚の気がする。


 おれ……いや、釣眼は身をかがめ、樹に向かって走る。竜神は滑るように水面に小さな波紋を残し、風を斬った。


 ……ああ、恋しい。恋しい。


 潮の味が。あの波が。甘い甘い、命の水が。


 真水は苦くていけない。陸のものどもは、無粋でいけない。


「くさい。くさいのぉ。なあ、空船。雲児はなぜ、こんなにくさいものの方へ行くのかのぉ」


 知らんさ。あいつの考えることは。


「知らんのではない。忘れとるだけじゃ。わしらはみな、覚えているさ。忘れるものか。なあ、空船。ぬしは空の船じゃ。波を流れに流れるまま……それしか出来ぬな。そうだろう? ぬしが乗せるとするなれば、わしらと雲児だけではないのかえ」


 ……どういう意味だい。


「雲児にとっても、それはおんなじ、ということさ。ぬしらは向かって前の互いの頭の向こう側しか、見通しがきかんからのう。まったく、世話の焼けること焼けること……」


 何が言いたいんだよ、釣眼。


「雲児はわしの贄じゃ。それはおまえが空船に生まれる前から決まっていたこと。雲児はわしが喰うのだからの。いなくなっては困るのサ……クククッ」


 空が白く光った。



本日は前後編で二話更新 


次回予告『今日も雨』

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