第十七話 カルマシティ 前編
カルマ【(karman/業】
…仏教用語。現代では『宿命的、運命的な巡りあわせ』のように指すことが多いが、その内訳は実はけっこうややこしい。
カルマとは、もともと『行為』そのものを意味する単語が語源である。仏教においては、身業・口業・意業の三業に区別され、さらに善業・悪業に分けられる。身の振り方、口の振る舞い方、思考の振り分け方と、『善なる生き方の知恵』的な教訓に使われるようだ。
ヒンドゥー教では、『あらゆる結果に結びつくまでの行為そのもの』を指し、これまたたいへんややこしい。
『その行動(業)は良くも悪くも、あるべき時期に必ず結果(果報/報い)がある』という『この世のシステム』の一つであると解釈する。
◐女面
「克巳の精神は、年寄りのように乾いておりました。しかしその面の皮は、まるで何も知らない、いっそ知恵の足らないようにも見える無知のように見えましたので、最初、大多数の大人たちはすっかり騙されておりました」
そう言ったのは、いつのまにか船首に背中を向けるかたちで座っていた女だった。
「……外見こそ、泥臭いただの子供だったあの子は、やがて蛹が剥けるように変貌していきました。白痴美とでもいうのでしょうかね。頬の赤みや丸みが消えて、眉と瞳以外は真っ白いばかりの貌になり、尖った顎と切れめのような口を小さく動かして話します。人形みたいに固い、つるりとした白い貌……そンくせ、笑う時は口いっぱいに広げて大声で笑うのです。目玉の奥には、ときどき血の玉のような赤いものがひるがえようで……同窓の子供たちのみならず、担任の先生ですらも、「克巳には何か憑いているんじゃあないか」などと口にしました。やがて始まった朝方の徘徊も、それに拍車をかけたのです。ええ……最上段にある家から、下段を通り過ぎて、『落人の滝』のほうへ歩いていくあの子の姿を、何人も見ています。夜が明けぬ暗いうちから、ふよふよと潤ふやけた足で、足のある案山子のように段々の田んぼを横切るのです。……それがサッパリ無くなったのは、玖三帆が来てからですわ。あの人が克巳を、三度と変えたのです。
……え? あたくしが誰かって。ここに座っていた男面の奴はどこに行ったって。
……ンもう、いやらしいひと。そんなのもう、お分かりの癖に……。あたくしの貌をお忘れ? ……ふふふ。そう、これじゃあ分からない? ……そう。せつないことね。あなたはホントウに、忘れてしまっているのね。
……ネエ、あなた様。無礼をお許しね。
男面のやつは、柳の奴は、信じちゃあいけませんことよ。……あいつの血は、嘘でできているんですもの。あいつの口から出るものを、一寸でも信じちゃアいけません。
翁、やつも老獪です。キッと信じたら阿呆を見ます。翁には、あたくしたちも誰も知らぬ思惑があるのだわ……エエ、確かってわけじゃあござんません。でも、あたくしにはわかります。
釣眼もまっとうじゃあありません。分かるでしょう? やつは自分を失くしてる。そんなやつは信じちゃアいけません。
河津? 河津なんて、ふだんの素行で分かるってもんでしょう。あいつは正気ジャアないのです。死体の口がマトモとお思いですか? 彼奴の言葉で、正気らしきことが一言でもありましたか。死霊であっても嘘はつきましょうとも。
亡者とは、名前の無い怪物です。等しくそうなのです。それという理由も無く嘘をつき、生者をたばかり、喜んでいるのです。命あったころのことなどは、些末なしがらみにすぎません。
いいですか。あたくしは、あたくしだけが、真にあなた様を想っております。だから忠告するのですよ。心にとどめておいてくださいませ。
ああ……時が迫っております……ホラ。あなた、しゃっきりなさいな。これおまえ、続きを話すのよ。
……泣きごと言ってんじゃないのよ! ここまで来たンなら、もういいじゃない! もろとも流されたげるって、あの翁面ですら決めてンのよ!
ほらほらほら! こんな三途の川の端っこでドンブラしていたって、誰も拾っちゃアくれないのよ。ほらほら! あんたのお役目を忘れンじゃあないの!
早くしないとアンタはまた、大事なことに間に合わなくなるんだよ!
いっちゃん死んじまってるくせに、まだ何が怖いっていうの! 龍はそこにまできているのよ!
タイトル元ネタ/KARMA CITY(米津玄師)




